ベルフィア祭の夜★1
中庭の白薔薇が花びらを落としたころ、ベルフィア祭まであと数日となった。私はユージ ーンと共に、東屋でお茶を楽しんでいた。ユージーンはお茶を一口飲んで、私に問いかける。
「ねえリリアさん、ベルフィア祭の夜はどうするの?」
「ミゲル様をお誘いしようと思ってるの」
「私も、ラウル様と一緒に花火を見たいわ」
ユージーンはそう言って頬を染める。いいわよね、ユージーンと陛下は正式な夫婦なんだ もの。花火を見ながらいくらでもいちゃいちゃできるんだわ。 私もあわよくばミゲル様と......はうう。妄想しながら身もだえしていたら、マージが寄ってきた。腕には大きな箱を抱えている。
「リリア様、贈り物でございます」
「贈り物? 誰かしら」
私は箱を受け取って、卓上に置いた。箱には百合の文様が描かれていて、青いリボンがかかっている。すっごく素敵な包装だわ。あっ、もしかし て、ミゲル様からだったりして☆
わくわくしながらリボンに手をかけ、しゅるりとほどく。何かな何かな~。 鼻歌を歌いながら蓋を開けた瞬間、何かが勢いよく飛び出してきた。傍らにいたユージー ンが「きゃっ」と悲鳴をあげる。
ナニコレ? なんだかうねうねしてて細長い……それに、舌が二つに割れてる……コレは蛇だわ! 蛇は私の手にがぶっと噛みつく。マージが青ざめて、「誰か! 蛇です!」と叫 んだ。ちょうど回廊を通りかかったミゲル様がこちらへやってくる。
「どうした?」
「リリア様が蛇に噛まれて......」
マージの言葉に、ミゲル様はハッとした。彼は手早く私の手をとり、痛ましそうに眉を寄 せる。それから、私の手に唇を寄せた。えっ? は、はううう。指、指を舐められてる~!
ミゲル様は傷口から毒を吸い出すべく、何度か唇でちゅっと吸う。伏目がちの瞳、血に濡 れる形のいい唇、何度も響くリップ音......。官能的過ぎて、私はのどをそらしてびくびく 震えた。ミゲル様は唇を離し、「大丈夫か」と尋ねる。
「大丈夫ですわ......」
私は恍惚の表情で答える。後でこの指を有効活用しなくっちゃ......。ミゲル様は私の指を そっとハンカチで包んだ。真剣な眼差しをこちらに向けてくる。
「しばらく外に出るな。それから、郵便物はすべて俺を通せ」
「あん、外に出なかったらミゲル様に会えませんわ」
「わかったな」
「はい......」
ミゲル様ったらいつになく真剣な表情ね。よっぽど私が心配なんだわ。にしても......誰が蛇を送り付けてきたのかしら? まあ、蛇っていえばあの女かしらね。私はミランダの顔を思い 浮かべた。こんなことして何が楽しいのかしら。まあ、悪役だから仕方ないかもしれないわね。そういうふうにしか生きられないのよ。ユージーンは泣きそうな顔で私に声をかけてくる。
「リリアさん、大丈夫?」
「ええ、平気よ。ちょっと噛まれただけだもの」
私は彼女に気を使わせまいと、にっこり笑って見せた。ミゲル様は近くにいた兵を呼んで、 私たちを後宮へ送るように命じた。あん、送ってくださらないのかしら。もっと一緒にい たかったわ。それに、ベルフィア祭にお誘いしたいし。私が見つめると、ミゲル様が私の頭にぽん、 と手を置いた。
「大丈夫だ。後宮内にいれば安全だから」
ミゲル様ったら、乙女心がわかってないんだから。でもそんなところも好き☆
去っていくミゲル様の背中は、なんだかこわばって見えた。
★
ミゲル・ランディは馬を駆け、ミランダ・ヴィーの屋敷へ向かっていた。こんなに腹が立ったのは、ミランダが侍女を追い出して以来だ。かたわらには、 蛇の入っていた空箱がある。道なりに進むと、青い屋根の屋敷が見えてくる。屋敷の先頭には、百合の文様が描かれた旗がはためいていた。
ミゲルは馬を繋いで、 屋敷のドアをノックする。しばらくして、使用人が出てきた。ミゲルは「邪魔するぞ」と 言って、使用人を押しのけ中へ入る。使用人は慌てた様子で追いかけてきた。
「ミゲル様! 困ります、勝手に入られては」
「邪魔すると言っただろう。ミランダはどこだ?」
ミゲルが鋭い眼差しを向けると、彼は身をすくませた。
「......居間です」
教えられた通り居間に入ると、大きなソファのそばに車いすが見えた。近寄っていくと、 しどけなく寝そべっていたミランダが顔をあげる。スカートから覗いたふくらはぎには、大きな傷がついていた。彼女はミゲルを見て目を細めた。
「あらミゲル。珍しいわね、あなたがうちに来るなんて」
ミゲルはミランダの足元に空箱を放った。空き箱が床に落ちると、空虚な音が響く。ミラ ンダはちらりと視線を落とした。
「なに?」
「リリア・リヴァルにこれを送り付けたのは君だろう」
「なんのことかしら」
とぼける気か。そう思って、ミゲルは声を尖らせる。
「言い逃れする気か。この家紋はヴィー家のものだ」
「だからって、私が送ったとは限りませんわ。誰かが私に罪を着せようとしてるのかも」 彼女は素知らぬ顔で卓上のクッキーをつまんだ。カリカリと、部屋に咀嚼音が響く。ミゲ ルはぐっと拳を握りしめる。このまま放置したら、ミランダは同じことをするだろう。決 断する時が来たようだ。
「......君との婚約を破棄する」
その言葉に、ミランダが咀嚼するのをやめた。
「なんですって?」
「足のことは悪いと思っている。だが、これ以上君には付き合えない」
ミランダは口元を歪めた。
「そんなことおっしゃっていいのかしら。後悔するはめになるわよ」
「後悔ならもうしてる。君と婚約したことだ」
息を飲んだミランダに背を向け、ミゲルはこう告げた。
「まともに生きてくれ、ミランダ」
もっと早くこうすべきだったのだ。ミゲルは屋敷を出て、馬の手綱をほどく。ガシャンと いう破壊音が響いた。振り向くと、居間の窓ガラスが割れている。
ミランダと初めて出会 ったのは10歳の時。あの時から、彼女は何も変わっていない。癇癪を起せば済むと思っている。それは、彼女を甘やかし、律しなかった自分と周囲のせいでもあるのだ。揺れる カーテンから視線を外し、ミゲルは馬に乗り上げた。
☆
カリカリと羽ペンを走らせる音が部屋に響く。先ほどの体験を、しっかり書き付けておか なくっちゃ。ミゲル様が毒を吸い出すシーンを詳細な描写で書き綴っていると、廊下からメイドたちの話し声が聞こえてきた。
「ベルフィア祭まであと三日ね」
「そうなのよ。今年はカレと過ごせるといいな~」
うっとりと言うメイドに、「いつも厨房でいちゃついてるじゃない」と返す。
「だってね、ベルフィア祭で共に夜を過ごすと、永遠に結ばれるらしいのよ」
なんですって!? 素早く立ち上がった私は、べったり壁にはりついて耳を澄ました。メ イドたちの会話は、身近にいる憧れの男性へと変わっていく。
「私、ルカリア神父と過ごしたいわ」
「馬鹿ね、何言ってるの。あの方は聖職者よ?」
「思うだけなら自由よ。不純な動機じゃないの。一緒にお祈りをしたいわ」
わかるわ、その気持ち。隣にいるだけで幸せなのよね。
「じゃあ私もミゲル様と......」
「まあっ、厚かましいわね、あなた!」
侍女たちの会話を聞いていたら、気が急りはじめた。ああ、こうしちゃいられないわ。他の子に後れを取る前に、早くミゲル様をお誘いしなくっちゃ! 私は帽子を目深にかぶって後宮を出た。言いつけをきかなくて叱られるかしら......でも恋する気持ちは止められないの。
騎士団の訓練所へ向 かうと、騎士たちが水浴びをしていた。上半身裸で、頭から水を被っている。きゃっ、目 の保養だわ! 私は木の後ろに隠れて、その様子を見た。なんてすばらしい腹筋かしら... ...あの上腕二頭筋も素敵だわ。色んな男性の裸があるけれど、私が一番見たい人はいないわ......。
そう思っていたら、ハミスがこちらを見た。
「ああ、リリアちゃん」
彼はこちらに近寄ってきて、「どうしたの?」と尋ねる。真っ赤な髪が水にぬれて、キラキラ光っている。一見優男風だけど、やっぱりがっしりしてるのね、ハミス様ったら。舐め まわすような私の視線を受け、彼はくすりと笑う。
「リリアちゃん、もしかして興奮してる......?」
「そ、そんなことありませんわ、はう」
ハミス様は木に腕をついて、私を見下ろした。
「なんなら触ってみる? こことか......」
ハミス様は私の手を取って、腹筋にぴたりと当てた。あ、あん......ぴくってうごいたわ。 なんて硬いのかしら。ここから下はもっと硬かったりして......私はハミスの引き締まった 下腹部を凝視した。ダメよ、私が求めるのはミゲル様だけなんだから。私は名残惜しく思 いつつ、ハミス様の腹筋から手を離す。
「あれ、とびかかってこないんだ」
「私に抱き着かれたってハミス様、困るでしょう?」
「まあ側室だもんね。でも逃避行しちゃえばオッケーだし」
どこまで本気なのかしら、ハミス様ったら。読めないひとだわ。
「ミゲル様はいらっしゃらないのかしら」
「ああ、さっき帰ってきた。なんか顔が疲れてたけど」
駐屯所にいると告げられ、そちらへ向かう。ミゲル様はテーブルに肘をついて、目を閉じ ていた。寝てらっしゃるのかしら? こっそり近づいていこうとしたら、目を閉じたままで口を開く。
「......なにしてるんだ。後宮から出るなと言っただろうが」
あ、やっぱり起きてらしたわ。 「今よろしいかしら?」と尋ねたら、無言で頷く。私はいそいそとミゲルに近づいていき、 小首を傾げる。
「ミゲル様、ベルフィア祭のご予定は?」
「警備の仕事がある」
「でも、ずっとじゃないでしょう?」
ミゲル様は瞳を開き、こちらを見上げた。
「終わったら行く。だから部屋にいろ」
私はぱっと瞳を輝かせた。ミゲル様が苦い顔で捕捉する。
「言っておくが何もしないからな。ドア越しに話すだけだ」
「ええ! 十分だわ」
なんだかそれって秘密の逢瀬って感じで素敵★
私は天にも昇りそうな気持で、スキップしながら駐屯所を後にする。ああ、この喜びを誰 かと分かち合いたいわ。ふと、視界に教会が映りこんだ。そうだわ! 神父さまなら話を 聞いてくださるかも。私は鼻歌を歌いながらそちらへ向かう。ちょうど、ルカリア神父が 教会から出てくるところだった。
「神父様あ~」
彼は視線をこちらに向ける。私が先ほどのことを話そうとしたら、彼が先に口を開いた。
「リリアさん。ベルフィア祭の日、何かご予定がありますか」
「え? ええ、ミゲル様と......」
そう言ったら、彼の表情が曇った。どうしたのかしら、顔色が悪いけど。
「そうですか。手伝いを頼みたかったんですが。祭りの日、教会にくまなくろうそくを並 べる必要があるんです。6時間ごとに、色を変える必要があって」
「くまなく、ですか」
それは大変だわ。断ったら薄情よね。ミゲル様が来るまで時間がかかるし、神父様にはお 世話になっていることだし。
「ええ、いいですわ」
そう言ったら、ルカリア神父がほっと息を吐いた。彼の視線が、私の手に落ちる。
「リリアさん、その手はどうなさったんですか」
「え? なんでもないの。ちょっと蛇に噛まれちゃって」
「蛇に......」
「神父様も気を付けて。まだそのあたりにいるかもしれないから」
私の言葉に、彼が笑みを浮かべた。
「ええ、そうします」