ベルフィア祭の夜★2
そして数日後、ベルフィア祭の夜がやってきた。私が鼻歌を歌いながら美容パックを貼っていると、 マージが声をかけてきた。
「なんだか楽しそうですね、リリア様」
「ふふ。この後、ミゲル様が会いに来てくださるの」
「まあ、本当ですか?」
彼女は喜色を浮かべ、口元に手をやる。
「素敵だわ。「白薔薇後宮物語」も盛り上がりそうですわね」
「そうね。物語は幸せな結末を迎えなくっちゃ」
マージはふっと眉根を寄せた。
「でもリリア様......リリア様は、ラウル様の側室です。後宮にいる以上、お二人は小説の ような関係には」
「いいのよ」
私はパックを剥がし、穏やかな声で言った。
「ラウル様は私には興味がない。ここにいれば、私はミゲル様に心を捧げることができる」
「リリア様......」
ユージーンは感動したように手を震わせ、「では、私もできるかぎりのことをしますね !」と言って私の髪を巻き始めた。うっすらと紅をはいた頬は桃色に染まり、銀色の髪は 美しい螺旋を描いて胸元へ落ちている。マージはうっとりと私を見た。
「お美しいですわ、リリア様......」
息を切らしながら駆け寄ると、ミカエル神父がこちらを見た。彼は、眩しそうな瞳でこち らを見る。
「ごめんなさい。待たせたかしら」
「いえ、いま始めようと思ったところです」
私とルカリア神父は、ろうそくを半分ずつ持って祭壇に並べていく。彼は私に背を向けて会話する。
「今夜は、いつも以上に綺麗ですね。まるで妖精のようだ」
「ふふ。ミゲル様とのデートですもの」
「リリアさんは、けなげですね......彼はあなたを邪険にするのに」
「そんなの構わないわ。彼を思うだけで幸せだし、妄想の中ではラブラブなんだもの」 私は頬に手をあて、身をくねらせた。ルカリア神父はしばらく沈黙し、口を開く。
「私にも好きな方がいて、その方にはやはり愛する人がいます」
「ぁん、じゃあ私たち、片思い同盟ね! 互いの恋を叶えるために協力しましょう」
もちろん同意を得られると思ったのに、彼は「いいえ」と言った。まあ、どうしてかしら?
「私たちの恋は同時にはかなわないんですよ、リリアさん」
「え? どういうこと......?」
私はろうそくを置く手を止め、ルカリア神父を振り向いた。彼もこちらを向き、じっと私 を見る。
「覚えていませんか、私を」
ルカリアの真剣な瞳に、揺らめく炎が映りこんでいる。何かしら? この目......どこかで見たような気がするけれど。
「修道院で会ったのが初めて、よね......?」
恐る恐る尋ねると、彼はあからさまに落胆した。そうして、気を取り直したように言葉を続ける。
「私は、13 歳の時リリアさんに出会った」
「13 歳?」
「あなたは 12 歳でした。まるで妖精のように美しく......私は密に誘われる蝶のごとくふら ふらと近づいていった。声をかける前に、あなたはこちらに飛びかかってきた」
その言葉に、私は「あっ」と声を上げた。私が初めて発作を起こしたのは 12 歳の時だ。パンツを脱がせた相手は当時 13 歳の少年。
「ま、さか、神父さまが」
「ええ。私は──あなたに襲われた貴族の子」
彼は首から下げられたロザリオを握りしめる。
「あれ以来、私は女性に恐怖心を抱くようになり、彼女たちの求愛から逃れるため神学校 に入った......女性のいない生活は穏やかだった」
13 歳にして神への信仰を誓ったのだ。あまりに重い選択よね。私のせいなんだけど、反省する前になぜか感心してしまった。
「でも、神父様は私と普通に話しているわ。シスターや、メイドたちとも」
「今から10年前の話です。今では女性と普通に会話できる」
彼は首から下がったロザリオを握りしめた。
「いっときはあなたを憎みました。だが根底にあるのは恋情だった」
ろうそくの光が揺れる中、ルカリア神父の声だけが響く。
「あなたが他の男性と結ばれるのだと思ったら苦しかった。私を苦しめるあなたが憎かっ た。それなのに、再会して私の心は一瞬で囚われてしまった」
ルカリア神父はため息を漏らす。
「現在……いやもしかしたら 10 年前からずっと......私はリリアさんと敵対し、心の底で愛していたのです」
私はろうそくに照らされた美麗な顔をぽかんと見つめた。あ、愛してる......? こんなイ ケメンが、妄想じゃなくて現実に私を好きだっていうの? 呆然としている私を、ルカリア神父が抱き寄せた。私は開きっぱなしだった口を閉ざし、慌ててもがく。
「あ、あん、駄目よ神父様」
「あなたが一番初めに選んだのは、ミゲル・ランディではなく私なんです。その唇に初めに触れるのは私であるべきだ」
彼のはちみつ色の瞳に私が映りこんでいる。あん......そんな切ない瞳で見つめちゃダメ。胸がきゅんきゅんしちゃう。
「違うわ......リリアの唇はミゲル様のものよ」
「そう言うと思いました。しかし、あなたには悪しきものがついている」
ルカリア神父の人差し指が、私の唇を柔らかくなぞった。はうう。背筋がぞくぞくする。 彼は私の顎を持ち上げ、唇を近づけてくる。逃れようと顔をそらしたら、ふっと息を吹き かけられた。
「や......やん」
「本当に嫌ですか?」
彼は私の耳元に囁いた。うっ、ものすごいイケメンボイスだわ。耳が溶けるううう。びくびく震える私を見て、ルカリア神父がふっと笑った。
「私はあなたが悪霊憑きでも構わない......ミゲルのように手ひどく拒否したりはしません」
再び近づいてきた彼の唇を、人差し指でそっと抑えた。
「リリアさん......?」
私は乱れた息を整え、ルカリア神父に話しかける。
「神父様、リリアはイケメンが大好きだし、神父様はとっても魅力的な人だわ」
「でしたら、なぜ拒むのですか」
なぜかしら......それは、きっと恋をしたから。妄想じゃないミゲル様に触れたからだわ。
「ミゲル様に出会ってから、リリアの世界は変わったの。愛され TL ヒロインじゃなくて、 ミゲル様ひとりのヒロインになりたくなったの」
私はそう言って微笑んだ。
「リリアさん......」
ルカリア神父の手が肩から離れたその時、教会の扉がバンと開いた。扉の向こうには、ミゲルが立っている。
「リリア!」
「ミゲル様っ」
彼は素早くこちらに近づいてきて、私の身体を引き寄せた。鋭い瞳でルカリア神父を見る。 ああん、まさに小説に出てくるヒーローみたい★ミゲル様は私を見下ろして尋ねる。
「何をしてたんだ」
「手伝っていただけですわ。ねえ、神父様」
ルカリア神父は瞳を揺らし、ふっと顔を伏せた。
「助かりました。もう大丈夫ですから、行ってください」
ミゲル様はもう一度ルカリア神父を睨み、「行くぞ」と言って私の背を押した。ミゲル様と 共に教会を出た私は、はあっと吐息を漏らす。 まさか神父様があんなに私を愛していたなんてね。罪作りだわ、私ったら。いつの間にか、 本当に愛されヒロインになっていたのね。そんなことを思いながら歩いていたら、ミゲル 様が不機嫌に口を開いた。
「何をしてるんだ、おまえは。部屋にいないから探したんだぞ」
「ミゲル様ったら、そんなに焦るほどリリアに会いたかったのね☆」
「ふざけてる場合か。俺はてっきりミランダに何かされたのかと......」
その時、空に一筋の光が上がった。それは天まで届き、音を響かせて開く。私は空に咲い た光の花を見て、「わあっ」と声を上げた。
「花火! 久しぶりに見たわ」
笑みを浮かべ、ミゲル様を見上げた。
「綺麗ね、ミゲル様」
「......ああ」
あん、そこは「おまえも綺麗だよ」って言ってくれなきゃ。ミゲル様の頬に光が反射して、 きらきらと光っている。私はうっとりとそれに見とれた。花火を見るミゲル様も素敵だわ ......。
「ねえ、ミゲル様知ってらっしゃる? ベルフィア祭の夜に一緒に花火を見ると、その二 人は永遠に結ばれるんですって」
「聞いたこともない、そんな話」
「ふふ、本当だったら素敵ですわね」
次々とあがる花火は、色を変えて夜空を彩る。花火の音に交じって、ミゲル様の声が鼓膜 を揺らす。
「......おまえは変な女だ。初めて会った時から、怖かったし理解できなかった」
私は唇を尖らせる。
「あん、ひどいですわ。私は出会った時からミゲル様の魅力にノックアウトだったのに」
「......し......」
「え? なんですの?」
よく聞き取れなくて、ミゲル様の口元に耳を寄せる。ふっと視界が遮られ、花火の音が遠 ざかった。長い指先が顎をすくいあげて、柔らかいものが唇に触れる。それは触れただけ で、すぐに離れていった。
え? いま、唇が触れて......えっ? 私はポカンとした表情でミゲルを見上げた。ミゲル様は眉を寄せ、「なんだその顔は」と言う。私がすっと手を持ち上げると、彼が怪訝な表情を浮かべる。私はかざした手を振り下 ろし、自分の頬を強打した。パァン、と響いた音に、ミゲルはびくっと震える。パァン、 パァン、と繰り返し頬を叩いていたら、見かねたミゲルが腕を掴んだ。
「な、おい、やめろ!」
「ミゲルさまがキスミゲルさまがキス私にキスをミゲルさまがあああ」
「落ち着け!」
ミゲル様が手刀を振り下ろすと、私はぐふっと呻いて地面に倒れた。彼は荒い息を吐いて いたが、私のそばにしゃがみこみ、その身を抱きおこす。顔を上げたら、眼鏡の向こうの 瞳と視線が合った。その目が優しくて、思わず泣きそうになる。私が涙をにじませると、 ミゲル様は困り顔で問いかけてくる。
「......嫌だったのか」
「違います。とても信じられなくて」
「いつも自信ありげに運命だとか騒いでるだろう」
「そう思わなきゃ。片思いは辛いんだもの」
ぼろぼろ涙を流す私を、ミゲル様は優しく抱き寄せた。長い指先が、銀の髪をさらさらと 撫でる。
「今まできつく当たって悪かった。だから泣くな」
「だって、頬がいたくて」
「まったく......」
ミゲル様は苦笑して、私の頬に指先を滑らせた。長い指先が、腫れた部分をいたわるように撫でる。再び唇が重なって、私は吐息を漏らした。 頭上では、大輪の花が夜空に咲いていた。