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■■ 4. 今帰る場所

「……夢か」

 俺が目覚めると天井が徐々に明るくなる。

 堅すぎず柔らかすぎず、俺の体重をきちんと受け止めるこの寝床は人をダメにする。いつまででも寝ていたくなる。

 俺は身体を起こすと窓の外を見た。

 どこかの山が見えている。見覚えのない風景だが、山だの川だの何て、どこでもあまり変わらないだろう。

 俺は机の上の川鎧一式と、床に脱ぎ捨てられた靴、それに壁に立てかけた斬馬刀を見た。

 俺が死んだときには斬馬刀は無かった。しかし白い部屋で女神に呼び出されたときには当たり前のように背負っていた。

 しかも欠けた刃も綺麗に修復している。

 もしかして俺はどこかで覚めていない夢の中に居るのだろうか。

 夢なら覚めるのか。

 俺はため息をつくと袋から普段着のズボンとシャツを取りだして着る。

 靴はいらない。どうやらこの世界、室内では靴を脱ぐものらしい。

 俺はゆっくりとした足取りで個室を出る。

 そこは無味乾燥とした白い部屋だ。女神やケンタの話では、ここはケンタの頭の中らしいが本当はどうか判らない。

 そんな難しいことは考えたことも無かった。

『カミラ、読み書きと計算はとても大切ですよ。きちんと覚えておいてそんはありません』

『知らねえよ、どうせ俺は討伐者になるんだ。討伐者にそんな学はいらねえ!』

 ガキの頃、俺は勉強を教えてくれる院長にそう言って反抗していた。当時は本当にそう思っていた。

 実は討伐者になろうとも、それらは実に大切だと気がついたのはずいぶんと後だ。

 討伐依頼を決めるにしても、討伐完了報告を作るにしても、読み書きが出来なければ代筆を頼むしか無い。余計に金がかかる。

 取り引きするときには計算が必須だ。こっちが算術に暗いと判ると商人は必ずごまかそうとする。

 せっかくこどもの頃にきちんと教えて貰える好機をのがして、俺はずいぶんと遠回りしてから読み書きと計算を覚えた。

「本当にバカだってことか」

 ふと向かいの部屋を見ると扉は閉じている。

 外に出た気配もない。

 俺は意識を集中した。

 すると目の前が一旦暗転し、ケンタの部屋の真ん中に立っていた。

 振り返るとケンタは自分の寝床で健やかに寝ている。だいぶ寝返りを打ったのか掛け布団もぐちゃぐちゃでとんでもない姿勢になっていた。

 ケンタの頭の中から出るのにも規則があるようだ。

 まず制限時間がある。どれほどか判らないがずっとは出られないらしい。

 それとティファが頭の中に住み着いたために加えられたものだと思うのだが、同時に二人で外に出ることができない。

 俺が出ているときはティファは出られず、ティファが出ているときは俺が出られない。

 それと連続して出ることができない。

 例えば俺が外に出て、ケンタの頭の中に戻ると次はティファが外に出た後でなければ出られない。

 まったく、あのウツケ司祭は面倒ばかり作りやがって。

 俺は息を吐いて部屋の中を見る。

 常夜灯という魔法光源は就寝時の最低限の明かりらしいが、慣れてくると部屋の隅々まで見えてくる。

 俺は部屋の片隅に陳列された書籍棚の前に立った。

 あっちの世界では本は高級品だ。

 紙は普通にあるしそこまで高価で無い。特別な契約に使用する魔法紙は簡単に取り引きできないが、普通の紙は討伐者詰め所の依頼板にも使用されている。

 だが本となると話は別だ。

 王都にも図書館と書店があるが庶民は立ち入ることができない。入り口には衛兵が立っているし、入場するには金がいる。

 特に魔導書と呼ばれるたぐいは特別な資格が無ければ王族でも見られなかった。

 俺に剣術と、のちに斬馬刀を送ることになった師匠に『剣術指南書』という本を見せてもらった事がある。

 これは近衛騎士団の教官が書き記したものだが、初心者にも判りやすく剣技について解説していると進められた。

 ただし本はその師匠の目の前でしか読むことを許されなかった。

 本を読むという習慣が無かった俺は、それを苦労しながら見ていたが読み方が判ってくるとなるほどと納得するところが多かった。

 写本するのならさせてやると師匠に言われたが、剣を一〇〇〇回素振りすることに躊躇無い俺でも、そんな細々としたことは続かないと思って断った。

 のちにあのときに映させてもらえば良かったと後悔した。

「この本は買うとどれくらいになるんだよ」

「王都に家が買えるのなら、その値段で本が買えるさ」

 その時はまさかと笑い飛ばした。

 だが、師匠の死後、この本を巡って幾人もの討伐者と騎士団と図書館が壮絶な奪い合いを起こしたことから、まんざらウソでも無かったのだろう。

 俺は本棚から『暴れん坊姫君(一)~わらわこそ地上最強の姫君じゃ~』と背中に書いてある本を取り出した。

 あの妙に賑やかな店でケンタが注文していた名前は覚えている。本棚には同じ名前のそれが並んでいるが、通し番号が異なっていた。

 それにしても妙につやつやした肌触りの紙だ。

 表紙には奇妙な服を着た黒髪の女が、くせのある曲刀を振り上げてほほ笑んでいる絵が描いてあった。しかも多才な色づけされている。

 ひっくり返して裏を見ると、この本の価格らしい『六四〇円(税別)』が見える。

 確かギュウドンのトクモリが七〇〇円だったはず。ケンタが言うには貨幣利率が判らないからはっきり言えないが、銀貨一枚もしないらしい。

 食い物の価格が銀貨一枚なら納得行くが、これだけの本が同じ価格とは信じられない。

 しかも色つきの本だ。貴族でも所有しているかどうか。取り引きには金貨が積まれるのは必須だ。

「この価格なら、たくさん買い込んで孤児院の連中にやったら少しは勉強するかな」

 そう独り言を言って、自分がそうでなかったことに苦笑した。

「……カミラ?」

 どこか寝ぼけた声に振り向くと、ケンタが身体を起こして目をこすっていた。

「すまない、起こしちまったか。それにしても寝癖が酷いぞ」

「ん、別にカミラが悪いわけじゃ無いよ。喉が渇いて目が覚めただけだから。カミラも何か飲む?」

「エール」

「だーかーらー。それってお酒でしょ。そういうのはこの家に置いてないから」

「誰も飲まないのか?」

「父さんも母さんもアルコール耐性無いの。でも口当たりが似たようなのがあるから、ちょっと待ってて」

 ケンタは部屋から出ると二本の瓶を持って帰ってきた。

 握ると簡単にへこむが力を抜くと元に戻る瓶、ケンタは二本のうち中身が透明なそれを俺に渡す。

 良く冷えている。ちなみにケンタの瓶は中身が黒かった。

 二人は部屋の真ん中に座り込んだ。

 栓の開け方はケンタに聞いている。力をこめてひねると何かが抜けるような音と共に甘い香りが漂ってきた。

 そのまま口につけて瓶を傾けると、匂い通りの甘い味と強い刺激に少し驚く。

 ただ後味はすっきりしている。わずかな酸味のせいだろうか。

「これは何って言う飲み物だ?」

「カミラのはソーダッシュってサイダー、ぼくのはコクコーラ。そっちなら変なクセが無いから初めてでも飲みやすいと思ったんだ」

「そっちも飲ませてくれよ」

「もう少し炭酸飲料になれたらね。コーラは初めて飲むと薬臭いんだよ」

 ケンタはまるで、強い酒を欲しがるこどもをたしなめる親のようだ。

「まーそれでもドクペに比べたらクセが無い方かな」

「こっちの世界では毒も飲むのか?」

「毒じゃなくてドクペ。ドクトルペッパーの略なんだけど、初めて飲む人にとっては毒も同じか」

 何を言っているのか良く判らん。それでもサイダーを飲んだ。

「明日も学校に行くんだよな」

 ケンタはコーラを飲みながら頷く。

「俺にしてみると全部解決してないと思えるんだが、お前は大丈夫なのか」

「うーん、大丈夫だと思うよ。おそらく先生には呼び出されると思うけど、今日までのあれこれを全部話すだけだから」

「一年前はそれで信じてもらえなかったんだろ?」

「今回は清瀬さんが居るからまた違ったことになるかもね」

「あまり悩まないんだな」

「『寝るまでに解決しなかった問題は、翌朝起きてからまた考えれば良い』って教わったからかな」

「それもお前のばあさんか?」

「ううん、これは父さん」

 そこでケンタは微笑した。

「父さんは小さいけど会社を経営しているんだ。そこではどんなに辛い状況でも従業員には苦しい顔を見せないんだって。トップに立つ者が暗かったら士気に関わるって言っていた」

「確かに……徒党を組む場合でも指揮官が落ち込んでいたら、俺達も全力は出せないしいざとなったら逃げちまいそうだ」

「だから悩むのも寝るまで、寝るときはとことん寝る。大切なのは心の健康だって良く言っているよ」

「おまえの家族はみんな偉いんだな」

「どうだろ。偉かったらもう少しお小遣いが欲しいんだけどね」

 俺にしてみると贅沢な生活だが、ケンタにはまだ何かが足りないのだろうか。

「足りないウチが華だ。それを無理矢理見つけようとするころになると逆に疲れるからな」

「……そうかもね」

 どこかケンタが眠そうだ。

 俺も眠ろう。悩みがあるなら明日に任せる。

「これ、借りていいか?」

 俺は手元の暴れん坊姫君を見せた。

「ラノベよりマンガの方が判りやすいと思うよ」

 ケンタは立ち上がり書籍だなからもう一冊の本を取った。

 表紙はほぼ同じ。こっちの方がきらびやかに思える。

 俺は二冊の本を持って部屋に帰る。

 今、帰るべきところに。



5. 氷結の風紀委員長 に続く

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