愛され転生ヒロインを目指せ★3
☆
第一印象は完璧だったわ! 私はふわりとドレスのすそをからげ、上機嫌で馬車から降りた。 ミゲル様は小説で読んだときより何倍も素敵だったし。げへへ。
「ただいまー」
鼻歌を歌いながら自宅の玄関を抜けると、両親が不安顔で寄ってきた。
「リリア、大丈夫だったか」
何がかしら? ああ、社交界に参加するのは久しぶりだから? 私は胸を張って答える。
「大丈夫ですわ。ちゃんと皆さんとお話しできたし」 皆さんと言っても、たった三人だが──私としては十分な数だった。父と母はホッと息を 吐き、顔を見合わせた。
「よかった。発作は起きなかったのだな」
発作って何の話かしら。そういえば、ミゲル様もそんなようなことを言ってたわね。まあ いいわ。イベントが起こっただけで私は満足。生誕祭はもうすぐ。皇帝に見染められて愛 されヒロインになれるのよ! トロ甘に愛される日のために美肌維持しなきゃいけないし、 もう寝よーっと。私はウキウキしながら自室へ向かった。
翌日、着替えた私が階下に降りていくと、メイドたちが集まってきゃあきゃあ騒いでいた。 一体何かしら? 近づいていって「ねえ、どうかした?」と尋ねてみる。メイドたちがほ おを紅潮させてこちらを向いた。
「あっ、リリア様」
「表に素敵な男性がいらっしゃるんです」
私は素敵な男性、という言葉に反応し、急いで表へ出た。イケメンと聞いて黙っていられ ないわ。玄関前の階段を駆け下りると、芦毛の馬を撫でる男性の後ろ姿が目に入った。艶 やかな黒髪、すらりとした体躯にまとった騎士服......間違いない、ミゲル様だわっ!
「ミゲル様──ッ!」
私は声をあげながらミゲル様に向かって突進した。彼は表情を引きつらせ、鼻息を荒くした私に向 かって懐から出したものを投げつけた。ぎゃん、と悲鳴をあげて倒れた私の顔に、何かが 落下してくる。これ......聖書だわ。ミゲル様は悩ましげな目で私を見下ろした。
「悪霊は朝から活動しているのか......」
「ミゲル様、朝から素敵ですぅ」
鼻血を流してぐふぐふ笑う私を見て、彼は顔を引きつらせた。
「鼻血をふけ」と言って、私にハンカチを差し出す。あん、優しい。鼻血が出たのはミゲ ル様のせいだけど。このハンカチ、すっごくいい匂いがするわ。スーハースーハー。その 香りを胸いっぱいに吸い込んでいたら、ミゲル様が不機嫌そうに尋ねてきた。
「中に案内してくれないか」
「はい、喜んで」
ミゲル様ってば、わざわざおうちに来るなんて行動派ね。昨日の劇的な出会いが忘れられ ないってやつかしら? 私は鼻血を拭きながら、ミゲル様と共に家の中に入る。騒ぎを聞 きつけたのか、両親が玄関口に来ていた。
彼らは困惑気味にミゲル様を見る。
「あなたは......」
ミゲル様は長駆を折って、うやうやしく礼をした。 「お邪魔しております。皇立騎士団団長、ミゲル・ランディです」
「騎士団長? そのような方がなぜここに......」
母は驚いたように父と顔を見合わせた。騎士というのは身分ではないので、階級的には貴 族よりずっと下の存在だ。しかし騎士団長ともなれば相当の領地を与えられているはずで、 下手をしたら我が家よりお金もちかもしれないのである。
片田舎の令嬢にわざわざ会いに くる理由などない。ミゲル様は生真面目な顔で両親を見据えた。
「お嬢さんのことでお話が」 両親は不安げに顔を見合わせ、「こちらへどうぞ」とミゲル様を促す。
ミゲル様は彼らと共に二階へと向かう。付いて行こうとしたら、ミゲル様にびしりと止められた。
「ステイ」
「わんっ」
やだ、思わず吠えてしまったわ。ミゲル様になら犬と呼ばれても構わないけどねっ。首輪 を付けられたりしたら、興奮のあまり失神するかも。ぐふ、ぐふふふ。
私が不埒な想像をしている合間に、ミゲル様と両親は二階の部屋に消える。私は戸が閉ま ったのを確認し、素早く二階へあがった。頬を戸にくっつけ耳を澄ますと、中からくぐも った話し声が聞こえてきた。
「先日、社交界でお嬢さんとお会いしたのですが」 ミゲル様の言葉に、父が「ええ」と硬い声で応じる。 「お嬢さんは発作を起こし、昏倒してしまいました」 昏倒したのはミゲル様が頭突きしたせいなんだけどね。父は動揺した様子で返した。
「む、娘はあなたに抱きついたり、その......」
「ええ。匂いも嗅がれました」
「なんてことだ。悪化しているのか......」
父が沈痛そうな声でつぶやくと、ミゲル様は真面目な声で応じた。
「ええ。深刻だと思います」
「どうして......っ、リリアだけがあんな風に......シンディは普通の子なのに」
母がわっ、と声をあげて泣き出した。──とまあ、どう聞いても幸せではない上記の会話 は、私の中ではこう変換されていた。
「お嬢さんを私にください」
ミゲル様がキリッと告げると、母は頬に手を当てて驚く。
「まあっ、随分唐突なお話ね」
「娘とはどこで......?」
「舞踏会です。ピーナッツを取るため手を伸ばしたら、娘さんと手を触れ合わせてしまい ......その時に感じたのです。彼女こそ私の運命の人だと」
ミゲル様はいぶかしむ父に、私への愛を滔々と語るのだった。
そんなあ、困るわ~私は皇帝の寵姫になるのに★
原作では、私はミゲル様ではなく皇帝陛 下と結ばれる。ミゲル様は陰ながら私を愛し守る騎士となるのだ。 ミゲル様とはそれなりに進んだ関係になるけれど、最後まではしない。でも、この世界っ て夢小説みたいに分岐ルートなのかもしれないな。 正直ミゲル様でも全然問題ない。なにせイケメンだし~。私はミゲル様との新婚生活を妄 想し始めた。
ふりふりのエプロンをつけて、お鍋をコトコト煮込む私。そこに帰ってくるミゲル様。私 は火を止め、ミゲル様に向き直る。 「お帰りなさいませ。今日はミゲルさまのお好きなシチューです」 ミゲル様はいきなり近づいてきて私の腕を掴み、テーブルに押し倒した。
「きゃうん」
彼は熱っぽい目で私を見つめる。
「そんなものより、君を食べたいな......」
「やぁん、ミゲルさまったら」
それからミゲル様は私を甘く愛して......げへへ。私がミゲル様とのめくるめく甘い生活を 妄想していたら、ガチャリと戸が開いた。妄想の世界に浸っていた私は、いきなり開いた戸に顔を強打してしまう。
「ひぎゃっ」
奇声をあげて倒れた私を、ミゲル様が怪訝な顔で見下ろす。
「何をしている?」
「えっ、ふふっ、聞いてしまいました。ミゲルさまのおきもち......」
頰を染めると、ミゲルさまが顔を引きつらせた。
「......鼻血を拭け」
そう言ってハンカチを押し付けてくる。あん、ミゲル様ったら乱暴だわ。そこが素敵だけど。
「聞いていたなら話が早い。一緒に来てもらうぞ」
「えっ、ひゃん」
ミゲル様は軽々と私を抱きあげた。
やだ、強引......。イケメンじゃなきゃ許されないぞ★ 私はここぞとばかりにミゲル様の胸にすり寄る。ああん、たくましい胸板だわ。素敵い。 彼は私を抱き上げたまま階段を下りていき、馬車に乗せた。彼は私の向かいに腰掛け、御 者に「出してくれ」と言う。
あん、隣に座ってくれたらボディタッチできたのにぃ。御者 が鞭を振るうと、馬車がガタゴトと走り出す。馬車の窓からは、不安そうにこちらを見る両親の姿が見えた。きっと娘の門出が心配なのね。安心して、お母様、お父様。リリアは 幸せになります。にしても、嫁ぐのに何も持たずに出てきちゃったわ。
「あのう、ミゲル様。荷物は」
「あとで運ばせる」
ミゲル様はそれきり黙り込んだ。車内にはごとごとという音だけが響く。TL 小説で馬車の 中といえばえっちなことよね! やぁん、どうしよう。身体洗ってないのに~。私はそわそ わしながらミゲル様を伺う。こっち見ないかな~。横顔もいいけれど、綺麗な顔を正面か ら見たい。
......あら? ミゲル様ったら、動かないわ。身を乗り出して手をかざしてみるが、反応はな い。なんと、ミゲルは目を閉じ、すやすや寝息を立てていた。そのたびに、眼鏡の下の長 い睫毛が揺れている。
えっ、ミゲルさま......寝てる? ヤダ寝顔が可愛い~。ギャップ萌えだわ。
私はうっとりとミゲルさまに見惚れた。騎士服に包まれた均整のとれた身体つき、さらさ らした黒髪。私は眼鏡フェチってわけじゃないけど、眼鏡をかけてると知的な感じでとっ ても素敵。
キスしちゃおうかな......夫婦になるなら許されるわよね? 私はミゲル様に身を寄せ、んー、と唇を近づけた。目の前にきた手が、私の顔をガッと押 さえつける。
「ぁん」
「何をしている?」
ミゲル様は怪訝な表情でこちらを見ていた。
「ふふ。あなたの望むことですわ」 「発作か......やっかいだな。男と二人きりになるのは危険だ」 彼は懐から縄を取り出し、私の手首を縛り付けた。
「ひゃうっ」
「おとなしくしろ。怪我をするぞ」
冷たい目つきにぞくぞくしてしまう。
いったい、縛って何をする気なのっ!? 私の脳内にはピンク色のもやがかかる。内心も のすごく興奮していたが、TL 小説のヒロインはとりあえず嫌がってみせるものなので、私 はもがいた。
「ゃあん、やめてください、ミゲルさまっ」
「なぜ嬉しそうなんだ......」
ミゲル様は不気味そうに私を見て、足も縛り付けた。そうして、再び向かいに腰掛ける。 放置プレイ!? 放置プレイなの!? さすがサブヒーロー、高度な焦らしテクだわ! 私 がハアハア息を切らしていたら、ミゲル様が眉を寄せた。そんな顔も色っぽく見えて困る。
「辛いか。私を見なければ、多少症状も抑えられるだろう」
ミゲルさまはタイをほどいて、私の目を覆った。ぎゃああ! 目隠しプレイ! 素晴らしい わ! しゅるりという衣擦れの音、耳朶をかする指先の感触。何より計算していないのに 溢れる S な感じが最高。 もう私の心はミゲルさまに完全に囚われていた。ガタガタ揺れる馬車の音。ミゲル様が立 てる衣擦れの音。視界が遮られているせいですべての音が刺激になって、全身がぞくぞく と震える。......ああっ......はう......っ。
馬車はガタゴトと音を立てていたが、やがて速度を緩め、ガタン、と揺れて停止する。そ の瞬間、私はびくっと震えた。え、なに? ついたの? 私はミゲルさまに抱き上げられ、目隠しをしたまま馬車から降ろされる。やだ......どこに いくのかしら。ワクワクしすぎて吐きそう。ミゲル様は私を地面に下ろし、はらりと目隠 しをとる。
「ぁん」
「妙な声を出すな」
だって、縛られてる上に目隠しされていたんだもの。敏感になっても仕方ないわよね。私 は視線を動かし、ギョッとした。そこは平原にぽつんと立つ灰色の建物。あまりにもそっ けない外観なので、一見牢獄のようにも見えた。周りには羊の群れが見える。私はぎぎぎ、 と首を動かした。
「あの。ここ、が、ミゲルさまのおうち?」
「なぜそうなるんだ」とミゲル様がため息を漏らす。彼は長い指をすっと伸ばし、灰色の 建物を差した。
「君には生誕祭まで、あの修道院で過ごしてもらう」
「し、修道院?」 「ああ。男を見ると発作が起きるんだ。女性しかいない環境なら、君の発作も鎮まるだろ う」
そんなあ。ミゲル様とのラブラブ新婚生活は? 「それに、時たま神父が訪れ、君の浄化に協力してくれるはずだ」
「神父!?」
男よね! 神父! ハアハアと息を荒くする私に、ミゲル様が蔑んだ眼差しを向けた。 「神父は 70 歳だ」
えーっ、70 代なんておじいさんじゃない。どうせなら若いイケメンがよかったなあ......。 私の不満を読み取ったのだろう。ミゲル様がつい、と眉をあげた。
「花嫁選定会に出たいんだろう?」
私はハッとした。そうよ! 愛され転生ヒロインになるために欠かせない最大のイベント。 それが花嫁選定会。私の心はだいぶミゲル様に傾いてはいたが、皇帝を間近で見るチャン
スなのだ。皇帝は、小説内でのイラストでは他のイケメンキャラと大差ない顔だが、実物 は間違いなく超弩級のイケメンに違いないのだ。見逃す手があろうか。いやない。
「あうぅ。でも、ミゲル様と離ればなれは寂しいです......」
私は拳を顎の下で握り、上目遣いでミゲル様を見た。うるうる。TL ヒロインの上目遣いは 最強のはずだ。しかし彼はまるで動じずに言った。
「私は修道院には入れない。君一人で行け」
「はうん......たまには会いにきてくださいますか?」
「会ったら意味がないだろう。発作は繰り返すほどひどくなると聞いたことがある。たっ た二週間我慢すればいいだけだ。それすらできないなら、舞踏会には行かせない」
彼はそう言って、私の拘束を解いた。そのまま振り返りもせず、馬車に乗り込んで去って いく。一人残された私は身悶えた。
「あん、ミゲルさまってば、俺も寂しいよ、だなんて......」
誰もそんなことは言っていないのだが、私の脳内ではめくるめく妄想が展開されていた。
眼鏡の奥から熱っぽく私を見つめるミゲル様。
「君が美しすぎるから、修道院に入れてオオカミの群れから守らなくてはならないんだ。 わかるな? リリア」
「はい、ミゲル様......」
「僕だけが君を乱す権利を持つ」(野獣の瞳で)
「はいぃ」
そしてミゲル様は私に甘い調教を施すの......。
「ハアハア、ミゲルさまがオオカミになるところが早くみたいぃ」
私は修道院の前でくねくねと身もだえた。