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7 ひきこさん(下)


「何するんですか!!」

と、立ち上がろうとする私の腕の力が抜けた。

何故だろう?上手く立ち上がる事が出来ない。

それどころか、体を動かす事が出来ない?


「……………ッ。…………………………っ!?」

何?なんなのコレは?

気が付けば私は、声を出す事さえ出来なくなっていた。

目を閉じる自由さえ奪われた私は、ただ前を見る事しか出来なくなってしまった。



ゆらり、と。


曲がり角の向こうから、ぼろぼろの服を着た人間が現れた。

雰囲気からして、女性だと思うのだが、それもよく分からない。


ぽつぽつ、と雨が降ってきた。

天気予報では、今日は一日中晴れだった筈だ。

「久しぶりの洗濯日和ですね」と笑うレポーターの顔が、記憶に残っている。


雨が激しくなってきた。

それでも私は、目を閉じる事が出来ない。雨が目に入る。痛いが、ぬぐう事ももちろん出来ない。

前を見る事が難しいほどの雨の中、ぼろぼろの服を着た人間は、なお立ち尽くしている。

あれが、【ひきこさん】なのだろうか。と私はふと思った。


「いいか、絶対に動くなよ」

霊斗先輩が、そう言ってくる。動くなと言われても、もともと動けないのだ。


電信柱の影から、【ひきこさん】に対峙するように出て行く霊斗先輩。

止めようと、手を動かそうとするが、やはり動かす事が出来ない。

何故霊斗先輩は、当然のように動いているのだろうか。


「私…………い……?」

雨でほとんど見えなくなってしまっているが、【ひきこさん】が顔を上げたのが見えた。


声を出す事が出来れば、私は叫んでいただろう。

伸ばしっぱなしの髪は、雨によって顔に張り付いている。

動いた拍子に、髪の位置がずれたからか、両手ともに何かを持っているのが見えた。

それよりも私が衝撃を受けたのが、その顔だ。痩せこけた顔の中で、目だけがぎょろりと際立っている。

本当にコレが人間なのだろうか?

一際目立つその目には、生気というものが感じられない。

この世の全てを恨んでいるような、この世の全てを壊さんとするような、澱んだ目をしていた。


嫌だ。


嫌だ。嫌だ。


嫌だ。嫌だ。嫌だ。


この場所に、これ以上居たくない。一刻も速く、この場所を離れたい。そんな私の願いは叶わず、私の体は張り付いたようにその場に留まり続ける。


「私……………くいか……?」

また【ひきこさん】が何かを言っている。

が、雨音にかき消されて、よく聞こえない。


「やれやれ、俺が小学生に見えるのかよ?悪い冗談だ」

霊斗先輩は、何を言っているのだろう?これだけ近い距離なのに、何と言っているのか聞こえない。


空が割れたかと思うほどに、雨が叩きつけて来ている。


「私は醜いかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


雨音などものともしない大声で叫び、こちらへと走って来る【ひきこさん】。


嫌!!

来ないで!!

こっちへ来ないで!!


動かない筈の体が、がくがく震えているような気がする。


「大丈夫だ。奴が狙ってるのは俺だけだ」

そう言って、私をかばうように立つ霊斗先輩。


物凄い速さで、【ひきこさん】は近づいて来る。


「【引っ張るぞ】!!」


霊斗先輩がそう叫んだ瞬間、びくりと、【ひきこさん】の体全体が躍動する。


「【引っ張るぞ】!!」


もう一度霊斗先輩が叫ぶ。また【ひきこさん】が体全体で反応する。

怯んでいるのかもしれない。


「【引っ張】っ!!??」


再度叫ぼうとした霊斗先輩の足を、【ひきこさん】が強引に引く。ぐちゃりと、何かが潰れたみたいな嫌な音がした。

豪快に転倒する霊斗先輩。


「っち!?……なんて力だ」

そのまま霊斗先輩はずるずると引きずられていく。


駄目だ。

このまま行かせては駄目だ。

そんな気がした。


「…………………………よ!!」

出ないはずの声を、私はどうにか絞り出した。


その瞬間、ありえない角度で、【ひきこさん】の顔がぐりんと私の方を向く。

引きずっていた霊斗先輩の足も離したようだ。

もしかして、目標を、変更した……………の?


嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。

やっぱり無理なんてしなければよかった。

霊斗先輩の事は嫌いではないけれど、自分の命の方が大事に決まっている。

何で私は、助けようなんて思ったんだろう。

馬鹿だ。

私は馬鹿だ。


じりじりと、先ほどまでの速さが嘘だったようにゆっくりと、【ひきこさん】は私に近づいて来る。

さっきは遠くて見えなかったが、その両手には、血まみれの包丁と、ぐちゃぐちゃに潰れたひきがえるがそれぞれあった。


「おいおい、見境い無しかよ。どう見たら片桐が小学生に見えるんだよ。……………仕方ない。この手は使いたくなかったんだが」


霊斗先輩が何かを言っているが、今はそれどころじゃない。

逃げなければ。速く逃げなければ。


「おい、よく聞け【ひきこさん】。あいつの名前は○○だ!!」

よく聞こえない。よく聞こえなかったが、それは私の名前ではない。


しかし、霊斗先輩のその言葉を聞いたとたん、【ひきこさん】はぶるぶると震えだした。


「ちなみにな、俺の名前は―――」

震える【ひきこさん】の肩をがしりと掴み、耳元に口を近づけると、霊斗さんは、何かを囁いた。


「嫌ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


霊斗先輩が肩から手を外すと、錯乱したように叫びながら、【ひきこさん】はどこかへ行ってしまった。


「……………助かった、の?」


雨が小降りになってきている。

安心した私は、全身から力が抜け、そのまま意識を失った。



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