野獣と化した先輩
例年よりセミがよく鳴く、蒸し暑い夏だった。
「ん~。いい時には結構いくね、結構ねぇ」
浅黒く日焼けした若い男は饒舌な様子で、隣りの気の弱そうな男に語り掛けた。
ジリジリと身を焦がす日差しの下、街道のアスファルトの上では陽炎がユラユラと立っている。
二人は短パンにTシャツ姿のいたってラフな恰好から逞しい筋肉をのぞかせ、ある目的地に向かっていた。
大学の部活の先輩後輩の間柄であろうか、その後輩は、案内する先輩からの一方的な会話に愛想よく相槌を打つ。
やがて閑静な住宅地の一角にある、三階建ての白いコンクリートに覆われた邸宅の前まで来ると、先輩は建物を指差し先ほどの調子で声を上げた。
「こ、こ」
自慢げな表情とは裏腹に声は少し上ずっていた。
「はぇ~、すっごい大きい……」
後輩の男は感嘆した様子で素直に言葉を吐き出す。
「きつい練習の後には息抜きも大切だからさ、遠野も遠慮なく休んで行ったらいいよ」
「田所先輩に誘っていただいて嬉しいっス」
遠野と呼ばれた比較的細い男が、浅黒い肌と対照的な白い歯を見せて応える。
田所はスッと前に進むと、「入って、どうぞ」と扉を開けて中に入った。
「おじゃましまーす」と遠慮がちに遠野も続く。
訪問者をうやうやしく歓迎するようにガチャコンと音を立てた扉を背に、遠野は玄関を少しばかり見回したが、とうとう家主に「いいよ上がって」と催促されたので、「あ」と自らの過ちに気づいて、「本当に大きいっすね……」と言い訳のように漏らした。
*
屋敷の内装は豪邸の外観に違わず絢爛豪華で、まず広いリビングに入ると真っ先に高級ウィスキーがずらりと並べられた大きな戸棚が目に飛び込んでくる。
そして次に部屋の真ん中に敷かれた大きなアラベスク文様の絨毯に目を奪われる、という流れだ。
その上に鎮座するいかにも高級な黒塗りのテーブルは見事な光沢を放ち、四人は座れるほどのふかふかのソファーが来客者をもてなす。
その奥の80インチ薄型テレビも忘れてくれるなと言わんばかりにシャンデリアの光を反射している。
二人はそのソファーに座って疲れただの練習がきつかっただの他愛もない話を続けた。
しばらく部活の話をしてから、田所はかねてから計画していたようにおもむろに話を切り出した。
「まずうちさぁ、屋上あんだけど……焼いてかない?」
それまでの話からすると少し唐突な気もするが、
「あぁ~いいっすね~」
遠野は屈託のない笑顔で快諾した。
田所は少し安堵したのか頬を緩めると「うん」と満足げにリビングを後にした。
*
――ミーン ミーン ミーン ミーン ミーン ミーン ミーン
炎天下の屋上にはひと夏の短い命を燃やすような、けたたましいサイレンが鳴り響く。
しかし、夏の風物詩とも言える必死の鳴き声も、物思いにふける男には何も届かない。
田所は今日この瞬間を待ちわびていた。
大学の水泳部では彫刻のような筋肉質の美体を多く眺めたが、遠野はその中でもひと際目立っていた。
ガッチリムッチリした自分とは対照的な引き締まった四肢に、薄い胸板からチラリと覗く乳首がセクシー、エロいッ! いつも興奮を抑えるのに苦労していた。
その遠野と二人っきりでいるのだ、平気でいられるわけがない。田所は心の中で舌なめずりするとこれからの【予定】に思いを巡らせる。
「……ぱい……先輩! 田所先輩! 着替え、ここでするんですか? 外だと見られないスかね……?」
「まぁ、多少はね?」
不安げな顔の後輩がキョトンとした目でこちらを見ていた。
物思いにふけるあまり虚を突かれた自分が、意味不明な回答をしてしまったからだ。
田所は慌てた様子を悟られないように、「大丈夫でしょ……」と付け足して三角の競泳パンツを手に取った。
*
――遠野は苦悩していた。
彼はいつもの慣れた手つきで腰にタオルを巻いてから、機能美を追及した鋭角のパンツに足を通した。
すでに十分日焼けした肌には強い日差しがこれでもかと照りつける。
遠野は光を掻き分け、「暑いっスねー」と言いながら屋上中心部に敷かれたマットの上に一足先に仰向けになった。
眩しい光を遮るように軽く瞼を閉じると、時折吹く風が火照った体を通り抜けて心地よい。
すぐそばで先輩の声が聞こえる。
「暑いねー。コインロッカー?」
え……? 自分の耳を疑いながら先輩を一瞥する。その手にはサンオイルがあった。
「だ、か、ら、オイル塗ろっか?」
「ああ……ありがとうございます」
納得して謝意を示す。
先輩の手が己の胸元に伸びて来る。熱を帯びた肌にオイルはひんやりと気持ちいい。
先輩はこちらの反応を窺っているのか、確かめるようにゆっくりと下半身へ手を滑らせていく。
「硬くなってんぜ。溜まってんなあ、おい」
いやらしく動く指がわざとらしく股間を刺激する。
遠野は驚きと同時に何とも言えない快感にゾクリとしたが、その感覚に目を背け心の奥底に沈める。
「いやそんなことないっスよ……」
吐き出すように呟いた。
「どんぐらいやってないの?」
「二ヶ月くらい……」
「二ヶ月……だいぶ溜まってんじゃんアゼルバイジャン」
先輩の、獲物を狙うような鋭い野獣の眼光の前ではさながらヘビに睨まれたカエルの心境で、少し間が空いてから恐る恐る交代を申し出た。
今起こった出来事を整理できないまま呆然とオイルを塗っていると、直視できない遠野の目にも田所の股間が盛り上がるのがはっきり確認できた。
「あんまり上手いから気持ちよくなってきた……」
先輩が股間をさすりながらそう宣言すると、自分でも説明できない感情が心を占拠し遠野はとっさにフッと笑みをこぼした。
「これ以上やると気持ち良くなっちゃう。もういいよ。ヤバイヤバイ」
先輩の制止の言葉を聞いて、やっと終わった、と思うと同時に淡い名残惜しさを確かに感じた。
*
「喉渇いた……喉渇かない?」
田所は股間のムスコが落ち着くのを見計らって当初の計画通りに提案した。
予想通りの後輩の返答を得ると、高揚した気分を悟られないようにやおら立ち上がりキッチンに向かう。
コップを並べ冷蔵庫からアイスティーを取り出す。この日のために用意した白い粉も戸棚から慎重に取り出した。
気持ちを落ち着かせるためにスーッと息を吸ってフーッと吐き出し、サーッと睡眠薬をアイスティーに入れた。もちろん愛しの標的のグラスに……。
「おまたせ! アイスティーしかなかったけどいいかな?」
屋上に戻ると入念に練習したセリフを投げかける。
遠野は嬉しそうに受け取ると、「いただきまーす」と疑う素振りもなく口をつけた。
この後を想像し股間が静かに反応するが、まだ早いと逸る気持ちを落ち着かせ計画の成功を祈る。
本日の日光浴の成果を互いに確認し、まだかまだかと会話を続ける。
先ほどまでの快晴の天気が少し陰りを見せた時、遠野の体がかすかに揺れるのを見逃さなかった。
「曇ってきたな。そろそろ中に入るか」
ここまで何度か交わした用意された会話を仕掛けるが、今回の反応はおぼつかない。
田所は心躍る感情をもはや隠さずにふらつく遠野を支え、「おっ大丈夫か? 大丈夫か?」と心にもない心配をしてから、計画の大詰めである地下室へと意識を向かわせたのだった。
*
豪邸に用意された地下室はそれにふさわしい大きさで、真夏の外気の影響を受けずにひんやりしている。
日常的に使っているのか、それともこの日のために準備したのかよく手入れされたベッドがポツンと置かれていた。
地下室に明かりが灯ると、静寂を切り裂いて一心不乱に進む一人の男の息遣いが聞こえる。
本来饒舌なその男は似合わない沈黙を守りながら隣りの男を肩にかけ、心なしか軽快な足取りでそのベッドへと進んでいた。
田所は肩にかついだ遠野を優しく横たえると、事前に用意しておいた紐で遠野の両手を縛ってベッドに固定した。
それから、ショーケースの中の宝石を見るようにじっくり観察し、手袋をして慎重に取り扱う店員のように丁寧に全身を舐め回した。
――ハァ……ハァ……チュパ! チュン! ピチュン! ピチュ!
静寂の中に荒い息遣いと、唾液と肌の絡まる音が響く。
そうして丹念に乳首を吸っていると、その刺激が意識を呼び起こしたのか遠野が深い眠りからようやく目を覚ました。
何が起こっているのか呆然とする間もなく、自由の効かないわが身と全裸の田所を見て自身の置かれた状況を理解せざるを得ない。
「先輩……!? 何してんスか!? やめてくださいよ、本当に!?」
「暴れんな! 暴れんなよ……!」
田所が押さえつけるように遠野の腹部に顔をうずめる。
「田所さん!? ちょっと! まずいですよ!?」
「いいだろ! 遠野……」
もはや野獣と化した先輩は己の欲望を満たすためなら何でもするつもりだった。
暴れる遠野を押さえつけ、怪しい薬品をしみ込ませたハンカチを鼻と口に押し付ける。
必死の抵抗むなしく遠野はうめき声を残し、再び混濁した意識の海に放り込まれてしまった。
田所は性欲の野獣に身を落としても誰よりも遠野を愛していたし、遠野もここまで愛した自分を受け入れてくれると思っていた。
だが、同性の昏睡レイプなど田所に好意を持つ遠野であってもそう簡単に受け入れられるものではないのか。
田所は引き裂かれそうになる思いを堪え、哀願するように舌で愛撫する。
「遠野、気持ちいいか? 気持ちいいだろ?」
遠野は消え入る声で「う、うん」と答えるので精一杯だ。
田所は遠野の目をしっかりと見つめ、もう後戻りはできないと覚悟を決めた。
数瞬の迷いを断ち切るように本心からの告白をする。
「お前のことが好きだったんだよ!」
血走った目からは想像できない穏やかな表情で、優しくキスをした。
真夏の昼下がり、外ではひと夏の終わりを告げるようにセミが鳴くのをやめた気がした。