第6話 下町へ
「ジェイ、少しは落ち着いたかしら」
ジェイコブは空腹ではあったが、まだ元気で大きな声を出した。
「マルグリット!いい加減に出してくれ。家族だって心配するだろう」
「大丈夫よ。ご家族にはここにいるから心配しないように言ってあるわ」
「そうか」
ジェイコブは少し安心した。
「部屋から出たがらなければ、食事をあげるわ」
「・・・わかった」
ジェイコブが扉から離れた様子を感じ、マルグリットは用意してあった食事を持って、部屋の扉を開けた。
一瞬ジェイコブは力任せに出て行ってしまおうかと思ったが、その後のことを考えると、冷静に話し合った方が身のためだと思いとどまった。
「さ、食事をどうぞ召し上がれ」
「ああ」
ジェイコブは大人しく従って、一日ぶりの食事を食べた。
食べ終わると、マルグリットに向き合った。
「こんなことをしなくても、俺はマルグリットを愛していると言っているじゃないか」
「それなら、あの家庭教師の女ともう二度と会わないと約束してちょうだい」
「だから、アリステル先生はリリーの家庭教師だって言っただろう?マルグリットが心配するようなことは何もないよ」
「・・・なぜもう会わないと約束してくれないのかしら?」
「昨日も言っただろう?家にいるんだから、会わないのは難しいんだよ」
「家にいたって会わないことはできるでしょう?あなたがあの女にこだわっているのはわかっているのよ」
「そんなことはないよ。こだわってなんか」
「じゃあ、あの女がどうなっても、あなたには関係がないわね?」
「は?どうなってもってどういうことだ。何か企んでいるのか?!」
「ふふふふ、どうかしらね」
「やめろ。彼女に手を出すな」
ジェイコブが興奮して立ち上がろうとしたとき、体がぐらッと傾いた。
慌ててジェイコブはテーブルに手をついて倒れるのを防いだが、立っていられない眩暈が襲い、床にうずくまった。
マルグリットは無表情にその様子をみつめた。
「体調が悪いのね。寝台でお休みなさい。わたくしはこれで失礼するわ」
「ま、待て…。毒を…入れ…たのか?」
「ふふふふ、ご心配なく。死んだりしないわ」
マルグリットはそう言って妖しくほほ笑み、部屋を出て行った。
翌日、マルグリットはメイドのダリアと護衛二人を連れて、下町へ出掛けた。
人目につかぬよう濃いグレーのフードを目深に被り、馬車から降り立った。
このようなすさんだ雰囲気のスラム街に来たのは初めてだった。
(ダリアはこのあたりの出身なのかしら?だとしたら噂は本当かもしれないわね)
他のメイドたちの噂話から、ダリアは育ちが悪く盗みもするし、男を誘惑して自分の手下にしてしまうと聞いたことがあった。
美人のダリアを妬んでだれかが吹聴した嘘だと思っていたが、スラムの出身であれば、本当のこともあったのではないかとマルグリットは感じた。
「お嬢様、こちらでございます」
周囲に聞こえないように小さい声でダリアは案内する。
奥まった裏道を進むと、だんだん周囲に人気もなくなってきた頃、ようやくダリアの友人という人物に会うことができた。
そこには二人の男がいた。
一人は背が高く、目つきの悪い男で、口元を黒い布で覆い顔を隠していた。
もう一人は一人目の男よりは背が低く、痩せて警戒心をあらわにした野生の猫のような男であった。
黒い布の男の手下のようだ。
二人ともぼろ布のような服を着ている。
「あなたたちがダリアのお友達?」
「ああ。あんたみたいなお嬢さんが何の用だ」
「ある女を傷物にして欲しいのよ」
「だれだ」
「ガスター商会は知っていて?」
「そりゃ、王都に住んでいて知らない奴はいねーな」
男は腕を組んで、片目をすがめた。
「そんな所に手は出したくねーな」
「なにもガスター家の娘を傷つけろと言っているわけではないわ。ガスター家で雇われている家庭教師の女よ」
「家庭教師か…。そいつは平民か?」
「それはそうでしょう?平民に雇われているのだから」
「わかった。やってやるよ」
「助かるわ。なるべく早くお願いね。これは前金よ」
マルグリットは銀貨が詰まった巾着袋を男に手渡した。
「へぇ~、気前良いね」
「うまくいったらその倍を支払うわ」
「いいだろう」
そうして交渉は成立した。
男たちはすぐさまガスター家を探り、確かに家庭教師として雇われた女がいることを確認した。
まだ子供ながら、美しい容姿をしているらしい。
名はアリステル。
金髪にグリーンの瞳、小さく痩せている。
子供に手を出すのは趣味ではないが、金をもらった分くらいはきちんと仕事をするつもりである。
「おい、ガスター家を見張らせておけ。家庭教師の娘がでかけたときに隙を見て襲う。でかけたらすぐに知らせるように言っておけ」
「はいよ」
手下の若者に目立たぬようガスター家を見張らせる。
すると、暗くなりかけた頃、慌てて見張りの者が駆けてきた。
「大変です!女が逃げました!」
「なにっ!くそっ、気づかれたか。どこに行った?」
「馬車で東門の方へ」
「すぐ追いかけるぞ!」