■■ 10. 目の前の奇跡
「ちい、あのベヒーモス、やっぱりバケモノだったのか!」
ぼくは長田を見る。これもこいつの指図かと思ったら奴は首を振っている。
「見ていろ、今度も俺の剣技で……」
「だめだカミラ、あれには良く燃える油をつんでいる。引火させたら大爆発するよ!」
「火属性持ちのベヒーモスか」
倉庫の扉で減速しても、それなりの速度でこっちに突っ込んでくる。運転手はハンドルにもたれかかって倒れていた。
「カミラ、向かって右側前輪の車輪だけ壊して!」
「判った!」
カミラは一足にタンクローリーに近づくと、ぼくが指定した前輪に斬馬刀を振り上げた。
「硬刃斬!」
剣とタイヤ、どっちが勝つかと思ったが、彼女の剣はタイヤをホイールごと両断する。
タンクローリーはバランスを崩してその場に止まりそうになるけど、勢いがあったのか満載なのかそのまま横滑りに壁に激突すると横転した。
タンクの上部に付いているバルブが弾け、そこから燃料が流れる、飛び散る。
ぼくもカミラも避けたが、それは気化して部屋の中を漂う。
「何だこれは、獣油か!」
「それよりもっと燃えやすいんだ。引火しないうちに外に……」
と言っているそばから小さな火花が漏れ出した燃料に飛んだ。
ゴウッ!
火柱が上がる、それは高い天井に届く。
気化していることもあり火の回りが早い。タンクに残って居る燃料に引火したら大爆発する。
それに火を浴びた男たちが悲鳴をあげてのたうち回る。
タンクローリーの運転手さんも気がついたのか、何とか這い出てきたけど火に囲まれている。
「ケンタ、逃げるぞ」
ぼくのそばに寄ってきたカミラがそう叫んで腕を伸ばす。
ぼくは周りを見て首を振る。
「カミラ、奥の壁を壊してみんなを逃がして」
「何でこいつらを助ける! お前に何をしようとしたのか忘れたのか!」
「カミラ!」
ぼくは叫んだ。
カミラは一瞬驚いたが、ふうと息を吐くと諦めたように肩をすくめる。
「判った、それにしてもケンタ、長生きできねえぞ!」
「判ってる!」
カミラはにかっと笑うと奥の壁に向かって飛んだ。
「流星斬!」
カミラの掛け声で斬馬刀が見事に倉庫の壁を粉砕した。
風がながれる。
「菅原と松本をお願い」
「どうして俺がこんなやつらを!」
そう言いながらカミラは左手だけで二人の身体を掴むと倉庫の外に飛んだ。
「長田、はやく逃げて」
「それで……それで俺を助けて恩を売るつもりか!」
またもや爆発。そうか、風の道ができたことで熱風がこっちにも流れているんだ。
「ぼくは君を許さないけど、その命まで取ろうと思わないよ!」
「バカにしやがって!」
そこで何故か胸の奥が痛む。意識が飛びそうになる。
《ああ、ここに居らしたのですね、救世主様》
何だ今の声。聞いたことがないぞ。
「ケンタ、さっさと逃げろ。火がベヒーモスに近づいている!」
カミラの声、振り向いたぼく。
火がタンクのバルブ目掛けて駆け上がる。
「くらえ!」
その時、ぼくの頭がガツンと殴られた。
鼻の奥に鉄の匂いがする、目の前がくらむ。
「バカが、バカは最後に泣くんだ!」
「長田ぁ!」
カミラの叫び声の直後、引火したタンクが紅蓮の炎を巻き上げて大爆発した。
《聖騎士鎧[パラディンアーマー]!》
また聞こえる声。せまる炎、ついにぼくを飲み込む。
だけど……ぼくはちっとも暑くない。
ぼくの周りを炎が避けている。まるで見えない壁がぼくを守っているように。
そして目の前に、真っ赤なローブを頭まで被った人物が立っていた。
右手には身長より高い杖を持っている。その先端に白い宝石がはめ込まれていた。
「我が主よ、いまここに巻き起こりし火炎地獄を治めたまえ!」
その女性の声が響く。さっき聞いた声と同じだ。
彼女は高々と杖を掲げた。
「耐火沈熱[レジストフレイム]!」
まるでエコーのかかったような声。それが倉庫の中に反響すると、荒れ狂っていた炎が白い渦巻きに巻き取られるように消えた。
そう、消えた。全ての炎も熱も消えた。
『こいつは魔法か? それもとびきりの教会魔法だ』
いつの間にかぼくの中に戻っていたカミラが驚いている。
それより、炎と熱が消えた倉庫の中に、火傷を負った男たちの声が響く。
長田は居ない。逃げたのか。
「お怪我は痛みますか救世主様」
「ぼくが救世主?」
「まさしくその通りです。聖母様のお導きによりわたくしここに至りました。お怪我があるようなので今すぐに治療いたします」
「怪我を治せるの?」
ローブの頭が頷く。
「ぼくはそんなに酷くないから、そこに居る火傷のみんなを直して」
ローブの女性は辺りを見た。
「可能ですがわたくしの残された法力を全て使用します。術後はわたくしを受け止めていただけますか?」
「判ったよ、受け止める」
ぼくの声を聞いて彼女は両手で杖を天にかかげた。
「偉大なる我が主よ、その慈悲深きお力によってここに集いし病める人々を癒したまえ!」
そして杖を床に突き立てた。
「治癒聖域[サンクチュアリ]!」
声と同時に杖の先から緑色の同心円が広がる。
それはぼくを包み火傷で動けない男たちも包んだ。
柔らかい緑色の光りが消えると、ぼくの傷も男たちの火傷も消えている。
「これで……ご満足……」
ローブの女性の身体が揺れる。
ぼくはその身体を受け止めた。
思いの他軽く、細い身体だった。
全身の力が抜けているのか首の座りが悪い。
頭を羽織っていた布が落ちると、そこに現れたのは直視できないほどの美人だった。
白い肌、流れるような金髪はわずかに赤みを帯びている。
細い眉毛に長いまつげ。その目がゆっくり開くと瞳の色は透き通る蒼色だった。
「ありがとうございます、救世主様」
小さな唇が動いてそれだけを告げるとまた目を閉じた。
救世主ってぼくのこと?
ぼくは彼女を抱きかかえたまま呆然としていた。
第二章 救世主[メシア]はつらいよ
1. 綺麗なお姉さんは好きですか に続く




