8話
悪魔が必死になって追い縋る。後ろから。背後から空を切る音が聞こえた。爪が服に引っかかったようで、布が避ける音が近くで聞こえる。
地下へと続く階段を駆け下りながら、背後から迫る悪魔に弾を浴びせた。一発目は悪魔の額を貫き、もう一発は先に砂へと還った悪魔の後ろにいた奴の肩に当たった。それが砂へ帰ると同時に、すぐにさらに後ろにいた悪魔が目の前へと迫る。
何も考えずに、ただひたすら生き残るためだけに弾を撃ち続けた。絶対に、3人でこの家を出る。無傷では無理かもしれないが、絶対に生き残る。
でも、そろそろ限界だった。今日だけで何発撃ったかは分からない。足が震えている。手も震えている。照準が定まらない。心が悲鳴をあげる。今すぐ休ませろと。立て続けに弾を撃つのは限界だと。
それでも、銃を構えて撃ち続ける。倒れるのは後でもできる。休むのは後でもできる。
闘うのは、今しかできない。花蓮を救うのも今しかできない。
「うああああああああああああああああああああああっ!」
続けざまに何発か撃ち、悪魔に弾が当たるたびに砂へと還っていく。入る場所も一か所なら出る場所も同じと思ったのか、動きが止まった。
入り口を警戒して銃を構えていると、後ろから互いの名を呼ぶ声が聞こえてくる。何度も何度も、互いの無事を確認するかのように。
「座敷牢か……。かなり古い……ここは、さすがに手入れしていないようだな」
「薄気味悪いしな」
実際に触れて確認しているのか、背後から物を揺らす音が響く。家に住んでいたものが手入れをしていないなら、木が腐っている可能性があった。
「何度も扉蹴破っただろ。ダメ元でやってみろよ……。
あいつら、入り口辺りで待ってるけど、いつまたここに来るか分からないぞ」
「そうだな」
何度か力を入れて蹴る音がする。木が砕ける音がしたと思うと、花蓮が泣きながら必死に訴え始めた。
「ダメ、ダメ! 私行けない。私がここからいなくなったら、憂茨が消えちゃう。やめて!」
「下がってろ」
「やだ、天界には行かないっ! あなたが消えるのは嫌なの。お願いだからやめて」
「俺は消えない。解決策ならある」
「ないわ! あの女が――リューリエが薬を作らないと、憂茨が消えちゃう」
「薬なんかなくても平気だ。今、俺はここにいる。この間のように死にかけて見えるか?」
「でも――」
「問題ない。平気だ。花蓮を1人なんてさせない。天界へ行けば、俺も消えずに済む」
少しの間、考えるような沈黙が続いた。それでも泣いているのには変わりないが、声にはいくらか明るさがあった。
「本当に……? 天界に行けば、解決できるの?」
「劣化は解決できる。人間の魂に変わる、エネルギー源が見つかったんだ。嘘じゃない。本当だ。だから落ち着け、言うとおりに後ろへ下がるんだ」
「……分かった。分かった……」
畳の上を歩く音がした。花蓮が言うとおりに後ろへと下がったのだろう。再び何度も何度も、木を蹴る音が続き――やがて、砕ける音がした。
「こっちだ」
木を踏む音がした後、花蓮が話しかけてきた。先ほどのように震える声ではなく、しっかりとはっきりと喋る。
「大丈夫です。私がいる限り、あいつらはここで暴れることはできません。私が決められた日に死ぬことができなくなるから……」
「どういう意味だ?」
「質問は後にしろ! どう切り抜けるか考えろ」
未だに悪魔たちは地上へと続く階段の上で様子を窺がっている。花蓮を傷つけたくないのは一緒のようで、膠着状態が続いていた。
++++++
李皇はできる限りの人数を集めた。それでも、ここまで来られた者は地上へ出ている者の半分もいなかった。
家の内外にいる悪魔が、こぞって一か所に集まっている。そこに何かあるのだろう。でも、彼らは一向に動く気配がなかった。
何かが出てくるのを待つようにして、一か所を見てじっとしている。その間も悪魔はどこからともなく飛んできて、増え続けていた。
「とっととケリをつけないと……マズイな」
「――そうですね」
隣を見ると、若桜を従えた菫路が立っていた。2人とも泥だらけになり、体中が擦り傷だらけだ。
「生きて戻ったか」
「まぁ。悪魔たちが、引いたので何とか……」
「引いた?」
「原因は、あそこでしょうね」
「ああ」
恐らくあそこに、柊たちが立てこもっている。悪魔たちは何らかの事情で手出しができないでいるのだろう。
もし、僕が――悪魔たちの立場だったら、花蓮を確保しだい、身柄をどこかへ移す。でも彼らは散開してはいなかった。
原因は――。
「……刻印を持つ者か」
「それだけ大事なんでしょうね。彼らにとって……価値がある」
「西院花蓮の身柄を確保でき次第、天界へ戻る」
「策は?」
「――奇襲、しかないだろうなあ。何しろこっちは人数が少ない」
++++++
悪魔たちは入り口からは動かなかった。いや――動けないはずだった。花蓮が、そう言っていた。自分は刻印を持つ者だからと。決められた日以外は死ねないと。
それでも、彼らは動いた。階段をいっきに駆け下りてくる。
「来たぞ!」
「花蓮、壁を背に座ってろ!」
銃を連射し、悪魔を何匹も砂へと還す。それでも先ほどと同じように悪魔たちは立ち止まらずに砂の中から次から次へと押し寄せてきていた。銃を撃つよりも早く、憂茨が長剣を一閃させるよりも早く。
悪魔に突き飛ばされ、肩に熱気が集まる。鉤爪が喰い込んだのだ。それでも銃を持ち、撃ち続ける。動けなくなるまで。何発も何発も。
撃退しきれなかった。相手の数が多くて。悪魔たちが憂茨に、花蓮に群がっていく。
自分の位置からじゃ、到底彼らを救えない。でも、まだ1枚確か札が残っていたはずだ。悪魔たちに小突かれ、刺されながらなんとかポケットに手を突っ込む。
短く呪言を唱え、最後の式神を召喚した時だった。いつも耳元で鳴っていたものと同じ音を聞いたのは。
「――分断しろ! 相手の数は多い。でも、攻撃すれば必ず当たる! 面白いくらいにな」
あの無駄に偉そうな声は、李皇。送った報せをあの式神が何とか届けてくれたのだ。
腕をあげろ。立ち上がれ。まだ、終わってない。彼女が――花蓮が生きてる限り、俺たちの勝ちだ。
力を振り絞り、口を大きく開けた悪魔に銃弾を浴びせる。撃てる限り撃ち続けた。
++++++
暗い室内で、泥だらけになった悪魔は怯えていた。報告をした途端、見る見るうちに不機嫌になっていったから。
どうすればリューリエが機嫌を直してくれるかは、感情もなく、知能もさして高いとは言えない下位悪魔でも想像できた。
――再び、あの女をリューリエの手に。
「当たり前の事よ。でも、役立たずはいらないわ」
傷を負いながらもなんとか報せを持ってきた悪魔を指先の動き1つで砂へと還した。
「一度ならず、二度までも……。取り返してやる、私の全てを使って」
でも、時期を見計らう必要があった。今、取り返したとしても金冠日食までには日数がある。
取り返した途端、また取り返しに来られては無駄な労力しか使ったことにしからない。今は準備を進めよう。天界に向けて、侵攻するための。