2.私が転生した意味
前世の記憶を見たのは七歳の時。
季節の変わり目に風邪をひいた私は、高熱でうなされながら見ら知らぬ世界の夢を見た。熱の合間に見る夢は途切れ途切れで、目が覚めるたびに違う景色に変わっていく。
空を飛ぶ飛行機、すごい速さで走る自動車、見上げるほど高いビルや電波塔。目まぐるしく行き交う人は奇妙な服や化粧の人も多くいた。
知らないのに、知っている世界。不思議な感覚だったけど、熱に浮かされた頭は夢で見たものをすんなりと吸収していく。それらは、熱が下がってからも崩れたパズルのように私の頭の中に残った。
あの夢の世界は、生まれる前の私だ。前の自分の名前も顔も分からないけど、そんな確信がある。
「前の私もパン好きって、なんかすごい」
熱が下がった朝、自分でもおかしくて笑ってしまった。
夢の中の私は大人で、色んなパン屋さんを巡ってはパンを買っていた。仕事の休みには旅行を兼ねて各地のパン屋さんに並び、長期の休みには海外にまで出かけていた。食べてる記憶はあるけど、夢のせいか味はぼんやりしていてはっきりと思い出せない。美味しそうなパンばかりなのに、味が曖昧だなんて悔しい。
アンパン、ジャムパン、クリームパン、メロンパン、ベーグル、パニーニ。どんな味なんだろう。知りたい、食べたい、作りたいっ。
残念ながら、前世の私は食べることが専門で、自分で作ろうとは思わなかったみたい。夢では食べてばっかりだった。
今の私の家はパン屋で、お父さんはパン職人だからか、お父さんみたいに美味しいパンを作ってみたいって思ってる。いつか夢の中の美味しいパンたちを作りたい。
決意したら、お父さんが焼いたパンが無性に食べたくなってパン粥を作ってもらった。
くたくたに煮たパン粥は美味しいかったけれど、夢で見たパンも美味しそうだったと思い出し笑いをしたら、まだ熱があるんじゃないかと心配された。
こうして、前世の記憶を思い出したわけだけど、私は変わらず私のまま。前世の私の人格が出てくるわけでもなく、中に生えてるわけでもなく、前世の記憶が増えた私のままだった。その記憶も半分以上がパンの食べ歩きという嬉しいような残念なような……。
熱も下がって元気になって、ふと思った。
私はどうしてこの世界に転生したのだろうか、と。
前世で友達に勧められて読んでいた漫画では、異世界で魔物や悪役令嬢に転生したり、異世界に転移して勇者や聖女になったりしていた。
私の場合はどうなんだろう。生まれ変わってるから転生になるんだろうけど、神様に会ったこともないし、頭の中に使命が響いたこともない。
もしかして属性魔法が使えるようになったのかも?と思ったけど、体に変化は無いし、「火よ出ろ」とか「ファイアー」などと試してみたけど私が恥ずかしかった以外に何の成果もなかった。というか、属性魔法の使い方なんて知らないや。
この世界には魔法があって、大きく属性魔法と無属性魔法の二つに分けられる。
属性魔法っていうのは火とか水とか土などの属性を持つ魔法で、保有者は貴族に多いみたいだけど一般庶民にはなかなかレアな能力。伸ばし方で良いところに就職できるらしい。
無属性魔法っていうのは魔力そのものというか、なんの属性も持たない力のこと。
そもそも人間には血液と同じように魔力が体を循環してるのね。魔力管って器官があるのが分かってるんだけど、魔力の発動の仕組みは完全に解明されてないって塾の先生は言っていた。今のところ、無属性魔法は魔道具を起動させるぐらいしか使い道はなくて、これから研究していく学問なんだって。属性がどうして付与されるのかもまだ解明できていなくて、神様や精霊のおかげだとかなんとか言ってる人もいるけど、まだよく分からないんだって。
結局、魔力はあるけど道具のスイッチ以外に使い道は無いってことだね。
属性魔法なんてない私に魔法チートは無理っぽい。
じゃあ、内政チート?でも、前世の私は政治とか興味なかったから会社の仕組みもよく分からない。前世の電化製品の仕組みとか知らないし、今世の魔道具の作り方も分からない。そもそも、発明したり商品を売りたいかと思わないし、面倒だ。パン作りに必要な道具ならバンバン発明して欲しい。職人さん頑張って!
じゃあ飯テロはどうかと思ったけど、転生定番のマヨネーズはもうすでに似た商品あるんだよね。その名もマヨラー。………うん、なんだかなぁって思うけど、ここは飲み込もう。うちでも惣菜パンに使ってるけど、コクがあってかなり美味しいんだよ。
調味料も結構色々ある。異世界あるあるで、スパイスって貴重なんじゃないの?って首を傾げるほど色々ある。この国の貿易は盛んらしい。
塩胡椒や砂糖は普通に買えるのに、チョコはないんだよね。なんで?コリアンダーとかターメリックとかあるのに、なんでカカオないの?ねぇ、なんで?
カレーもカリーって名前で存在してるし、他にも前世の料理が、似たような微妙な名前であったりする。
そういえば、カリーがあるのにカリーパンってないな。あのスープみたいなカリーをどうやったらパンに入れられるんだろう。…………パンだけじゃなくて料理の勉強もしないといけないみたい。
そもそもパン以外を作る気ないんだけど、飯テロになるのかな。分からないや。
あと、私は本当はよその子で、事情があってお父さんとお母さんに育てられてるとか?
本当は貴族とか王族の子どもで、そのうち「お探ししました」とかいって引き取られたりして。色んな困難があるけど、助けてくれるイケメンたちと乗り越えてみんなに愛されるとか?
なーんて夢見た時もあったけど、どう見ても母親似の愛嬌のある顔と父親と同じ色彩の髪と目。平凡な両親とよく似た平凡な顔立ち。……いや、ちょっと可愛いかも。平均よりちょっと可愛い、はず。いや、可愛い。お客さんにも言われるし、そう信じよう。
決定打は、うちの常連のマルタ婆ちゃん。マルタ婆ちゃんは産婆さんで、うちの近所の子はほぼみんなマルタ婆ちゃんにお世話になっている。
来るたびに「大きくなったね〜。ロッテちゃんが産まれた時はねぇ…」と昔語りをよくしてくれる。これはもう疑いようがない。正真正銘、疑いようもなくパン屋の娘だった。
私が前世を思い出した意味が分からない。
何のために生まれたのか。
何のために生きているのか。
私はこれからどうすればいいのか。
前世を思い出して一年も経つのに、なんの事件もイベントもなく家の手伝いをする日々に悶々としていた。
哲学者のように思い悩む私に呆れたお母さんが、「そんなバカなこと悩んでる暇があるなら手伝いなさい」と言ったことでキレた私と大喧嘩したのは、冬の始りの頃だった。
その口喧嘩の最中に言っちゃったのだ。
「私だってパン屋なんかに生まれたくなかった!お金持ちの家が良かったのに!」
………って。バカだよね。うん、今はふかーく反省してます。本当に、心から反省してます。
いや、でもさ、お父さんもお母さんも朝から晩まで働いていて構ってもらえなかったし、弟のカールは小さくて私が面倒をみなきゃいけないし、子どもながらにちょっとストレス溜まってたのよ。
前世の記憶があっても、当時の私はまだ八歳。大人の事情が理解できても、心まではついていかない。
私の発言に怒ったお母さんは手を振り上げてビンタをした挙句、外へと放り出した。文字通りポイっと捨てられた。
「そんなにうちが嫌なら出て行きなさいっ!」
言うなり思いっきり閉められたドアの音も、鍵をかけた音も、まだ覚えている。
悲しくて、悔しくて、涙がぶわっと溢れるのを我慢してドアを一度睨みつけてから背を向けた。
そんなに要らないんなら出て行ってやる。
意地だけで歩き出した私は前も見ずに足元だけを見て歩いていた。体中怒りだらけで歩いていたら「危ないっ」と声をかけられて顔を上げると馬がこちらに向かって走っていた。声も出ないくらい驚いたが咄嗟に脇に避けると、馬は何かひらひらした布地を首にひっかけたまま猛スピードで私の前を駆け抜けていった。
「止まりなさああいぃっ!!止まれっつってんでしょー!!私の下着返せぇええ!!」
その後を元気なお姉さんが鬼気迫る表情で追いかけていき、さらにおじさんが息も絶え絶えに「待てぇぇぇ……」と後を追いかけて行った。
呆気に取られてその一行を見送った私は、改めて周囲を見て驚いた。だって夕暮れとはいえ、全く見覚えのない風景だったから。
前を見ても後ろを見ても見たことのない建物だらけ。
足元しか見てなかったから、どうやってここまで来たのかが分からない。怒っていたせいか、どのくらい歩いたのかもわからない。
そうだ、困った時は時計台。
うちの近くにある学校の時計台は高いから目印になっていた。お母さんから迷った時は時計台を探しなさいってよく言われてたぐらいに目立つ建物だった。
だけど、密集した建物の隙間からは時計台どころか見知った物が何ひとつ見えない。
「どうしよう……」
完全に迷子だ。
途方に暮れながらもゆっくりと歩き始める。
迷子になったら動いちゃダメなことは知っている。でも、それって誰かが捜してくれるのが前提だからだ。私を捜す人なんて……。だってお母さん「出て行け」って怒ったもん。お父さんのパンをバカにしちゃったもん。捜してくれるはずない。お母さん、怒ってた。すっごい怒ってた。
どうしよう。私、一人で生きていかなきゃダメかな。どうすればいいかな。
友達のところ……って、私迷子だった。友達の家も分からない。
どうしよう。このまま夜になったら酔っ払いとか、強盗とか、人攫いとか、お化けとか出てくるかもしれない。お母さんが脅すように言った怖いものが次々と頭に浮かんできて血の気が引いた。
どうしよう。考えろ。前世の記憶があるじゃないか。考えろ。………って、無理だよ。私、八歳だもん。孤児院しか思いつかないよ。孤児院かぁ……そういえば孤児院の場所なんて知らない。やばい。孤児になる前に浮浪者になっちゃう。浮浪者とかヤダ。
涙が溢れそうになって慌てて袖口で拭った。泣いちゃダメだ。どうにかして安全な場所を見つけるんだ。
でも、それからどうしたらいいんだろう……。
「うっ、ふぇ…………んぐっ」
泣くな、泣くな。がまん。
グッと唇を噛み締めた時、横道から出てきた何かにぶつかって私は容赦なく吹っ飛んだ。
「うわっ!ご、ごめん、大丈夫か」
横向きに派手に倒れた私は、じんじんと痛み始めた体に堪えていた涙がポロリと流れた。痛い、痛い。いたいぃ。
「ごめんね、見えてなかったんだ」
私にぶつかった男の人が手を差し出してくれて体を起こしてくれた。擦りむいた膝から血が流れるのを見て、私の涙腺は決壊した。
「うぇ、うっ、うわあああああんん!いだいぃぃぃ」
「え!?あ、擦りむいてるっ!うわっ、本当、ごめんっ」
「あああああ、ゔあああんっいぃだぁぃぃい!!」
「ごめんっ!ごめんねっ」
足の傷はたぶんそれほど痛いわけじゃなかった。迷子になったことや、お母さんに捨てられたことが一気に吹き出しただけだ。
おろおろとするお兄さんはなんとか宥めようと優しく根気よく声をかけてくれた。その優しさが弱った心に刺さってさらに泣いた。
いわゆるギャン泣き状態。思い返しても私の黒歴史上位確実な事件である。お兄さん、ごめん。
涙も鼻水も流して、ぐちゃぐちゃなひどい顔を手持ちのハンカチで拭き取ってくれたお兄さんはお詫びとしてミニカステラを買ってくれた。ついでにジュースも。
なんていい人なんだ。そんなお兄さんの優しさにつけ込もうとする私は悪女かもしれない。
「あのね、私、迷子なの……」
ジュースを飲んで一息ついてから、お兄さんに迷子だと伝える。
「お母さんと喧嘩して『出て行け』って言われたから、家に帰れないの」
優しいお兄さんなら、もしかしたら保護してくれるんじゃないかと思った。お兄さんちじゃなくても、施設とかどこか安全に泊まれるところに連れて行ってくれるかもしれない。
そう思ったのに、お兄さんはしゃがんで私と目線を合わせてにっこりと笑った。お兄さん、なかなかのイケメンだ。かっこいい。爽やかな好青年になること間違いなしだ。
「お母さんのこと好き?」
真面目に聞かれて、しばらく考えてから一度頷いた。
「じゃあ、謝ろう。『ごめんなさい』って言って許してもらおう?」
「でも、許してくれなかったら?……お母さん、すごく怒ってたもん」
「うーん。その時は俺も一緒に謝ってあげるよ」
「ほんと?」
「うん。約束」
お兄さんは、足を怪我した私を背負ってくれた。
私のうちがパン屋の「カリヨン」だと伝えると「あそこのパン、美味しいよね」と答えてくれた。なんとお客さんだったらしい。
「そうでしょ!お父さんのパンは世界一なの。すっごく美味しいんだよ」
そこから家に帰るまで続いた私のパン自慢を、お兄さんは相槌を打ちながら楽しそうに聞いてくれた。
もちろん、お母さんとは仲直りできた。
私に向けた第一声が「本当に出ていくバカがどこにいるのっ!!」だった。あの後、見つからない私を必死で捜してくれていたらしい。近所の人や常連さんまで付近を捜してくれていたらしく、家が近くになるとあちこちで私の名前が叫ばれていて、ちょっとだけ恥ずかしかった。
お母さんに謝って、お父さんに謝って、次の日には迷惑をかけた近所の人たちにも、お客さんにも謝り倒した。
私を保護してくれたお兄さんはテオベルトと名乗り、お母さんから感謝とうちのパンの詰め合わせを持たされて帰って行った。
名前が長いのでテオ兄ちゃんと呼んだらなんだか照れていた。年上なのに可愛いと感じさせるテオ兄ちゃんは年上キラーになりそうだと思った。
そして、この迷子事件を機に、私は決心した。
前世の謎とかもういいや。生きる意味なんて偉い学者に任せておけばいい。私は私がやりたいことをやろう。
だって、私の人生なんだもの。
今の私は、パン屋『カリヨン』の娘。
美味しいパンを焼くお父さんと、気が強いけど優しいお母さん、ふたつ年下で生意気な弟がいるロッテだ。
改めて気がついたけど、私、お父さんが焼くパンが大好きなんだ。たぶん、お母さんもお父さんのパンが大好きなんだと思う。だから「パン屋なんか」って言った私を怒ったんじゃないかな。
もうそんなこと言わない。私、お父さんみたいなパン職人になりたい。
前世の私はパンは好きだった。遠くまでパン目的に出かけるぐらい好きだった。記憶の中にはたくさんの美味しそうなパンがある。でも食べるの専門で作ったことはない。
知らないなら勉強すればいい。お父さんとお母さんに頼み込もう。パンを作りたいって。カールの面倒もちゃんと見るから、お手伝いもちゃんとするから。パン職人になりたいって伝えよう。
そして、いつか「カリヨン」のパンを王都一美味しいと言われる店にしてみせる。
パン屋と言えば『カリヨン』。王都に来たら『カリヨン』のパンを食べろ。
それくらい言われるような有名店にしてみせる!
それが私の今世の夢と希望と野望!!
お読みいただきありがとうございます。
*小話*
馬が首にひっかけていたのはお姉さんの洗濯物の下着です。風で落ちたのが馬の頭上で、驚いて暴走。
不可抗力な事故だったのに、おじさんは強気なお姉さんにかなり怒られ、見かねた青年が仲裁に入ったことで恋愛に発展したりしなかったり。