■■ 2. 朝の教室にて
下駄箱で上履きに履き替えるとそのまま二階に上がる。
そこそこ生徒で混み合う廊下を進み、二年B組の教室、後ろ側の扉を開けて入った。
ぼくの姿を見るなり、一瞬でしんとなる教室の中。B組全員で三二名のうちほぼ半数が登校していた。
ぼくは無言で窓際最後尾の机に向かう。
その間特に挨拶も無し。クラスメイトは目を合わさない。
もうこれにも慣れた。
ぼくは静かに自分の席に腰掛けた。
「神足くん、おはようございます」
ぼくの右隣から女の子の声がかかる。ちなみに最後尾にはぼくとその子の席しかなかった。
八雲春香さん。一年生の時も同じクラスだった。
ぼくも人のことは言えないけど、どこか地味な女の子だ。それでも目はぱっちりしている。髪型はおかっぱでほんのりと茶色。実は地毛なのだが校則確認の時にいつも疑われるって友人と話しているのを聞いた。
「おはよう」
たぶん先生に指名されなければ今日はこの一言で終わりだろう。
ぼくが鞄の中から教科書とノートを取り出し机の中に入れ始めると教室の中はいつもの喧噪に戻った。
そのまま窓の外に視線を移す。しばらくして担任の先生が入ってきて朝のホームルームとなったが特に連絡事項も無かった。
『ずいぶんとお行儀が良いんだな、ここのこども連中は』
カミラの感心するような声が聞こえる。
お行儀が良いか。
それに答えずに居るとホームルームも終わり退屈な授業が始まった。
ひょっとしたら授業内容についてカミラにいろいろと聞かれるかと思ったが、彼女はぼくの頭の中で静かにしている。もしかしたら寝ているのかもしれない。
昨日の夜に聞いたところでは、ぼくの頭の中に居る場合、お腹が減らないという。
ぼくが寝ている場合はあの白い空間で放すことができるが、ぼくが起きているときはぼくの目で見たものや耳で聞いたことがそのまま伝わるらしい。
そしてカミラの声はぼくにだけ聞こえる。ぼくの声も当然届く。
声に出さずに頭の中に投げかければ放しも通じるが、慣れていないせいか声を出さずに話すのは難しい。
カミラが黙ってしまうとぼくも授業に集中するしか無いだろう。
そんなこんなで三時間目の数学。
教師が入ってきてすぐさま授業が始まるかと思ったが、一番前の席でなにやら騒ぎが起きている。
ちょうど教卓の真ん前の席に座る男子生徒、水谷くんは自分の机の中と鞄をごそごそとさぐっていた。
そして周りを見る。何かを探すように、それと助けを求めるように。
〈またか〉
ぼくは声を出さないように気を付けた。
ややあって水谷くんはおずおずと先生に手を上げた。
「す、すいません。教科書忘れました」
「何だ水谷。だらしないぞ、何回連続して忘れていると思っているんだ」
「あの……すみません」
「前回反省文を書いたばかりだろう。レポート追加するぞ」
そこでうなだれる水谷くん。その左横に座っている男子生徒がすかさず手を上げた。
ぼくは反応しないつもりだったが奥歯を少し強めに噛みしめていた。
手を上げたのは長田[おさだ]。このクラスの委員長だ。
「先生、とりあえずぼくの教科書を見せてあげますよ」
「うん? 長田が良いのなら見せてもらえ、水谷」
「あ、ええと、その……」
「こら、水谷。見せて貰うのだからお礼ぐらい言え!」
「ど、どうもありがとう、長田くん」
「いいよいいよ。気にしなくて」
長田は微笑むと自らの机を水谷くんに近づけた。
そのまま授業が進み三時間目終了のチャイムが鳴る。
先生は教科書を閉じて水谷くんを見た。
「授業遅れているんだから自習くらいしておけよ」
「……はい」
そこですかさず長田が手をあげる。
「先生、ぼく放課後時間ありますから、水谷くんに数学教えてあげようと思います」
「そうか、長田の成績なら大丈夫だろう。水谷、よく教えて貰うんだぞ」
水谷くんは隣をちらりと見て頷いた。
礼をしたあと、教室から立ち去ろうとする先生に水谷くんが声をかける。
「あ、あの……先生、実は」
「みーずーたーにー、遊ぼうぜ!」
その水谷くんの腕を引っ張って廊下に連れ出そうとしているのは二人の男子生徒、身長ならカミラほどありそうな菅原と小柄だが目だけがやたら大きな松本だった。
「何だ水谷。わたしに何かあるのか?」
「特に無いよな、ささ遊ぼうぜ」
「う、うん……あの、先生、何でもありません」
頭を下げる水谷くんを見て先生はそのまま教室を出た。
それと同時に菅原の表情が変わる。水谷くんの横っ腹にパンチを入れた。
「さーてちょっとお話しようか水谷」
「ぼ、ぼくは、その……」
「いいから外に出ようぜ」
水谷くんは菅原に引っ張られ、松本に押されて教室から出ようとする。
ガタッ。
ぼくはわざと音が鳴るように腰を上げていた。
そこでまたシンとなる教室。水谷くんと菅原、それに松本もふくめてクラス中の視線がぼくに集まる。
この中でぼくを見ていないのは長田だけだ。
ぼくはそのまま歩き出そうとした。
「きゃ」
小さな声が響いてぼくの前に教科書とノートが散らばった。
それを踏みつけないように足を止める。
「ご、ごめんなさい」
ぼくの隣の八雲さんが落とした物だ。ぼくはゆっくりとしゃがむとそれを拾い集める。
その間も教室の中は時間が止まったかのように静かだ。
全てを拾い終えてぼくはそっと八雲さんに手渡した。
「あ、ありがとうございます神足くん」
「どういたしまして」
ぼくが応えるのと同時に四時間目開始のチャイムが鳴った。
それに応じて自分の席に戻るクラスメイト。菅原と松本は舌打ちしてぼくをにらんでから水谷くんを解放した。
ぼくは無言で現代国語の教科書とノートを机の上に乗せる。
カミラに聞かれたかな。無反応の彼女が少し気になった。
3. 昼休みは青空の下で に続く