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【第62話】そして聖女の剣は血に塗れる


 無重力状態での肉弾戦には慣れが必要だ。

 自由に身体を動かすことができないなかで、敵が繰り出す攻撃を掻い潜り、隙をついて攻撃をヒットさせなければならない。

 重要になってくるのは完璧な姿勢制御技術。

 無重力状態で宙に浮かぶなか、どれだけ素早く体勢を立て直し、どれだけ素早く接近し、攻撃を繰り出すのかが鍵を握る。

 そのため宇宙服のいたるところにAIと連動した姿勢制御用のエア噴出口が備え付けられ、物理操作やヘルメット内部のARインターフェースでの視線追跡(アイ・トラッキング)等と併せて装着者の姿勢を素早く整えられるようになっている。


(その操作に熟達することこそが宇宙での接近戦に必要な技術なんだけど。俺の場合は魔力を放出するだけで済むから、接近戦では大きなアドバンテージがある)


 俺や仲間たちはいちいち使用する噴出口を選択せずとも、体外に魔力を放出するだけで、エアを噴出させたときと同等の機動力を得られるように訓練した。

 選択するというフェイズを無視し、感覚だけで身体を動かせるのは、接近戦において大きなアドバンテージなのだ。

 例え宇宙服を装着していなかったとしても圧倒的な機動力を発揮できる――はずだったのだが。


「なかなかやる……っ!」


 今、俺の目の前に居るのは増援を率いてきた女指揮官一人だ。

 それ以外の兵士たちは全て俺が床に叩きつけ、『ショックスタン』によって昏睡状態に陥っている。

 あとは敵の指揮官ただ一人――そう考えた自分の甘さに今更ながら自嘲が漏れる。


(ったく、どれだけチート能力を持っていたとしても、結局は本人の使い方次第ってのは理解していたつもりだったけどさ!)


 目の前の敵から繰り出される斬撃は『剣聖』の称号を持つ俺に匹敵するほど鋭く、速く、そして的確だ。

 時折、フェイントを交ぜながらも俺の命を奪おうと牙を剥く。

 気を抜けば致命傷となる斬撃。

 その斬撃を受け止めながらも隙を突いて反撃を繰り出すが、敵は素早く剣を引いて俺の斬撃を弾く。

 隙を見て『ショックスタン』で昏倒させようと試みるが、隙が少なくて相手に触れることもできない。

 相手の身体に触れた上で大魔力を瞬時に注ぎ込み、その大魔力によって身体機能を一時的に麻痺させるのが『ショックスタン』の原理。

 相手に触れられなければ意味が無い。


(この状況はさすがに予想外だった……!)


 目の前の敵は『剣聖』である俺に匹敵するほどの近接戦闘の技術を持っている。


(そんな使い手がこの世界に居るなんてな……)


 前世でも俺と互角に戦えたのは人類のほんの一部――英雄や勇者と呼ばれた者たちだけだ。


(いや……例外が一人居たな)


 孤児院より見出され、やがて俺の隣で共に歩んだ一人の少女。

 聖女と呼ばれ、慈愛の心で多くの人々を癒やしながら、いざ敵と対峙したときは剣を掲げて先頭に立って皆を導いた、あの少女。


(フィリス・ヴェストゥーラ・ライブラ。女神に愛された聖女のくせに、剣を取っては俺に並ぶ実力の持ち主。目の前の女がフィーの子孫だとは思いたくはないが……)


 互いに一歩も譲らず、相手を斬り伏せるために攻撃を組み立てる。

 俺と敵指揮官との剣戟は終着地点も見えずに延々と続く。


「貴様さえいなければ……!」


 声を張り上げながら剣を振るう敵の指揮官。

 その声には憎悪が充ち満ちていた。


「勝敗は兵家(へいか)の常という。その時の感情に延々と囚われるなんて、あんた、戦士には向いてないんじゃないか?」


 仲間を殺されてしまった憎しみ。口惜しさ。

 そして相手への憎しみ。

 そういった感情を抱くのは人として当然のことだ。

 だが、心の中で相手への憎悪をどれだけ煮え滾らせたとしても、戦場に立つときの頭の中は、凪の海のように静かでなければならない。

 感情を押し殺して戦果を求めなければ、更に大きな被害を生む――それは戦場に立つ戦士として持っていなければならない感覚だ。

 だが俺に剣を振り下ろす目の前の敵は、憎悪に呑まれ、その憎悪を叩きつけることしか考えていない。


「おまえが俺に対して憎しみを持つのは当然だ。だが戦士として戦場に立つには心構えが足りないな!」

「戯れ言を!」

「心からの忠告だよ!」


 叫びながら俺は攻勢に転じた。

 右、左、右――敵を打ち伏せる攻撃から、体勢を崩す攻撃に切り替えて戦闘の主導権をたぐり寄せる。

 左右からくる斬撃を防ぐために剣を振るっていた敵の動きが、徐々にバランスを崩し始めた。

 俺の剣を一方的に防ぐだけになってしまった敵は、だが少しも諦めた素振りを見せずに反撃の機会を狙っていた。

 有害光線を遮断する黒いバイザーの向こう、微かに見える敵の目には憎悪の炎が燻り、俺の一挙手一投足を見逃すまいと睨み付けている。

 怒りに満ちたその目になぜか既視感のようなものを感じながら、俺は敵の斬撃を弾き続けた。

 少しも気を抜けない攻防が続くなか、敵の動きに変化が生じる。

 俺の攻撃を弾く速度が徐々に遅れ始めたのだ。

 それは体力の消耗から来る遅れだ。

 性差による体力の差が表面化した結果だろう。

 疲れてきた相手を追い詰めるように俺は剣戟の速度を上げた。

 右、左、そして時に上から。時に下から――。

 鋭い斬撃を繰り出して相手の体勢を崩していく。


「どうした? 息が上がってきてるぞ。対人戦闘に慣れていないのが丸わかりだ」

「くっ……舐めるな賊ごときが!」


 俺の挑発に乗って剣を弾き返すと、敵の指揮官はそのまま後ろに飛んで距離を取った。

 だが――。


「それは悪手だな!」


 敵が後ろに引くと同時に俺は敵に向かって踏み込んだ。

 後ろに引いて稼いだ距離が、あっという間にゼロになる。


「対人戦闘で一番大事なのは技量でもなく、腕力でもない。苦しいときに踏みとどまれる根性なんだよ!」


 下から掬い上げるような斬撃を敵は咄嗟に剣で防ぐ。

 だがそれも悪手だ。

 敵の剣は上に向かって大きく跳ね上げられ、胴ががら空きになる。


「ちっ!」


 大きく舌打ちしながら敵は魔術を行使する。

 敵の周囲に小さな魔力の弾丸が形成され、現出すると同時に俺に向かって発射された。


「狼狽え弾に当たるものかよ!」


 目の前に迫る魔力の弾丸を対して瞬時に魔力障壁を展開した俺は、振り上げた剣を翻して相手の肩口に向かって素早く振り下ろした。


「しまった……っ!」


 敵の口から漏れる悔悟の声。

 その声を聞きながら、俺は剣を振り下ろす。

 剣の軌道を読んだ相手は、跳ね上げられてしまった剣を無理な体勢ながら力を籠めて斬り上げた。

 俺の一撃が先か。

 それとも敵が剣を防ぎ、その切っ先を俺に当てるのが先か。

 刹那の攻防の後、決着が付こうとした、そのとき。

 通路に声が響いた――。


「だめぇーーーーーっ!」


 アルヴィース号の通路に響く絶叫にも似た叫び声。

 戦場に飛び込んできた影が放ったその叫び声がメアリーのものであることを察知した俺は、振り下ろそうとしていた剣を止めた。

 だが俺と対峙していた女指揮官は、俺が剣を止めたことを好機と捉えたのか体ごとぶつかるように懐深く踏み込んで剣を斬り上げた。

 その剣が戦場に飛び込んできた人影を背中から激しく切り裂いた。


()った……!」


 手に伝わってくる剣の手応えに勝利を確信した女指揮官が、歓喜に満ちた声を漏らす。

 無重力状態の通路に勢い良く噴き出すメアリーの鮮血。

 その鮮血は女指揮官のバイザーを赤く染めた。


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