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■■ 3. 最後に見せたもの

 俺はあの時、院長みたいに笑っていたのだろうか。

 

  §

 

 急ぎの案件も無く、昼飯がてら屋台街を練り歩いていたときだ。

「カミラお姉ちゃん!」

「おう、リサじゃねえか。どうしたんだそんなに慌てて。転ぶぞ」

 俺に走り寄ってくるのは孤児院のこども、リサだ。おせじにも運動が得意で無いこいつは足をもたつかせ、息を切らしていた。

 やはりというかあとちょっとというところで転ぶ。それでも何とか起き上がって走ろうとする。

「だからいわんこっちゃねえ。大丈夫か、怪我してねえか」

 俺はリサに近づいてそっと抱き起こした。膝小僧をすりむいているがほっといても問題無い。

 リサは目に涙を浮かべていた。

「それよりお母さんが、お母さんが……」

 俺はリサを抱きかかえると脱兎のごとく走り出した。

 急ぎ門をくぐったのは『グランベルト孤児院』。俺が育ったところだ。

 そこ全体を包む暗い雰囲気を押しのけて、突き破るように院長室に入った。

「院長!」

「何ですカミラ。ここは病人が居るのですよ。もっと静かに」

 ここの院長、マリーン=グランベルトは寝床に横になったまま俺を見た。

 笑顔を貼り付けているが真っ青だ。唇も乾き目も落ち込んでいる。

 呼吸も荒く俺に話しかけた直後、激しく咳き込んだ。

「どうして……この前金を置いていっただろう。医者か薬を買わなかったのか!」

「もうわたしの身体では薬も効かないでしょう」

 俺は竜の胃袋から金貨を一〇枚取り出すと、そばで泣いているこどもに怒鳴った。

「おいバルト! この金で今すぐ医者を呼んでこい! いや、討伐者事務所か教会に行って治癒魔法が使える魔術師を呼んでこい!」

 バルトはその小さな手に金貨を受け取ると、急ぎ部屋から飛び出そうとしたのだが。

「もういいのです。いいのですよカミラ」

「良くねえ! このままでは……」

「良くお聞きなさい。わたしはいつもあなたに教えていましたよね。例えどんなに偉い人でも、どんなにお金持ちでも、どんなに貧しくても命は一つ。人である以上、死ぬことから逃れられないのです」

「判ってる、判ってるがあんたはまだ死んじゃいけねえ!」

 それでも院長は首を振った。

「きっと人生の価値はその瞬間に凝縮されているのですよ。どんな死に顔をしているか。わたしはあなたやここに居るこどもたちのおかげで笑顔で天に迎えられるでしょう。何と言う素晴らしいことか」

「院長……」

「そんなに悲しい顔を向けないでおくれ。ああ、懐かしいね。あれほど跳ねっ返りで言うことを聞かなかったカミラがここまで大人になるなんて。わたしはとても幸せです」

 そこで院長ははげしく咳き込んだ。

「母さん!」

「お母さん!」

 こどもたちが院長にすがる。バルトの手から金貨がこぼれ落ちた。

「……そう言えば、あなたは最後までわたしを母と呼んでくれませんでしたね。それが残念です」

 そんなのいくらでも呼んでやる。

「母さん、死ぬな!」

「ありがとうカミラ」

 院長は笑顔のまま目を閉じた。

 

  §

 

 院長が息を引き取ったのはその日の夕方だった。

 結局『ありがとう』が最後の言葉となった。

 院長の亡骸は葬式後に王都の外れにある墓地に埋葬された。

 その死に顔は優しい笑顔であり、直接土をかけるのが惜しまれるほどだ。

 だから俺は院長のために立派な棺桶を買い墓標を建てた。きっと院長は無駄遣いと怒るだろうが関係ない。

 庶民にしては立派な墓の前に、孤児院のこどもたち、あそこに居た者、そこで働いている者がそれぞれつんできた花を供える。

 俺は名も知らぬ黄色い花を添えた。俺が一〇才の時、あの孤児院を去るときに院長に送ったのと同じ花だ。

『まあ。カミラは何て可愛らしいお花を選んでくれたの』

 院長は喜んでくれたが、その頃からませていた俺は社交辞令と思っていた。

 この日まで。

「あなたに渡したいものがあるわ」

 こどもたちが帰り、誰も居なくなった墓の前で孤児院の職員、フローラに呼び止められた。

 こいつも孤児だ。一〇才になって一旦孤児院を出たが、その後教会で働き孤児院の職員となった。

 フローラは小さな紙包みとそれなりに大きな巾着袋を差し出す。

 巾着袋の中身は金貨と銀貨だ。その枚数から考えて俺が院長の病気にと置いていったものだろう。

「お母さんは結局、あなたが置いていったお金を一切使わなかった。もしものことがあったらこれはあなたに返して欲しいって」

「そんなに俺の金は迷惑だったのか」

「違うわ。先の無い自分より、カミラの未来に使うことがこのお金のためになるって」

「ならその金は孤児院で使ってくれ。いつ死んじまうか判らない俺が使うより、あそこのこどものために使った方が役に立つ。どうせ台所事情は良く無いんだろう」

 フローラは苦笑するが、もともと綺麗な顔立ちに似合わないクマを作っていることから簡単に判る。

「判ったわ。ありがたく頂くから。でもね」

 フローラは目を閉じる。

「簡単に死ぬだなんて言わないで。お葬式で涙を流すのは勘弁だわ」

 俺は頷いて墓石を見る。フローラもそれにならっていた。

 そしてもう一つの紙包み。

 俺がそれを開いてみると押し花だった。

 『カミラからの贈り物』の字の下に、あの黄色い花があった。

「おかあさんは病に苦しくなるとそれを見ていたわ。自分の大切なお守りだって」

「……効かなかったんなら意味はねえ」

 俺はその押し花が濡れないように紙包みに治めた。

 

  §

 

「最近いい気になっているようだな、龍討伐者[ドラゴンスレイヤー]」

 背後から投げかけられた声。振り向くのも面倒だ。

「相手を間違えるなメル。俺達はオーガ討伐に来てるんだ」

「あたしの目の前にはオーガそのものの女が居るんだけどな」

 無視するのも面倒になって振り向くと、俺と同じ女討伐者、メルリークの姿があった。

 着けているのは闇に溶けそうな漆黒の鎖帷子と部分金属鎧。背中には大型の剣を二本、交差させて背負っていた。

 十字大剣のメル。腕は悪くない。今回のオーガ討伐でも俺と同じく討伐組合から要請によって参加した口だ。

 ただこいつは没落貴族の出らしくそこそこ気位が高い。それは悪く無いが俺にめざとく当たるのは勘弁して欲しかった。

「ウワサは聞くよ、名字持ちになっていい気になっているってさ。それで王城にも良く顔出しているんだって?」

「別に欲しくてもらった名字じゃねえ。くれるって言うから貰っただけだ。王城も呼ばれるだけで面倒で仕方ない」

「ふん。龍退治くらいあたしが参加して居たら、全体の九割なんて死人は出さなかっただろうね」

「その九割に入らなくて良かったな」

「何だって!」

「ともかく今はオーガ退治に専念しろ。まだ数はそれなりに……」

 そこで背後の殺気がふくれあがった。

「……硬質斬!」

 俺は斬馬刀を背負ったままそう叫ぶ。

 俺の背中で鈍い金属音が響いた。メルの剣が切りつけた音だ。

 しかし硬質化した俺の剣は微動だにしない。メルが目をむいている隙におれは跳躍すると斬馬刀を抜いた。

「止めろと言っているだろう、ここに何をしにきた」

「決まっている、キサマと決着を付けるためだ」

 メルは大剣を二本とも抜いていた。その細腕に似合わない二刀流だ。

 左の剣は下段に、右の剣は上段に構えて俺を狙う。

 どうやら本気らしい。

「そうなると俺も手加減出来ねえぜ」

 その直後、メルが踏み込んだ。

 大剣を二本持っていると思えない速度で踏み込む、俺が見ているのは左の剱だけだ。

 上段の剣が振り下ろされる、それと同時に下段の剣が振り上げられた。

 斬馬刀をその場で旋回させ、まず下段の刃を弾く。そのまま上段の刃を切りつけた。

 甲高い金属音のあと、メルの右の剣が寸断された。

「く!」

 しかし彼女は諦めない、残った左の剣を両手持ちすると俺に突きかかる。

 素早い、斬馬刀でそれをしのいだが刃がこすれて火花が散った。

 刃が欠けたな。

 おれは気にせず、奴に接触すると刀の柄で部分鎧の隙間を打撃する。

「くはっ」

 メルの両目が見開かれ、その場に崩れ落ちる。

「心臓への打撃だ。しばらく安静にしていろ」

「キサマ……とどめをささないのか!」

「俺はお前と斬り合いをするためにここに来たんじゃない。オーガ討伐に来たんだ」

「袋持ちだからっていい気になるな! あたしを殺さなかったことを後悔させてやる!」

「もう後悔しているよ」

 俺は斬馬刀の刃を見た。オーガ程度なら問題無いが、片刃の六割が死んでいる。

 まったく修繕にいくらかかるやら。

 俺はわめき散らすメルを置いてその場を離れた。

 オーガ討伐が終了してみると、メルの姿は無かった。

 死体をみた者も居ない。ただ討伐成功者の一覧からは当然のように削除された。

 

  §

 

〈フローラに怒られるかな〉

 俺は道に大の字になってそんなことを考えた。

 暴走する馬車、その前で転んで動けないこども。

 気がついたら身体が動いていた。こどもの襟首を掴むと放り投げ、迫る馬車の前に立つ。

 この距離なら馬には悪いが両切斬で何とか……そこで斬馬刀が背中に無いことに気がつく。

 直近のオーガ討伐で刃が欠けていた。それを鍛冶屋に出していたのだ。

 どこまで持つか判らない。俺は腕を交差したがさすがに堪えられなかった。

 気がつくと俺はうつぶせに倒れている。不思議なことに痛みは無かった。

 腰骨に背骨……それに胸の骨が内臓に刺さっているらしい。血が大量に流れ出して止まらない。

 助からないな。

 今まで幾多の討伐者の死に際を見ていた俺には判る。どんなに金を積んだとしても、王都に居る医者や魔術師ではこれは直せない。

 目を開けているのに周りが良く見えない。

 そう言えば、あのこどもはどうしただろう。

「……お姉ちゃん!」

 鳴き声と俺の身体を揺らす小さな手。どうやら元気そうだな。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

 判った判った。良かったな。

 俺は安心して意識を閉じた。

 その時……俺は笑っていたと思う。



4. 今帰る場所 に続く

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