愛され転生ヒロインを目指せ★4
ミゲル・ランディは馬車の中で嘆息していた。発作があれほどのものとは。はたして二週 間で症状が改善するだろうか?
(なぜ俺が、よく知りもしない女のことで気を揉まなければならないのだ)
ただでさえ、皇帝からの命で気が参っているというのに。憂鬱な気分で自宅へ向かうと、 玄関前に芦毛の馬がとまっていた。馬車から降りたミゲルを迎えたのは、老年の執事だ。 彼は古木のような首を曲げ、ミゲルに頭を下げた。
「お帰りなさいませ、ミゲル様」
「あの馬......客が来てるのか?」
「ええ、客間でお待ちでございます」 ミゲルは執事に剣を預け、客間へ向かう。客間のソファでのんびりしていたのは赤い髪の 青年だった。彼はミゲルに気づくと、軽く手をあげた。
「よ、ミゲル」
「ハミス」
ミゲルはハミスの前に腰かけ、「何か用か」と尋ねた。彼は嫣然と笑う。
「おまえが休むなんて珍しいから、どうしたのかと思って」
「これから出勤するつもりだった」
「もしかして、あのリリアって子か?」
ハミスは、ミゲルの胸元を指差した。胸元には、銀糸のような髪が付着している。ミゲル は眉を寄せ、髪をつまんで投げ捨てた。
「へえ、色々言ってたけど満更でもないんだ。抱き寄せでもしない限り、そんなところに 髪はつかない」
ニヤニヤ笑うハミス。経験者は語るというやつか。
「従士の頃から、浮いた噂がめったになかったおまえがねえ」
反対に浮名を流していたのはハミスだ。励んだ時間は違えども、二人の剣技にはさほどの 差はない。この男は、遊んでいたせいで騎士団長になり損ねたのだろうと思う。自分の現 状を鑑みると、長になったからと言ってあまり報われた気はしないだのが。
「そんなんじゃない。私は役目を果たしたいだけだ」
「真面目だねえ」
「おまえも少しは真面目になれ。噂が立つのは兄として情けない」
「血が繋がってるわけじゃないだろ?」
彼は投げやりに答えた。ハミスは元々孤児で、ミゲルの父に育てられた。幼少期はともに 暮らし、騎士団に入ってからの彼は騎士団寮で過ごしている。通勤するのが楽だから、と 彼はうぞぶくが、おそらく、ハミスなりに遠慮しているのだろう。
彼はベルを鳴らし、メ イドを呼ぶ。 メイドはすぐにやってきて、ミゲルにお茶を淹れた。栗毛で小柄の、どこにでもいそうな 女だ。ミゲルが視線を向けたら、かあっと顔を赤らめた。 男と視線が合えば恥じらい目を伏せる。これが普通だ。そう、普通の女はいきなり飛びつ いてきたり、寝込みを襲おうとはしない......。ミゲルに凝視され、メイドは目を泳がせな がら尋ねる。
「あの、な、何か」
「なんでもない。もう下がっていい」
「し、失礼いたしました」 そそくさと去っていくメイドを見送り、ハミスがからかうように言った。 「おいおい、罪作りだな、ミゲル。真面目なおまえがメイドをたぶらかす気か?」 「たぶらかす? なんの話だ」
「自覚がないって嫌だねえ」
ハミスは肩をすくめ、「で? リリア嬢はどうなったんだ」と尋ねた。ミゲルは紅茶を一口飲んで答える。
「彼女は修道院に入れた」
「修道院に?」
ハミスが目を瞬く。
「そりゃまたなんで」
「男を禁ずるためだ。男を見ると、彼女はおかしくなってしまう」 ミゲルの言葉に、ハミスはうーん、と唸っている。彼が言葉につまることはあまりない。 どうかしたのかと尋ねると、「俺は逆効果だと思うんだけどなあ」と返ってきた。
「......どういう意味だ」
「ほら、禁酒をすると禁断症状が出るだろう。手が震えたり、イライラしたり。悪化する とは考えられないか」
「禁断症状が出たとしても、男がいないから大丈夫だろう」
「おまえが言ってるのってメドナム修道院だろ? あそこはたしか、リバティ教会から神 父が派遣されるんだったよな」
ミゲルは「ああ」と相槌を打った。
「リバティ教会の神父は 74 歳。さすがの彼女も老人に飛びかかったりはしないだろう」
「いやそれが、リバティ教会の神父はたしか代替わりしたんだぜ。神学校から戻ってきた 神父の孫が継いだとか──」
ミゲルは思わず、カップを持ったまま立ち上がる。
「な......なんだと」
「まあ、神父は女禁だし、リリアちゃんに手出したりしないだろうから大丈夫だよ」
「神父が危ない!」
「え、そっち?」
ミゲルは叩きつけるようにカップを置き、ダッと客間を飛び出した。