1、或る死
2017年1月12日未明、母が天へと召された。
享年68。
死因は進行性すい臓がんで、非常に早かった。
何しろ、去年の10月1日には孫の運動会に参加して活発に運動していたのである。
それが10月中旬、「腹が何となく変だ」ということになり、11月上旬にはもう、「余命1~3カ月」の告知を受けたのだ。
運がいいことに家の近所に良いキリスト教系のホスピスがあり、そこで、死の日まで過ごすことができたので、死の直前まで、かなりQOLの高い日々が送れた。
何しろ、今年の正月には私たち家族に料理など作ってくれ、なべ料理などを一緒にたべたりしていたのである。
これには、ホスピスでの良質なケアと、キリスト教によるスピリチュアルケア、本人の生来の精神的強靭さが大きくかかわっているものと思われる。
この点についても後々書きたいと思うのだが、今回書きたいのは、死の隠蔽についてである。
母が天へと召された1月12日午前5時ごろ、ホスピスから電話があった。
電話のベルが鳴ったとたん、目が覚め、「あ、来たな」という感じがした。
この時間に電話が来るというのが不自然だし、ここ数日で急激に母は弱っており、疼痛緩和の麻薬を増量するので、これからはほぼ眠っているような状態になるであろうことを主治医から聞いていたからである。
早速、簡単に食事をとり、車でホスピスに向かう。
ホスピスは病院の二階にあり、エレベーターから出たところに、カウンターがあり、クラークの方や看護師の方が詰めている。
私たちを見たとたん、看護師の方が、「あ、お待ちしておりました」と言って、病室まで案内してくれる。
病室に行くと、独特の臭いがしており、すぐに母の顔がこちらを向いていることに気付く。
見た瞬間に私は思った。
「あ、こりゃ、ダメだ。完全に死んでる」。
何しろ、顔が土気色をしており、というより土そのものといった体であり、歯が小さく覘く小さく開いた口は全く力がない。
それはまさに人ならぬ人であって、「モノ」という表現のほうがふさわしい感じがした。
今も母の死に顔はよく記憶に焼き付いているのだが、その異様さがありありと目に浮かぶ。
昔、レンブラントの「ヨハン・デイマン博士の解剖学講義」という絵に描かれている解剖遺体の表現を見て、「いくら死体でもこんな色はしていないだろう」と思ったものだが、決してあの表現が誇張ではないことが分かった。
遺体の質感も強烈な違和感を放っており、つい10時間ほどまで発話していた人間のものとは思い難い。
生と死は抽象的に概念化されてはならず、徹頭徹尾具体的に存在していて、その相違を静かに、それでいて心が痛くなるほど雄弁に語りかけているのが遺体というものなのだ。
私は、キリスト教徒であるから、「不死」というものを信じる身なのであるのだが、肉体の死というものはかくも人間を変えるのか、と驚愕しきりであった。