■■ 5. 君がぼくで、俺が君
カミラを頭の中に戻し教室に帰る。
五時間目の英語の準備をしようと机の中を見たら、そこに一枚のメモがあった。
『放課後、第一校舎の裏』
書いてあったのはそれだけ。
『呼出だな』
カミラの冷静な声が響いた。この文字がもう少し可愛ければ告白とか思えるんだろうけど、今はカミラに同意する。
ぼくは頷くとメモを折り畳んで生徒手帳に挟んだ。
その後英語と物理の授業はごく普通に進んだ。
最後のホームルームを終えるとぼくは席を立つ。
「神足くん、さようなら」
八雲さんは挨拶すると足早に帰って行った。
掃除当番でも無いし部活動も行っていないから、ぼくもあとは帰るだけだけど、今日はそうさせてくれないだろう。
ぼくは荷物を置いて指定の場所に向かう。
『逃げないんだな』
「もしかしたら別件かもしれないでしょ」
『本気でそう思っているのなら、別の意味で感心するぞ』
カミラは笑うがやはり別件では無かった。
「逃げずに良く来たな、神足」
校舎の影になってどこか薄ら暗いそこに居たのは予想通り菅原と松本だった。
それにしてもこういう呼出って校舎裏か体育館倉庫って決まっている。人気の無いところを選んでいるからおのずとそうなるのかな。
「てめえ、何余裕こいてんだよ!」
「いや、別に。型どおりだなって思っただけだよ」
怒鳴ったのは菅原だ。こういう場面で松本はほとんど話さない。
「それで何の用なの?」
「最近いい気になっているからよ、ちょっとはその態度を直してやろうかと思ってな」
「なるほど。ようやくぼくの番ってことなんだ」
「判ったような口きいてんじゃねえぞ」
「それで……長田には何て言われたのさ」
菅原の目つきがより鋭くなった。
「何であいつの名前を出す」
「まあ普通は成績優秀な学級委員長と不良の端くれの君たちに接点があるとは思わないよね。それでも水谷くんから巻き上げたお金で言うことを聞いているってことなんでしょ」
「てめえ」
「それで……長田は何人殺せば気が済むのさ」
「おまえ、ミズムシのことを言ってんのか?」
菅原は口元を引き上げて笑った。
「ばかか、あいつなんてクラスの底辺だぞ。頭だって最低だ、ぎりぎりの成績で入学できなくて裏からこっそり入学したカスだぜ。それは久米も同じだけどな」
その名字が出たところで、ぼくの奥歯がぎちりと鳴った。
「おまえもう少し頭がいいかと思ったが、とんでもないバカだな。あんな虫けらの命なんざ無いも同然なんだよ。普通に生きていても価値がねえ。俺達で遊んであげるのはせめてもの情けだぜ!」
「……最低だね」
「何ヒーローぶってんだ、てめえだってこの学校に居る間は悪党だろうが。長田に逆らったバカはここでは生きていく資格もねえんだよ! 俺みたいに頭の良い奴が楽しく暮らせるのさ」
「悪党でも、君たちみたいなクズよりマシだと思う」
「てめえ!」
ついに切れた菅原が振りかぶって殴りかかる。これは痛そうだと思ったが、その時意識がふわりと浮いた。
「もうちっと何とかなるかと思ったが限界だ。お前の身体を借りるぞ」
菅原の拳はぼくの右手が受け止めていた。しかも痛く無い。
それどころかぼくの口は自分の意志とはまったく別の言葉を発していた。
〈カミラ!〉
変な感覚だった。目も耳も手も足も、身体全体がぼくの思うとおりに動かない。
そうか、今はカミラと意識が入れ替わっているんだ。
菅原はぼくの手から拳を戻そうとしているのだが、カミラの握力でびくともしない。
「お、おい、放せ!」
「どうもお前はケンカベタらしいからな。少し教えてやるよ」
「何言ってんだてめえ!」
おそらくカミラの言う『お前』はぼくを示すのだと思う。
「骨がある動物には関節がある。この関節ってのは動く範囲がある程度決まっていてな、そいつを少しでも外れるとけっこう痛いわけよ」
ぼくの親指がわずかに動いて菅原の拳をなでた。
すると奴はものすごい悲鳴を上げて崩れ落ちる。膝をついてがくがくと振るえていた。
「あと長い骨ってのは小さな力でも接する関節に大きな力を加えられる。テコと同じさ」
ぼくの右手がくるりと動くと菅原はうつぶせになり腕を背中に引き上げられていた。
奴の拳を脇に挟み、肘に手を当てているだけに思えるのだが、菅原は全く動けなくなっていた。
「さて、いろいろと吐いてもらおうか」
ぼくの声だけどどこか楽しそうだ。これを言っている自分の顔が見えないのが残念。
「て、てめえ!」
「この一件は長田の差し金だな」
「言うか、そんな……」
菅原の肘に当てていた手をわずかに動かす。
すると奴の口がぱくぱくと動き、頭を地面に頭突きした。
「俺は頭に血が上るとしゃべるのが面倒になる。もう一度答える権利をやろう。答えれば腕の骨を折る。答えなければ肘の関節を壊す」
「な、何を言ってやがる!」
「手足の長い骨ってのはな、折ってもわりに簡単に繋がるのさ。治るのも速いし後にも残らない。だが関節は一度壊れると完全には治らない。動きも悪くなるし痛みも残る。さあ、頭の良いおまえはどちらを選ぶ?」
「や、やめろ、これ以上やったらおめえだって!」
「まずは俺より自分を心配したらどうだ?」
「て、てめえ、菅原を放せ!」
珍しく声を出して近づこうとした松本に、カミラ(ぼく)が視線を向けた。
「近づくな。動けばまずこいつの指先を砕く。腕ってのは先に行くほど神経が細かく痛みも鋭いんだぜ」
そして空いている左手で菅原の人差し指と中指をつまんでひねり上げた。関節に無理がかかって嫌な音を立てている。
うん、これは痛いよね。
「痛てええ! う、動くな松本!」
菅原の悲鳴に松本は息を飲んで足を止めた。
「仕方ない。なるべく痛みの強いやり方で砕くとするか。運が良ければあっというまに気絶できるぜ」
「や、やめろ、やめろ、言う、言うから止めろ!」
ぼくは無言だ。もちろん拘束はそのままだけど。
「確かに長田に言われた、金も貰った!」
「その証拠は」
「俺のズボンのポケットに、長田から貰った封筒が入っている。それはミズムシから取り上げたのだ」
「ただの金では証拠にならないだろう」
「封筒にも札にも長田やミズムシや俺の指紋が付いている」
「指紋?」
〈指先に付いているうずまき模様は人によって全部違うから、それで個人を識別できるんだよ〉
「なるほど」
そこで菅原のズボンに手を伸ばすぼく(カミラ)。
〈カミラ、直接触っちゃだめだ。ぼくの指紋も付くから布でくるんで〉
「何だか面倒だな。おい松本。おまえが封筒を取りだして手ふきで包んでから俺に渡せ」
そこで菅原の舌打ちが聞こえてくる。意外とまだ余裕がありそう。
松本は言われた通り、菅原のポケットから取りだした封筒をハンカチでくるむとぼくに手渡した。
「もう判っただろ、手を放せ!」
「まあまあそう言わず、もう少し遊ぼうぜ、スーガーワーラー!」
その声色に菅原の顔色が更に悪くなる。
「まだ何だって言うんだ!」
「ところで、長田はどこに居る?」
「教室……B組の教室で、先公に言われてミズムシに勉強を教えている!」
「そりゃ好都合だ。さて教室に戻ろうぜ」
ぼくは菅原の腕を操作して無理矢理起き上がらせると先導させた。
〈カミラ、このまま長田に逢うの?〉
「ああ。黒幕にいろいろと聞かないとな」
〈だとしたらぼくの言うことを聞いて〉
言って止まらないカミラだが、気になった事の予防線を告げる。
「……なんだそりゃ?」
〈いいから、言うとおりにして〉
「判ったよ。おい松本、逃げないように俺たちの前を歩け。それと菅原!」
「な、何だ!」
奴は背後でごそごそ動いて居るぼくが気になるのだろう。後ろを向こうとするとカミラが腕をひねって前を向かせる。
「さっさと先導しろ!」
そう怒鳴って菅原の尻を強めに叩く。それも三回。
「やめろ、歩くからやめろ!」
その後ぼくたち三人は二年B組の教室に向かった。
6. 殴り込みの顛末 に続く