表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

優しき獣と願い

「…………っ、ぁ?」


 目が覚める。それと同時に絶望した。


「なん、なんで、死んでないの……?!」


 ポロポロと涙が伝う。意地悪く生きようとする己の身体に辟易する。


『目が覚めたか、聖女よ』


 脳内に直接語りかけているような声が聴こえて辺りを見渡す。森の中からゆっくりとこちらに近付いてくる一匹のライオンがいる。


 白く波打つ美しい毛並みが透けるような透明感がありながらもキラキラと輝く。

 真っ赤な瞳は力強く、白の中にあるからか存在感がある。

 百獣の王故の強者の貫禄にアルビノの色合いで神秘さが合わさる。

 怖さより久しぶりに言葉が理解出来る人……ではなく、獣に出会えたことに感動が生まれる。


 それだけで、と思うかもしれないけれど言葉がわからなかったというのは自分が思っているよりストレスになっていたようだ。心細さもあったのかもしれない。


『気分はどうだ? まだどこか痛むか?』


 見た目に反してとは聞こえは悪いが性格は存外優しいようだ。そして聞かれて気づく。崖から落ちて、動けないほど全身が痛かったのに、今は痛くもなんともない。


「だ、大丈夫です」


『そうか』


 表情は変わっていないけど、笑ったような気配がした。


『にしても……人間はなんと愚かで酷なことをする。こんなことをしても一時しのぎにしかならぬというのに。聖女を、人をなんだと思っている。自国の民でなければ何をしても言い訳がなかろう。……むう、どうしてくれようか』


 怒っている気配を感じて身体が震える。木々がざわめき、心なしか辺りの気温が一段下がっている気がする。ぶるりと身震いして鳥肌が立つ身体を抱き締める。


「あ、あの……!」


『ん? ……ああ、すまない』


 わたしが声をかけると気付いてか怒りを収めてくれた。周囲が元に戻ったのを肌で感じてほっと息を吐く。


「あの、どうして、わたしを助けてくれたんですか。あのまま、死なせてくれればよかったのに……」


 声がしりすぼみになる。目線も徐々に下がって地面を見る。

 これではまるで叱られている子供みたいだ。


『そなたは己の存在意義を知らぬであろう。何も知らずに死ぬのは悲しいことだろうと思ってな。……それに、これは個人的なことではあるが……我がそなたと話してみたかったのだ』


「っ、そ、うですか……」


 直球で言われて思わず赤面する。動物(ライオン)相手に、なんてことは思わなかった。いや、逆に動物だから良かったのかもしれない。もし仮にこれが人間であったならば、わたしは嫌悪していただろう。拒絶していただろう。それほどまでに人間という種族に対して忌避するようになってしまった。もちろん、自分も例外ではない。


『なにか聞きたいことはあるか? 我が答えれるものであるならば答えるが』


「えっと、さっき言ってた存在意義ってなんですか? それに、聖女って?」


『うむ、そなたは聖女として異なる次元の世界からこの世界に召喚、呼ばれたのだ。聖女とは清らかなる者。民を慈しみ寛容な心を持って民のために尽力する。……と建前ではこう伝え継がれている。実際は体のいい道具だがな。好き好んで他人のために働いて己を犠牲にする者はおらんだろう? 他所から勝手に連れてきては右も左も分からぬうちに強要。人とはなんと無情なことか』


「っ……、でも、それならわたしは……?」


『そなたは国の力私欲によって雁字搦めになっておった。欲をかいて独占したのだ。聖女の身にある力をな』


「聖女の……ちから……」


『聖女は人を助ける力を持つ。それは治癒であったり魔力補助であったりと様々である。国が目をつけたのは魔力補強だろうな』


「それが……ぁ、あれだって言うんですか……!」


 震え叫ぶような声で尋ねる。ライオンはこくりと頷き目を閉じた。


「っ……ぅう…………、ひぐっ……」


 抑えてきたものが堰を切ったように溢れ出す。ダムが決壊したように止まらない。大粒の涙が次々と流れ拭っても拭ってもキリがない。声も抑えきれなくなり終いには子供のように泣き喚く。


『気が済むまで泣くといい。もう我慢しなくてもよい。ここには我とそなたしかおらん。誰も咎めはしない』


 そう言って、泣いているわたしの近くまでやって来てぽふりと身体を優しく押し付ける。もふもふで艶やかな肌触り。頭に響く声も配慮も優しくて、余計に涙を誘う。


 思わず抱き着いて泣いた。それはもう酷いくらいに。全てを吐き出すように泣いて、泣き疲れて眠った。



「んぅ……、もふもふ……温かい」


 さわさわと手を動かしてもふもふを堪能する。ああ、癒される。とても心地よい目覚めだ。


 ――…………もふもふ?


 ばっと上体を起こすと目の前に真っ白の綺麗な毛並み。右を向くと緩やかに尻尾が上下している。左を向くと赤い瞳と目が合う。


『もう良いのか?』


「えっ……、あっ、ごめんなさい!」


『構わんさ。とても気持ちよさそうに眠っておったぞ』


 かぁーと顔が赤くなる。赤くなった顔を隠すように両手で覆う。うう……恥ずかしい。


『さて、そなたはこれからどうする?』


 自分がどうしてこの世界に来たのかを知った。けれど、それはさして重要には感じなかった。どうする、か。……そんなの、初めから決まっている。


「お願いします。わたしを、殺してください」


 まっすぐ赤い瞳を見つめる。その瞳が細く眇られる。真意を見極めるような視線に背筋が伸びる。一度深呼吸をして口を開く。


「わたしは、人間が嫌いです。大っ嫌いです。みんなみんな、バケモノに見えます。そして、バケモノと同じ人間であるわたしが嫌いです。醜く見えて吐き気がします。それに……もう、疲れたんです。生きることに。足掻くことに。抵抗することに。全部、終わりにしたいんです。でも、自分でやろうとしたら手が震えて……最後までいけないんです。他力本願とは百も承知です。ですが、どうかお願いします。わたしを、殺してくれませんか……!」


 さぁーっと風がそよぐ。沈黙が怖い。

 もしかしたら元の世界に、日本に帰れるかもしれないと思わなくはなかった。考えなくはなかった。けれどもう手遅れだ。たとえ日本に帰ったとして今までのように生きられるとはどうしても思えなかった。なにより、両親に対し、嫌悪感を抱きたくはない。記憶のままなら綺麗で幸せだ。けれど実際に会ったら? 本当に大丈夫だと言えるだろうか。それが怖くて帰るという選択肢はなくした。

 優しい獣に手を汚せと言うのに何も思わないわけが無い。優しくされたからこそ余計に心が痛む。けれど、それ以上に死にたい気持ちの方が強かった。


『それが、そなたの願いか』


 静かに尋ねるその声には感情が一切ないように感じた。ただ、確認として尋ねている。


「はい」


 強く頷く。自分では出来ないけれど気持ちは変わらない。自分の心臓の音が聞こえるぐらい、緊張しているのが分かる。


 ライオンは目を閉じる。そしてゆっくりと目を開ける。


『良いだろう。その願い、我が叶えよう』


「ダメですよね…………え?」


『なんだ? それがそなたの願いであろう……?』


「あ、はい……ありがとうございます」


 断られると思っていた。ダメでもともとの提案だったけれど、予想外にも引き受けると言ってくれた。じわじわと歓喜が湧き上がる。


『では目を閉じろ』


「――あの! 最後に一つ、聞いてもいいですか……?」


『もちろんだ。なにが聞きたい』


「あなたの名前を教えてください」


 尋ねた内容が予想外のものだったのかライオンは目をぱちくりと瞬かせる。その様子にかわいいと思ってしまった。


『可笑しな娘だな。殺すものの名前を聞くなど』


 常であれば可笑しいなど嫌味としか聞こえないけれど、彼の言葉にはそんな含みなど一切感じない。単純な感想と言うのだろうか。


 だからだろうか、クスリと笑みがこぼれた。


「だから、です。優しいあなただからこそ、名前を知りたいと思いました」


『――ヴォアルス。この森に住まう聖獣ヴォアルスだ』


「お、ぼあ……? ゔぉあるす……」


 発音が難しい。むむむと唸りながら小さく何度も呟く。正しい発音かは分からないけど言えたと思って顔をあげると思いのほか優しい目で見つめられているの気付いた。


「っ、…………あ。私は音葉。海白音葉と言います」


 自分の名前を名乗っていなかったことに気付き、照れ隠しのように名乗る。


『オトハ……か。良い響きだ』


「あ、ありがとうございます……」


 何故だろう。友達に名前を褒められたときとは全然違う。ムズムズするというかソワソワするというか、とにかく落ち着かない。


『もう思い残すことはないか?』


「はい。最後に楽しい思い出をありがとうございます、ヴォアルス」


 美しい白い姿を目に焼きつけるように見つめて目を閉じる。地獄としか思えない世界に現れた唯一の光。気高くも優しい聖獣ヴォアルス。彼と少し話しただけで鬱々とした気持ちが幾分か軽くなった。全てに絶望した私が、また笑える日が来るとは思わなかった。ほかの誰でもない彼に殺されるのならにこの世界に来て良かったと、ほんの……本っ当にほんの少しだけ、そう思えた。


 全身が温かいなにかに包まれる感じがする。身体が溶けていくような不思議な感覚。それなのに安心感がある。


『おやすみ、オトハ』


 ヴォアルスの言葉が頭に響いたのを最後に意識は途絶えた。




『…………すまないオトハ。だが欲をかいた愚かな我を許してくれ。嫌われるのは悲しいが拒絶はしないでくれ』


 ヴァルスは音葉の願いの通り音葉を殺した。それに違いはない。けれどこうしてヴォアルスが独白めいた呟きをしたのには訳がある。



 海白音葉は現在、魂のみの存在となっている。そして肉体を一から再構築し直し新たな生を、肉体を授ける。魂は再利用されるため人格や性格といった素の部分はそのままだが付属品である感情や記憶はリセットされる。結び付きを固くすればその限りではないが彼女においてはない方が良いだろう。だから生まれ変わりと言っても前の記憶がないため本人には分からない。

 そして生まれ変わったら種としては人では無くなる。神に近き存在。人ではないのだから彼女の自己嫌悪にも触れないし殺しはしているので願いを叶えたことにもなる。

 記憶がなくなるなら関係ないだろうと思うかもしれない。けれど聖獣は嘘をつかず、嘘をつけない。ヴォアルスは音葉に願いを叶えると約束した。


 後出しのようなそれだがこれには明確なる理によって結果は決まっていた。というのもこれはそれぞれの存在意義に関係する。

 

 ヴォアルスが音葉に話してた聖女についての内容は実際には人間側の認識のものだ。実際にはそれとは異なる。が、間違っているわけでもないので嘘は言っていなかった。真実を言っていないだけで。


 聖女、いや聖人とは神に選ばれし存在の尊称である。神より寵愛を授かり、また僅かながら神より力を授けられし人間。魔力を持たぬ代わりに神力を扱うことの出来る唯一の人間。時代によれどだいたいにして片手で数えられる程度の数。神の愛に差はなく神力はみな一定だけれど、全体の人口に比べれば限りなく少なく希少で稀有であることには変わりない。それゆえに人は国は聖人を欲し独占しようとする。

 聖獣とは神に仕えし存在。姿形は様々で一貫性はないがただ一つ共通点がある。白き体に紅き瞳を持つ。何色にも染まらぬ気高さの白と生を連想する赤。また、どちらも光を表す色である。聖人と同じくして神力を扱うことが出来る。ヴォアルスが会話で使用した脳内に語りかける意思伝達もまた神力である。神に選ばれた聖人もまた、聖獣が仕えし主である。聖人が誕生すれば必ず一体は聖獣が付き従う。神力の扱いも聖獣が聖人に教える習わしがある。海白音葉の場合、人間が召喚に介入し、すぐに外にも通じぬ監禁状態であったために発見が遅れた。

 余談だが音葉を誘導した灯りは神に造られし存在である。俗に「小さきモノ」と呼ばれている。自我を持たぬそれらは普通の人には見えず、神力を持つ者のみが見え従わせれる。と言っても思考回路がないために簡単な行動しか実行出来ないが。自我がないのにどうして命令に従うことができるのかと疑問に思うが、これは神が創ったのだから、としか言い様がない。聖獣もそういうものと認識している。特定の形を成さず炎のように形を変えて漂う。



 ヴォアルスは仕えるべき主である音葉に出会い、僅かな会話のみで終われるかと言ったらもちろん否である。だが主の命は叶えるものと深層心理に刻まれている。出した結論が人の生を終え新たな存在として生まれ変わらせる。彼女の願いも叶い、己の存在意義も保たれる名案だ。ただ彼女を騙すようになってしまったのは気が乗らないがそれでも伝える気はないので問題ない。実際記憶はなくなるハズであるから覚えてもないだろうが。


『ゆっくりと眠れ。何十年でも何百年でも我は待とう。その頃にはこの世界は今よりきれいになっているだろう。心配せずとももう誰にも奪わせない。だからオトハ、安心してしばしの休息を』


 ヴォアルスは音葉の魂を抱き抱えるように寄り添った。




 この後、世界は揺れ動いた。まず音葉を誘拐監禁した国は神罰が下り滅亡。同じくしてほかの国や土地にも自然災害により崩壊、もしくは大損害を受けた。多くの人々は命を落とし、いくつもの文明は忘れ、廃れ、滅びた。被害を受けなかったのは聖人と聖獣、そして神を正しく信仰している者らのみであった。それでも世界全土の人口に比べれば一割にも満たぬ数。多かれ少なかれみな被害を被った。こうして神による天変地異、大改正は幕を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ