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人権なき世界

 人生の分岐点というのがあるのならば、わたしは間違いなくあの日だと断言する。忌々しき絶望の始まり。けれど、その時のわたしはまさかこんなことになるとは、露程にも思っていなかった。



 大学のサークルの飲み会の帰り、それは突然起こった。楽しかった飲み会の余韻に浸りながらほろ酔い気分で夜道を歩いていた。

 足元がパァーっと光を発したと思ったら、急な落下感を感じた。落ちる! と思って目を瞑った。待てど待てども衝撃はやってこないので、恐る恐る目を開けると世界が変わっていた。住宅街を歩いていたのに今いるのはどこか建物の中。それも現代日本にしては珍しい石造りの建物だ。周りにはコスプレパーティーかなと思うような格好をした人々に囲まれていた。本当に、文字通り世界が変わっていた。

 突然の出来事に頭が追いつかず身体の力がふっと抜けて地面にペタンと座り込む。わたしを

囲っている内の誰かが何か言っている。日本語じゃない言葉。意味もわからず、周りは歓声を上げる。何が起こっているのか分からなくて頭がぐるぐるする。酒を飲んでいた影響もあるのだろうか次第に酔いが回っているような感覚に陥り、限界を迎えたわたしは状況もここが安全かも分からないままに意識を手放した。


 意識が覚醒し、けれど目は開けない。目を開くのが怖い。神様、お願いします! と心の中で願いながらそっと目を開ける。――けれど現実は残酷だ。

 知らない部屋。日本ではありえないような内装。ふかふかでサラサラのベッドに寝かされていてベッドにはレースの天幕カーテンが取り付けられている。

 朧気に部屋の内装が見えるがなんとも高級感漂う家具や壁紙。言うならそう、貴族様の部屋、といったような……。

 訳が分からなくてそれがとても怖くて、自分自身を抱き締めるように丸まる。そして気付く。着ている服が、違う。


「なに、コレ……?」


 透け透けの布素材。隠すところは隠しているようで透けて丸見えだ。布面積的には露出が多い、という訳では無いが如何せん素材が悪い。これでは着ている意味がないようなものだった。

 そう、アダルトとかそっち系の夜着のような…………。


 コンコンとドアを叩く音にびくりと身体が跳ねる。声も出せずに音がしたドアの方に目をやると「*********」と何かを言っている女性の声とともにドアが開いた。


 ワゴンを押しながら入ってきた女性はスタスタとわたしのいるベッドに近づいてくる。慌ててシーツを掴んで身体を隠すように引き上げたのと天幕カーテンを開けられたのはほとんど同時だった。


 顔を見せた女性は一瞬驚いたように目を見張ったがすぐにすんっと表情を戻した。


 何を尋ねればいいのか逡巡して口を開きかけた時、目の前の女性は何やらわたしに話しかけてきた。やっぱり言っている言葉が何一つ理解できなくて、眉を顰める。そんなわたしに気にもとめずに彼女は一方的に捲し立ててワゴンを置いてどこかへ行ってしまった。


 少し待ってみても誰も入ってこないのでちょっと失礼して部屋の探索をしてみる。

 ふわさらのベッドから降りて辺りを見渡す。スリッパの類は見当たらなかったので仕方なく裸足のままペタペタと歩く。少し歩いて振り返る。そこには天幕カーテンで仕切られているベッド。カーテンの外からは中の様子が見えないからさっきの女の人は起きていないと思っていたわたしに驚いたんだと思う。

 毛足の長いカーペットが敷かれている上にローテーブルにソファーが二つ。チェストが一つと花が活けてある花瓶が置かれたサイドテーブルが一つ。カーテンに覆われた大きな窓が一つ。ドアが二つある。部屋の広さの割には物は少ない。本当に最小限って感じだ。部屋はクリーム色と薄桃色で統一感があって女の子の部屋って感じではあるけれど、どこか無機質に感じる。


 シーツを身体に巻いたまま歩く。さっきの女の人が出入りしていたドアが廊下に出られる出入口だろうからもう一つのドアを開けてみる。


「ふわぁ……!」


 思わず感嘆の声が漏れた。部屋の中に浴室。それもまあまあの広さがあり、足を伸ばせるほどに大きな猫脚バスタブがある。


 本当に……貴族様のような部屋だ。


 浴室のドアを閉めて出入口のドアの前まで近寄る。そっと頭を近付け耳を澄ませる。……特に足音とかは聞こえない。

 いやこれドアが厚ければ耳を寄せても聞こえないんじゃない? と脳内の冷静な部分が告げる。


 人の気配は、多分ない。

 ――――……逃げるなら今なんじゃない?


 頭の中の天使のわたしが「迂闊に動かない方がいい」と告げる。

 頭の中の悪魔のわたしが「帰りたいのなら自発的に動くべきだ」と宣う。


 もしかしたらここにいた方が安全なのかもしれない。言葉が通じない世界で迂闊に外に出た方が危険だ。この世界のことは何も知らない。日本のように平和ではなく、戦争とかあるのかもしれない。考えたらキリがない。

 迷いはある。でも、日本に帰りたい。ただこの部屋にいても何も変わらない。


「三秒数えたら、開ける。……うん、そうしよう」


 胸の前で押さえているシーツを一層強く握り締める。心の中で数を数えながらうるさいほどに脈打つ心臓を落ち着かせるために大きく深呼吸をする。


 3……

 2……

 1……


 ドアノブに手を重ねる。動かす前にカチャリとドアノブが動いた。きぃぃっとゆっくりと開かれるドアに、無意識に一歩後退る。


 目の前にはピシッと正されている服。目線の高さでは相手の胸辺りで顔は見えない。そろっと視線を上げるとそこには王子様のような金髪に青い瞳の男が立っていた。

 顔がとても整っていてかっこいい。けれど、少女漫画のようにドキッとはしなかった。なぜなら目の前の彼の表情は冷たく、ゴミを見るような目を向けているから。いや、何も映していないのかもしれない。見透かされているような瞳は、熱など篭っていなく暗く無機質に感じる。


 見惚れるより先に怖いと思った。

 また一歩、後退る。


 青い瞳にわたしが映る。そして煩わしげに顔を顰め、わたしの腕を無造作に掴んだ。


「痛っ……」


 引き離そうとして自分の方に腕を引けば、それより強く引き返された。


 ズンズンと部屋の中を進み一直線にベッドへと向かっていく。

 天幕カーテンを開けてすぐ、ベッドに放り投げられた。大きなふかふかベッドのおかげでバウンドして落ちずには済んだものの、掴まれた腕は手の痕がくっきりと浮かんでいる。


 ハッと視線を向ければ男もベッドの上に乗り上げてきていた。首を横に振りながら下がれば簡単にベッドの端に到達してしまう。下がった拍子にズルっと手が滑りベッドの下に落ちる。

 衝撃に耐えようと目をぎゅっと瞑るがなかなかそれはやって来ない。そぉーっと目を開けばいつの間にかベッドの上でうつ伏せになっていた。


 誰がやったかは一目瞭然。その本人を見ようと首を回した瞬間、身体に巻き付けていたシーツが剥ぎ取られた。


「きゃあ」


 慌てて男から離れて身体を隠すように手で隠す。けれど男は無表情のまま、わたしを見ている。特に興味も湧かないといった感じだ。裸といっても差支えのないような姿をしているわたしとしてはなんの反応もないのはどうなんだと思った。けれどそう思えたのはそこまで長い時間ではなかった。

 身体を暴かれた。何も言わずに唐突に。仮に何かを言ったとしても通じはしないけど。思えば彼がやって来てから一言も言葉を発していないのに朧げな思考の中で気付いた。


 性急に、されど淡々と。まるで義務のような行為。

 突然の出来事に頭は全く機能せず、拒絶する心とは裏腹に身体は防衛本能かのように反応する。


 嫌だと泣いて喚いて暴れた。けれど僅かな抵抗も意味をなさない。



 ここから――地獄は始まった。


 自我が薄れてきたのはいつからだろう。

 人形のように身体がそこにあるだけで意識は乏しい。

 涙はとうに枯れて声すら自発的に出さなくなった。


 次から次へと部屋に男がやってくる。愉しそうにする男。酷く嫌な顔をする男。無表情のまま事を成す男。表情態度は様々だがやって来た男たちは決まって同じことをする。


 顔が黒く塗りつぶしたように見えて顔の判断も付かなくなった。

 身体の線はあやふやでそれはもはや人の形をしたバケモノであった。


 そうとしか見えなくなったのはいつからだろう。



 ある日、部屋に姿見が置かれているのに気が付いた。

 何気なく鏡の方を見て、後悔した。


「ひっ……いやぁぁぁぁ」


 鏡に映っているのはわたしのはずなのに彼奴等と同様にバケモノに見えた。

 衝動のままに鏡を薙ぎ倒して壊した。姿見は大きな音を立てて崩壊した。バラバラになった破片にはバケモノのわたしが未だに映っている。


 血が出るのに構わず破片を握り締め、躊躇わずに自分の首に押し当て力を入れる。


 つぅーっと生温かいものが流れるのが分かる。痛い。すごく痛い。だけど、それよりもずっと、心が悲鳴を上げている。


 ――――なのに。


「ふぅっ……うぅぅ…………」


 手が震える。あと少しなのに、その先にいけない。死にたいと想い願うのに……勇気が、覚悟が足りないというのか。


 ボロボロと涙が頬を伝う。

 今や日本に、我が家に帰りたいと思うより早くこの地獄を終わらせてくれという気持ちの方がはるかに大きい。

 それでも、自分の手では終止符を打てない。


 泣き疲れたわたしは破片散らばる地面に倒れ伏せて気を失った。

 これで、このまま……目が覚めなければいいのに。

 そう思いながら、眠りについた。



 目が覚めて絶望した。最近見慣れた忌々しい天井。どうやら死ぬことは叶わなかったようだ。


 刃を押し当てた首にそっと触れると肌ではない感触がした。下を向いても首は見えず、部屋にあったとしても鏡は見る気にもならず、手当てされているとしたら包帯だろうと予想する。

 向こうはどうやらわたしを生かしたいらしい。


 無意識にため息が零れた。


 わたしは死にたい。けれど、自害する勇気はない。

 この世界の人間はわたしを生かしたい。あの行為がなければ衣食住が完備されている素晴らしい環境ではある。


「……たすけて」


 虚ろな瞳で呟く。その声は酷く掠れていた。もしかしたら声になっていなかったのかもしれない。そのまま目を閉じて再び眠りにつく。零れた涙はシーツに吸い込まれ涙の跡を消す。

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