■■ 12. 救世主はかく語りき
新倉キリスト教会。
花の公園の片隅にある小さな建物は、製薬会社の工場が建つ前から存在していた。
かなり古い建物だが手入れが行き届いているのでとても綺麗だ。
そして花の公園が出来てからは、花の教会と呼ばれ休日や祝日にはここで結婚式をあげるカップルが多々いた。
考えたら六月、ジューンブライドだよ。
もしかして混んでいるのではと思ったが、来客も無くひっそりとしている。
「ここがケンタ様の世界の教会なのですね。どのような神様をまつっておられるのですか」
「ここはキリスト教の神様の教会だよ」
「こちらの世界ではキリスト教が神の教えなのですね」
そこでちょっと困ったぼく。
「この世界ではいくつかの宗教があって、それぞれに神様が異なっているんだよ。キリスト教は世界的に見て多くの人に信じられているけど、日本では神様を真剣に信じて居ない人の方が多いかもね」
「ケンタ様もそうなのですか?」
「そうだね、苦しいときだけ神様が必要になる、そんなところかな」
教会の外に居てもまた目立つ。ぼくたちは礼拝堂に入った。
小さな建物なので礼拝堂も小さい。
それでもステンドグラスを背に祭壇が設けられ、礼拝者が腰掛ける長いすも一〇組用意されていた。
「さっきの魔法、どういう用途で使うの?」
祭壇に向かう通路を歩きながら、ティファの魔法についてたずねた。
「邪神族やモンスター討伐のパーティーが、強敵と相対したときに安全に逃げ出すための目くらましみたいなものです。成功するかは相手次第ですけどね」
「ティファは催眠が苦手だって言っていたけど、充分効果はあったみたいだね」
「催眠と呼べるほどの高度なものではありませんよ。ですので注意が引けたとしてもそこまで長く保ちません」
そこで祭壇の前に立つぼくたち。
ステンドグラスから複数の光りが降りるそこに十字架があった。
ここはカソリックの教会らしい。
そして十字架を見てティファが声を漏らした。
「……ケンタ様、あの貼り付けになっているのは罪人ですか」
「あの人がイエス=キリスト。キリスト教を広めた人だよ」
「なぜ茨の冠に手足を打ち付けられ貼り付けになっているのです?」
「座ろう。ぼくができる限り説明するから」
ぼくたちは祭壇を目の前にした長いすに腰掛けた。
ティファは真剣に十字架を見ている。
「さっきこの世界では複数の宗教があるって言ったよね。その中でも信者が多いのがユダヤ教、キリスト教、イスラム教。その他に仏教や日本古来の神道があるけど。
イエスが自らの教えを広めようとした時代とその地区ではユダヤ教が主だった宗教だった。いわばキリスト教は新興宗教だったんだ。ただその教えによってユダヤ教の信者がキリスト教の教義に興味を向けて居た。
そこでユダヤ教の監部の人はこのままでは自分たちの教えに悪影響が出ると言って、イエスを裁判にかけた」
「どういう罪で?」
「自らを救世主と名乗り、人心を攪乱した」
そこでティファははっとなる。
「そう、ぼくを救世主と呼んだときに放したよね。二〇〇〇年前に救世主が居たと。それが彼なんだ」
「それで……彼の罪が確定したのですか」
「うん。そして彼は十字架に貼り付けの刑になったんだ」
「なぜ弁解しなかったのです」
「ぼくにも判らないよ。ぼくは普通の人間だから想像出来ない。ただ皮肉なことにイエスが貼り付けになり非業の死をとげることでキリスト教は広まる結果になったけどね」
「彼は教義のために犠牲になったのでしょうか」
「詳しくは判らないや。キリスト教にもいくつか宗派があって、それによって解釈が異なるみたいだから」
「そうですか」
「もし興味があるならここの神父さんに聞けばいろいろと教えてくれると思う。日本の図書館なら宗教関係の書物も充実しているし、ぼくも手伝うけど」
ティファは小さく頷くとうつむいてしまった。
そして右手の小指に付けた小さな指輪に触れている。
何だかとても辛そうだ。もしかしてここに入ったのは間違いなのだろうか。
「キリスト教はどうして古くから伝わる教えより民衆に受け入れられる結果となったのでしょう」
「ユダヤ教はそれなりに厳しい戒律があったからね。どんなことが起きても七日に一日の安息日は働いてはいけないとか、また食べる物にも制約を課していた。ただこれは当時の生活上の知恵だったと言う人も居るけど、人々にしてみると窮屈だったのかもしれないね」
「キリスト教はそういう製薬が少なかったと」
「人々が生きやすくするためにはそういう制約は無視しても構わないというのか……ただぼくはあまり詳しく知らないからそこらへんははっきりしないけど。それとのちにイエスの行動や教義を弟子がまとめた新約聖書には、イエスが起こした奇跡がいくつも書かれているんだ」
「奇跡?」
ティファのやや大きな声が無人の礼拝堂に響いた。
「例えば水をワインに変えたとか、目が見えない人を治したとか、海の上を歩いたとか」
「イエスは法術師だったのでしょうか」
「そうかもしれないし、のちにイエスが偉大だったことを示すエピソードとして作られたものかもしれないね。もっとも一番の奇跡は、彼は処刑後、三日後に復活したってことかな」
「復活! まさか自己蘇生術を使えたのですか!」
「これもお話だし、復活した彼がどこに行ったのかは明確になっていないから」
ティファは十字架を見上げた。
「もし彼が生き返ったとしたら、もう一度人々に教えを説いたのでしょうか」
「どうしてそう思うの」
「判りません。ただそう思うのです」
「そう言えば、ティファはどうして司祭になろうと思ったの?」
彼女は照れ笑いを浮かべる。
「人々を救いたかった、それだけです」
ティファは何かを思い出すかのように目を閉じた。
「わたくしに両親の記憶はありません。物心ついた頃から修道院で暮らしていました。なぜそこに至ったかは一度だけ修道院の院長に伺ったことがありますが、邪神との争いで全滅した村の生き残りだったそうです。
修道院で生活しているうちにわたくしに神聖法術の素質があると院長がおっしゃって、それから専門の修行を受ける事になったのです。修行は辛いこともありましたが、わたくしの法術で人々を救うことができるという実感がありましたので堪えることは容易でした。そのうち自らの立場が神聖法術司祭となっていたのです」
「それでいろいろな人の怪我や病気を治したんだ」
「……そうですね」
なぜか辛そうな返事をするティファ。
「ただわたくしは、自分の扱う法術に比べ法力の蓄石量が少ないのです。ですので最終的にあのようなことになって、命を落とすことになりました」
「そっか。やっぱり残念だよね」
「いえ。生と死は神のみぞお決めになることです。あの場面でわたくしの最期は神のお決めになったこと、それに異論をはさみません。それどころかこの世界に復活し、わたくしに再度生きるチャンスを頂いたのです」
「こっちに来て後悔はしてないの?」
「その判断はまだ速いのかもしれません」
ティファはじっとぼくの顔を見る。
視線を反らさないようにするのに必至だった。
「ケンタ様」
「ええと、はい」
「復活したわたくしがどこに向かうのか、せめてあなたはしっかりと見て下さいね」
それはとても切ないお願いに聞こえた。
そして二人で祭壇を見る。
《……お気をつけなされ》
ん? なんだか聞いたことが無い声が。
振り返って礼拝堂の入り口を見ると扉が半分開いている。
誰か入ってきたのかな。
「どうしましたケンタ様」
「いや、もしかしてここを予約している人が居るのかなって思ってさ」
「予約?」
「この世界の教会では結婚式とかお葬式とかの祭りごとを行うんだ。特に今は六月と言って結婚式に一番人気がある時期なんだよ」
「結婚式ですか。まわりには沢山のお花が咲いていますし、とても良い環境ですね」
「でもあんまりお花が見れなかったね。どうしてもティファの方が目立つからな」
「そ、そんなことはありませんよ」
照れてうつむくティファ。
ここで一回ぼくの中に戻ってしまうと、今度はカミラが出ないといけない。
せめて着替えの衣服を買うまでは彼女をきちんと護衛しなければならないと思って気合いを入れた。
13. 働き者の証明 に続く




