地獄からの脱走
ザワザワ……ガヤガヤ……と外から騒ぎ声がここまで聞こえる。わたしがいるのは王宮だか王城だかの所謂王族が住まう建物。その一角に監禁されていると思われる。といってもこの世界における常識などは一切合切知らないから想像と予想でしかないけれど。
自主的に動かなくなって久しく、重い身体に鞭を打って窓辺に近寄る。
外を見遣ると遠くに小さく城下街があるのが見える。街の方には垂れ幕が飾ってあり賑わっているのが僅かに窺える。
まるでお祭りのような風景を働かぬ頭で眺める。
………………お祭り?
もしかして……今がチャンスなんじゃないか?
この部屋から、この地獄のような日々から逃げる。
そう思えば、ふつふつと身体に力が入ってくる。
祭りなら、人通りが多くなる。
警備やらなんやらで忙しくなる。
わたしに構っている暇もない。
……ハズだ。その証拠に今日はまだ誰も部屋に訪れていない。思えば最近は訪れる人が少なかったような……。
そうと決まれば善は急げだ。
バレずにこの建物から出る。
それだけでいい。あとは……衰弱死になるだろうか。
――いや、その後のことはその時に考えればいい。今は、ここから出ることだけを考えよう。
クローゼットから比較的まともに見える服を手に取り多少手こずりながらも着替える。それでも外出するには心許ない衣服だ。部屋の中は温度が一定に保たれているのか羽織るものがなくても困らなかったから上着の類はない。
部屋を見渡しても何もない。それなら――
シーツを引っ張り出して身体に巻く。大きいから失礼して破らせてもらう。いい布を使っているのかなかなか伸縮性がある。
破るのに時間がかかったがなんとかマシな形になった気がする。
念の為、頭にもターバンみたいに巻いて髪を隠す。
――あとは、ここからどうやって脱出するか……。
ドアの外には人がいる可能性が高い。仮にいなかったとして、地上に出れるかどうか……。
窓は埋め込まれているのか開けられない。
どこか……どこか…………。
ウロウロと部屋をあっちに行ったりこっちに行ったりと彷徨う。壁や床をペタペタ触ったりするけれど、隠し扉とかあるかもわからないけど取り敢えず探してみる。刻一刻と過ぎ行く時間に焦る気持ちだけが募っていく。
どうして今まで行動に移……さずとも準備の一つもしなかったのかと過去の自分を悔やむ。その理由は自分が一番知っている。責められるハズもなく、そして今そのことに頭を使う暇はない。
頭を振って今一度気合を入れ直すと、ふわりと暖かな風が髪をくすぐる。この部屋は閉め切られていて風は通らないのに、と不思議に思う。
風向きの方を見遣るとほんのりと小さな光が灯っている。優しい色で落ち着く。ゆっくりと近寄るとその光は変わらずゆらゆら揺れている。
まるでわたしを誘っているかのよう。
灯りに誘われるままに手を伸ばせばその奥の壁に手を付ける。少し強めに押せばガコンと壁に穴が空いた。空いた穴を覗き込めば中は人一人が通れるくらいの空間があった。
ふわりふわりと灯りが穴に入っていった。その後を続けば左右に道がありどちらに進むか迷っていると灯りは一方に漂う。それは正しき道に導いているかのようでそちらの方向に足を進める。
しばらく進むと行き止まりに突き当たる。そこにははしごが置いてあって上を見ると木の板が見えた。はしごを登って板を押しあげれば眩しい太陽の光が差し込んだ。
周りを見渡し、誰もいないのを確認した後、外に出る。
「――――っ、久しぶりの外……! はぁ~、シャバの空気はおいしい……なんてね。っといけないいけない。早くここから離れないと」
囚人が解放されたときの言葉を呟いて、一人で笑う。だけど、言い得て妙なのかもしれない。出ることは出来ず、やってくる人に逆らうことも出来ず、そこに意思も自由も一切なかった。
人として扱われなかった。尊厳なんて大層なものは存在しなかった。
――けれど! 自由だ!
外に出た。それだけのことがこんなにも嬉しい。今なら空をも飛べる心地だ。
だが感傷に浸るより、やるべきことはまだ残っている。はしゃぐ気持ちを押さえて辺りを見渡す。
「どこに行けばいいんだろう……?」
左右を見渡しても道が分かるはずもなく、途方に暮れる。
すると、再び暖かい風がわたしを押し出した。目の前を灯りがふわふわ舞う。
まるで、こっちだよと言っているような。
頼れるものは他に何もない。ここに立ちすくんでたら誰かに見つかってしまう。
小走りに灯りの後を追った。
「******!?」
「***、******……!************!!」
男の怒号が響く。建物の影に隠れて口を両手で覆う。荒ぐ息を整えるように呼吸を繰り返す。
最初は順調だった。灯りの後を追って走っては隠れてを繰り返して、このまま行けば逃げ切れると思った。――その気持ちが慢心を生んだのだろうか。
足が縺れて転んでしまった。最悪なことに転んだ拍子に見つかってしまった。今はなんとか逃げれているけれど、捕まるのも時間の問題なのかもしれない。
「どうしよう……!」
隠れながら灯りに着いていく。けれど、そろそろ体力が限界に近い。閉じ込められた弊害。けれど元から体力がさほどある訳でもなかったから当然といえば当然だけど……。
街をなんとか抜けて目の前に広がる森へと足を踏み入れる。だがその数秒で完全に見つかってしまった。明らかに聞こえる足音がわたしの後を追う。走っても走っても差は開くどころか縮まっている。
焦りから足元がおろそかになり木の根っこに足を取られ身体が前に傾く。転ぶ! と思って目をギュッと閉じると腕を引かれる。
転ばずにすんでほっとして……追われている立場なのを思い出してブリキ人形のようにギギギって音が出るんじゃないかってぐらいゆっくり振り返る。
今、わたしの顔は酷いくらい青ざめていると思う。
「*****!*********」
……終わった。捕まってしまった。せっかく逃げられたのに。ようやく地獄から抜けられたと思ったのに。こんなに早く、こんなに呆気なく……。悔しさから奥歯を噛み締める。
「いやっ!」
最後の力を振り絞って男を突き放す。反抗しないと油断してたのか、男は簡単に離れた。
――けれど、場所が悪かった。
「……えっ」
突き放した衝動で数歩後ずさり、視界はガクンと下がった。目の前に崖が見える。そしてその崖はどんどん遠く、小さくなっていく。落ちたのだ。あの崖から。
ああ、死んだ。
冷静にそう思った。死にたくないって気持ちはもうない。ようやく解放されるって晴れやかな心持ちだ。
崖の上で男が見下ろし何かを必死に叫んでいる。その様子にざまぁみろと心の中で吐き捨てる。
そっと目を閉じる。その口は僅かに弧を描く。
ひゅーっひゅーっとか細い呼吸音が頭の中に響く。全身が痛い。燃えるように熱いのになぜか寒さを感じる。結構な高さから落ちたのにこの身体はまだ生きようと足掻く。
なんで楽に死なせてくれないの!?
そう自分に怒りが湧くけれど、動くことも出来ず、このまま出血多量で死ぬだろうことは容易に想像出来る。
緩やかに、されど確かに訪れる死。霞む意識に走馬灯が流れる。
(……ぁ)
思い出すのは日本での記憶。家族がいて友達がいる、穏やかで幸せな日々。こちらに来てから思い出さないように心の奥底に封じて思い出さないようにしていた記憶。思い出したら余計に悲しく寂しく惨めになるからと閉じ込めていた。この記憶まで穢されないようにと。
(お父さん、お母さん……会いたい。会いたいよ。最後に少しだけでいいから、一目見るだけでいいから会いたかった、な……。突然いなくなってごめんなさい。何も返せなくてごめんなさい。親不孝なわたしで、ごめんなさい。――――……産んでくれてありがとう。愛してくれてありがとう。わたしは大好きなお父さんとお母さんの子で幸せでした。…………もっと、一緒に居たかった。やりたいことも話したいこともまだ、まだ、いっぱいあるのに。こんな世界に来たくはなかった!)
死にたいという気持ちに間違いはない。悔いがないというのは半分正解で半分間違い。でもこの世界にいる限り叶う事はないから、やっぱり正解なのかもしれない。
ぐちゃぐちゃに交じり合う感情のまま、ゆっくり瞼を閉じる。今さら。何を想おうと手遅れで意味ないのだ。終わりはもう、そこまで来ている。
カサッと微かに草を踏む音が聴こえた。それを最後にわたしは意識を失った。