5話
月明かりだけあ廊下を照らす。そこを走り続け、上司の所へ向かっている最中。資料室の中からひそひそと誰かがしゃべっている声が聞こえた。
聞き覚えのある声だった。1人は沼田菫路――守護課課長の任についている。もう1人は、狩猟課課長、柳李皇だろう。あの2人は同期だと聞いたことがあった。
「――今は、西院憂茨と便宜上名乗っているみたいです。守護対象者の兄、という身分が欲しかったようで」
「なるほど。金魚の糞みたいにずっとくっついてるんだろう?」
「ええ。100%遭遇したでしょうね。まあ、でも対悪魔用武器は柊に魅入られてる。問題なく扱えるはずです」
「辛すぎる結果にならなければいい、と思ってるのか? あれを渡しておいて」
「思ってますよ。でも、無理でしょうね。あれは柊のインタリオを使って作られてますから」
「まあ、どんな話であれ……今回の一件は彼しか適任がいないだろう。一番、悪魔に近い存在だから」
もう、黙って聞いていることはできない。
閉ざされた扉に蹴りを入れた瞬間、派手な音を立ててドアが吹き飛んだ。そして、ドアは悪代官よろしく悪だくみをしていた上司2人の顔面に勢いのままめり込んでいた。
「わ、若桜……?」
「ぐおああああああああ」
菫路の隣では、李皇が悶えていた。
「目上の者に、無礼を働くとは何事だ!」
怒り狂った李皇の目が開いていた。が、若桜はそれを無視して話を進める。今、無礼だとかなんだとかは関係ない。
「お話を伺わせてください。故意に情報を隠匿するのは、規定違反です」
「それが、上からの指示だったんだよ」
「何を言って……」
「座れ。話してやるから。そのあとは全力で柊をサポートしてやれ。そのあとの事は僕たちに任せておけ」
意外だった。この言い方からすると、今回の件は厄介の一言では片づけられないはずだ。
上が直接命令を下してきているのだから。これに違反すれば、彼らに後はない。反逆したとして、追放されることになる。そうなれば、二度と転生することは叶わない。そのまま消滅させられることもあるのだから。
李皇が、菫路が、柊を気にかけていたとは思わなかった。
「東郷柊――彼の死は、人間として扱われていない。理由は」
聞いた瞬間、若桜は自分の耳を疑った。どうして、そんなことになっているのか理解不能だったから。
+++
西へ西へと、インタリオの気配だけを追って辿り着いた所は、またもや廃墟となっていた洋館だった。
壁の一部が壊れていたので、そこから罠を警戒しながら中へと侵入する。
恐ろしいほど静かで、何もない。それが逆に不振につながっていた。
不思議な力を持っている宝石は、彼ら悪魔にとっても貴重なものだと思っていたから。
こんなに手薄なわけがない。何かがおかしい。そう思っていたのは、憂茨も同じだったようで。
「一度、ここから離れた方が良い。俺たちにとって、重要なのは宝石じゃない。花蓮だ。彼女の安全が第一だ」
「だろうな。でも、あの宝石が重要なのも確かだろ」
昨日、聞いた話によると宝石は、花蓮の父親の形見らしい。彼女があの石に拘るのは、それが理由だった。
形見ならほかにもあるだろうとも思ったが、あれは彼女の父親が細工した唯一のものだった。
「一度、花蓮だけを天界で保護した後、人員を導入して宝石を取りに来ればいいか……」
「そうしてもらえると助かる。ここは、不審すぎる」
そして、館から出ようとするが退路はなかった。
どこからか気配を殺して出てきた悪魔たちが、後ろから迫る。やつらの瞳は、多くの同胞を殺された怒りに赤々と燃えていた。
「どこからでもいい、逃げるぞ」
陽気な未亡人は撃てない。何発かここに来るまでの間に撃ってしまった。
回数制限があるとは聞いていなかったが、昨日からの様子では「撃つ」という気力だけで弾が発射されていた。
どういう構造になっているのかはわからないが、武器が持ち主を喰らう、という言葉はここからきているのだろう。
攻撃され、追い立てられてたどり着いた先は、玄関ホールだった。2階へ続くはずの階段は壊され、玄関の扉は施錠されていて開かなかった。
中から何とか開けようと体当たりをしてみるが、外側から何かが押さえつけているのか開くことはなかった。
「待て、花蓮!」
「あそこに、あそこに石があるの。悪魔が来る前に、行けば取り返せる!!」
言うなり、少女が駆け出す。それを待っていたかのように、床が光を放ち円陣の中央から何かが出てきた。
それは――ほかの悪魔たちとは違う、高位悪魔。
「つーかまーえた。インタリオは私のものだ」
人の形を成した悪魔は、真っ赤な唇をゆがめて宣言する。哄笑が響き渡った。
「花蓮!」
女が――悪魔が、手を人払いした途端、今までとは比べ物にならない圧力が生じる。それに耐えきれず、憂茨が扉に突っ込んだ。その衝撃に耐えきれず、扉が破砕した。
「――くそっ」
柊は慌てて銃を構え、トリガーを引く。
だが、銃はガチンと乾いた音だけを立ててただけで、沈黙した。再度、試みる時間はない。
重い体を全力で動かし、悪魔に迫ろうとする。が、再び手の一振りだけで後方へと飛ばされ、壁が崩れた。
「花蓮っ、花蓮っ!」
「憂茨――っ」
目の前にいる悪魔を斬り伏せ、押しのけて、女の悪魔へと憂茨が迫る。
お互いを求めて伸ばされた手が、届くことはなく――花蓮はそのまま、人型の悪魔と共に目の前から消えた。
「くっそ、い……ってぇ」
何とか身体を起こし、立ち上がる。身体中がギシギシと悲鳴を上げていた。ホールの中心を見てみると、憂茨が蹲り何かを手にしていた。
「それ、何持ってんの?」
無言で憂茨が押し付けてくる。手に握られていたのは、西院花蓮の父親の形見――翡翠の宝石だった。
「これ……」
「そうだ、宝石だ」
「あいつらの狙いって、これじゃないのか?」
「これじゃない。インタリオは、宝石の事じゃない……」
「じゃあ、なんだよ」
「悪魔が、刻印をつけた人間の魂のことだ。お前もそうだろ、東郷柊」
――私の、刻印を持つ者――
耳元で、あの抑揚のない声が聞こえた気がした。