サッチャン・コロッケ
私の子はスーパー兄妹
一
夕食前のひと時の静かさが病棟に流れている。
私は落ち着かない気分で、横臥しながら何度も時計に目をやる。
巡回の看護師さんから
「川上さん、きっと今日はサッチャン来てくれるわよ、のんびり構えていた
方が良いわ」と窘められてしまった。
一昨日、幸子は高熱を出して学校休んだと、夫の敏三が来た時話して行った。
幼少の頃から度々発熱した幸子だ。扁桃腺肥大気味で、前ぶれ無く突然に高
熱を出す。三、四日で平熱に戻るのが常だが、食欲が戻るまでには数日かかる。
ここに来てくれるまで、あと数日かかるのだろう、心配と同時に寂しくてたま
らない。愛嬌があり、周りの者を和ませる。口数は、兄の方が多いだろう、存
在感は幸子が上だ。天然ぼけ?禅問答のような会話になる事もあり話している
のが楽しい子だ。
幸子、来て。顔を見ないと夜安心して眠れないのよ。
まだ中学三年生なのに、頼りがいのある子、私の方が子供みたいだ。
私の病気、初めに診てもらった個人医院で関節炎リュウマチと診断された、
処方薬の効果無く出始めのステロイド剤の多用で一層、重篤になってしまった。
外見はふっくら顔で赤味をおびていて、健康そうに見える。
発症して今年で五年目だ。
夫の敏三には「丈夫が取り柄の奴と結婚した筈なのに、怠け病だろ」嫌味を言
われ、虫の居所が悪い日は、シカトされる。
一向に良くならないので、県立総合病院へ転院した。(膠原病と解るのは数年後)。
検査結果、腎機能がとても弱っていて、即時入院となった。やっと、夫も病人だ
と認識したようだ。夫との諍いに止めに入るのは、いつも幸子で何かと庇ってくれる。
私の体調不良が始まったのは、幸子が小学校四年生の秋頃で、五年生になった時
には、終日寝ていた。手足の関節が痛くて、這ってトイレに行った。幸子が尿瓶を
使って介助してくれるが、申し訳なくて涙が溢れて止まらない。
華奢な体で一生懸命やってくれる。
汚いなどとは言わずに逆に「おしっこまだ?ウンチ今日出たの」と気使ってくれる。
夫は仕事人間だ、手伝ってはくれない。
家事も家計の遣り繰りも幸子が六年生になってから任せている。ごめんね幸子。
母親に甘えたい時もあるだろう、一家の中心を担わせてしまっている、まだ子供なのに。
泣き言を口にしないのは、幼児の頃からだ。
家の中はコザッパリ片付き、洗濯もこまめにやってくれる。料理数も増えた。
学業優秀、非の打ち所の無い娘である、親の欲目かしら。
家事や看病を言い訳にしたくないので、勉強に励む。
私が発病してからの方が成績が良い。
他の同級生の中で一番忙しく、睡眠時間は短いだろう。体格も体力も無い幸子は、その
せいか度々発熱して寝込むのだろう。
幸子、手抜きして良いのよ。
夕食の配膳車の音が聞こえる。もうこの時間では幸子は来ない。会いたいなあ。
夫が洗濯物を取りに来た、幸子の熱は下がった、明後日には来られるだろうと。
まだ会えないのかとガッカリ。隣のベッドから「うちの息子も嫁も滅多に顔も出さない、
川上さんとこはサッチャンが病気じゃねば毎ンチ来てくれっぺ、我儘言っちゃなんね」と
声をかけてくれる。そうなんだけど・・・。
「サッチャンが来ると病室が明るくなんもんなあ、居ねえと寂しなあ、あと二日の我慢だ
べえ」と別の方から声がした。
減塩食の夕食三分の一程で止めてしまう。主治医の竹田先生が様子を診にやって来て、
「川上さん、しっかり食べて体力付けないと駄目ですよ」。
他のベッドから「川上さんは先生の言うことじゃ聞かねさ、サッチャンじゃねばなあ。
サッチャン熱出して来らんねえべ、川上さん拗ねてんのさ」
「お、そういえば二、三日来てなくて静かだと思ったら知恵熱かあ。川上さんの保護者だ
もんな、それじゃ寂しいわ」。
「先生もサッチャンのこと、めんこいと思うべ?
高校卒業するの待って嫁っこにしたらいいべさ」
「いやだ」
「なんして?」
「サッチャンには何だか解らないけど、負かされっからなあ、尻に敷かれそうだ。
俺は亭主関白になりたいんです」
「バカこくでねえ、しっかり者が合ってる」。
幸子が来てる時には、ずっとこの部屋で油売っていて婦長さんに叱られているのに・・。
「とにかく、ご主人が来てくれるのだから」。
幸子は、しっかり者だろうか早呑み込みで失敗することもある、ソソッカシイ面もあるが
娘に寄りかかっていた、幸子はまだ中学三年生なのだ。私がしっかりしなければ・・・。
翌日、朝食が済んだ頃、ひょっこり幸子が「京子ちゃーん、おはよー」と入って来た。
びっくりと嬉しいが同時に湧き上がった。
「学校は?体調は?」
「今日は土曜日で半日でしょ、病み上がりだしこの間の中間テストの成績良かったからだと
思うんだ、お父さん学校休んで良いって」。
「体、フワフワしてるけど熱下がってるから来たの、お母さん泣いているんじゃないかと思って」。
「親をカラカウもんじゃないわよ」。
「夕べは、川上さん淋しがって泣いてたのよあまり眠ってないんじゃない?」。
「またご飯残したでしょ、プリン買って来たから一緒に食べましょ」。
このような嗜好品は家計費から出さずに自分の小遣いから出して買って来る。
幸子も一つ食べた、熱がある間食べられなかったのだろう、頬が扱けている。
「京子ちゃん、うちの男ども大分甘やかしたでしょ?寝込んでいる私にご飯作らせたんだよ、
卵雑炊と韮とモヤシのおひたし」。
「お父さんなんか、鮭の焼き魚までね。お母さん、どんだけ甘やかしたのよ?」
「んー、二人は幸子の料理が好きなことは、間違いないけど、今回は幸子にも食べて欲しくて、
早く体力戻して欲しかったんだと思うよ。幸子がヘロヘロで台所に居る時どうしてた?」
「台所のテーブルで勉強していたわ。私は熱で味覚音痴になってたから、お兄ちゃんに頼んだ」。
健一は、妹にやってもらうこと後ろめたかったのだろう、でも「妹の快復も願って幸子の食べら
れそうなものをリクエストしたのよ」。
スーパーでの買い物は兄健一に任せた。
が、余分なお金は渡さない、スナック菓子やコーラ等の無駄な物を買って来るのだと言う。
夫から預かるお金も千円札で十枚、無くなったら再び貰うようにしている。
一万円札で出すのは怖いという。預かったお金の保管場所は誰にも内緒にしている、家計簿も
私の物を続けて使っていて、月に一度夫にみせる。おやつの菓子類は自分の小遣いから出している。
健一は高校三年生の思春期だ、女部屋の病室に来たことは無い。幸子が様子を報告。
兄妹仲はとても良い。三歳差が丁度良かったのだろうか、幼い頃からいつも一緒に居た。
体の弱い妹をとても心配する、外に出られない日は健一の友達が迎えに来ると、家に上げて賑や
かだ、皆に相手して貰って幸子も嬉しそうだ。大好きな健一の言う事に従順だ。
子供二人が幼児だった頃の夢を見ていた。
ああ、そうだプリン食べて眠ってしまったようだ、幸子の声が遠くに聞こえる。付き添い婦さん
と話しながら入って来た。
「あら、起きたのね、丁度良かった、体拭こうね熱いタオル絞ってきたわ。その前にトイレ行く?」
トイレから戻って、間仕切りカーテンを閉めて立ったまま清拭してもらった。
その方が、幸子への負担が少ないだろう。アイロンの当てられたパジャマに手を通す時、涙ぐみ
そうになる、どうにか堪えた。
付き添いさんのいない患者さんは羨ましそうにするので、幸子はその方のタオル一枚だけ預かり
熱めの湯でオシボリを作って来て渡す。顔と手を拭いて喜んでいらっしゃる。
洗濯室で洗い個々にお返しする、サッパリしたと繰り返す。
付添婦さんが手伝ってくれることも有り、この六人部屋は仲が良い。
(現在では、各病棟にヘルパーさんが居て、オシボリ清拭介助、場合により食事介助してくれる。
病衣も外部業者のレンタル制を採っている病院が多くなった。)
竹田先生が入って来るなり「知恵熱下がったか?」と幸子に話かける。
「来年は高校生です、知恵熱じゃなくて扁桃腺炎です。扁桃腺取ってもらえませんか」
「耳鼻咽喉科に行け、たぶん断られるけど」
「えーどうしてですか」
「取るなら十歳まで、大人になってからの切除は危険らしいぞ」
「五歳の時は、もっと大きくなってからっていわれたんですよー」
「困ったな、専門医じゃないからはっきり、何歳とは言えないけど就学直前が多いと
聞いているぞ」
「それは残念、一生付き合って行きます。でどうして私が熱出して寝込んでたこと知って
いるんですか」
「ははは、地獄耳。サッチャンの事はすぐに解るのさ」
「センセ、観念して嫁っこの予約、予約」。
部屋に笑いが起きたが、訳が解らない幸子はキョトンとしている。
「先生って独身?幾つですか」
「三十六」
「四捨五入すると四十かあ」
「バカ、歳は四捨五入しなくて良いんだ」
「何で独身?」
「んー何でだろう、仲人してくれる人もいないしなあ」
「病院に美人の看護師さん沢山居るのに、声かける勇気ないの?」
「ナースは気が強いからなー」
後ろに立って聞いていた看護婦さんに小突かれ、看護師さん同伴で回診していたことを
思い出した様子、何人かクスクス笑う。
「参ったなー、サッチャンと話していると、何かしらボロが出る」。
病室の笑い声を背に次の部屋に移動して行った、ぶつぶつ呟きながら。
後で、先程の看護師さんが来て、「先生、川上さんの表情明るくなったって安心したと
おっしゃっていました。サッチャンて面白いお子さんですね、私の妹に欲しいわ、体が弱い
のが心配ですね」
幸子が昼食の片付けをしながら、「殆ど食べられたね、京子ちゃんエライ」。
隣のベッドから「川上さんの処、母娘逆転してるみたいね、いつ頃から?」
二人で見合わせて「いつの間にか」と幸子が答える。
「そろそら帰るね」と言う幸子を引き止める訳にはいかない、
「気を付けて、今夜は何を作るの」と問うたら、健一がハムカツが食べたいと言っていたから
「スーパーに寄って、他にもセール品があれば買って帰る」と言う。
幸子のハムカツは絶品だ、青紫蘇と薄いチーズが挟まっていて私も好きだ。千切りキャベツも
近頃では腕を上げ私より細く斬る。夫に砥石を買ってもらった、度々砥いでいるらしいが、
私は遣ったことが無い。
「明日来る時、一枚持って来てよ」と頼む。
「ハムにもチーズにも塩分が有るから一口分ね。」
健一も幸子も受験生だ、仲の良い二人は、
お互いの進路を相談し合っている。幼児期から二人でワンセット、微笑ましい光景だった。
男の子にしては口数の多かった健一、小学生くらいまでは、何かと話をしてくれたが、妹が一人
前に話が出来るようになると、もっぱら妹を相手に話すことが多くなり、親への話も妹を介する
ようになった。
家の経済状況を解っている幸子は健一に、大学進学したいのなら国立じゃないと厳しい、その為
には高校も学区内トップ校に行かなきゃ駄目だよと尻を叩かれ、中学三年になってから大慌てで
受験勉強に励み志望校に入学出来た。健一は幸子に感謝すると言っている。
幸子も大学進学を希望しているらしい、健一と一緒になって勉強している。健一の使い古しの参
考書で勉強するので、実学年より先の内容をやっている。だからだろう、幸子は学年でトップク
ラスにいる。好奇心向上心旺盛な幸子は、「どうして?」を健一に向けた。
教える為には自分が解っていなければならず、健一にとっては丁度良い復習となったようだ。
夫も私も「勉強しなさい」を言った覚え無い。
健一は、中学からバスケットボール部に入部していて、よく友達が家に集まった。
下校時の買い食いを禁じられているので、買った惣菜パンを我が家で食べる。
食の細い幸子の目には、その大食いが異様に映るらしく「同じ人間とは思えない」を連発した。
男の子達は得意になり、無理してでも食べて幸子に見せ付けた。
部活は高校でも続けるが、進学校の部活は二年迄で皆辞める。
受験勉強一色となるが、健一は幸子を相手にして息抜きとしているらしい。
受験費用も考えてと幸子に釘を刺され、国立と私立と一校ずつに決めたようだ。
「いずれにしても、空いた時間はバイトする」。
「お兄ちゃん医学部行ってよ、私は薬学部に行って、お母さんの病気治そうよ」
「あのなあ、医学部って金掛かるしバイトの時間取れない。第一それだけの偏差値じゃねえのよ」
「そうなんだ、じゃあ後悔しない学部に行って」
「幸子は良いよなあ、今の学力なら受験勉強しなくても高校の合格は百パーセントだろ」
「気は抜けないよ、何があるか解らないわ」。
翌日、約束通りハムカツ四分の一枚持って幸子と夫が来てくれた。
昼食でゆっくり味わって食べた。予想を裏切らない味、外側のパン粉はシナっていたが、美味しい。
幸子が言うには「ハムを水に漬けて塩抜きしたので不安だった」と。
病院の減塩食に慣らされているので塩抜きしたハムだとは気が付かなかった。
パジャマ、下着、タオル等一週間分持って来てくれた。学校帰りに寄るので、交換は面倒だから汚
れたものだけを家に持ち帰る。いつも余分に置いてある、失敗した時の為だろうが、幸子は「何で
も余裕が有った方が良い」。と気を使って言う。
私の為に新調してくれる物は綺麗な花柄ばかりだ、ちょっと照れ臭い。
「いつお母さんが退院して来ても良いように家の食事の味付けも、少しずつ薄味にし始めた」と
話してくれた。「お父さんお兄ちゃんには内緒ね」、一遍にやるとバレルから少しずつやっていく
らしい。酢の物を出す頻度増やしたとも言っている。フライにはレモン、大人の食べ方だよと暗示
にかけているとか。
「マヨネーズ手作りしようかな」悩んでいる。
幸子がトイレに行っている時に夫が「幸子って中学三年生だよな?しっかりし過ぎじゃないか?
幼稚なところも有るけど・・・」。
私のせいなんだわ、愛嬌があって可愛いのに目一杯背伸びしているんだろうな。
小学校五年生からこの異常が始まり、それが続けば日常となってしまう。ごめんね幸子。
昨日スーパーのセールで煮物の材料を買ってあり、「朝から作り始めている、二回に分けて煮込
んだ方が味が染みるから」と言う。
「今日の目玉は、キハダマグロの西京漬け、買って帰る」と言う、夫は肴になる、幸子は大人の味
で作ってくれるので助かる。「お酒はほどほどにね」と幸子に睨まれているのが可笑しい。
「何時の間にか、女房が二人になっている」とボヤク。隣のベッドから「サッチャンには負けっぺ、
心強いべさ」と。
幸子が、おどけて私を「京子ちゃん」と呼ぶので、夫も健一もそう呼ぶようになっている。
健一は照れ臭いのか「お母さん」「オフクロ」を言わない、ぶっきらぼうに唐突に話が始まるか、
幸子に言わせるかの状況だったのだが「京子ちゃーん、あのさ・・」で話すようになった。
夫も「おい・・」だったのが「京子ちゃん・・」で始まるようになった。
こそばゆいような嬉しいような気持ちだ。
私は、忘れられてはいない安心感があった。
主婦として家事が出来ない今、精神的な存在で居たい。
今日午前中、退院出来た。
まだ下校していないが、「サッチャーン、ただいまあ」を早く言いたい。
二
幸子が生まれたのは、暮れも押し詰まった寒い朝だった。
身重なのに無理をして大掃除した為か、一ヶ月の早産である。
中々産声を上げず、やきもき心配させられた。
真っ赤な顔で「フンギャー」大きな声を聞いた時には安心したものだ。
私は五日後に自宅に帰り、一ヶ月後に幸子が戻って来た。
大分ふっくらとして、赤ちゃんらしい身動き。
兄の健一が物珍しそうに覗き込んでいる。
日々可愛くなる妹を「サッチャン、可愛い」舌足らずの言葉が続く。
「抱かせて」「おんぶしたい」ねだられるが健一の体格ではまだ無理だ。
「健君がもう少し大きくなったらね」と言い聞かせる。幸子は度々発熱して寝込む。
健一はその都度、心配そうに付き添っている。
幸いにも健一の方は丈夫なので、安心だ。
哺乳瓶でミルクを含ませるのを見て「飲んだの?良かったあ」大人びた事を言う。
幸子が這うようになり、目が離せなくなると、私に代わって健一が見守ってくれる。
小さな玩具等、幸子が口に入れないように、先回りして面倒見てくれるので安心だ。
女の子だ、電車や自動車の玩具には興味を示さず綺麗な色の縫いぐるみがお気に入りだ。
兄と玩具の取り合いにはならない、おそらく、そういう状況になれば健一が譲るであろう。
幸子の第一歩は、健一が手を引いてだった。
三、四歩で尻餅を着いた。何度も繰り返し歩く練習をしているのが微笑ましい。
最初に覚えた言葉も「オニィタン」だ。自力で歩けるようになると、健一の後追いをした。
男の子に混じって遊びたいようだが、男の子の激しい動きに着いて行けず、家で一人遊びを
することが多くなった。縫いぐるみに話しかけたり、広告紙の裏に絵を描いて過ごす。
近所に同年の子がおらず少し年上の女の子に遊んでもらっている。
幸子四歳、保育園は近くに無かったので、
就学前の団体生活をさせられないでいた。
近所の年上の子と接することを代用とする。
夏に、状況は解らないが事故が起きた。子供達が騒いでいる、一人の子が私を呼びに来て
「サッチャンが川に落ちたあ」で、私はすかさず外に飛び出し川下に走った、裸足だがそん
なこと構って居られないのだ、幸子の命が掛かっている息切れするほど走る、幸子の顔が見
えるが追い付けない。予想以上に流れが速い。騒ぎを聞きつけ大人達が出て来た、お米屋の
若い男衆が自転車で川下へ急いで漕ぎ、川にザブザブ入り、幸子を引き上げてくれた。
グッタリして動かない、お腹と胸を押したら飲んだ水を吐き出した。
本人キョトンと目を開けた。周囲から病院に運ぶよう促され、我に返った私は病院へ急ぐ。
「川の水飲んでいるから下痢するかもしれない、意識はっきりしているから大丈夫だ」。
自宅に連れ帰ったが深夜、発熱、嘔吐を繰り返した。夜明けとともに再通院。
『疫痢』発症していた。数日で完治出来た。
兄の健一が落ち込んでいる。自分が付いていなかったから、サッチャンが川に落ちて病気に
なったと気にしているのだ。
「健君のせいじゃないのよ、健君は小学生になったので幸子は一人留守番でしょ?川に近付
かないように話したからね」。
ションボリしている。
二人でお使いに行くのが好きだ、特に八百屋さんに行くのを好む。試食用の果物を口に入
れてもらえるからだろう。オマケもしてもらい重い買い物籠を休みながら持ち帰える。
健一が一人で持った方が早いのだが、幸子も持ちたがるのでバランスが悪く、時間が掛かっ
てしまうのだ。メモを持たせなくても、幸子が四、五種くらいなら覚える。映像で覚えるら
しく、見た事のない物は苦手なようだ。
健一は内弁慶で、一人では行くのを嫌がる。
幸子と一緒なら喜んで行く、幸子はおっとり型物怖じしない、三歳違いの面白い兄妹だ。
「今日のおススメは何ですか」の台詞を覚えたらしい。意味は解っているのかしら。
答えが頼んだ物じゃないと幸子は悩むらしい、何を買いたいのか聞かれ、それもおススメだ
よと値引きして頂いて、健一が得意そうに帰って来る。どの店でも「サッチャンは良い嫁こ
になるべえ」と言われるが、喜んで良い?
お米屋さんに行って「この間は助けてくれて有難う御座いました」とお米の配達を頼んだ。
伝票を見て「二日前に配達している、まだ残っているべ、気ィ使うでねェ、サッチャンの気持
ちは解った。お母さんからお礼の団子ももらってっからー」
「また落ちたらお願いします」
「ありゃー、もう落ちたら駄目だー死んじゃうよう、川に近付くでねえよ」
「はい、気を付けます」。
お豆腐屋さんに行くのも好きだ、無料で「おから」が貰える、幸子は『卯の花』が好物だ。
子供らしくない物だ、夫は呑むべーになりそうだと笑っている、子供達と呑むのを楽しみに
している。幸子は女の子なのに・・・。
健一の味覚の方が子供っぽい。ケチャップライスとか甘口カレーライスを好み、幸子の一番
の好物はニラとモヤシのおひたしだ。一緒に茹でるので混ざり合って色が綺麗だと言う、おか
か和えにしてポン酢で食べるのを好む。
幸子は親類中で一番年少である為か、皆に可愛がられる。口数は少ないが、あまり泣かずニ
コニコしていて親の欲目か愛らしい。
度々、私の実家へ三泊くらいしに行く。
「ノブおばあちゃん」を相手に遊んで来る。
従姉妹の知加子は四歳年上だが一人っ子の為か幸子を妹のように接する。
知加子が絵本を読もうとすると、断るらしい。
家で何十篇も読んでいて飽きているからだ。
その代わり、ひらがなを教えてもらう、自分の名前は漢字で書けるようになった。
広告紙の裏を練習帳代わりにしている。
夫の兄の所は男の子三人だ、健一と同い年の和輝も居る。ある時兄妹で泊まりに来いと言う
ので、土曜日に行かせた。昼間は従兄弟同士楽しく遊んでいたのだが、夕食後に健一が帰りた
いと泣き出した、と電話が入った。
夫が迎えに行く、幸子は泊まりたいと言うので置いて来たと。夫は、兄妹逆だったらなあとし
きりにボヤク。跡取り息子は内弁慶で、嫁に出す娘は物事に動じない性格だ。どうにかならんか。
誰のせいでも無いわよ二人とも貴方の実子よ。
夫の会社の女事務員水本さんも幸子を可愛がってくれる、退勤時に実家に連れ帰り一泊を楽しん
で帰って来る。「弟二人なので、妹が欲しかったの」と言う。大きな農家で囲炉裏も有るらしく幸
子のお気に入りの光景だ。自在鍵に鉄の鍋がぶら下がっているのが不思議で面白かったと話す。
私は東京の生まれ育ちなので、ここの郷土料理が作れない。
翌朝出勤する水本さんに伴われて戻って来る。
水本さんのお母様手作りの煮物を重箱に沢山詰めて頂く。畑で収穫した野菜を抱えて顔が隠れている
のが可笑しい。お礼を言うと、「サッチャンが来るの、皆たのしみにしているんですよ。サッチャン
の質問一つ一つに大笑いして楽しいです」
「算数習って来た」と広告の裏を見せる。一桁の足し算が幾つか書かれているのに驚いた。
もう一つ幸子の遊びが有る。色水遊びだ。
露草、萎んだ朝顔の花を擂り潰して水に浸して何色もの色水の瓶を作る。
「赤水と青水を混ぜたら紫色になったよ」とか、「一晩経ったら灰色に濁っている、どうしてだろう」。
幸子の入学用品を買い揃えた。赤いランドセルが、やけに大きく見える。
身長が一メートル丁度しかないのだ、傘を広げると本人が全く見えなくなってしまう。
これで就学させても良いのだろうか、一年遅らせた方が良くはないのか夫と考え込んだ。
学校で就学前の身体測定と知能テストを受けた。
「体は一番小さいが大丈夫ですよ、でも知能が問題で・・・」。とおっしゃるではないか。
幸子を交えて話し合う、テストが求めることと「間逆をやってみたの」と答えた。
『測定不能』の判子を押された。思い付く事、発想がズレているらしい。ユニーク過ぎる子だ。
学校で虐められないだろうか、付いて行けるだろうか心配でたまらない。
健一は、「幸子のことは僕が守る」と一緒に通学するのを楽しみにしている。幸子本人は能天気に楽し
みにしていて学校のことアレコレ質問している。通常に就学させることにした。
私の言葉を聞いて育った幸子は方言が苦手で健一に教えてもらっているが、イントネーションの真似が
中々出来ずに自分の頭をコツコツ叩いていた、その仕種が可愛い。
チビとか言葉のことでカラカワレテモ本人は暢気にやり過ごして平然としている。
友達との諍いで泣くことは無いが、クラスで飼育している動物が亡くなった時は泣いた。
十一月、事件が起きた同級生のイジメか悪戯か行方不明となり、日が暮れても帰ってこなかった。
近隣の大人、警察官達で探し廻ったが見つからない。四年生の健一とは下校時間が違う、健一は目を赤く
して俯いている。夕ご飯食べなさいと言い聞かせたが、「サッチャンを待っている」と頑なである。
夜九時頃、悪さをした同級生が父親に伴われてやって来た「サッチャン、神社の床下に箱に入れて置いて
来た」と言う。
大人達が慌てて無人の神社に行った。境内の下、木のりんご箱に閉じ込められて居たが、
本人は無心に眠っている処を助け出された。
夫に背負われて帰って来た、「寒かったけど怖くは無かった」と言うだけで、犯人の名は教えてくれな
かった「五人居た」とだけ言い口を閉ざした。
風邪を引いたのだろう、発熱と咳が続いた。担任の先生が見舞いにやって来て、「気配りが足りなかっ
た」と詫びて行った。自己申告に来た子から聞き出し犯人は判明しているらしい。
その親を責めようとは思わなかった、幸子は色々な意味で目立つ子だ、悪戯がエスカレートしたのだろう。
自己申告に来てくれなかったらと思うと背が凍る。
一週間休んで、何事も無かったように通学再開したが健一の方が緊張していた。
四年生になってから隣のクラス担任先生の家に呼ばれ、ピアノを教わるようになった。
音楽が得意の先生なのだ、日曜毎に通う。夫が「女の子らしくて良いな」と喜んで、
ピアノは無理だがオルガンならばと買い与えた。
「お父さん、私に甘いよ」
「?何がだ」
「普通、子供の方から○○買ってえ」
「駄目だ」
「勉強頑張るから、買ってえ」
「ホントだな?」
「うん、約束守るから買ってね」
って事で、買って貰えるんだよ。
「弾くのは楽しいけど続けるつもりは無い」
「どうしてだ?」
「隣のクラス担任だけど、隣のクラスの子来てないんだあ」
「たまたまじゃないのか」
「ううん、いつも。今断る理由考えてるの」
「そうか、じゃ、家の都合にすれば良いさ」
頂いた教本バイエルを見ながら練習していた。
夫に、歌謡曲をリクエストされ、楽譜が無いと弾けないと返事、
ガッカリする夫が可笑しかった。
健一は中学生となり部活でバスケットボールを始めた。成長期でもあり驚くほど沢山食べる。
大好物のカレーライスの日は以前の三倍作らないと足りない、何度もおかわりするのを、幸子が見て
「胃袋幾つ有るの?」と。
幼かった頃は甘口だったのが今は中辛に近い。
幸子も今の辛さが好きだと言う。
これという理由も無く機嫌の悪い時が有るものだが、そういう時の奥の手も有る。
健一には「オムライス作ろうか」で、元気になるし、幸子には「プリン食べる?」。
たまに出すから有効なのだ、チヤホヤする訳ではない。いつもはそっと見守るだけだ。
この頃から私の体調が優れなくなった。
我慢出来ずに横になったりするが、気休めでしかない。倦怠感と関節痛がひどく辛い。
じっとしていても肘膝がズキズキ痛む。
これまで風邪くらいしか病気したことが無いのにどうしたのだろうか。
外で子供二人が言い合いをしている。
「女の子らしくスカートにしろよ」
「だって、スカートだと転んだ時パンツ見えちゃうから半ズボンなの」
「男の子みたいじゃないか、転ぶな」
「解ったから、服のこと色々言わないでよ」
健一が何かと幸子に干渉して煩がられている。
いつだったか帰宅した夫が「出かけていたのか?」
「いいえ、健君の指示よ」。
夫は怪訝そうにしていた。健一は私と幸子には小奇麗にしていて欲しいのだそうだ。口煩い小姑のようである。
宿題では幸子をモデルにして水彩画を描いたが、何度も着替えさせ、モデル止めると言われ健一が慌てて
妥協しアイスキャンディで買収したようだ。下書きが終わって幸子が一番喜んだ。
「ジッとしていないとお兄ちゃん怒るんだもん、もうモデルやらない。彩色は洋服出しておくからね」。
健一の絵は幸子の表情を上手く捉えていて、賞を貰った。額に入れられ、校長室に掛けられている。
洗濯物取り入れなくちゃ、夕ご飯どうしようかしら。煮物の残りが有る、近所の農家のおばあちゃんの
縫い物のお礼に野菜頂いていたわ、野菜炒めと玉子焼きでいいかしらね。
この休み中、幸子は家事手伝いをやってくれるようになった。
毎日の絵日記の題材にしている。台所仕事を好む。夫の日曜大工も手伝っていて、ウッド
デッキ造りは楽しそうだ。
市の花火大会までに仕上げようと夫を急かしている。
どうにか間に合い、涼しい夜風の中、蚊取り線香を焚き、外で瓜や枝豆を食べながら、大きな花火を楽し
んだ。
夫はウッドデッキを自慢し、ビールを呑んだ。
健一は毎日、市民プール通いで真っ黒だし幸子も発熱の間隔が空き安心だ。
これで、私の体調不良さえ治ってくれれば、絵に描いたような幸せな家族である。
三
幸子が夏風邪を引いて、長引いている。
友達が迎えに来ても出かけられないで、毎日家で過ごしている。寝込むほどではないが、咳が止まらない。
宿題を終わらせ予習を次々とやっている。
フッと気が付いたら健一の宿題をやっているではないか、どうしたのか問うたら
「算数がオモシロイの」と。そこへ、健一が戻って来たので二人並べて事情を尋ねた。
健一の言い分は、「幸子の出来る処は当然自分は出来る、幸子の解らない処とか間違っているところを直
すのは自分でやって、幸子が色々質問して来るので教えている」と。
中学二年の健一と五年生の幸子の理屈を通しても良いのだろうか。
突然、全身の痛みで動けなくなってしまい夫の車で病院へ辿り付いた。検査してもらったら腎臓も心臓
も弱っているので、このまま入院するようにと言われた。夫が帰宅した。
入院セットを作ってくれたのは幸子だという。
なるべく新しいパジャマ、下着、洗面用具が過不足なく揃えられている。数日後の日曜日三人で顔を見せてくれたが、女部
屋だ夫と健一は落ち着かない様子だ。
台所仕事と洗濯は幸子、掃除と風呂の事は健一で分担してやっているようだ。
「お母さん、家の事は私に任せて病気治す事だけ考えてよ」。
あと半月で二人とも夏休みだ、寂しい思いをさせてしまうが許してね。
ほとんど毎日、夫が汚れた衣類を取りに来てくれる。幸子が洗濯しアイロン当てた物と交換して行く。アイロンはいいのに、
「病人だからこそ小ざっぱりしていて欲しいから」と、健一の提言だと言う。幸子の負担が大きくなると心配だ。
「毎日違うオカズが出てくる、失敗も有るが合格だな」と夫が笑う。
夫と健一のお弁当も週二回くらい作っていると言うではないか。
桜デンブでハートを型取った、健一が友達から冷やかされたと文句を言う、次回のお弁当の蓋を開けてびっくり、白米に梅干
ひとつ。日の丸弁当だ。食べてみて解った、底にオカズが隠されていた。
「食べ物の事では、文句言いません」と幸子に詫びたようだ。笑える話だ。
「幸子に台所仕事、教えておいてくれて助かった」と嬉しそうに話す。貴方は家の事、何かやっているのか問うたら、
「子供二人で大丈夫」。掃除のやり方で、「健一が幸子に指示されて一生懸命やっている、いざとなればどうにかなる物だなあ」
と能天気に言う。
夏休みに入り、夫が自慢気に病室に幸子を伴って来た。「幸子の通信簿オール5だぞ、スゴイだろ。ただし体育は3だけどな。
体育は病気で見学もあるから仕方ない。健一も殆ど5であとは4。二人とも成績良い方だったけど、急に伸びたよ」。
貴方、違うのよ、幸子が算数に目覚めて健一の宿題までやっていてね、それに健一が刺激受けているのよ。努力して居るんですよ。
二人とも大学進学を目指しているわ、学費の準備してね。
「そうだったのか、健一は幸子の命令には従順だものなあ、良い兄妹だ」。
二日後、幸子は担任の池本先生の実家へ泊まりに行った。解熱剤、咳止め、痛み止め等お泊りセット持参だ。
池本先生は、父親の負担を軽くしてあげようと考えたのと、幸子を不憫に思ったのだ。
ご両親と妹の由利さんから可愛がって頂き、畑の夏野菜を絵日記に描いて来た。
「きゅうりの赤ちゃんてマッチ棒みたいなんだよ、トマトの赤ちゃんて緑色でねと」教えてくれた。
先生の家って庄屋農家で、柱も梁も太くて真っ黒ピカピカしていて漆塗りみたいだったと目を輝かせて話す。
漆喰のお蔵も見て来たと。
五日目になって、「そろそろ帰ります」と言ったら、先生のお母さんが「寂しくなったの」と尋ねた、
「違います、ご飯は私が作っていたので、お父さんとお兄ちゃんが困っていると思います」に
先生とお母さんがビックリした。
お父さんは「こんなちっけいのさエラェなあ」と涙ぐんだ。
その日の夕食は、幸子がポテトコロッケを作り、「ね?作れるでしょ」と言った。
千切りキャベツはお母さんに頼み、トマトを付け合せた。
「コロッケはお肉屋さんから届けてもらっていたけど、作り方解ったから次からは作る」と
お母さんが言い、妹の由利さんが頷いた。
「ジャガイモは売るほどあるもんね」に一家が大笑いした。
「好きなだけ持って帰りなさい」と笑う意味が解らない幸子だった。
高校二年の由利さんが「私も料理するからサッチャン作れる物教えて」「メモした方が良いと思う」。
煮物はお母さんに教わってね、でハムカツ、メンチカツ、ハンバーグ、肉巻きフライ、オムライス、ピラフ、コーン
スープ等の材料と手順を伝えた。ジャガイモの代わりにかぼちゃのコロッケも美味しいし、肉じゃがの残りを潰して
コロッケも出来るよ。
側で聞いていたお母さん、カツやフライに青紫蘇使う事に感心して聞いていた。
それ以降、高校二年の由利さんと小学五年の文通が始まった。学校の事や新しい料理のことなどが文面を賑わした。
夜、家に電話してくださった。二日後の日曜日に迎えに来てくれることになった。
「川上さんが、此処に来てる間、健一君は従兄弟の和輝君の所に泊まって居るって」。
「お兄ちゃん一人で泊まれるようになったんだあ」
「何だそれ?」
「小さい頃、和君の家に泊まりに行って、お兄ちゃん夜泣いてね、私一人で泊まったの」
「そんな小さい頃から外泊してたのか」
「はい、何でか知らないけどアチコチ泊った」
「例えば?」
「お父さんの会社の女事務員さんの家も先生の家みたいに大きな農家だし、お祖母ちゃんのとこには従姉妹の知加子
姉ちゃんがいるし、和君も従兄弟だし、子供の居ない親類とか」
「嫌じゃないのか?」
「うーん、養子って何?」
「え、他所の家の子になるんだ」
「お父さんの親類で、子供の居ない家のね」
「行くのか?」
「お父さんと親類で喧嘩してた、無いと思うし病気のお母さん置いて行けないよう」
「幸子さんて、体も歳も小さいけど大人だな主婦やってるなら帰るか」
「はい、また来ても良いですか?」
「ああ、いつでもいいぞ」鼻声だった。
帰宅の足で、夫と私の病室へやって来た。
「熱出さなかった?迷惑かけなかった?」
「迷惑かけたかもしれない、五右衛門風呂が怖かったので、妹の由利さんに一緒に入ってもらったの」。
間もなく私は退院出来ることになった。
兄妹で大掃除したらしい、綺麗に片付き、私用のベッドが搬入されていた。
幸子が提案したようだ、立ち上がれるようにと。
それに、二層式洗濯機の中古が脱衣室に置かれていた。
我が家に文化革命が起きている。
私や幸子が手洗いしていたのだが、夫は幸子が不在の間自分で家事をやってみて大変さが解ったようだ。
夕食の準備中らしいが、兄妹で揉めている。
健一は「サッチャンコロッケが食べたい」
幸子は「先生の所で作ったばかり、千切りキャベツ切れない」
「そのキャベツ僕が切る」
「そんなに巾広じゃ駄目だよ」
「どれ、お父さんが切ってやる」
「あははは、それ千切りって言わないよう」
「お腹に入れば同じだ」
「でもさあ」
「キャベツ切る位なら、私が切るわよ」
流しに立ち、千切りキャベツを切った。
近所の農家のお婆ちゃんから退院出来た祝いだと、沢山夏野菜を持って来てくれた。
真っ赤なトマト、少し曲がったキュウリ、アスパラガスを添え物にした。茹でて熱々のジャガイモの皮を
剥くのに幸子が苦戦している。台所の椅子に座って幸子の作業を眺めていた。夫が挽肉を買いに行っている
間に、豆腐ワカメの味噌汁を作っていた。私がやっていた手順と同じだ。
なんと、出汁を採った後の鰹節と昆布を細かく刻み、大根葉、桜えび、煎りゴマで常備菜ふりかけを作った。
鰹節は高価だから捨てるの勿体無いからだと言う。
挽肉を買いに行った夫は、思い直してトンカツ用の肉を四枚買って来た。退院祝いだ。
茹でて潰してしまったジャガイモはキュウリ玉葱は塩もみ、塩抜き、茹でた人参を加えてポテトサラダに変更、
明日朝のオカズにする。
私用に、塩無しマヨネーズは手作りだ。
揚げたてを食べて欲しいと、皆早風呂することになった。時間短縮に夫と健一が一緒に入った、私は一ヶ月も
入っていないのでお湯を汚すから最後でいいと言うのに、幸子が一緒に入ろう背中流してやるわ、話合ってる
時間が無駄よ、入ろう。幸子のお人形さんのようになって全身洗ってもらった。
二人洗髪して出て来ると、夫は大根葉フリカケを肴にしてビールを呑んでいた。
「ありゃー、余計な物作っちゃったかな」幸子に取り上げられている。ごめんごめん。
トンカツが揚がるまで、私はベッドに横臥。
真夏の揚げ物は辛い、トンカツを揚げ、汗だくになった幸子。冷たい水で顔をバシャ。
久し振りに四人揃っての夕食だ。皆の表情が明るい、退院出来て良かった。
しっかり出汁を取った味噌汁の味噌は少な目だが、病院の減塩食より美味しい。トンカツソースは禁じられ、
レモンを絞って食べた。
茄子の漬物も薄く切られた物が一切れだ。
夫と健一は、薄味になっている事に気付いていないようだ、出汁がしっかり取れているからだろう。
幸子ありがとね。
私が食べきれないトンカツは健一のお腹に納まった。ソースじゃなくレモンも良いなと。
服薬してベッドに向かった。
洗い物をしている幸子の傍に行って「邪魔だよ」と言われているのは、健一だろう。
私は完治した訳ではないが退院後、徐々に台所に立てる回数が増えていった。
いつも幸子が傍らに居た。私を心配しているのだ。
そういう時に幾つか料理を教えた。使う調味料の順番を教えようとしたら池本先生のお母さんから教わったよ
「さしすせそ」でしょ?どうしてその順なのか尋ねたら「昔からそうしている、理由はわかんね」で先生に問うた。
困った先生は調べてくださった。
調味料の分子の大きいのが先に細胞に入ってその隙間に小さい分子の調味料が入って行くらしい。
幸子流「なんで?どうして?」だ。
疑問を後回しにはしない、百科事典も登場する調べ方だ、勿論、私達親にも聞いて来るし学校の先生方や主治医の
竹田先生にまで質問攻めにするが、嫌われる事が無いのは性格か。
テストで間違えた所は、解るまで調べる解き方の解らない事は授業中に質問するのだが、他の子からも質問が飛び
出し授業中断して、その単元を噛み砕いて教え直すという。
家庭訪問で池本先生がおっしゃるには、「僕は教員三年生で初めて今年担任先生なんです。
川上さんが質問してくれるので、教え方のコツが掴めそうです。教える単元のスケジュールは決められて
いるのですが、少々遅れ気味でも確実に子供たちが覚えてくれる方が良いです。
その成果が出ているのです、同じ小テスト全クラスで行うので、クラス毎の平均点が出ます、その点数が
学年で一番良いのです」
「先輩教師から、ビギナーズラックとかマグレとか言われますが、僕はクラスの実力だと思っています。
引っ張ってくれてるのは川上さんですよ。個人的成績もトップですしね。
職員室で川上さんは、有名人ですよ」。
笑いながらおっしゃる。
夏外泊のお礼を言ったら、「妹と文通しているとか、僕のドジは書かないで欲しいなあ」
「母も妹も、料理に目覚めましたよ、どうしてハイカラな物が多いんですかね」
「私が東京の生まれ育ちで、郷土料理苦手で」
「ああ成るほど、お店じゃないと食べられない物が出て来て嬉しいです」
「お二人、体、気を付けて」にこやかに帰られた。
出席日数、足りていて無事中学生に進級、健一も志望校A校入学した。三歳違いなので受験年度は同じ
になる。
健一の大学受験と幸子の高校受験の時、私は手助けしてやれるだろうか?
幸子はまだ中学一年生なのに俄然勉強に励みだした。受験用には早過ぎではないか。
夕食の片付け、明朝食の下準備、遅く帰る夫の入浴後洗濯、部屋干しして明朝外に出すだけにしておく。
特に予習を念入りにやっているようだ。予習してから、授業受けると理解しやすいらしい。
発熱することは減ったが丈夫になった訳ではないのだ、心配でならない。
深夜トイレに起きたら、まだ幸子の部屋から灯りが洩れている、ほどほどで休むように声掛けした。
翌日の夜は夫が声を掛けた。健一も勉強して起きていたので、二人を茶の間でココアを飲ませながら、
夫から注意した。
兄妹同時に「親が子に勉強しないで寝ろなんて聞いたことなァい」。私は笑ってしまった。
こういう心配のさせられ方もあるのだ。
「時間を決めよう、幸子は十時、健一は十一時まで」
「家の事終わらせてからだと時間足りない、あと三十分欲しい」
またも、夫が折れた。
予習がいかに大事か話すのを聞いて、健一は「真似をしてみたら、授業に出るのが楽しくなった」と言う。
数日後、幸子が夕食作りしている隙に、健一が枕元に来て、幸子の猛勉強の訳を教えてくれた。
「クラスで虐められている子を助けに入ったら逆襲され喧嘩となった。決着方は、次の中間テストの順位でとなったらしい」と、
バスケ部の後輩から聞いて来たのだ。
「サッチャンの正義感の強さも良し悪しだよ、決着相手はクラス全員で虐められてた奴もだってさ、集団心理ってこわいね、
幸子ガンバレ、体持ってくれよー」心配顔。
テスト前で部活は休み、台所へ行って幸子に「今夜は何?」
「鯵のムニエル、韮モヤシのおひたし、油揚げ玉葱ワカメの味噌汁」
「お前、韮好きだなあ」
「うん、美味しいじゃない?」
「そうかな、野菜炒めの方が好きだな」
「お子ちゃまあ」やりあっている。
テストが終わるまで、私が台所立ってやれれば良いのだが、儘ならない。
テストの二日前、幸子が発熱し欠席した。
いつもは、常備薬で済ませるのだが、率先して通院受診した、三十九度二分、頭痛、喉痛など症状をオーバー目に訴えた。
注射と薬貰って帰宅。少し煮物を食べ服薬して横臥した。
テストまでに治したいのだろう。
「ウワア、ホントに寝ちゃったよう、もう三時だよ困ったァ」と起きて来た。疲れが溜まっていたのと処方薬に眠くなる
成分が含まれていたのだろう。三十八度五分まで熱は下がったがまだまだ平熱ではない。寝てれば良いのに、夕食作りをしていた、
「出前か健一にスーパーにお弁当買いに言ってもらおうよ」。
「作れる」。お肉屋さんにブタコマ、八百屋さんに大根、ジャガイモ、ゴボウ、人参、葱、お豆腐屋さんで白滝と厚揚げを買っ
て来た。厚揚げは明日朝用だ。
「とん汁」を大鍋で作る。中鍋でウドン乾麺を六時頃茹でるらしい。ほうれん草は湯がいてある。
味噌煮込みウドンだそうだ。家族全員の好物だ、とん汁さえ作ってしまえば、後は簡単だ、食器洗いも少なくて済む。
明日朝にとん汁は使い回せる。食べ盛りの健一は見れば幾らでも欲しがるので、小鍋に移して隠した。
洗濯物取り入れ、畳み其々の部屋に置く。
だるいのだろう、また横になったら眠ってしまった。
テスト当日、まだ微熱が有ったが登校して行った。テストは二日間、午前中で下校。少し休んでから明日
のテスト範囲の勉強をした。
「今日は調子良いから、私が作ろうか?」
「帰りに、鶏肉買ってきたから、チキンカレーとキャベツスープね、心配しないで寝てて良いよ、お風呂
の準備しようか?」。
私のカレーには、ラッキョウも福神漬けも付けて貰えないが、カレーそのものが美味しいので我儘は言え
ない。
食べる時に温めるだけに仕上げて、私と入浴した。「少し痩せたね?」「大丈夫」。
健一は匂いでカレーと解ったのだろう、機嫌良い。
「サッチャン、今日のテストどうだった?」
「ちゃんと、最初に名前書いたよ」
「え?」
「いくら良い点取っても、名前書き忘れたら得点にならないもん」
「やった事あるのか?」
「えへ、小学校の時ね、無記名私だけだったから池本先生、十五点減点で許してくれた」
「そそっかしい奴」
「だから、最初に記名したんだ」
「俺も気を付けよっと」
「お風呂入っちゃいなよ」
この所、夫は残業続きだ。先に三人での夕食を始めた。
「お、チキンカレーか、豚とひと味違うな、美味しいよ、お代りルー多目ね」三皿食べた。
「食べ過ぎると眠くなるよ」
「だから、三皿で止めだ、眠くなったら水で顔洗うよ」。
健一もテスト中なのだ、「明日は苦手な物理がある、頑張る為にも、もう半皿くれ」と理由にならないこ
とを言って強請っている。
幸子の作るカレーは本当に美味しい、食欲の無い時でも一皿完食出来る。
隠し味に何を入れているのか問うたら、ケチャップ少しと教えてくれたが、「始めに生姜とニンニクを炒
めてから具材をよく炒めて水を加えるのとアク取りが肝心かなあ」と言っている。
「お父さんの分が足りなくなるでしょ」と鍋を台所に下げてしまった。
一週間後、総合得点順に廊下に張り出される。幸子にとって初めてのことだ、小学校では成績良好だっ
たとは言え科目は増えている、三十番くらいだろう、健一も高校生になって初めてのテストだ、
こちらも心配。
「京子ちゃーん、これでイジメなくなるよ」
玄関で靴を脱ぐのもモドカシク嬉しそうな弾んだ声。
クラスで一番良かったのだろう、点数や順位よりもイジメが無くなる事の方を喜んでいる。
鞄から、返却された答案用紙の束を出して枕元へやって来た。なんと百点ばかり、減点されたのは四箇所
だけである。
直前に発熱して万全ではなかったのに・・。健一も帰って来た、こちらも賑やかだ、友達が一緒なのだ。
麦茶を幸子に出してもらい、「川上兄妹の頭は、どういう事?塾行ってないだろ?
親の遺伝つうことだべなあ」。
その子は塾に通っているらしい、十二点差で健一が一番だったらしい。
幸子の事が心配で、母校に寄って張り出された順位を見て来たのだと言う。四十八点差で幸子がダントツ
一番、健一が我が事のように喜んでいる。
塾に行かせるお金も時間の余裕も無い、そんな環境でも二人とも一番になれて良かった。
自慢の子供達だ。健一はのんびり屋さんだ、幸子に触発されたのだろう、幸子は兄の参考書を使って数学
と化学二年先の勉強が効いた。
帰宅した夫に、私から報告した。
相好を崩して「二人とも一番かー、今夜の酒は旨いなあ、ご褒美に寿司とるか?」
幸子に「テストの度にお祝いする?」
「そうか、毎回一番だな?」
「予定ではね、学年全員と勝負すれば良かったかも」
「何のことだ?」
「詳しい事は、京子ちゃんから聞いて」
「今度の一年生は、そんなにイジメ多い?」
「うん、陰湿。上級生のパシリ多いよ、現場捕まえてやる」
「サッチャンがボコボコにされる、止めな、自分のクラスだけにしとけ」。
「それより、お父さん、二人を褒めてやってくださいよ」。
二人ともずっと、トップを走る事になる。
努力型の二人だが、がり勉タイプでは無い。
健一はスポーツ見るのもやるのも好きだ、幸子はスポーツはまるで向かないが、手先が器用で鈎針編みが
特に好きだ。
着られなくなったセーター等解き、湯を通して伸ばして毛糸玉にしてあるのを見つけ、使っても良いかと
言ってきたので、編み物の本と共に渡した。
夢中になって編んでいると、健一が配色のアドバイスをする。どうやら私用のケープらしい、学校にまで
持って行き、休み時間にも編むと、もう少しで仕上がる時に始業チャイム。
授業中こっそり下を向いて編んでいる背後から
「何やっているんだ」
「見ればわかるでしょ」と顔を上げたら、先生だった。「なんだ先生かァ男子変声期でまぎらわしいな、
ビックリしたー、言ってよ」
「ゴメンな、川上が怖い顔して夢中だから」
「ほーら、出来たァ、素敵でしょ。お母さんへのプレゼントなの」
「良い配色だな」
「配色は兄が考えました」
「どうも川上と話すと調子狂うな授業中だ」
「ごめんなさい」
そのシーズン、教室のアチコチで編み物する者が多かった。
幸子の周りに集まる、記号を聞かれると教えた。
私は数回、入退院を繰り返している間に、子供達は、二人とも受験生となった。
幸子の高校受験には全く不安は抱かなかったが、健一の大学受験には翻弄させたれた、
学部がさっぱり解らなかったのだ。
問う度に学部が違うので悩まされた。幸子に「聞いてもらえるかな?」
「気の弱いお兄ちゃんだもの、変な事にはならないわよ、そっとしておいたら」と。
健一が不可解な子なのか、男の子特有な物なのかも解らなかった。本人に任せる事にする。
四
二人とも、学費の少ない国立大学へ行き、時間を作ってはアルバイトをして、生活費の足しにしていた。
あの小さな幸子が大学生か、子離れ出来ない私は寂しい。
幸子が上京して一番喜んだのは、健一だ、二部屋空いているアパートを探してきて兄妹同じアパート住まいになった。
勿論玄関は違うのだが、食事は一緒だ。都会で女の子の一人暮らしが心配だったので丁度良い。
健一の食生活の為にも良い。他人の目にはカップルと映るらしく、幸子は迷惑がっているが、利用もする。
男子学生に告白されると「付き合っている人が居るの、ごめんなさい」と。
念のため、女の友人にも「遠い親類だ」と話して有る。健一の方も、「妹と言う名の彼女」と。
曖昧な紹介をしている。
幸子、高校三年時、進学するかどうかで悩んでいた。
病身の私を置いて上京するのが申し訳ないと思っているのだ。
幸子は自分で後悔のない人生を歩いて欲しい。
まず夫を私が説得してから三人で話し合った。
夫は、高校の先生にも健一より成績の良い幸子が、大学進学しないのは
勿体無いと言われていた。自宅から通える大学は無かった。
幸子は悩んだ末、受験し合格した。
それでも上京当日まで迷っていたが、夫に入学金無駄にするのかと背を押された。
二年前から私は人工透析するようになっていて、時々幸子が付いてくる。
上京前にも付いてきて主治医の竹田先生に進学の報告をし
「母をくれぐれも宜しくお願いします」と深々と頭を下げた。
検査方法の進歩で病名が判明した「膠原病」。
夫と幸子は先生から、
「まだ治療法の確立していない病気ですが、ある程度症状を抑えることは、出来ると思います」と説明を
受けていた。
発症当初、個人病院でステロイド剤の乱用が元で腎臓、心臓を傷めてしまった。
「サッチャンも大学生かァ長い付き合いになったな、体に気を付けてな」。
工学部受験したのには驚かされたが、幸子らしいと考え直した、理数系が得意の子だ。
夫の車で、駅まで見送りに行った。
内心では行かないでと思いながら手を振って帰って来た、帰途、会話は無い。
夫も寂しいのだろう、二人の子供達は巣立ったのだ。
「お兄ちゃん、受験の時、はっきり学部教えてくれなかったじゃない?聞く度に違うし、
ホントは決めてたのよね、芸大とはねェ」。
「そう言う幸子だって、薬学部とか言ってたのに、工学部とはねェ、男ばっかりだろ?」
数ヶ月後深夜、健一が幸子のへやのドアを激しく叩いた。
「親父から電話だ、お母さん危篤だこれから帰るぞ」
「え?電車ないでしょ?」
「友達から車借りられる、着替えろ」
「わかった」不安で会話は少ない。
「やはり私は地元に居た方が良かったかな」
「バカ、自分の人生、お母さんのせいでやりたい事を犠牲にしたと知ったら、お母さんが心痛めるんだ」
「お兄ちゃん免許取っておいてくれて良かった」と感謝した。
「安全運転おねがいね」。
空が白み始めた頃、病院に着いた。駐車させるのが待てずに飛び降り、駆け出した。
病棟の廊下を小走りに病室に駆け込んだ。
「意識は戻らないが他は安定して来ている」と、父が言う。遅れて健一が入って来た。
「お父さん、少し休んで、私達が見ている、お兄ちゃんが借りた車はゆったりしていて、リクライニング
シートは快適だ、毛布も置いてある、休んで」。
夜が明けてから「お母さん、京子ちゃーん、お兄ちゃんと一緒に帰って来たよー」
耳元で繰り返し声掛けした。
目が覚めた、幸子の声がはっきり聞こえる、心配そうな顔が見えた。
健一と幸子が両側から手を握ってくれ、嬉しかった。
竹田先生「もう安心だ」に感謝した。二時間程仮眠した夫、「ああ生還したな良かった」。
二人とも、三日ほど居て帰京して行った。
「運転気を付けてね、休みながら行くのよ」。
十日ほどで退院出来た。帰宅は嬉しいが、昼間は一人きりで寂しい。休み休み、夕食を作り、風呂の準備
をするだけで一日が終わってしまう。
甥の和輝がたまに安否確認に来て、話して行く。
姪の知加子は地元で就職していて、度々顔を出してくれる。
「叔母さん独りで寂しいでしょう」と言って、三毛の子猫を連れて来てくれた、猫トイレ、砂や食器等一
式も揃えて来ている。
私の掌に乗る小さな子。目が開いたばかりだという。
ミュゥミュゥと鳴き指に吸い付く。ミルクをスポイトで飲ませる。お腹がパンパンになるまで飲んだ。
名前を考えよう、三毛の背の柄がミッキーマウスに似ているので、ミキと呼ぶことにした。
夫にも懐いて、晩酌の時は、膝の上が定位置となった。利口でトイレもすぐに覚えた、テーブルに乗らな
いよう躾けた。
何故か布団の中に入れても出て来てしまう、枕元の顔の前で丸まる。
寝返り打つとグルッと廻って顔の前の方に来る。
後頭部や背中側を嫌うのがオモシロイ。悪戯は度々だ夫がズボンを脱ぐとワイシャツの裾のヒラヒラに飛
び付いて離れない、ネクタイにも飛び付き、爪を立てるので何本も捨てることとなったが、
夫は怒らない。
三番目の子供のようだ、ミキが来てから夫との会話の主題となり寂しさを誤魔化す事が出来て笑える会話
が増えた。
幸子に電話でミキのことを報告したら、妹が出来たのねと笑っている。会うのが楽しみだと言う、
大の猫好きなのだ。
健一はアルバイトで不在だと言う、二人とも無理しないで。
幸子大学二年生、健一は大学院に進んだが休学して、フランスに留学してしまった。
アパート代勿体無いからと、大事な物だけを幸子に預け、家具等は処分して旅立ったらしい。
幸子も聞いて居なかったようで驚いている。
夏休みに入って幸子は、十日程アルバイトをして、課題や用具を宅配便で送って来て、翌日本人が帰省した。
「私が居る時くらい、京子ちゃんは何もしないでのんびりしてよ」に甘えた。
暑さの為か、食欲の無い私に冷やし茶碗蒸しを出してくれた。
口当たりが良く一つ半も食べられて、夫も幸子も安堵の顔をしている。
具材が綺麗に盛られた冷やし中華も嬉しかった、冷やし焼き茄子等色々考えて作る。
「今度のお正月は成人式だから振袖作りましょう」と話すが、「自分では着られないから勿体無い、大学行かせて貰えたの
だから要らない」と言い張る。
早産で生まれ病弱で、小学校入学時は身長一メートル丁度しかなかったのが、立派に成人するのだ、本人が何と言おうと作ると決めた。
柄などは夫と選びましょう。
知加子が遊びに来て一泊した、若い娘二人で何やら笑い転げて楽しそうだ。ミキも混ざって飛び跳ねている。
知加子も二十四歳だ、そろそろ縁談を世話してやらなければならない立場だ。
夫の会社に丁度良い年頃の青年が居る、性格も良い子だ一度会わせてみよう。母子家庭の娘だ、なるべく早く結婚させて妹好子を
安心させたい。
幸子は小学校の同級生と、池本先生の実家に挨拶に行った。ご両親もご健在で、幸子の事を覚えていてくださり歓迎して頂いたと。
妹の由利さんとの文通は年に三回位に減っていたが大学進学した事はご存知だった。
久し振りに畑のトウモロコシを頂き、あの夏を懐かしく噛み締めた。
「池本先生ってあの頃二十五歳だったんだね、今も若くて驚いちゃった。三十四歳だって、男の子二人のパパになっていて不思議
な感覚になった」と笑う。
先生は幸子の事を気にかけていてくださり、中学、高校へ問い合わせて体のこと私の病気の事を心配していてくださった。
そして成績のこともご存知で、国立大学の工学部に進学したことを知り、同僚に自慢していると。
あっという間に夏休みは終り、幸子は帰京して行った。
「薬はきちんと飲むこと、塩分は控えること等」、口煩く言って電車に乗った。
五
二年後、フランス留学から帰国した健一が幸子と一緒に帰省して来た。一人では照れ臭いのだろう、幸子の就職が決まった
からと理由にして帰って来た。
何とファッションデザイナーになって居た。
そういえば、子供の頃に兆候が有った、私や幸子の服に煩かった気がする。
留学に必要な資金はどうしたのか問うたら、国内学生を対象にしたデザインコンペで、健一のセンスを認め、先行投資だと
おっしゃってポケットマネーで、支援してくださったのだという。
厳しい世界だ、気の優しい健一が生き抜いて行けるのだろうか。自分で選んだ道だ挫けないで頑張る事を祈るしかない。
幸子の方も心配だ、ゼネコンの設計部に就職するらしいが、女の子は初めて採用するらしい、封建的業界だ大丈夫だろうか。
頑張り屋の幸子だ無理せねば良いが。
久し振りに家族四人水入らずに、とミキを加え楽しい夕食となった。健一のたっての希望でサッチャンコロッケとオムライス、
スープ、サラダを幸子が作った。
兄妹共に、お酒が呑めるようになっている。夫と三人で酒盛りだ、おつまみの柿の種を欲しがるミキ。小さい頃お煎餅を噛み
砕いて食べさせたので、大きくなって好物となった。
三人を順に廻って一粒ずつ貰っている。ミキも塩分摂り過ぎ。ビールも呑むかと健一の出したジョッキの泡が鼻の頭に付き
クシャミをして笑われた。
翌日は知加子、和輝も来て連日の酒盛りだ、
里芋とイカの煮物、きゅうりワカメの酢の物、トリ唐揚、ハムカツ、フライドポテトに青菜の辛子和え
等々と五目ちらし寿司。
幸子と知加子で作った。知加子の縁談も纏まり、役目を果たしたかな。いずれ親類になるのだからと、その青年を呼んだ。
照れながら知加子に寄り添っているのを幸子が見て、「彼氏欲しいなあ」。健一に「まだ早い」と。
私は、食事入浴を済ませ一人ベッドに入った。酒席では構って貰えず、ミキが枕元で丸くなった。
何時の間にか眠った、再び賑やかな声で目覚めた。どうやら三人帰るらしい。
健一は大学院を辞め、知名度の高いデザイナーの弟子となった。本人はいずれ近いうちに独立の希望を持っている。
デザイン、パタンナー渡し、仮縫い、修正、縫製工場、試作品、クライアントへ納品等の一連の流れと各ポイントを学ぶ為の
弟子入りらしい。
帰京する二人を見送りに行きたくない、泣きそうだから。ああ帰りに透析に行くんだったわ。
私の暗い表情を見て「京子ちゃん笑ってー」の声に「サッチャーン、行かないでェ」と叫んでしまった、その場にくず折れた。
幸子が駆け寄って来た、「卒論もう少しで仕上がるから、また来るわよ、泣かないで」と肩を抱いてくれた。
解っているのに、娘を困らせてしまう自分が情けない。
家賃が勿体無いからと、兄妹で2DKのマンションで同居している。家賃、光熱費、食費、雑費全て折半にしている。
分野は違うが共通事項もあり、話題には困らない、兄妹だ、無言でも気にならないらしい。
兄妹で暮らして居ては双方、婚期を逃すのではないかと心配になってくる。
食事と洗濯は幸子、掃除とゴミ出しは健一。
それなりに喧嘩もするようだが、気を使わない、実家に暮らしていた頃と変わらない。
一級建築士の資格取得したが、仕事は相変わらず雑用が多い。中々仕事を任せて貰えず。
同期の男性社員は着実に力を着けていくのが羨ましい。
独立している先輩と呑んだ時、相談したら、「思い切って独立しろ、フリーランスから始めれば良いと、組織では女性の
登用は無理かもしれない」という意見だった。
浮かない顔の幸子を見て健一も相談に乗る。
本当に設計の仕事がしたいならフリーになる事を進めた。幸子は腹を括った。四年で退社した。
先輩達が下請けの仕事を出してもくれたし紹介もしてくれた。自宅でそれも自室で作業する、ドラフターデスクも入れたので、
横歩きだ、ベッドの上に資料を広げると、寝る場所は部屋の隅になってしまう。
幸子の部屋には床が見えないと健一が笑う。「時間が有る時に睡眠取れよ、メシは後回しで良いから」と気を回す。
「締め切りの有る仕事だから、徹夜は付き物なのよ」と言いつつ依頼される仕事は断らない、地道に丁寧な仕事をするので、
固定客や元請仕事も入り始めた。勤めていた頃に比べ表情が生き生きしている。
半年経った頃、健一が酔って帰って来て外で「サッチャーン、開けてー」近所迷惑になるので飛んで行った。
「辞表出して来たァ」を繰り返す。服を脱がせ、下着姿で寝かせた。
事情は明日聞こう。
「独立する、仕事の目途もある心配無い」
「全然心配してないよ、万が一収入無くなっても、お兄ちゃん独り位養えるわよ」
「バカー、そんな甘い気持ちで辞表だすか、じゃなくて、相談なんだけど、一緒に会社立ち上げないか?」
「え?」
「会社の定款に建築設計、インテリアデザイン、カラーコーディネート、ファッションデザイン等入れてさ、どう?
いつまでもフリーって訳にいかないだろう?」
「乗る」
「有限会社、office KYOUKOでどう?」
「お母さんの名前だ」
「そう」
「お兄ちゃんが社長やってよね」
「俺、向いてないと思うよ」
「私も向いてないわ・・・」
航空会社の重役が健一のスポンサーだ、一緒に食事することになり、発起人に名を連ねて頂くことをお願いした。
鶴の一声「社長は健一君が背負いなさい」で決定。
「お金も口も出すぞ、国内航空会社の仕事は請けないこと、国外は請けろ、以上」。
既にその会社の地上勤務員のユニフォームのデザインは受注している。
「幸子さんは建築士ですか、仕事受注はどうですか」
「省庁と民間、半々です。正確、丁寧、早いをモットーとしています」
「女にしとくの勿体無いなあ」
「それ、褒め言葉と受け取りました」
「ワハハァ、良い兄妹だ応援し甲斐が有る」
順調に始まった。幸子が大手の会社の保養所を請けた、名刺にファッション部門も有ることで、女性社
員の制服のデザイン依頼が健一に入って来た。
その逆も有る、ファッションが先で、オーナー自宅新築が幸子の方に
入って来ることも。
社員は五名ずつ、だが自称遊軍と言って両部署をこなす者が二名居る。
口伝で仕事が増え過ぎ、質が落ちるからと鄭重にお断りする事も出て来た。
空くまで待ちますと仰って下さる方も。
夏休み、土日含めて七日間と決めた。世間一般より二日早く全員休みにした。
全員休暇の為に忙しい十日間を過ごした。
休暇一日目、手分けして買い物に走った。
両親の衣類は健一、食材は幸子。クーラーボックスを積むので、スモークサーモン、ローストビーフ、母のリクエストで
佃煮も少し。シャンパンも一本入れた。
幸子も運転免許を取っていて、建築現場へ運転して行く事も有る、健一もデザイン画、試作品の運搬に使う。
会社名義で一台、健一と幸子名義で各一台を所有している。健一の車の中が一番綺麗で一回り大きいのでこれを交代運転
して帰省することにした。
世間一般より二日早い夏休みにしたので、道路は空いていた、夕方五時過ぎに到着。
私は、幸子に抱きついたまま離れられない。
待ちに待った日が来たのだ、健一は笑って見ている。夫は、そのまま風呂に入れと言う。
脱衣室に出たら、真新しいパジャマが二人分置いてある、幸子はサッサとブルーチェックを着て、私の体を拭いたり、
椅子に座らされ下着とパジャマのズボンに足を通してから、上着に手を通して立たせてから全部整えてくれた。
自分でやるより半分の時間で済んだ。綺麗なパープルの花柄、健一が買ってくれたと言う。華やぎ過ぎているが嬉しい。
夕食で、兄妹並んで挨拶した、二人で会社設立したこと、何かと忙しくて報告に来るのが送れてゴメンナサイと
神妙に話した。
夫は、「仕事入ってくるのか?」
「両部門、目一杯入っているがスタッフは増やさない」
「初年度から好調で良かったな、親類には二人で会社始めた事、話したのだが専門部署を逆だと思い込んでいる。
何度言ってみても石頭で嫌になる。名刺の肩書き見たらわかるだろうから、時間が有れば二人揃って挨拶回りしてくれ」
「はい、お母さんに」
会社の名前、officeKYOUKOとなっている。
私は、嬉しくて泣きじゃくった。
気が高ぶっているのか、あまり食べられなかった。
「明日から一泊で温泉だから、京子ちゃんは早目に寝るように、透析が有るから一泊な」
「えェ、聞いてないよ」
「話したよ」
「そうだったかな、忙し過ぎて聞き逃した」
「それと、経理の人、入れるのは覚えてる」
「それは聞いた、本業と雑務じゃ大変だ物ね」
「幸子に、社長やらせなくて良かったよ、一物件で必ず二、三日徹夜してるだろ?」
「そうね、構造、設備との連携作業だから、私の意匠が遅れると迷惑掛かるでしょ?こんなに仕事入って来るなんてラッキーね」
「俺の方もこんなに仕事入るなんてなあ」
夫は、目尻を下げて聞いている。
今日、透析に行っておいて良かった。お土産の佃煮は、夫が管理すると言ってどこかに隠してしまった。残念。
「シャンペン、少し頂戴」
「はいはい」スプーンに三滴。
「美味しい、もっと頂戴」
三人揃って「ダメー」
ミキを連れてベッドに入った。
翌朝ゆっくり目に健一の車で出発、徐々に森林地帯に入っていく、私を気使ってドライブインに寄る、皆でかき氷を
食べた「つめたあい」いちごミルクが懐かしかった。土産物売り場をウロウロしていたら、帰りに買ってあげるトイレに
行こうと促される、まるで子供扱いだわ。
暫らくして温泉旅館に着いた。シングルルームは無かったので、男同士、女同士の部屋となった。夕食には早すぎる、
三人は露天風呂に入り、私は少し疲れたのでベッドに横臥したら眠ってしまった。
三人で散策に出た、「お母さんの病状とても悪い、二人とも覚悟しておくように。この旅が最初で最後だ、ありがとうな。」
幸子の目は潤んでいたが泣かなかった。
「ワァお刺身だー、朴葉焼きも付いてる」
「はいはい、今用意するからね」と幸子は、バッグから減塩醤油を出して来た、気の廻る幸子が恨めしい。
「減塩食には慣れているけど、たまには普通食がいいな」
「京子ちゃん、それ違うよ、俺が口煩い幸子と同居しているのは節約もあるんだけど、食事がね薄味に慣れてしまって外食や
出前だと食後に喉が渇いて辛いのさ、会社でも徹夜の時等、サッチャンカレー作って貰ってる。それに慣らされた社員達も出
前を嫌がるようになったんだよ。俺たちも減塩醤油で刺身食べるから、駄々こねないでね」
「えっそうだったの?じゃ煮物とかは濃く感じるかもね?少しだけにしておくわね。幸子、会社でまでご飯つくってるの?」
「二人とも忙しくて、家では滅多に食べない、朝食をたまに作る程度。会社は男ばかりだけど、野菜の皮むき手伝ってくれ人
居るわ、福利厚生費で落とすんだろうけど、出前より安あがり。皆独身だから野菜不足防止よ」
「幸子が忙しい時は、炊き込みご飯、でも知ってるんだ、幸子眠くなると、何か作り始める。だろ?十二人分だから、合宿所に
有るような大きな炊飯器と大鍋と中華鍋は買ったよ、カレー、とん汁、けんちん汁、炊き込みピラフ、肉野菜炒めが人気かな、
流石に揚げ物は無理だけど、ハムカツとコロッケは皆に食べさせたいなあ。
食器洗いは無理だから、紙製で使い捨てにしている。出前はピザかな」
余ったご飯は、おにぎりにして置くと何時の間にか無くなってる。
幸子が中心の会社のようだ。社員同士も仲良さそうで安心だわ。
健一の言う通りだった、寝る頃になって喉の渇きを覚えた、後から感じるのね?
夫が「どちらか早く、孫を抱かせてくれ」と。
二人で顔を見合わせ困っているのが可笑しい。
会社の事を考えたら、健一が先だろう、幸子の忙しさを思うと家庭との両立は難しいだろうな。
口々に「会社、始まったばかりだよ、軌道に乗ってから考える」と。
健一は、パリコレに出せる力を着けること、自社ブランド立ち上げたい、道は始まったばかりだと。
幸子の目標を聞くのは止めた、頭がクラクラしそうで怖い。
翌朝、のんびり出発、景色の良い高台のベンチでお茶を飲んだ。
二人の子供時代を思い出したが、母親らしい事してやれなかった。
真っ直ぐ育ってくれて嬉しい。
二人生んでおいて良かったとしみじみ思った。
親類と近所に配る温泉饅頭。地元の桃を買い、サービスエリアで昼食を摂った、
天ぷら蕎麦の汁は少な目にしてもらい湯で薄めた。
出汁も薄まったが四人で食べるので美味しく頂いた。幸子が土産売り場で瓶詰を買って来た。
「ミキのお土産、マタタビの実だって、喜ぶかしら?」
三人がコーヒー飲んでいる間、車のシート倒して休んだ。落ち着いた頃三人が戻って来た。
帰途、健一は迷う事なく病院へ直行、「京子ちゃん、透析行ってらっしゃい、後で迎えに来るから」
幸子はナースステーションへ行き、竹田先生いらっしゃるか問うていた、休みとのことだった。
「皆さんで」と温泉饅頭を置いて帰る。
六
幸子、母の日のプレゼント届いたわ、ありがとうね。カードの「生んでくれて有難う」も嬉しかった、生まれてくれて有難うですよ。
健一と二人で選んだというカーディガンとパジャマ気に入ったわ、通院の時に丁度良いわ。
ちょっと派手かしらって言ったら、お父さん「似合って居るぞ」だって、珍しいでしょ?
最近のお父さんの口癖「トンビが鷹を産んだって言葉あるだろ、うちでは、雀が鷹を産んだな?」と言うのよ。
高血圧で抗圧剤飲んでいたのに、急に血圧が上がったらしく、脳梗塞を起こし救急車で運んだと
お父さんが話す。
気が付いたら病院のベッドに居た。このところ、膠原病の方は落ち着いていて安心していたのに・・・。
発症当初に乱用されたステロイド剤のせいかもしれないわね。
平衡感覚が変なの、脳梗塞の後遺症だわ。
リハビリ頑張れば、歩けるようになるって。言葉が上手く出て来ないの。
健一がこの近くのホテルの制服のデザイン依頼を受け、帰省している。こんな時なので心強い、朝夕来てくれる。
食事介助、歩行訓練にも付き合ってくれた。
あっサッチャン走らないで転ぶわよ。
健君、サッチャンと手を繋いで、お使い行ってくれる?
健君、フランスからいつ帰るの?
幸子のハムカツ食べたいなあ。
お父さん、四人で温泉行きたいわ。
遠くで健一の声がする。
「幸子が来るよ、お母さん、向こう側に行っちゃ駄目、戻って来て、幸子に会わないの?」
帰り道が解らないの、幸子教えて。
幸子は終列車に間に合ったようだ、気が動転している時の運転は危険だからそれで良い。
京子お母さんの最期に間に合ってくれ・・。
人生の大半を病気に苦しんだのだ、病苦からやっと開放されるのか、命と引き換えに。
「さちこ~!けんいち~!」