56 洗礼
少女は何するでもなくベッドに倒れ込んでいた。
白い部屋だ。あるのは最低限の家具と似合わぬ無骨で大型のヘッドセットだけ。
恐ろしく整った少女の顔には感情が抜け落ちかのように無表情であり、恐らく初めて見る者が居たのなら少女が怒っているか、最悪死んでいると勘違いするだろう。
だが彼女の身体に埋め込まれた生活補助のナノマシンだけはトクトクと早鐘を打つ心臓の音を正確に捉え、記録していた。
もはや感情表現さえ必要ないと切り捨てた少女が、ようやく蕩けるように笑う。
「あは、お兄ちゃんと遊べるなんていつぶりだろうなぁ……」
時間だ。ちょうど15時45分。少女は、結愛はヘッドセットを被り、起動する。
「……スタート」
その短い一言によって結愛の身体は再び表情を失う。変わらぬ心臓の音だけを残して。
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とても自分では信じられないほど感情がぐちゃぐちゃだった。
イライラしているのは確かだろう。自分にか、それともあの妹を名乗る何者にかは分からないが。
それからどこか心配なのも不本意ながら事実だった。こんな危ないサーバーにあの少女を連れてくるのは果たして良かったのか?と。
一応いくつかの効率的なルートまで考えているのは自分でもどうかと思った。
そこまで考え、再びイライラが募る。俺は他人をそこまで気にするような人間ではなかったはずなのに、と。
舌打ちして目の前のPKを叩き切る。
死にながら捨て台詞を吐いているがそんなことを気にするほどの余裕がこちらにはないのだ。
時間は16時3分前。そろそろ始まりの街の広場に向かうべきだろう。
「『落椿』」
最後の一人の首を落として太刀を払うと、俺は歩き出した。
ピロン、とチャットが来たのはそれから僅か5分後の事だった。
内容は簡潔に〈キャラクリ終わったよ〉それだけだ。
どんな名前なのか、容姿なのかも伝えなかったが……。
それを読み終えたとき、ちょうど一人のキャラクターが現れた。
初期装備にしては可愛い黒い革靴とチェックのスカート、そしてローブ。両手にはシンプルな木の杖を握っていた。間違いない、魔法使いの女性用初期装備だ。
悪天候の雲みたいな灰色の髪と、逆に澄んだ青空みたいな瞳。
おそらく余程キャラクリを頑張ったのだろう。とても顔は整っている。そう、まるであのクソみたいな妹のように──。
「やっほーお兄ちゃん。こっちでは初めまして、かな?」
……結愛本人だった。
「……初めましてでいい。まさか顔を弄らずに来るとはな。で、名前は?」
「え?」
「キャラ名決めただろ。身バレ嫌だから教えろよ」
結愛はたどたどしくメニューを開き、プロフィールに目を通した。
「『ツユ』、これでいいのかな?」
「わかった。俺はツキハで頼む。お兄ちゃんはやめてくれ」
「う、うん」
さて、どうしたものか。色々なルートは考えていたが魔法使いは想定外だった。
β鯖において魔法使いというものは多くない。いや、居たのだが大半はこの前のアプデの後に他鯖に移動してしまい、そうでない者もテンプレートからは逸脱したようなスキル構成の者がほとんどなのだ。
微妙な沈黙が続いた。
俺も、結愛…ツユも別に会話が得意な訳じゃないのだから当然といえば当然なのだが。
「その、なんで魔法使いを選んだんだ?」
「んと、おとぎ話みたいに魔法が使えたらいいなって思って。使えるのは攻撃する魔法ばっかりだったけど……」
「そ、そうか。まあ魔法スキルも馬鹿みたいにあるから探せばそういう系もあるだろ。ウィッチクラフト的なやつ」
「伝承みたいなやつって意味じゃなかったんだけどなぁ」
気まづい。絶望的に会話が続かない。しかも何やら周りの視線も痛いんだが。
おいやめろ冷やかしのチャットを送るんじゃない。
「と、とりあえず行くか」
「まだ私人は殺せる気しないよ?」
「それは後でいい」
そうだ、まずはGOFの洗礼を受けて貰おう。
「兎狩りだ」
ツユが跳ねる。兎みたいに…ではなく兎によってだが。
浮いたツユの顔面目掛け、2匹目の兎が踵を叩き込んだ。
ふぎゅ、なんて可愛らしい悲鳴と共にツユが倒れた。最初の敵らしくHPはそれでも30%ほど残っているが、衝撃は凄まじかったらしい。
「お、お兄ちゃん……じゃなかったツキハさん?この兎ほんとに最初の敵なの!?強すぎるんだけど」
「弱いぞ。この後に出てくる敵はもっと強い。ちなみにPKはそれ以上だ」
チラリと周囲に目伏せする。どうやら高田馬場が応援を呼んだのか、影になるようにウチのクランの連中が面白半分で待機していた。
相変わらず鳴り止まないチャットは無視するとして、この妹モドキをどうしたものか。
「やめるなら今だぞ。さっさと部屋でいつもみたいに死んでろ」
「…っやめない!せっかくお兄ちゃんと遊べるんだからやめる訳が理由がない!」
「そうか。俺は今すぐやめて欲しいが」
ただでさえ『領主』との対決が待っているのだ。こんなやつに構ってないで今すぐレベリングと太刀を馴染ませたいんだが。
と、そんな俺を尻目に杖を支えにしたツユがよろよろと立ち上がった。
そして息を吸い──
「【ファイアーボール】【サンダーボール】【ウォーターボール】【ウィンドボール】【アースボール】!!」
一匹の兎目掛け膨大な数の魔法をぶつけ出した。
〈おいおいツキハ、お前の女やべぇな!よーあんだけの数の魔法維持できるわ!〉
〈つか魔法って一回に一つじゃねぇの?〉
〈いや、適性?脳の使い方?によって制御出来る魔法の数が違うんだとよ。ありゃシステム外スキルってやつだ〉
〈え、卑怯じゃん〉
〈運動神経のある無しで近接戦闘も差が生まれるだろ。そういうアレだ〉
〈納得〜あ、バカ共が騒ぎに乗って来たぞ〉
チャットでもうるさいなコイツら。
と、どうやら兎狩りも終わったらしい。
「お兄ちゃん……じゃなかったツキハさん見てくれました?私、強かったよ!」
「そうかよ。ところでお前、スキルってまさか全部──」
「?全部攻撃魔法だけど…」
何を言っているんだ?とツユは小首を傾げた。それすら様になってることに苛立ちながら戦慄する。この女、補助スキルを一切取っていないのだ。
なるほど、どうりで兎一匹にも苦戦するはずだ。何せ魔法使いは補助スキルである【属性強化:○○】系が属性魔法を使わない限りほぼ必須である。
にも関わらずツユは全属性の攻撃魔法のみを取ったらしい。
これだけならまあ、後から取ればいいで終わるが、問題点はこれだけじゃない。
攻撃魔法はどうやら一個の属性に絞って欲しいのか取る属性の数によって成長が遅れるのだ。経験値が平均化されてると言ってもいい。
同じようなことは前衛でも武器術スキルの取りすぎで起こるのだが、魔法使いはその性質上最初に色々な属性を取りたがってしまう。
結果として、使い分けも同時使用も出来ないのに色々な属性魔法を覚えた産廃が完成するのである。
普通ならキャラクリからやり直すほどの地獄っぷりだが、コイツの場合同時使用も使い分けもおそらく問題なく出来てしまう。
更に、だ。狂っているのだこの女は。
「それって時間でどうにか出来る?私も、一緒に戦える?」
「……正気かお前」
この通り、苦行レベリングで解決するつもりらしい。
まあ、本人がそういうなら別に構わないが。
「とりあえず対人戦で強い魔法使い用のスキルをいくつか送っておく。あと基本的なやつ。これでだいぶマシにはなるはずだ」
「うん、ありがとう。やっぱりお兄ちゃんは優しくなったよ」
「……」
苛立つ。ああ、こんなことをする自分に対しても、この妹モドキに対しても。
自己嫌悪だ。
「ツユ、痛覚を50%上げろ」
「え?う、うん。これでいい?」
その戸惑う声には答えず。
「この鯖の洗礼だ。【逆月】」
澄んだ高音と共に顕になる蒼い刀身が、ツユを斬り裂いた。
えー半年ぶりどころではないくらい久しぶりの投稿になってしまい大変申し訳ございませんでした(?)
リアルの諸事情とかは一切なくただ単に別の小説を書いていた事と、設定を全て忘れたことが重なり遅れました。正直に言うと読み直してこの結愛とかいう女の話今から無しにしないか?と思いながら書きましたが、まあどうにかなりそうなのでこのまま続行します。アレでしたら消して2年後位に二章半分くらい書き直しますが。
電撃大賞に無事応募出来ましたが、新しく書き始めた小説もあるため、次回の予定は未定。
書きやすいようにしたのでそれなりに早く続きは書けるかも知れないですが。
校正してないので誤字だらけかもしれないです。見つけたらひっそりお願いします。
感想はまあ貰えたら嬉しいです。早くはならない




