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3.ロッテの一日

3/31 ヘルメスパンのパンをフィセルとしていましたが、コッペパンに変更しています。


 パン屋の朝は早い。

 陽が上る前から仕事が始まる。だけど、私が厨房に入れるのは六時からと決められている。子どもはたくさん寝なさいと、お母さんだけじゃなくお父さんとダンさんからも言われたら嫌だとは言えない。

 最初はやっぱり起きれなかったし、寒い日は寝坊することも多かったし、寝ぼけて階段踏み外したこともあった。でも、今では早起きにも慣れて六時前には自然と目が覚めるようになった。その代わり寝るのは早いんだけどね。

 厨房ではすでに朝一番に窯に入れたパンの匂いが漂っていて、すごくいい匂いを胸いっぱいに吸い込んで朝から幸せ全開。焼きたてのパンの匂い最高っ。

「おはようございます」

「おはよう、ロッテちゃん」

「ロッテ、チーズ出せ」

「はーい」

 エプロンとキッチン帽子を身につけて挨拶をすると、お父さんとダンさんが手を動かしながらも挨拶を返してくれる。

 カリヨンのパンはお父さんとダンさんが作っている。見習いの私は洗い物とか片付けとか下働きがお仕事。パン作りできないのは仕方ないけど、お父さんやダンさんの仕事をこんな近くで見れるんだもん。技は見て盗めとか言うじゃない?実際は、ダンさんがパンを作りながらポイントを教えてくれる時もあるので、すっごく助かってます。

 最近は、パンに具材を挟んだりする仕上げを任せてもらっている。

 日々進歩!目指せパン職人!


 パンが続々と焼き上がるいい匂いにお腹がぐぐぅと鳴った頃、お母さんが「朝食を食べておいで」と声をかけてくれる。

 自宅は二階にある。店舗奥の倉庫部屋に二階へ上がる階段があるんだけど、これがけっこう急勾配なんだよね。手すりがないと落ちそうで怖い。

 この辺りの建物は、長方形のロの字の建物がいくつも並んでいる。通りごとに似たような外観の建物で統一しているから景観が良い。建物を見れば何通りか分かるって仕組み。その分、建て替えが難しいというデメリットもあるんだけど、百年前の建物でも十分にオシャレな外観なので私は気に入っている。階段以外は。あと、冬はちょっと寒い。暖炉しかないんだもん。移動式の暖房器具は高価だから、うちなんかじゃ買えない。

 多少の不便はまぁ仕方ない。なんせ年代物の建物だから。ひいおじいちゃんの頃は各家庭に水道が無くて、中庭にある手押しポンプで汲んでたんだって。大変そう。

 前世の世界みたいに地震が無いから建物が壊れることがあんまりないんだよね。西区にある大聖堂は五百年前の建物だし、千年前の遺跡も王都にあるらしい。どこだったかな。先生が話してくれたんだけど、夢で見たパンを思い出してたから聞き流しちゃったんだよね。

 うちの店があるヴェール通りは、軽食系のお店が多い。パン屋とかコーヒーショップとか喫茶店とか、朝開店して夕方には閉まるようなお店が多いから日中はかなり賑やかだけど、夜は静かなの。

 建物の一階は大抵が店舗で、二階から五階が住居になっている。私の自宅は二階にあるので上り下りは楽。五階じゃなくて良かった。ちなみに三階に続く階段は別にある。二階は店舗用の住居ってわけ。便利だけど、この急勾配だけはどうにかならなかったのかな。上るのも大変だけど、下りるのもちょっと怖いんだもん。

 まだ眠そうな顔をした弟のカールと一緒に朝食を食べる。

 今日も母のアレンジパン料理が美味しい。残念ながら売れ残ってしまったバケットに、夕飯の残りの肉と野菜を乗せただけのシンプルご飯なのに美味しい。母手作りのジャムを乗せても美味い。最高の朝ごはん。

 あ、お母さんの手作りジャムも、取引先のオーバンさんの蜂蜜も、店頭にて好評販売中です。

 私たちがご飯を食べている間に、お母さんが店頭にパンを並べていく。お父さんとダンさんの朝食は厨房で簡単に済ませてしまう。忙しいもんね。

 朝食が終わったら店の前を掃除して、少しだけ背伸びしてドアプレートをひっくり返して鐘を鳴らす。

 ブーランジェリー「カリヨン」、オープンです。

 相変わらず最初のお客様はビクターさん。寡黙な黒いイケメンさんはいつものビクターセットを買ってくれた。

 その後も常連さんが続いてくれる。ティムさんみたいにお昼ご飯も一緒に買っていく人、ご近所の奥さんたちみたいに朝食用にする人。マリアちゃんみたいに夜勤明けのご飯を買って行く人。いろんな人がやってきて「美味しそう」と笑顔になっていく。

 その笑顔を見るたびに、誇らしくて嬉しくて、私も自然に笑顔になる。

「いらっしゃいませ」

 今では、可愛い看板娘だとご近所でも評判な私なのです。売り上げに貢献できるならスマイルぐらいタダで振り撒きますよ。

 ちょっと客足が落ち着いた頃に、私の配達仕事が入る。

 お店だったり、近所の足の悪いおじいちゃんだったり、子育て中の奥さんのお家だったり、いろいろ。

 幸せのお届け物だね。時々お菓子とかもらえちゃうのも密かな楽しみだったりする。

 たまにお母さんに「迷子になるんじゃないよ」なんて、昔のことを揶揄われて「昔の話をしないでよ」なんて怒ったりする。どうして大人って昔の失敗をいつまでも話すのかな。イヤになっちゃう。

 パンを焼き終えたダンさんは午前中に配達に行く。行き先はうちの取引先でもある国立ヴィムティエ校とその近辺にある研究所。

 時計台のあるヴィムティエ校は様々な専門分野が学べる学校なので、敷地も規模もかなりでかい。前世の大学みたいな学校。

 入学試験を受けられるのは十二才からだけど、上限はないので五十才の学生もいるらしい。そんなに勉強がしたいなんてすごいよね。変人だ。

 奨学金制度もあって、最近では平民の生徒も増えたって聞くけど、それはお金を持ってる富裕層がほとんどなんだって。色々お金かかるもんね。それに奨学金って後で返すやつでしょ?人からお金を借りるもんじゃないってお母さん言ってた。

 もしも、パン職人コースがあるなら考えたかもしれない。いや、でもほぼ貴族が占める学校に行くのは嫌だなぁ。

 貴族、いるんだよね。異世界あるある?まぁ、王国だし、そりゃいるよね。パン屋の娘には縁遠い存在だから忘れそうになる。普段の生活で遭うことないし。お祭りの時になんとか男爵とかどっかの子爵だとかが長々スピーチしているのを遠目で見たぐらいかな。

 もしかしたらお店にくる学生さんの中に貴族の人がいるかもしれないけど、こちらから聞くこともないし、わざわざ「貴族です」って宣言する人もいないので分からない。

 なんとなく、そうじゃないかな?って人はいるけどね。雰囲気が違うというか、立っている姿勢から違う感じがする。でも、まぁ、お客さんに変わりはない。

 ちなみに、ヴィムティエ校は服装が自由なんだけど、購買で制服を販売してるんだって。けっこうオシャレなデザインだから若い学生は着てる人が多い。上着だけの人もいる。

 服装が自由なかわりに、校章が学生の証になるから必ず着けないとダメなんだって。中には先生よりも年上な人もいるから見分けつかないと困るもんね。

 

 私たちが住む王都は、王城を中心に東西南北に区分けされている。朝が早い東区は職人街で、広めの南区は学校や研究施設が多い、西区は貴族街が多くて、北区は軍人施設が多い。まぁ、ざっくりだけどね。

 うちは南区最大の教育機関、国立ヴィムティエ校の近くにある。祖父の代にパンの評判を聞いてヴィムティエ校から卸して欲しいと声がかかったんだって。

 パンが美味しいと評判で!ここ、重要。

 ヴィムティエ校ってば分かってるね。味の違いが分かる学校だね。そのおかげで近辺の研究所などからも注文をいただいてます。

 今後ともご贔屓によろしくです。

 教育機関が充実してそうだけど、小学校ってないんだよね。ほぼ専門学校ばかり。貴族は家庭教師を雇うし、庶民は神殿教室とか近所の私塾みたいなものに通ってる。どっちもお昼前に終わるから給食とかない。小学校があったら、販売先が増えたのに。残念。

 ちなみに私も一年ほど近所の私塾に通った。その時にヴィムティエ校やほかの学校の話を先生から教えてもらった。勉強する気があるなら推薦状を書くとかなんとか言っていたけど、丁重お断りをした。そんなお金かかることより、パン作りしたり、新しいパンを考えたり、販路拡大を考えたりしなきゃいけないから忙しいんだもん。

 いまのところ学校等の取引は順調だから取引相手を増やす必要はないと思う。人手もないのに手を広げたって痛手になるだけだもんね。

 それよりも、口コミと推しパンを増やさないと。うちの店自慢のパンはバケット系だけど、それ以外にもインパクトがある商品が欲しい。

 前世のパンで作れそうなものをいくつか提案してみたら、ひとつだけ採用された。それが、今回、ヴィムティエ校に納品された新メニュー。

 その名も「ヘルメスパン」!

 ………いや、ただの焼きそばパンなんだけどね。この世界のソースがヘルメスって名前なんだもん。焼きそばって料理もないから、パスタ麺を固めに茹でてソースで味付けしてみた。私が作ると何か足りない感じだったんだけど、お母さんが味付けをかなり手直ししてくれたら美味しくなった。それに合わせてお父さんがパンの配合を変えるなんてプロフェッショナルな技を見せてくれて、出来上がったヘルメスパンは想像以上に美味しかった。

 最初はフィセルっていう短くて柔らかめのバケットで作ってたんだけど、夢で見た焼きそばパンは柔らかな感じだったから他のパンでも試した結果コッペパンが一番相性が良かった。甘辛いソースを絡めた麺によく合うの。これは売れる!

 学校のカフェに卸しているのは惣菜パンとサンド用に使うパン・ド・ミーやバケット。ただ、ヘルメスパンだけは学校のカフェ限定で、うちの店頭には置いてない。

 限定品って心くすぐられるよね。戦略というより、売れ行きを見てからにしようという実験的な意味合いがあったりする。若者に受けるものって流行りやすいからね。他にも材料の仕入れとか、具材の改良とか考えることが多いみたい。

 反応が良かったら、ナポリタンとか他の麺を挟んでみたいよね。炭水化物パンチなパンだけど美味しいはず。

 私の初めての考案パン。売れるといいな。完売したらいいな。


 お昼が近くなるとお客さんで再び混み始める。

 うちの主力製品は日持ちのする食事用のパン。バケットやライ麦パンやパン・ド・ミー、他にはクロワッサンやエピやマフィンもあるし、具材を乗せたり挟んだりした惣菜パンもある。

 悲しいかな、菓子パン系は少ない。砂糖やジャムを練り込んだデニッシュやクグロフぐらい。ほかは、生誕祭のシュトーレンみたいな季節限定の商品もある。

 生クリームは高級品なんだよね。うちのパン屋で気軽に使える品物じゃないし、コストが高すぎて売り物にならない。保存がきくチーズやバターはお手頃価格だし、牛乳もそんなに高くないのに、なんでだろう。運搬の手間とかあるのかな。保冷庫があるからできそうなのに。

  生クリームがもう少し安くできたら果物やジャムと一緒に挟んでフルーツサンドとかできるんだけどなぁ。そういえば、生クリームを使ったケーキも見たことない。私が知らないだけで売ってるとこがあるのかもしれない。

 ケーキ屋さんって少ないんだよね。私が知ってるのは二軒だけだし、それも焼き菓子がメイン。クッキーとかパウンドケーキとか飴とか。ケーキ屋というよりお菓子屋さんに近い。

 菓子パンの種類が増えたら嬉しいよね。客層も増えそうだし。

 また前世の夢が見れないかな。こっちで作れそうな美味しい菓子パンでてこい。いや、出てきてくださいっ。


 お店が落ち着くと、お母さんと交代で昼食を食べる。前世だとおやつの時間頃ね。忙しいから忘れていた空腹が主張しだす。

 私は私塾から帰ってきたらカールと一緒に昼食を頬張った。今日は玉子とチキンをサンドしたパン。このタルタルみたいなソースは酸味があって美味しい。

「分からないことあったら教えてあげるよ」

「分かるから大丈夫」

「そう?」

 カールは私も通ったベルク先生の私塾に通っている。塾という名前だが中身はフリースクールに近い。稼業のために学びに行くので、それぞれ学びたいことを勉強している。カールの場合は読み書きと計算。それでも四則演算ぐらいまで。売り上げ計算ならそのぐらいで十分だし、簡単な読み書きができれば商売はできる。

 私は計算は問題ないので主に読み書きと簡単な歴史とか地理を教えてもらった。パン職人には必要ないけど、気になるじゃない。

 前世で珠算を習っていた記憶があるせいか、生まれ変わった私も暗算は得意。頭の中に算盤があるし、日本語の九九を覚えたせいか計算が早いんだよね。

 会計も正確で早いと評判な看板娘なのですよ。えへん。

 空いている時間には、カールと近所の子たちとたまに遊んだりもする。でも近所の友達もほとんど自営業なんで、いつも誰かがお手伝いでいないんだよね。

 一時間ほど遊んで帰ると、お母さんからテオ兄ちゃんが買い物に来てくれたと聞いてかなり悔しかった。

 私が接客したかったのにっ!お母さんズルい!

 夕方になると、お父さんたちは明日の仕込みを始める。

 店では夕飯の買い物客をターゲットに、余ったパンを特売セットにして売り切る算段。最初に提案したらお母さんは渋い顔をしてたけど、余るよりは売り切りたいじゃない。それに、パン一個おまけぐらいの値段だからそんなに損じゃないからと、お父さんが決行してくれた。おかげで、うちの惣菜パンはけっこう売り切れてくれる。余った分は私たちのご飯になるから、それはそれで構わないんだけどね。

 バケットとか日持ちするパンは対象外です。あしからず。

 

 夜の七時頃に玄関のプレートを「閉店」にひっくり返して、扉を施錠する。

 その後はみんなでお掃除。

「ロッテ」

 窯の中を掃除しながらお父さんが話しかけてきたので、洗い物をしながら気のない返事を返した。タワシで擦るのに夢中になっていたから。

「ヘルメスパン、完売だといいな」

「そだね……って、え!?」

 そんなことを言われるとは思わなくて、驚いて顔を上げれば窯の前でお父さんが「泡だらけだぞ」と笑っていた。

「あれは俺が仕上げたが、発案はロッテだ。お前の初めてのパンだよ」

 服の袖で泡を拭き取った私はニカッと笑い返した。

「みんなで美味しく作ったんだもん。絶対に完売してるよ」

「そうだな」

「大丈夫だよ。あんなに美味しいんだから、絶対に一番に完売さ」

 ダンさんが調理器具を片付けながらサムズアップしてくれたので、私も濡れた手で真似てみた。

 へへっと笑い合ったあとは片付けを再開する。ちょっと胸がくすぐったくて、嬉しくて鼻歌が出ちゃったけど片付けは完璧にした。

 ダンさんが「また明日」と帰って行き、うちで晩ご飯を食べてお風呂に入ったら寝る時間。

 お父さんとお母さんはまだ起きてるけど、私はもう眠い。十才の体は疲れ知らずに見えて、一気に眠気がくる。カールと同じ部屋の二段ベットの下に潜り込むと睡魔はすぐにやってきた。

 今日も一日頑張った。明日も頑張るぞ。

 ヘルメスパン、人気が出ると、いい…な…………

 

お読みいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
投稿感謝です^^ 知識ももちろん不可欠ですが、結局のところ技術(というか技能?)って体で覚え込むしかないので盗んででも得る気がなければ身につかない。 ロッテちゃんは頭でっかちさんにならなさそうでちょ…
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