序幕 鉄錆姫は三度死ぬ
ジェムナグラン国先代国王たる“鉄血女王”の名を知らぬ民は、このジェムナグランばかりか、ジェムナグランを内包するレース・アルカーナ大陸にはいない。
彼女は、死後二十年近く経過した今も、大いなる畏怖を孕んでその忌み名と共に語られる女王である。
そもそもジェムナグランは、古代種にして稀少種たるエルフと呼ばれる人ならざる種族が棲む森、アルフヘイムを内包する国として知られている。
ジェムナグランの王族は、かつてエルフの長、【長き腕の王】と契約を結んだ。
そもそも、かつてエルフという種族は、その不老長命という性を背負い、その代償として繁殖能力が極めて低く、魔法という人知を超えた奇跡を実現する能力を持つがゆえに人間に狩られるばかりであった。そんな彼らをジェムナグラン王族が国を挙げて保護する代わりに、ジェムナグラン王族にはエルフが【祝福】を与えるという契約を結んだのだ。
エルフから与えられる【祝福】とは、一言で言ってしまえば、“奇跡”である。
只人には決して得られぬ人知を超えた力を、ジェムナグラン王族はエルフから与えられ、連綿とその血脈を紡いできた。
とある王はどのような武器であろうと易々と扱ってみせる【剛腕】を与えられた。とある王子は遥か彼方まで大地を見通す【千里眼】を与えられた。とある姫君はあらゆる動物と心を通わせる【聞き耳】を与えられた。
ジェムナグランの王族は、エルフを守りながら、エルフから与えられた【祝福】を国民のために使い、国を豊かな大国へと導いた。
このまま連綿と平和な歴史が続いていくのだと、誰もが信じて疑っていなかった。だが、とある姫君が王位に就くと、その平和な時代はあっけなく幕を閉じた。
姫君――いいや、かの女王は、この大陸に存在する数多の国々を、武力でもって統一しようとしたのである。
自ら馬を駆り、先陣を切って大陸を荒らし回った女王の名を、マリアローズ・ジェムナグラン。
鮮やかな紅の髪を持つ彼女にエルフから与えられた【祝福】は【蘇生】。
彼女は死者を蘇生させる奇跡の力を持っていた。それは一人の死者に対し、一度きりの奇跡である。だが、単純計算するだけでも、死者を一度蘇生させれば、その兵力は二倍となる。その力を惜しげもなく使って戦うジェムナグランの戦力は、元々豊かな大国であったことも手伝って、他国の追随を許さなかった。
そうして、あっと言う間にジェムナグランは大陸において最大の領土を誇る国となった。
度重なる戦に、どれだけ国民が疲弊し、悲鳴を上げても、マリアローズ女王は止まらなかった。
――――鉄血女王とは誰が呼んだか。
狂ったように戦に臨み、死者を蘇生させて彼らを操るマリアローズ女王の身体には、温かな血潮など流れていない。冷たき鉄が流れているのだと吟遊詩人は歌った。
マリアローズ女王の暴政は、彼女が病魔に倒れ、戦に自身が立てなくなるまで続いた。彼女はその激動の時代を大陸にもたらした者とは思えぬほどにあっさりと病死したのである。
マリアローズ女王に続いて、ジェムナグラン国の王位に就いたのは、彼女の息子にして現王でもあるアルブレヒト王。
彼に与えられた【祝福】は【平定】。アルブレヒト王は、その【平定】の力を使い、かつて各国の王族でありながら、母である鉄血女王によって一貴族に過ぎぬ身に追いやられていた者達の心を掴み、その王位を復活させ、鉄血女王が侵略し膨張させたジェムナグラン国の広大な領土を、解体し、縮小させた。
その【平定】の力があれば、マリアローズ女王が成し得なかったレース・アルカーナ大陸を統一させることも可能であったであろうに、彼はそうはしなかった。
――過ぎた力は新たなる戦を呼ぶものだ。だからこそ私は、その力で平和を導こう。
そう宣言したアルブレヒト王は、内政を充実させることに努め、次々に“ジェムナグランの領土”から“一国家”としての力と矜持を取り戻した隣国との和平を結んだ。
長く続いた戦争に疲弊していた国民たちはそれを歓迎し、アルブレヒト王を平和王と呼び称えた。
現在のジェムナグランは平和な時代を謳歌していた。
アルブレヒト王の第一子にして第一王位継承者たるカルバリーエ王子は“金の王子”。その双子の弟君にして第二王位継承者たるキリエルーバ王子は“銀の王子”。それぞれ憧憬と羨望をもって呼び称えられ、どちらも文武両道、才色兼備と誉れ高く、周囲を自然と心酔させた。
アルブレヒト王は、よき後継者に恵まれたものだと自国のみならず他国からも誉めそやされた。
ジェムナグランは、アルブレヒト王の治世の下で、ようやく平和になったのだ。
だがしかし、そんなアルブレヒト王の輝かしい治世にも――――いいや、輝かしい治世だからこそ、目立つ陰りというものは存在するものである。
***
ジェムナグラン国は今、春の盛りを迎えていた。麗らかな日差しが心地よい、よく晴れたとある春の日の午後である。
王宮の中庭に植えられた大木は、薄紅の花が咲き誇り、舞い散る花弁が可憐に白亜の城に色どりを添えていた。
その王宮に勤める侍女の娘達が、回廊の清掃の手を休ませて、談笑に花を咲かせている。
お目付け役たる侍女長の姿は当然見当たらない。彼女は別棟で、この春に初出仕したばかりの侍女達の監督に当たっている。
厳しい上司のいない合間を縫って、彼女達はくすくすと笑い合いながら、それぞれ仕入れた情報の交換に勤しんでいた。
「―――あ、そうだわ。ねえ聞いた? この間の東棟のお話」
「東棟の……って言うと、あの書庫での?」
「え、それ私知らない!」
「私も!」
「ふふ、あのね、“例の姫様”に纏わる事件よ」
声を一段落として囁かれたその台詞に、さも恐ろしいと言いたげに若い娘達は首を竦め合う。
「……あの姫様が、どうかしたの?」
「それがね、書庫の当番に当たってた子なんだけど、そこで運悪く遭遇しちゃったらしいのよね。それで、その子じゃ取れないようなところの本を取ってくるように命令されてしまったんですって」
「ええっ酷い! それでそれで!?」
「無理に取ろうとして梯子から落ちちゃったところを見咎められて、コレよ」
クイッと首に手をやる侍女に、他の娘達は両手で口を覆い、顔を見合わせた。
「それ、踏んだり蹴ったりじゃないの」
「いくらなんでも酷いわ。だったら最初から頼まなければいいのに」
「八つ当たりか何かじゃないの?」
「あら、八つ当たりなんかじゃなくたってあの方ならそれくらい――……」
「―――随分と、面白そうな話をしているのね?」
唐突に割り込んできたその涼やかながらも愛らしい声音に、ぴたり、と侍女達の会話が止まった。
花嫁修業として、或いは純然たる奉公人として、親元から離れて王宮に勤めている侍女達は、それまで小鳥の囀りのように交わしていた談笑を途切れさせ、その表情を凍り付かせる。
侍女達は一様にびくりとその身体を震わせて、恐る恐るその声の出所を振り返る。誰からともなく、ひっと息を呑む声が漏れた。
「てっ! てつさ…!」
「ッ馬鹿!」
ざあ、と血の気が引く音が聞こえたかと思うほど、彼女達は一斉にその顔を青く染め上げた。本来であれば決して許されぬ失言を誤魔化すように、慌てて両手で侍女としての制服の裾を持ち上げ、高貴な身分の人間に対する礼を取る。
カタカタと震えるその細い身体を、何やらつまらぬものを見るように見つめる瞳の色は、鮮やかな薔薇色だ。瞳にその美しい色を宿らせることができる人間は、このジェムナグランでは――いいや、世界中どこを探しても、それが許されているのはほんのわずかだ。
薔薇色の瞳は、エルフの【祝福】を与えられた証。
すなわち、ジェムナグランの王族にのみ許された瞳である。
ぱっちりと見事に跳ね上がり、長く濃く生え揃う睫毛に縁どられた、吊り目がちなその瞳が眇められ、震えながら頭を下げている娘達の後頭部を一瞥する。
磁器よりもきめ細かく整った肌は、雪花石膏を想わせるほどに透き通るように白おい。その白い肌の色と相反する、長くきつく波打つ髪の色は、暗い赤茶色だ。一見地味かと思われるその赤茶色は、不思議と華やかに彼女の美貌を引き立てていた。
誰もが目を奪われずにはいられないほどに整った、迫力溢れる美貌の少女が、背後に一人の侍女を従わせて、先程まで楽しげに囀り合っていた娘達を睥睨している。
凄絶な美貌を持つ少女が纏うのは、飾り気がなく、彼女のような年の頃の娘が着るにしては随分と大人びたデザインのドレスである。だがその実、ドレスの大人しい色目は彼女の豊かな髪の色を、腰から裾へと流れるシンプルなスカートのラインは、彼女の完成されたボディラインを、それぞれ何よりも映えさせ、際立たせるように、計算し尽くされした、ジェムナグランでも最高級の一品に他ならない。
職人がその技を尽くして作り上げた人形のように美しくありながら、決して人形には持ち得ない生気を纏った美貌の少女。
御年十七歳になる彼女の名は、アウラローゼ・ジェムナグラン。
このジェムナグラン国の第一王女にして第三王位後継者である。
紅を履かずとも薄く色付く唇から、小さな溜息がこぼれ出た。途端にびくりとまた身体を大きく震わせる侍女達を追い払うように、ひらりとアウラローゼはその白い手を一度ばかり振ってみせた。
「さっさとお行きなさい。侍女長がもう戻ってくる時間でしょう」
淡々とした命令に、はい、と震える声と供に侍女達は再度深く礼を取り、踵を返して足早にそれぞれの持ち場に逃げ戻っていった。
それぞれ誰もが、事なきを得たことに対し、安堵の息を吐く余裕すらないままに。
***
平和王アルブレヒトの輝かしい治世に彩りを添えるのは、金の王子と銀の王子。
だがしかし、アルブレヒトの子供達は、その二人ばかりではない。もう一人、ある意味では金の王子と銀の王子以上に、その名を知られた第三子が存在する。
アウラローゼ・ジェムナグラン。
ジェムナグラン国の第一王女にして第三王位後継者であるが、彼女を呼ぶにあたって、その実名以上に知られている呼び名がある。
先代女王マリアローゼの紅の髪を錆びさせたような暗い赤茶色の髪から、鉄血女王の名に準えて、彼女はこう呼ばれていた。
すなわち、“鉄錆姫”と。
***
「……よくもまあ、誰もが飽きもせずに同じことを言っていられるものね。ねぇミラ、そう思わない?」
逃げ去っていったメイド達の背中を見送り、鉄錆姫―――もとい、アウラローゼ・ジェムナグランはぽつりと呟いた。
その呟きを聴く者が居れば、少女の凛とした声音が、いかにつまらなさげなものであるか気付いただろう。
その証拠のように、アウラローゼの背後に控えていたアウラローゼ付きの、ミラと呼ばれた侍女は、何の感情も窺い知れぬ無表情のまま、「然様でございますね」と深く頷いている。
「人の噂も七十五日と申しますが、姫様の場合はお生まれになられてからちっともお変わりになりませんものね」
アウラローゼよりも五つほど年上の彼女が感心したようにしみじみとそう呟くと、アウラローゼもまた「そうなのよね」とこれまたしみじみと頷く。本当に、昔から自分の評判はちっとも変わらない。ここまで来るともう感心することしかできやしない。
先程若い侍女達が集まって話していた話であるが、そこには色々と誤解が含まれている。
確かにアウラローゼは先日、東棟にある書庫において、そこの掃除を担当していた侍女に、とある本を取ってくれるよう頼んだ。それは決して無理な頼みではなかったはずだ。ちょうどその侍女が、梯子に登って拭き掃除をしていたものだから、ついでにと思って頼んだだけであったのだ。
だがしかし、そんな彼女は、アウラローゼの一挙一動に臆し、震え、怯え、その結果足を滑らせて、足を挫いてしまった。
完全に気を動転させてぼろぼろと泣き出す侍女を宥めて人を呼んだはいいものの、その療養休暇をきっかけに、そのまま彼女はかねてからの婚約者と結婚し、寿退職したというのが事の顛末である。
「あの侍女が辞めていったのは、やっぱり私のせいなのかしら」
「姫様のせいではございませんが、姫様がきっかけになったと言われればその通りであるかと思いますわ」
「……ミラ、貴女、少しは主を擁護しようとは思わないの?」
「申し訳ありません。私は嘘の吐けない性分であるものでして」
「…………そうだったわね」
すまし顔で言い放つミラに、アウラローゼは肩を竦める。この侍女のこういうところを気に入って自分付きの侍女として受け入れたのだから仕方が名い。ここは、流石この“鉄錆姫”の唯一の側仕えと恐れられる“緑青の侍女”ミラ・ヴェリスであると納得すべきところなのだろう。
だが、それにしても、先程の侍女達が話していた噂を耳にした時、どこをどうしてそうなったのだとアウラローゼが思わざるを得なかったも事実ではある。
そして同時に、それが仕方のないことだということもまた、アウラローゼは十七年という決して長くはないはずの自身の人生の中で、これでもかと理解させられていた。
アウラローゼの持つ、豊かに波打つ暗い赤茶色の髪。
伏せれば影を落とす長く濃い睫毛に縁どられた薔薇の瞳。
大層美しく整ってはいるが、目鼻立ちがくっきり、かつはっきりとした、見る者に自然と畏怖を覚えさせるきつい顔立ち。
それらを見て、この国の者達が抱く印象はただ一つ。この国でその名を知らぬものはいない先代の女王にして自分の祖母たる、マリアローズ・ジェムナグランその人だ。
自分を形作る美しく整ったパーツの一つ一つが、かの鉄血女王を彷彿とさせるらしいということを、アウラローゼは物心つく頃には嫌になるほどに思い知らされていた。
よもや生まれ変わりかという眉唾物の話まで、アウラローゼが産まれた当初は出回ったというのだから相当だろう。そしてその噂は今もなおまことしやかに囁かれ続けている噂なのである。
「生まれ変わり、ね」
『生まれ変わり』。実際に口に出してみて、アウラローゼは思わず吹き出しそうになる。というか実際に吹き出してしまった。
そのままくすくすと笑い出すと、すっとミラがうやうやしく、アウラローゼ専用の見事な細工がほどこされた扇を差し出してきた。それを受け取って片手で開き、薄紅に色付く口元を隠して更に笑みを深める。ああまったく、よくできた侍女を持って自分は幸せ者である。
生まれ変わりだなんて、なんて馬鹿馬鹿しいのだろう。
これまで幾度となく思ってきた感想を、アウラローゼは再び内心でごちる。
アウラローゼを鉄血女王の生まれ変わりであると信じているのはジェムナグラン国の民ばかりではない。王城中どころか国中、果ては国外にまで侵出した噂なのだ。すなわち、血の繋がった王族すら、その噂を信じている節があるのである。
母である王妃がこの身を出産したのちに身体を弱くし、やがて儚くなったせいもあるのだろう。世に平和王と名高い父、金の王子たる長兄、銀の王子たる次兄との折り合いも、お世辞にも良いものとは言えない。
臣下達は怯えるか迎合するかで、民達はこの姿を見るだけで戦を思い出すと口々に噂する。
まったくもってろくでもない現状だ。誰もが自分に、かの鉄血女王の面影を見出しては身体を震わせる。中にはそうではなく、ミラのようにアウラローゼ自身を見てくれる存在もいることにはいるのだが、そんな存在はごく少数だ。
ここまできたら最早溜息すら出てこない。ああ、本当に馬鹿馬鹿しい。けれど、そう言われても仕方がない部分が確かに存在するのである。エルフからの【祝福】などという人知を超えた力の存在が、鉄血女王の転生説をより一層裏付けていた。
鉄血女王マリアローズに与えられた【祝福】は【蘇生】。
そして、アウラローゼに与えられた【祝福】もまた、かの女王と同じく【蘇生】と呼ばれるものであった。
だが、鉄血女王とアウラローゼの【祝福】は必ずしも等しいものではない。
鉄血女王の【蘇生】は、一人に対し一度きりではあるものの、数多の死者に対し行使できるものである。しかし、アウラローゼの【蘇生】は違う。アウラローゼのそれは、自分自身に対し、三度までしか使えないという、非常に限定されたものであった。
アウラローゼのその【祝福】が公表された時、平和を謳歌していたはずのジェムナグラン国に激震が走った。鉄血女王の再来かと誰もが怯えた。
だが、繰り返すが、アウラローゼに与えられた【祝福】は、三度きりの、しかもアウラローゼ自身にしかもたらされない奇跡だ。もしもアウラローゼの【祝福】が、鉄血女王とまったく同じものであったのならば、アウラローゼの人生は今とは違うものになっていたに違いない。おそらく、というか確実に、これまた“ろくでもない”方向に。
その点だけは幸いであったと言えなくもないとアウラローゼは思わなくもないが、だからと言って納得しきっているのかと問われれば、アウラローゼは否と答えることだろう。
国益に繋がるとは到底思えない【祝福】は、アウラローゼの評判を、より一層貶めるものとなった。誰もが鉄血女王の影に怯え、彼の女王の存在を過去の遺物にしようと努めながらも、そのくせ、それでもその鉄血女王の影をアウラローゼに見出そうとするのだから、本当にやっていられないとアウラローゼは溜息を吐く。
「まあ、今更それについてどうこう言っても仕方ないのだけれど」
嘆きも呆れも今更なのだ。今はもういない祖母の影に怯えたい奴らは勝手に怯えていればいい。
何故こんな【祝福】を与えたのかと、自身に【祝福】を与えてくれたとあるエルフに詰め寄ったこともあったが、エルフ自身にもどのような【祝福】になるのか解らないのだと言われてはそう強くも言えない。
何もかも、アウラローゼがどうこうしてどうにかなる問題ではない。だからその件について文句を言うのは止めた。止めたのだが、しかし。
それでも一つ、どうしても世間に対して文句を言いたいことが有る。
ふ、とアウラローゼは、そのエルフの【祝福】の証たる薔薇色の瞳を、回廊の窓へと向ける。磨き抜かれた硝子の上に、自身のきつい美貌がはっきりと鏡のように写り込んでいる。口元に笑みを浮かべると、その硝子の中の自分も、同じように笑みを浮かべた。
染みひとつない白く整ったかんばせに浮かべたその微笑は、まるで咲き誇る大輪の花のようだ。硝子の中の美少女の笑みが更に深まる。幾重にも花弁が重なる大輪の花が更にその花弁を綻ばせた。
――ほらね、やっぱり。
そう内心で呟いたアウラローゼは、その凛とした声音を高らかに張り上げた。
「絶っっっっっ対に、お祖母様よりも私の方が美しいわ!」
アウラローゼとミラ以外に誰もいない回廊に、その宣言は存外に大きく響き渡った。窓の外で木に止まっていた鳥が、驚いて飛び去って行った。アウラローゼの笑顔は輝いていた。ミラは変わらぬ無表情で「然様でございますね」と頷いた。繰り返すが、まったく自分はよくできた侍女を持って幸せ者であるとアウラローゼは思う。
アウラローゼはふふふ、と扇を畳んで含み笑いをする。ああ、なんてこの私は美しいのだろう。十七歳にしては少々大人びた印象を抱かせるが、それもまた魅力の一つであるに違いない。
こんな自分の顔を、否、顔だけならず頭のてっぺんから足の爪先まで、自分はとても気に入っている。正直言って大好きだ。
だからこそ、物申したい。美貌に関し、恐らくは自分で何一つ努力せずに戦場を駆け回るばかりであったであろう祖母と、一緒にするなと。
まあ確かに絵姿に見る祖母の姿は立派である。迫力美人と言って何ら相違ない。アウラローゼの髪よりも鮮やかな紅の髪は見る者の目を奪ったという。だが、それが何だ。
アウラローゼの髪の、この暗い赤茶色。こっちの方がもっとずっと深みがある、上品で素敵な色だ。物心ついたときから手入れを欠かしておらず、背の中ほどまであるにも関わらず枝毛一本存在しない。長兄の金髪や次兄の銀髪のように真っ直ぐな髪質ではなく、きつく波打つ癖毛だが、これはこれで自分の顔立ちによく似合っている。
この髪質のおかげで、睫毛もぱっちりと上向きに長く生え揃い、そんな睫毛に縁どられた瞳は大きくぱっちりとしていて、どんな宝石にも負けないくらいに輝く鮮やかな薔薇色。
そしてこれまた手入れを欠かさない肌は白くきめ細やか、生まれたばかりの赤ん坊の肌にだって負けはしない。
身体は出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるし、その体型を維持する努力は怠っていない。
そしてもちろんのこと、そんな外見のみならず、内面の美しさを磨くこととて抜かりはない。むしろ外見以上に重要視し、日々切磋琢磨している。
それは王族としての諸々のマナーであったり、淑女としての手習いであったり、歴史や地学といった勉学であったりしたが、そのどれもをアウラローゼは手を抜くことなくこなしてきた。
見かけだけの馬鹿女になることなどごめんだ。妥協など以ての外である。
幼い頃、鏡を前にしてアウラローゼは誓ったのだ。こんなにも美しくかわいい少女(=自分)を、黙って見過ごすのは罪であると。
せっかくこんなにも美しく生まれたのだから、誰に何を言われようと、完璧に育て上げてみせる。
――そんなこの私が、“鉄錆姫”?
「……ふん、上等よ」
カツン、と高らかに靴の踵を打ち鳴らし、アウラローゼは目的地である書庫へと足を向けた。ミラがしずしずとその後に続く。
そして回廊には、いつしか戻ってきた小鳥の囀りだけが残された。