梅雨と云うのは
◆
雨は嫌いだ、思い出したくもない記憶を無遠慮に運んでくるから。
窓の外、結露で僅かに曇った硝子越しの景色をぼうっと眺める。見慣れた、つまらないもの。読みかけの本に栞を挟むのも億劫になり、力の緩んだ手をするりとページが通り過ぎる。どうでもいい、どうせ次読むときには内容なんて忘れてる。それに、大して面白くもなかった。首も手も動かしたくなくて、見たくもない景色をずっと眺めている。
ああ、またこれか。
どうにも何もする気が起きない、誰にでもあるようなこと。厄介なことにこうなるともう自分ではどうしようもない。父が帰ってくるまで、ひどい時はそれ以降も「これ」は続く。ただ勝手に脳が眠るのを待つだけだ。
相も変わらず煩しい雨の音は、頭を働かせてくれる気がないらしい。瞬きの回数が増えてきて、小さなあくびが出る。窓から目を背け、背を丸めると期待通りの眠気が襲ってきて、ああ、ようやく眠れる。
◇
雨は嫌いだ。
いつだったか、息子に言われた言葉を思い出す。理由は忘れた。なんたって、それを聞いた時期の私はとても忙しかったのだ。だが、今思えばもう少し耳を傾けてやればよかったなどと無駄な後悔が胸を締める。
デスクに並んだ書類の量、目の前のディスプレイに表示される大量のファイル。それらはそんなことを考えている暇はないと言うように気ばかりを焦らせてくる。それでも、忙しすぎるその状況が逆に、関係のないことを考えさせていることも事実。こういう時は何をしても進まないのだ。
インスタントのコーヒーが入ったカップを傾けると、長時間移動しなかった液体の表面が薄く茶色い輪を縁取って跡に残る。
微妙に生温いそれは喉を通り、胃に落ちる。
帰りが遅くなるのはいつものこと、少しくらい休憩したっていいだろうと画面から目を離し、眼鏡を外す。元々そんなによくない視力は、窓の外、景色を見るのにはやはり向いていないらしい。細かく降り注ぐ雨のせいもあって、窓に顔を近づけてみても殆どと言っていい程何も見えない。
息子はああ言ったが、私は雨が嫌いではない。自然の恵みを目で見て受けるような気がして心が落ち着く。それ以外、別に大した理由はないが、少なくとも眩しく暑いだけの晴れよりよっぽど好きだ。感性というものは親子でも変わってくるんだな。いや、感性以外もか。
読書が好きになれない私と違って、息子は、なんだかんだいつも本を読んでいた気がする。
甘いものは嫌いだし、そもそも食事自体あまり好んでいなかった筈だ。
どうにも息子が楽しんで他人と食事をする様子を思い浮かべることができない。そもそも社交的じゃないんだ、あいつは。
もっと友達でも持った方が楽しいと思うんだがなあ。
◆
は、と目が覚める。徐々に覚醒していく脳の具合を見るに、眠りに落ちる前の倦怠感は幾分か落ち着いたらしい。まだ湿っぽい、大嫌いな天気は変わっていないが。雲に厚く覆われた空からは時間を推測するのが難しく、少し体を起こして数回瞬きをする。寝起きのぼやけた視界でも、針さえ見えれば時刻はわかる。壁にかけられた時計の文字盤を見る気はなく、少し目を細めて針の形を読み取る。時計を四分割したら丁度四分の二の部分、そこを区切る様に長針と短針が九十度を作っていた。三時、半か。考えるよりも先に視界で認識した時刻は、思っていたよりもずっと早かった。ついに僕にも適度な昼寝が身についたか。
…いや、早すぎる。
自慢じゃないが、倦怠感に巻かれて眠った僕は、少なくとも3時間は起きない。確か、眠る直前、ちらとみた時計の針は四分の一を区切っていた憶えがある。つまりは三時、三十分しか眠っていないということになる。
「あ」
薄暗い部屋に、乾いた声が漏れる。
別段おかしなこともなく、それは秒針が止まっていることに気がついた、僕の声だ。
──面倒だな
マシになったとはいえ、まだ残る倦怠感。声に出すこともなく端的にそう思う。しかし、この家にいるのは現在自分だけで、自分で電池を変えるしかないのだ。父が帰ってくるまで放っておくという手もなくはないが、それこそ面倒くさい。しばらく会話というものをしていない父の顔を思い浮かべ、緩く首を振る。別に理由もないが、ここ数年でめっきり減った会話。その久しぶりの会話で雑用を押し付けるなどして、嫌に神経をすり減らしたくない。
脚立…は面倒だ。どうせそんな高い位置でもない。ソファのヘリにでも立てば多少バランスは悪いが十分に手は届くだろう。
こういう時ばかりは己の低い身長が憎くなる。あと十センチでもあれば余裕で床に足をつけたまま届くだろうに。
まあ嘆いたって仕様がない。それにまだ成長期なはず、もう少しくらい伸びるのを期待したっていいだろう。
働き出した頭でごちゃごちゃと余計なことをかんがえながら、ソファの縁に足をかける。
...日付けも狂ってるな。
文字盤に埋め込まれた液晶が表す文字は、2018年6月9日土曜日。なんだこれ、来年の日付じゃないか。
大方、前回電池が切れたときに誤って年も進めてしまったのだろう。
まったく、前回交換したのが僕か父かはわからないが、しっかり確認しておけよ。
誰に聞かせるでもない愚痴を小さく呟きながら裏返し、電池の入った部分の蓋を開ける。
「あ」
またもや同じような声が漏れる。
別段おかしなこともなく、ここまできて手元に変えの電池がないことに気づいた、呆れた僕の声だ。
──つくづく面倒だ
また同じ様なことを考えるが、忘れたのは僕なので、今度こそ本当に何もいえない。ぼうっとした頭では、どうも、ダメだな。交換用の電池はどこにあったかな、と考えながら。
不安定なソファの縁から、
おりた。
◇
ふぅ、と息を吐いた。コーヒーのおかげで暖かいその息は、窓ガラスをさらに曇らせた。休憩していると仕事をしている時以上にいらない思考は捗るものだ。果てにはとうとうなぜ人は働くのかという壮大で意味のないものに発展しはじめた。金を稼いだところで男一人分の生活費以外に使い道のない人生。その程度の金を稼ぐくらいだったら、こんな激務をこなさずとも適当なバイトで済ませればいいのではないか。世間体か、親の顔か?いや、そもそもがそんなの気にするほど立派な人間でもないし。
いっそ本当に転職して───
───pppp pppp
最終結論として疲れた頭がとんでもない答えを導き出しかけた時、無機質な機械音が割り入ってきた。
はっとし目を遣ると、休憩前に自分でセットしたデスク上の時計がアラームを鳴らしていた。
そのことさえ、今まで忘れていた。相当疲れているな。ダラダラと休憩を続けない様にと考えた数分前の自分にささやかな感謝を送りながら、耳障りなこの音を停止するべく上部のボタンに手をかける。が、
「あ」
間の抜けた声が耳に届く。それはどうやら自分の声のようで。
手をかけた先、電子時計が時刻の下に表す数字を見て、その手が止まる。
2020年、と西暦年が載ったその隣。
「今日、6月9日か」
なんとなく気が抜けた気がして、鳴りっ放しのアラームも止めずに椅子の背もたれに体重を預けた。
椅子の軋んだ音と、ため息が重なる。眼鏡を外したままの目元に自分の腕をのせ、大きく息を吐いた。
「息子の命日忘れるなんて、なあ」
机上の時計は全て電子で、小さなもの。それは、三年前、家に帰ったら冷たくなっていた、息子を思い出さないため。壁掛け時計の電池を変えようとした息子の死を、思い出さないため。
それでも今日のように時折、息子のことを考えているのだ。
遅くなった帰りを待つこともなく、布団に入って寝ていた息子。
それでもあの日、床に冷たく転がっているよりは何倍も、何十倍も幸せだったと気づいた。
だめだなあ、こんな日を仕事で忘れるとか。
いよいよ職を変えようか。