ベルフィア祭の夜★3
泣いたのと頬を叩いたせいで、私の顔は真っ赤に腫れあがっていた。何度も顔を洗い、ミ ゲルが差し出してきたタオルで拭う。ふと、タオルに縫い込まれたイニシャルに気づく。
「あっ、これ私が差し上げたタオル。使ってくださってるんですね」
「いいから拭け」
ミゲル様は私の顔にタオルを押し付けようとしたが、ハッとして手を下ろす。彼は咳払い し、優しく顔を拭いてきた。あん、優しいわ、ミゲル様......きっと、私の顔がパンパンに 腫れてるからだろうけど。
「後宮まで送る」と言うミゲル様に、私は駄々をこねた。
「あん、甘い一夜を過ごしたいです」
「馬鹿言うな」
彼はそう言ってさっさと歩き出した。やん、つれないのね。さっきのキスも明日にはなかったことに なるのかしら......。残念がっていたら、ミゲル様が戻ってきて私の手をとった。 「早く行くぞ」 ミゲル様の手、大きくてあったかい。私の気分はあっという間に急上昇する。 手を引かれて歩いていたら、すぐ後宮にたどり着いてしまった。あん、手を離したくない わ。そう思っていたら、ミゲル様が苦笑した。
「そんな顔するな」
「だって、ここで別れたら今夜のことが夢になってしまいそうだわ」
彼は懐から青い鳥をかたどったブローチを取り出し、私に手渡した。私はそれを見て目を 輝かせる。
「わあ、可愛い」
「母の形見だ」
「お母様の......そんな大事なものを私に?」
「いらないなら返せ」
「いりまくりますわっ!」
私は、慌ててミゲル様の手を避ける。ブローチを抱きしめた私を見て、ミゲル様はふっ、 と笑い、頭に手を乗せる。優しく撫でられ、私はぽうっとなった。ああ、今ならなんだっ ていうことを聞いてしまいそう。
「これからのことは明日話そう」
「はいっ」
私は元気よく答え、去っていくミゲル様を見送った。
翌朝、すがすがしい朝を迎えた私は、窓を押し開いて伸びをした。ああ、何もかもがばら 色に見えるわ。これが幸せってものなのね。チチチ、と鳴きながら飛んできた小鳥が木の 枝にとまった。私はそれを見て微笑む。
「おはよう小鳥さん。お元気?」
小鳥の可愛らしい瞳がこちらに向いたと思えば、いきなりその姿が消えた。
「!」
私は小鳥の代わりに姿を見せたものを見て、眉根を寄せた。
「まあ、蛇さん」
蛇のおなかは丸く膨らんでいた。蛇はげふっと息を吐いて、しゅるしゅる音を立てて去っ ていく。あん......悲しいけれど仕方ないわね。食物連鎖というやつだわ。ふと視線を下げ ると、こちらを見上げるミゲル様と視線が合った。
「ミゲル様っ」
私はパッと表情を明るくし、窓からとうっと飛び降りた。ミゲル様が慌てて腕を伸ばし、 私を抱きとめる。彼は眉を寄せ、私の顔を覗き込んできた。
「おい、危ないだろう。何してるんだ」
「ふふ、嬉しくてつい。さっそく会いに来てくださるなんて思いませんでしたわ」
「どうしているかと思ったんだ」
「もちろんミゲル様のことを考えていました」
彼は瞳を緩め、私の髪を梳いた。あん、急なデレに身体がついていかないわ......。でもせっかくだから、この幸せを存分に享受しなくっちゃ。私はミゲル様に向かって唇を突き出した。
「ミゲル様、おはようのチュー♡」
「調子に乗るな」
「うぐっ」
ぐいと押しのけられて、私は呻いた。ふふ、この飴と鞭がミゲル様の魅力よね☆彼は私を 下ろして、真面目な表情でこちらを見た。
「今から陛下に謁見し、おまえのことを話す」
「私も行きますわ」
「いや、これは俺の責任だ。おまえは部屋で待ってろ」
ミゲル様はそう言って去っていく。その凛々しい後ろ姿を見て、私は身をくねらせた。あ ん、ミゲル様ってば男らしいわ......。ますます惚れ直しちゃう。ここは乙女らしく、お部 屋で待っていようかしら。踵を返そうとしたら、いきなり肩を叩かれた。振り向くと、侍 女のマージが立っている。彼女は不思議そうに首を傾げた。
「リリア様、こんなところでどうされたのですか」
「ふふ、実はね......ミゲル様と思いが通じたのよ」
そう言ったら、マージが口元を覆った。
「まあ、本当ですか」
「そうなの。これで白薔薇後宮物語も終わりね」 さあ、自室に戻って執筆しようっと。気分よく歩いていたら、いきなり口をふさがれた。 ハンカチにしみ込んだ液体が眠気を誘う。あ、これ、よくヒロインが誘拐されるときにか がされるやつ、だわ......。
私はふらついて、そのまま地面に倒れた。
★
ミゲル・ランディはラウルの部屋を訪れていた。ノックをすると、「どうぞ」と返事がかえ ってくる。ドアを開けると、チェス盤を挟んで向かい合うラウルとハミルが見えた。ミゲ ルは「うーん」とうなりながら盤面を睨み、ハミスに文句を言う。
「ちょっとハミス、もっと手加減してよ」
赤髪の騎士はいたずらっぽく笑った。
「勝負に手加減はありませんよ。もう一局やります?」
「ミゲルの用事を聞いてからにしよう。何かあったの?」
ラウルの視線を受け、ミゲルは背筋を正した。
「陛下にご相談があります」
「うん、なに?」
「リリア・リヴァルを私にください」
その言葉を聞いたハミスが、ギョッとしてこちらを見た。ラウルはミゲルを見ずに尋ねる。
「くださいってどういう意味」
「そのままです。彼女を籍から外してください」
ラウルは駒を置いて、キッパリと言った。
「嫌だ」
「......なぜですか。あなたは彼女を愛していない」
「愛してなくたって別にいいだろ。僕はどんな女でも手中に収める権利がある。だって皇帝だもーん」
ミゲルは懐から取り出したものを、盤の横に置いた。ラウルはちらりとそれを見て、「何こ れ」と尋ねる。
「辞表です。こんな申し出をして、騎士団長が続けられるとは思っていません」
ハミスがハッとこちらを見る。ラウルは何げなく辞表を手に取ったかと思えば、真っ二つ に引き裂いた。それを更に引き裂いて、空中に放る。ひらひら舞う紙片を、ミゲルはじっ と見つめていた。ラウルは冷たい目でこちらを見る。
「馬鹿にしてるの? 辞めさせる気なんかないよ」
皇帝は、傍に立つハミスに向かって顎をしゃくる。
「リリア・リヴァルを捕まえて。罪状は不貞」
ミゲルは青ざめて叫んだ。
「陛下! 彼女は何も......」
「君を想ってるんだろ。自分で言ってたよ。初めは面白いと思ったけど、やっぱり不愉快 だ。僕以外を好きな女なんて必要ないからね」
嫌な予感がして、ミゲルは視線を鋭くする。
「どうされるおつもりですが、リリアを」
「さあね。首を切るのは可哀想だし、毒でも飲ませる?」
ミゲルは踵を返し、部屋を駆け出した。追いかけてきたハミスに肩を掴まれる。
「落ち着け、ミゲル」
「離せ」
跳ねのけようとしたら、羽交い絞めにされた。
「落ち着けって! 女ひとりのために人生棒に振る気なのかよ」
「俺が彼女を連れてきた。自分の職務のためにな」
「当たり前だろ。おまえは騎士団長だ。おまえにしか騎士団長はやれないんだ」
「違う。おまえにだってその資格はある。おまえは俺に遠慮して、団長の座を譲ったんだ」
「何言ってんだよ」
「もう親父は死んだ。俺たち親子に恩義を感じる必要はないんだ」
ハミルは虚を突かれたように動きを止めた。ミゲルは彼の腕を押しのけ、リリアの部屋に 向かって駆け出した。リリアの部屋にたどり着いたミゲルは、ノックもせずにドアを押し 開いた。
「リリア!」
いつもなら突進してくるはずのリリアは不在だった。ミゲルは息をつきながら部屋を見渡す。
「どういうことだ......」
やってきたハミルが不可解そうな表情を浮かべる。
「リリアちゃんは? どこ行ったんだ」
「わからない......部屋で待つように言ったんだが」
ふと、鏡台に何かが貼りつけられていることに気づいて、ミゲルはそちらに近寄っていく。 貼り付けられたものを手にすると、そこには走り書きのような字でこう書かれていた。 「リリア・リヴァルは預かった。命が惜しくばリヴァティ教会まで来い」
「教会......?」
なぜ教会なのだ。不可解に思いつつも、ミゲルは張り紙を剥がしてポケットにねじ込む。 ハミルは必死にミゲルを止めた。
「行くなミゲル。本当に命を落としかねないぞ」
「ハミル、騎士団のことは頼んだ」
ミゲルはハミルに告げて、その場から駆け出した。




