【第3話】ジャック・ドレイク(3)
「はぁ~……なんとか無事、部屋に戻って来られた。あとは――」
あとはソールがIDを持っていない理由をなんて説明するか、だ。
(今は父上が屋敷に居ないからID発行の権限を持つのは執事長のドーベルだけ。つまり、今の状況を簡潔に説明すると――うん、詰んでる)
説明できるのであれば説明したいが、魔法を使って女神を呼び出してしまいましたー、なんて言えば今の時代、病院送りは確実だ。
どう誤魔化そうかと頭をフル回転させていた、そのとき――。
『アーアー、おほんっ。執事長ドーベルからジャック坊ちゃんへ。坊ちゃんの関係者と名乗る不審人物を発見。ただちに中庭にお越しください』
「……………………はっ?」
俺の関係者を名乗る不審人物?
横に居るソールをチラッと見ると、
「……えへへー?」
不思議そうに笑顔を浮かべて首を傾げている不審人物の姿があった。
「不審人物って誰?」
「ソールのことかなー?」
「それは否定しないけど。今は中庭じゃなくて俺の横に居るだろ?」
「あ、そっか。んー、じゃあさっきの子かなー?」
「はっ? さっきって、懐かしいとか言ってたときの?」
「うん。あの感じ、多分、マーニだと思う」
「そうか。…………はあっ!?」
ソールが言う『マーニ』とは月の女神『マーニ』のことだ。
ソールと同じく、創世の女神ユーミルの妹であり、ソールの双子の妹でもある。
前世でソールと共に俺を助けてくれた仲間の一人なのだが……。
「なんで月の女神がここに居るんだよっ!?」
「あははっ、ソールのこと、追いかけてきたのかもー?」
「追いかけてって……マジか」
女神が二人も顕現するって?
でも確か――。
「ああ……そう言えば魔方陣の上にもう一体の機械人形を置きっぱなしにしてたな」
ソールを追いかけてやってきたマーニが、ソールと同じように機械人形に憑依して受肉していたら。
「……とほほ、これはもう言い訳できない」
「あははっ、しょーがないねー。一緒にマーニを迎えに行ってあげようよ、ジャック様♪」
「そうするしかない、か……」
呼び出しに応え、ソールを伴って中庭に向かうと、
「坊ちゃん、ようやくいらっしゃいましたか」
歴戦の勇士であり、父の右腕を務める執事長のドーベルが困惑した表情を浮かべて出迎えてくれた。
その後ろには地面にチョコンと腰を下ろし、包囲する兵士たちに無抵抗を示すように両腕を上げた銀髪ロングヘアの少女、マーニの姿があった。
「全く。坊ちゃんの関係者と知って驚きましたよ」
「うん。ごめんね手間を取らせて」
「いえ、それは良いのですが……この少女は一体?」
「それは、そのぉ~……」
なんと説明したものか――。
「坊ちゃんも知っての通りドレイク家は宇宙海賊として名を馳せておりますが、職業柄、敵対勢力の諜報員や工作員が潜入することも多いのです。ご家族と屋敷で働く者たちの安全を守るためにはID登録が必須ですし、さらに厳重な身辺調査も行っているのです。それをいくら一族の方とはいえ、簡単に反故にされては困りますな」
「はい……」
「ドレイク家に仕える執事長として、私は旦那様よりこの屋敷の全てをお預かりしております。だからこそ――」
延々と続くドーベルの説教は、ぐうの音も出ないほどの正論で、言い返す言葉を考えることさえできなかった。
そんな説教が一時間も続き――。
「ご理解頂けましたかな?」
「はい。もう二度としません。ごめんなさい」
「分かって下さればそれで良いのです。ですが坊ちゃん。こちらの少女とそちらの少女。二人には後できっちり尋問に付き合ってもらいますからそのおつもりで」
「うん、了解。それはドーベルに任せるよ」
二人とも女神としてちゃんと空気を読んでくれるだろう。
読んでくれるよな?
読んでくれると良いなぁ!
「それよりジャック様ー! 早くマーニを解放してあげてよー」
「うん。ドーベル、良いかな?」
「仕方ありませんな。尋問は後ほど行います。今はひとまず、坊ちゃんの部屋にお連れ下さって結構です」
「そうするよ。ありがとうドーベル」
融通を利かせてくれた執事に頭を下げたあと、ソールを連れてマーニへと近付いた。
「マーニ……で合ってる?」
「ん。久しぶり、ジャック様」
言いながら、マーニはピースサインを俺に向けた。
「相変わらず君たち姉妹はマイペースだな」
「あははっ、マーニだしねー♪ ソールを追いかけてきたのー?」
「ん。お姉ちゃんと一緒。懐かしい霊素の波動を感じたからちょっと来てみた」
「来てみた、ってノリで受肉されても困るんだけど」
「ノリが良いのは良いこと」
「良いことなのかなぁ」
マイペースに話すマーニの態度に思わず苦笑が漏れる。
「大丈夫。ジャック様のやりたいことは把握している。マーニはお姉ちゃんと一緒に宇宙船のクルーになる」
「それは話が早くて助けるんだけどね……」
元々、機械人形を改造して乗員にしようと考えていたのだから、受肉した女神が居てくれた方が色々と楽ではあるんだけど。
「それよりジャック様は背後を確認したほうがいい」
「背後?」
マーニに言われて後ろを振り返ると、
「ううっ……ジャック様ぁぁ! 私、捨てられちゃうんですかぁぁ!」
ハンカチを握り絞めたリリアが滂沱の涙を流していた。
「リ、リリアっ!? どうしたんだよ、そんなに泣いて!」
「だって……だってジャック様が私の知らないメイドの女の子たちと仲良く話しててー! 私、捨てられるんだってぇ~~……うぇぇぇんっ!」
「ま、待って待って! リリアを捨てるとか、俺がそんなことするわけないだろ!」
「ううっ、本当ですか……?」
「本当だよ。だから安心して」
「ううっ、はいぃぃ……」
涙を拭ったリリアに二人の女神を紹介する。
「こっちの金髪のほうがソール。それでこっちの銀髪がマーニ。二人とも俺の友人だ」
「ご友人、ですか? でもご主人様、ずっとお屋敷に閉じこもっていたのにご友人なんていつ作ったんです?」
「あー……それはまぁ色々とあってね。とにかく二人はリリアと同じように俺にとって大切な友人だ。だから仲良くしてあげてほしいな」
「はいっ! それはもう! あ、でも……私は奴隷ですから……」
「それは大丈夫。マーニたちもジャック様の奴隷になる」
そう言うとマーニはどこからともなく首輪を取り出し、躊躇することもなく首に装着した。
「お姉ちゃんの分」
「ほーい」
妹に手渡された首輪をソールも同じように装着する。
「お、おい、大丈夫なのか?」
「大丈夫。今、リリアの首輪をデュプリケートした」
「おまっ……」
デュプリケートとは女神が使用する『複製』の奇跡だ。
「またそんなに気軽に奇跡を使いやがって!」
「でゅぷりけいと……って、なんですか?」
「ふふふっ、それは内緒。マーニは優秀とだけ覚えておく」
「はぁ……マーニが優秀なのは知ってるんだけどさ。どうやって説明すりゃ良いのか。……リリア、その辺りは今度説明するから今はスルーしてあげてくれる?」
「はぁ……」
納得のいかないようにリリアは小首を傾げるが、こんな場所で二人のことを説明する訳にはいかない。
「と、とにかく。リリア、悪いけど二人を俺の部屋に案内しておいて。俺は船渠に戻って後片付けしてくるから」
「かしこまりました! じゃあ、えっと……ソールさん、マーニさん、私についてきてくださいね」
「ん、よろしく」
「ほーい!」
先導するリリアに大人しく着いていく二人を見送りながら、
「はぁ……なんだかすごいことになってきたなぁ」
予想外の状況に頭が痛くなるのを止めることはできなかった。
「それにしても――」
ふとソールの言っていたことを思い出す。
(信仰心が薄くなる、というのは科学文明となった今の時代、それなりに納得できるんだけど)
前々世の世界とは違い、ルミドガルズ世界は実在する『創世の女神』が深く関与して成り立っている世界だ。
女神への信仰が薄くなれば、それだけ世界を成立させる『理』が揺らぎ、不安定になっていく可能性が高い。
「何かが起こる前兆ってことか……?」
そのとき自分はどう考え、どう行動すれば良いのか?
「悪い癖だな」
女神に召喚され、大賢者として世界平和を実現させた時とは違い、今の俺はただのジャック・ドレイクだ。
英雄でも勇者でも、ましてや大賢者でもない。
「うん、とりあえず大方針は決まっているんだから、今はその方針に従って考えよう」
ユーミルが悲しんでいるかもしれないから、ひとまず世界を平和にするというのが大方針。
その方針だけでも今の俺には大それたものなのだから、そのほかのことはおいおい考えていけばいい。
状況が分からない現状、下手な考えに意味はないのだから。
「まずは船渠の後片付けだな」
それから色々と面倒なこともあったが、ソールとマーニは正式に俺の奴隷兼専属メイドという立場を手に入れた。
先輩であるリリアが二人にメイド仕事の指導をする一方で、リリアの魔法の指導と宇宙船改造の助手を二人に頼む。
だが――。
「そもそも魔導科学というのが今いちピンとこない。魔法技術が根底にある錬金術と、魔法技術が皆無でも成立している科学は相反するもの。今のままではジャック様の完全サポートは不可能。知識の並列化をしてほしい」
マーニのその発言が全ての引き金だった。
「並列化?」
聞き慣れない単語にリリアが反応を示す。
「そう。並列化。つまりジャック様の頭の中にある知識をマーニたちが共有すること」
「そんなことができるんですかっ!?」
「ん。可能。ブイ」
興味津々なリリアに向けてドヤ顔でピースしたマーニが、
「但し、並列化のためにはDNA交換による経路接続が必須。という訳でジャック様とのディープキスを所望」
唐突に爆弾を放り投げた。
「はうあっ!? ディ、ディープキスっ!? ジャック様とっ!?」
「ん。DNA情報から解析した霊的経路を使って精神体と霊素体に同時に記憶を転写して――」
「待て待て。そんな専門用語を使いまくった説明がリリアに通じる訳ないだろう。もっと簡単に説明してあげてよ」
「ん。つまりディープキスで唾液を交換して、そこから記憶を読み取って魂に刻みこむ。それが並列化。つまりディープキスは必須」
「人間になった今、霊的経路の接続は粘液を介することでしかできなくなっちゃったから仕方ないよねー」
「でもそれって必要か? 刷り込みで良いじゃん」
「インストールだと情報を『知る』だけで『理解』はできない。理解するために時間を費やすのは非効率」
「それはそうだけどさぁ……」
「ううっ、キス……マーニさんがジャック様とキス……」
「マーニだけじゃなくてソールにもしてよね、ジャック様」
「ううっ、ソールさんまで……っ!」
ブツブツと状況を反芻していたリリアが、バッと勢いよく顔を上げると抱きついてきた。
「だ、ダメダメダメダメですー! ジャック様とエ、エ、エッチなキスなんて、そんなこと私が許しませーんっ!」
マーニの魔の手から守るように俺の頭を掻き抱き、リリアは必死に首を横に振る。
その動きに合わせてポヨポヨとした感触がほっぺたを包み込む。
(天国……)
「むぅ。でもジャック様の目的を達成するためには必要なこと。それにこれはマーニたちの使命でもある」
「ん? 使命? なんだよマーニたちの使命って。そんな話、聞いてないんだけど」
その言葉に引っかかりを覚え、リリアの柔らかな双房から何とか顔を突き出してマーニに尋ねた。
「そう。使命。マーニたち姉妹には課せられた使命がある」
「ソールたちに? そんなのあったっけー?」
「ある。お姉ちゃんはバカだから忘れてるだけ」
「きゃゃはははははっ、マーニひどーい♪」
妹にバカ扱いされてバカ笑いするソール。
そんなのだからバカ扱いされるんだぞ。
「ユーミルお姉様からお願いされた」
「ユーミルが?」
「ん。今世でジャック様がちゃんと童貞を捨てられるように、何とかしてあげて欲しいとマーニたちはお願いされている」
「な……っ!?」
なんて嬉しい――じゃなくて、なんて有り難い――じゃなくて!
「よ、余計なお世話すぎだろっ!?」
「――その割にはジャック様、ほっぺたユルユルになってるよー?」
「うっ……」
だって俺は今、十四歳なんだぞ?
前々世、前世の年齢を合わせて考えれば百三十二年間童貞なんだよ。
ワンハンドレットドーテイだよ?
ミレニアムドーテイなんだよ?
最初は好きな人と、という気持ちもあるけれどそれと同量ぐらいにエッチしたいって性欲も強いんだよ?
もう頭と股間がくっつくぞってなもんなんだぞ?
お膳立てしてもらえるのなら、それに縋りたいと思うのは男の性だ!
「ううー、ジャック様も乗り気になってるぅ……」
涙目で非難するように唸るリリアに、
「い、いや、まぁその……あははっ……」
笑って誤魔化すしかなかった。
「とにかく、この件はリリアに拒否されても絶対に遂行しなければならないマーニたちの使命。だけどリリアの気持ちも分かる」
「ほわっ!? わ、私の気持ちが分かっちゃうんですかっ!?」
「あははー、まぁリリアを見てれば誰だって分かることだよー」
「ううっ、そんなに私、分かりやすいですか……」
顔を真っ赤にしてしょぼくれるリリアにマーニが寄り添う。
「分かりやすい。でも分かってない人もいる」
「分かってないっていうより、分かってないふりをしてるんでしょー?」
「ひどい男」
そう言うと二人は俺に非難の視線を向けた。
「……なんのことか分からないな」
「しらばっくれても無駄」
「そんなことで誤魔化せると思ってるからいつまでも童貞なんだよー」
「ぐぬっ……」
言ってる意味は良く分からんが、なんとなく正鵠を射ている気がする。
「とにかくマーニたちは使命を遂行したい。でもリリアにだって色々とあるというのは分かる。だから結論」
そう言うとマーニが指を突きつけてきた。
「さっさとリリアに童貞を捧げて。そうすればリリアも折れるとみた」
「そ、それは、その……あうぅ……」
「ほらほらー。据え膳だよー? ジャック様ー♪」
ニヤニヤと笑いながら煽ってくるソールの言葉を受けて、俺は胸の奥に溜まったものを吐き出した。
「はぁ……それはできないんだよ」
「……っ!!」
俺の言葉に、リリアの瞳にいっぱいの涙が溜まる。
だが、それでも俺は言わなければならない。
「ドレイク家にいる間、俺は大人しくしておかなくちゃならない。そうしなければ母上の立場が危うくなる」
平民出身の俺の母上と、父上の第一夫人、第二夫人で、貴族出身である義母のオリヴィアとエヴァ。
この三人の間には目に見えない確執が存在している。
「もし俺がリリアに手を出したら、母上は他の夫人たちから一斉に攻撃されるだろう」
平民の息子だから奴隷に手を出すような卑しい振る舞いをするのだ。
平民の息子だから、奴隷を手籠めにして喜ぶ下賎な精神なのだ。
「――そんな非難を母上が受けることになる。それだけは避けなくちゃならないんだ」
いくら父上が母上を一番愛しているのだとしても。
いくら兄姉たちがそんな些事を気にしない人たちだとしても。
いくら家人の皆がそう見なかったとしても。
俺に味方してくれる人たちと同じ数、夫人たちには味方がいるのだ。
「家庭の不和は外部勢力に付け入れられる隙になる。今でさえ、海賊業を営むドレイク子爵家に対して隠然とした不平不満が燻ってるんだ。その炎上の引き金を引くことは俺にはできない」
「じゃあ、あの……ジャック様は私のことが嫌いって訳じゃ――」
「そんなことある訳ない! リリアのことは好きだよ。大好きだ。だけど俺は三男坊とはいえドレイク家の男なんだ。だからごめん……」
「……はい。えへへ、うん、大丈夫です。ちゃんと分かりましたから」
俺の状況を理解してくれたのか、リリアは涙を拭って笑顔を見せた。
その横で何かを考えていたマーニが口を開いた。
「ということは、独立した後であれば問題なしということ」
「なるほどねー! やっぱりマーニはアタマイイー!」
「フッ」
何が”フッ”だ。
「あのなぁ。二人とも俺の話、聞いてた?」
「聞いてた。でもマーニの案で問題ないはず」
「いや、でも――」
確かに独立した後であれば、リリアとの関係を誤魔化すことは容易だが……。
「もー! いい加減ウジウジしすぎー! そんなこと言ってるからいつまでたっても童貞なんだよー!」
「ぐぬっ……」
正論パンチやめてくださいませんか!
「あ、あの、えっと――」
会話を聞いていたリリアが、
「私は、それでも……あの、その……」
ごにょごにょと口ごもりながらも、マーニの案を暗に肯定した。
「ジャック様とリリアが一発ヤった後ならマーニたちの使命について、リリアは反対しないと推測」
「そ、それは、その……」
「まぁジャック様にはこれから頑張って貰わないといけないからねー。そうすればきっと色んな女の子が寄ってくることになるし。さっさと環境を整えておかないとー」
「ん? なんだそれ? 前はそんな話、してなかったじゃないか? どうして俺が頑張らないとならないんだよ?」
「あ」
「……はぁ。相変わらずソールお姉ちゃんはバカ」
「あ、あははー、ごめーん」
てへっ、と笑ったソールが、視線を逸らして俺の質問をはぐらかす。
「……言えないことがあるってことか?」
「んー……あははっ♪」
「はぁ、分かったよ。それも聞かない」
「そうしてくれると助かるかもー」
ホッとしたようなソールの態度に言いたいこともあるが、聞いて欲しくないと言っているのだから強いて聞くのも可哀想だ。
「とにかくだ。そういうことだから。並列化については別の方法を――」
「しなくていい。マーニの提案通りにする」
「いや、だーかーらー!」
「問題ないはず。単純に順番の問題。――リリア、耳を貸す」
「え? あ、はい――」
「ゴニョゴニョゴニョゴニョ……」
「えっ!? そんなの……はい、はい……ううっ、でもぉ……」
「大丈夫。リリアならジャック様は絶対に怒らない」
「……ううーっ。分かりました……頑張ってみます……!」
何かしら重大決心をしたように気合いを入れたリリアが、クルッと俺に向き直った。
「えーっと……リリア? どうかした?」
「あ、あの、えっと、えっと、ご、ご主人様……失礼、します!」
「へっ? んっ、むぐっ!?」
「んっ、チュッ、チュッ、んぷっ……んっ、ジュルッ……」
リリアに不意に塞がれた唇。
その唇を割るようにリリアの舌が口内に侵入してきた。
柔らかな舌が口腔をまさぐって、舌と舌が絡み合う。
溢れ出す唾液が互いの口腔を行き来し、リリアの甘い唾液が自然と喉を滑って胃の中に落ちていく。
それはリリアも同様で――やがてたっぷりと唾液を啜ったあと、頬を赤らめてうっとりとした様子で唇を離した。
「はぁ、はぁ、はぁ……ご主人様……奴隷の私が、こんなことしちゃってごめんなさい、です……」
「い、いや……マーニに唆されたのは分かってるから大丈夫」
羞恥と後悔に今にも泣きそうになっているリリアを慰めながら、隣でシレッとした顔をしているマーニに抗議した。
「やりすぎだぞマーニ! リリアを唆すなんて!」
「人聞きの悪い。マーニは理路整然と説得しただけ」
「なにが理路整然だ。純粋なリリアを舌先三寸で騙しておいて」
マーニの強引なやり方にさすがに頭にきていたのだが、そんな俺を見てリリアがマーニの前に立ちはだかった。
「ご主人様、マーニさんを責めないであげてください。全部……全部、私が悪いんです!」
「リリア……」
「私が……奴隷の私が、身分も弁えずにご主人様のことをお慕いするようになってしまったから。だから私が全部悪いんです!」
必死の形相でマーニを庇うリリアの姿を見て、それ以上マーニを責めることはできなくなってしまった。
「もういいよ。その……俺も嬉しかったし」
リリアがこれ以上自身のことを責めないように、俺は自分の素直な気持ちを告げた。
「だけどいきなりなのは、次からは勘弁して欲しいかな」
「あぅ、ごめんなさい、です……」
がっくりと項垂れるリリアを安心させようと、小さく縮こまっているリリアの肩を優しく抱き締めた。
「んー、これにて一件落着ー?」
「ん。さすがマーニ。全て計算通り」
「お前は全く……」
反省する態度を見せないマーニに、怒りを通り越して呆れてくる。
「とにかくこれで障害はなくなった。ジャック様。マーニとお姉ちゃんとも並列化を希望」
「いいよね、リリアー?」
「あっ、えっと……」
どう答えたら良いのか分からないのだろう。
リリアは困惑した様子で俺に助けを求めた。
「リリアはそれで良いの?」
「私は……私は、ご主人様がすごい人なの、良く知っていますから。だからご主人様のことを好きな人が居れば、その人とも仲良くなりたいです。だから私は大丈夫、です……!」
どこまでが本心なのか分からない。
だがリリアなりの決心なのだろう――リリアの瞳には強い意志の光が煌めいているように感じられた。
「……分かった」
「わーい! それじゃ、まずはソールからね!」
「むぅ。こういうときだけ年功序列は卑怯」
「だってソールはお姉ちゃんだしねー」
マーニの静かな抗議を一言で封殺し、ソールが抱きついてくる。
「えへへ、ジャック様、はやくぅ~♪」
「はぁ……。んっ……」
ウェルカム状態で半開きになっているソールの唇に舌を侵入させた。
するとソールは、
「んふふ……♪」
嬉しそうに鼻を鳴らすと、侵入した舌に自らのそれを絡ませ始めた。
「んっ、チュッ、チュルッ、んろんろんろっ……んー……チュルッ」
口端から漏れる、互いに唾液を交換する微かな水音。
その音に煽られるようにソールの舌の動きが加速する。
勝手気ままに動き回り、口腔を蹂躙するソールの舌に辟易し、唇を離そうとしたが――、
「むーっ! んっ、んっ、んちゅっ、チュルッ、んむっ……ジュルッ」
不満げに声を漏らしたソールが、今まで以上に吸い付いてきて、口腔の唾液をすすり上げた。やがて――。
「んっ、チュッ……チュポッ! んふふー♪ ごちそうさまでしたー♪」
満足げに笑いながら、やっとソールが解放してくれた。
「はぁ、はぁ、はぁ……おまっ、ちょっ、がっつきすぎ……」
「だってずーっと前からジャック様とこうなりたかったんだもーん」
「はっ? そんな素振り見せたことあったか?」
「ないよ。あの頃は色々と大変だったし」
「あー……まぁそれもそうか」
前世ではとにかく荒れた世界を何とかしようと必死だったからな。
「お姉ちゃんどいて。そいつ殺せない!」
「って殺すのかよ!」
「ん、性的に。というワケだからお姉ちゃんどいて。マーニができない」
「あはっ、ごめんごめん!」
言葉とは裏腹に悪びれた素振りを見せず、ソールは妹に場所を譲る。
「次はマーニの番。……んっ」
淡々とした表情で言いながら、両手を広げて差し出してくる。
「どうした? 腕なんて広げて」
「はぁ……これだから童貞は」
「いやちょっと待て、その罵倒、今のタイミングで言うことか?」
「女の子が両手を広げてウェルカムしてるときに、どうしたとか聞く甲斐性なしには当然の罵倒」
「ぐぬっ……」
そういう状況に到ったこともない俺だが、マーニの言葉にはなぜか説得力があって言い訳ができない。
落ち込んでいる俺に向かってマーニはもう一度、両腕を広げてみせた。
「……んっ!」
「えっと……これで、良いのか?」
広がった両腕の間に身体を差し入れ、自分も同じようにマーニの身体を抱擁する。
「ん。まぁ合格にしとく。次は――」
そう言ってジッと見つめてきたマーニは、俺と視線が合ったあと、ゆっくりと瞼を閉じた。
その仕草の意味を見誤ることはさすがになかった。
マーニの唇に自らのそれを重ねる。
「んっ……チュッ、チュッ、チュルッ……はむっ、んっ、んろっ……」
半開きの唇から差し出された舌が俺の唇をこじ開ける。
スルッと口腔に侵入したマーニの舌は、好奇心の塊のように口の中をあちこちと突いてきた。
尖らせた舌先で突き、歯の表面を舐め――楽しむように舌を操り、溢れ出した唾液を吸い上げていった。
やがて――。
「ふぅ……満足」
互いの唇を繋ぐ銀色の糸を手の甲で拭いながら、瞳を潤ませて一つ吐息を漏らした。
「はぁ、はぁ、はぁ、人の口の中を好き勝手弄びやがって――」
「くふふっ、熟成された童貞の味がした」
「どんな味だよ、それっ!」
艶っぽい微笑みを浮かべたマーニにドキッとするのを止めることができず、唾液で濡れた唇を拭いながら悪態を返した。
「はぁ、全く。とにかくこれで準備は整ったろ?」
「ん。リリア、お姉ちゃん、こっちに来る」
「えっ、あ、はい」
「ほーい!」
近寄ってきた二人の手を握ると、
「並列化開始」
淡々とした口調で魔法を行使した。
ちなみに並列化の魔法は、通常、人では扱えない。
神が霊素を用いて行使する神の奇跡の一つで、効力は『記憶の共有化』と『記憶の定着』。
定着とは即ち理解であり、理解とは即ち、使いこなせるということだ。
つまり俺の記憶を並列化することで、マーニたちは一瞬で魔導科学を理解して使うことができるようになる。
(受肉したときにも使っているから今更だけど、こうもポンポンと神の奇跡を行使して大丈夫なのかなぁ……?)
そんな疑問も思い浮かぶが、それこそ今更なのかもしれない。
やがて並列化が終了した。
「全てのシーケンスの終了を確認。記憶の全てを魂の記憶領域へ並列化することに成功」
「これでジャック様のお手伝いができるねー♪」
「ん。魔導科学の骨子もしっかり理解できた。これでいつでもジャック様の役に立てると判断。マーニは嬉しい」
「そーかそーか。俺も楽ができそうで助かるよ」
「ん。マーニにお任せ」
「ソールにもお任せだよー!」
と、乗り気になっている二人の横では、リリアが顔を真っ青にして立ち尽くしていた。
「ちょ、リリア、大丈夫っ!? 顔色が悪いぞ……っ!」
「あ、いえ、その……大丈夫、なんですけど、少し混乱してて」
震える声で答えたリリアが、まるで確認するように俺の顔を覗き込む。
「ご主人様には……前世の記憶があるんですね……」
「ん? ……はあっ!?」
リリアの発言に心臓が飛び跳ね、並列化魔法を使ったマーニのほうを勢いよく振り向くと、
「ピーッ、ひょろろろろ~」
わざとらしい口笛を吹きながら、マーニがあらぬ方角を眺めていた。
「おい、マーニっ!」
「いや、これは、その、怒るのは少し待って欲しい。これにはマーニなりの深い理由がある」
「ほお。その理由は俺が隠していたことを自分勝手に暴いて、人に言いふらしたことの正当性を保証するものなんだな?」
「当然。……リリアの存在は、これからジャック様がしようと考えていることにとって、とても大きな武器になる」
「ん? どういうことだ?」
「ジャック様がドレイク家から独立した後にやろうとしていることの一つ。それは奴隷たちの解放。……違う?」
「そのことは誰にも言っていないぞ?」
「うん。慎重なジャック様ならそうだろうと思う。でもマーニには分かる。あとお姉ちゃんも気付いている」
「まあねー」
「なぜ気付いているかというと……ジャック・ドレイクという存在が、お人好しが過ぎる性格なのを知っているから」
「ジーク・モルガンの時代を知ってるんだもん。頼まれたからって百年も世界平和のために尽くしたお人好しのこと」
「そう。ジャック様なら頼まれてもいないのに、奴隷たちの状況を改善したいと考えるだろうということをマーニたちは知っている。だからこそ、リリアに全ての記憶を並列化した」
「……その意味が俺には理解できないんだけど?」
「意味はとてつもなく大きいよー? 今後、ジャック様が奴隷を解放していく中で一番大切なのは、奴隷たちから信頼されることでしょ?」
「現代で悲惨な境遇を過ごす奴隷たちに手を差し伸べるものは少ない。奴隷たちから信頼されるためには、リリアという存在が大きな意味を持つ」
「ご主人様のことが大好きで、心から信頼していて、命を投げ出しても惜しくないと思っていてー、そんでもってご主人様にも可愛がられ、頼られているっていう、奴隷たちの象徴となるお姫様が必要なんだよー」
「お姉ちゃんの言う通り。そういう意味でリリアはジャック様がやろうとしている奴隷解放の旗印になり得る存在。だから――」
「だから記憶を並列化したと?」
「そう」
「だけど俺の記憶を知ったということは、それだけ世界の真理に近付いたってことだ。……もしそのことが心無い者たちに知られれば、リリアは狙われることになるんだぞ?」
この時代にない知識を持ち、この時代にない技術を使う奴隷の少女。
そんなレアな存在を放置するような権力者はいない。
何が何でも手に入れようとしてあらゆる手を尽くすだろう。
「それこそ本末転倒。そもそもジャック様の寵愛を受ける奴隷であれば、いつか必ず狙われることになる」
「そんなとき、今のままじゃリリアは自分の身を守ることもできないよ? 違う?」
「それは――」
俺と並列化をしたことでリリアには俺と同じスキルが転写されている。
つまり今のリリアは『大賢者ジーク・モルガン』とほぼ同じスキルを持っているのだ。
魔力量は今までのリリアと同じだからその力の全てを使える訳ではないが、それでもその力は身を守るために大いに役立つだろう。
「なるほどね……」
二人の女神の説明を受ければ、納得できるところもある。
だけど――。
「……ごめんよ、リリア。俺の事情に君を巻き込んでしまった」
本人の意志を確認することもなくリリアを巻き込んでしまったのだ。
俺は頭を下げて謝罪するしかなかった。
「そんな! 頭をあげてくださいご主人様っ!」
「でも……」
「大丈夫。良いんです。私はいつもお伝えしているじゃないですか。ご主人様のためにこの身を捧げますって。だから謝らないでください」
そう言ってリリアは穏やかな微笑みを浮かべてくれた。
「ありがとう……じゃあ、あの……改めてよろしく」
「はいっ!」
「話がついたところで、ジャック様に今後のスケジュールを確認したい」
「うんうん。独立まであとちょっとしかないんだし。宇宙船の改造、リリアの訓練……やることは山ほどあるしね!」
「そうだな。頼りにしているぞ、みんな!」