6話
花蓮の生家は人手に渡っていたのか、廃屋のように壁が剥げ落ちていたりするような事はなく、美しく外観を保つ普通の純日本家屋のように見えた。
広い屋敷の日本庭園は、よく手入れをされていて雑草など生えていない。でも、その場所にはこの世の者とは思えない者達が徘徊していた。
それらは黒い巨大な体軀には蝙蝠の様な被膜が生え、目が紅かった。時折、仲間と会話でもしているのかギィギィと耳障りな音を立てて鳴いている。口は大きく裂け、歯はサメのように鋭く幾重にも喉の奥に向かって生えていた。
悪魔たちは庭や家の周りを何度も巡回している。何かが来ることを予期して、警戒しているかのように。
「数が多過ぎる……目を引くのはマズイな」
「行動も統制されてて、組織化されてるみたいだな。どうする?」
「どうするも何も……中を見ないことにはなぁ。中に大本が――リューリエがいるかどうかも分からないだろ」
「無駄な戦闘は避けたいってことか……でも、あの女悪魔が地上からいなくなったら悪魔たちが魔界へ引き返す保証ってあるのか?」
「ないのは課長たちも承知の上だ。それでも退治に手が回らないんだ。賭けてみるしかないってことだよ」
庭園にある大きな木の陰に隠れながら、様子を窺がう。家の中へ入れる隙はどこにもなかった。
「……くっそ」
「どうした?」
「こんな時に、腕が痛む」
怪我をしたわけでもないのに、熱を持ったように刻印のような痣が痛む。この痛みには、覚えがあった。花蓮と出会った日の、あの痛み。
もしかしたら、家の中に手がかりがあるのかもしれない。そう思いながらも憂茨には黙っていた。
もしここで知られれば、暴発しかねない。そうすれば、悪魔に見つかってそのまま終わってしまう可能性もあったから。
「問題はあるか?」
「ああ。少し痛むけど……でも、さすがにそろそろ移動しないと、進展はないよな」
「気をそらすか」
憂茨は手頃な石を摑むと、家を囲んでいる塀へと投げる。石は小気味良い音を立てると、悪魔たちを引き付けてくれた。
その隙に中へと浸入を果たした――はずだったが、一匹の悪魔が突然振り向いた。彼らは一声大きく鳴くとこちらへと向かってくる。
「見つかった! 奥まで走れ!」
扉を粉砕し、窓を割り次から次へと家の中へと入ってきた。憂茨は長剣を左上から一閃させた後、薙ぐように返す。2体が砂へと還った。
それでもすぐに目の前から悪魔たちが迫る。柊は呪符をポケットから取り出すと、使用した。
ふさふさの黒い被毛を持つ細長い身体を持つ動物――フェレットが器用に憂茨や悪魔たちの足を避けて先へと進んで行った。
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陽も刺ささない場所に、何日も何か月も閉じ込められていた。外の空気も景色もずっとずっと見ていない。自然の光が、土の匂いが、鳥たちの鳴き声が恋しい。
――でも、我慢しないと。憂茨のために。
彼のために、何か月も耐えてきた。この、座敷牢で。
あの日見た光景が頭から離れない。
たった1回の攻撃で動けなかった彼の姿が。
たった1度の攻撃で受けた傷が治らなかった彼の姿が。
本当は痛くて痛くてたまらないのに、必死に手を伸ばしていた。
本当は辛くて辛くてたまらないのに、私の心配をしてくれた。
憂茨が消えるなんて認めない。絶対に。
私の何を賭けてでも、絶対にそれだけはさせない。誰にも。なかったことになんてさせない。憂茨と逃げた日々を。笑ったり、泣いたりした日々を。
死んでしまえば、何も残らないから。
そう思った私は、リューリエの言う事を聞く事にした。
あの女悪魔はそれはそれは楽しそうに笑った。紅い唇を醜く歪めて、狂ったように笑っているのを今でも覚えている。
ぐっと唇を噛んで、孤独に耐えていると俄かに頭の上――上階が騒がしくなった。悪魔がせわしなく鳴き、殺気立ち始めたのを肌で感じる。
時折銃声のようなものが響き、悪魔の大きな叫び声が座敷牢内にも響いた。
「何が起こってるの……?」
怖い。でも、大丈夫。悪魔たちが私を守ってくれる。私は憂茨を助けるための大事な材料だから。
大丈夫。そう自分に言い聞かせるけど、怖いのは確かで。私は座敷牢の隅の方へと身を寄せた。
その時だった。暗闇の中から姿を現したのは、どこから紛れ込んできたのか一匹の黒いフェレットだった。
フェレットは迷わず私に近づくと、人懐こそうに体を押し付けてくる。初めて見るのに、安心して。そう言っているように思えた。
その獣はするりと私の肩に乗ると、髪を咥えて引っ張る。ぷちぷちと髪が抜ける感触がした。
「痛い……やめて」
何度か同じ動作を繰り返した後、フェレットは来た時と同じように座敷牢の隅へと消えた。
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もう何匹目か分からなかった。悪魔を砂に還したのは。
廊下には砂があふれ、砂漠のようになっている。砂の一部が割れた窓から入ってきた風に吹かれ、壁の隙間へと移動していく。
砂へと還った仲間を踏みつけて、悪魔は廊下いっぱいにひしめき合いながら、黒い大軍を作って押し寄せてきた。
彼らから逃れるために、迷路みたいな家の廊下を何度も曲がる。目の前に迫る悪魔に弾を撃ち込み、逃げ、叩き斬る。
足元はすでに砂漠のようになっていた。それでもできる限りの速度で前へと進む。
「扉だっ! 中に入るぞ!」
足元の砂を蹴散らし、柊が進む。取っ手に手をかけるが、扉は内側からカギがかかっているのか開くことはない。
「蹴破れ! 三方向から来てる。一度に相手はできない」
「分かってる!」
廊下の床を軋らせながら、悪魔が後ろから迫ってきていた。右からも、左からも。紅い瞳が蠢き、俺たちをただ殺すためだけに見据える。
先頭にいた悪魔の鉤爪が目の前に迫る。
指に力を込め、トリガーを引く。
弾が紅い瞳を撃ちぬき、砂へと還す。それでもすぐ目の前には、悪魔がいた。裂けた口腔が開き、鋭く細かい歯が見えた。
――間に合わない。
そう思った時だった。後ろから衝撃が来たと思ったら、暗い部屋へと放り込まれた。大きな音を立てて、扉が占められる。何本も悪魔の鋭い爪が、何本も扉に刺さった。
扉の外側で悪魔たちが相談するように小声でぎぃぎぃと耳障りな鳴き声を放つ。
「おい、一先ず扉をふさぐぞ。持つとは思えないが……今がチャンスだ」
「分かってるよ」
手近なものを扉の前に2人で協力して積む。ようやく一息つき、辺りを見回すと物置のようだった。
天井からは裸電球が1つ釣り下がっている。それをつけ、室内を見渡す。何も使えるようなものはない代わりに、家の中に入った時に放った式神と再会を果たした。
式神は何かを咥えて戻ってきた。それを俺の手の上に置くと、くっくっくっくっと楽しそうに、嬉しそうに喉を鳴らした。
電球にかざし、見てみると細くて長い髪の毛だった。
「明るめの茶色い髪? これがどう、した……?」
悪魔に襲われていたあの日、振り返った花蓮の髪は明るめの茶色ではなかったか。
初めて花蓮を助けた日、腕の痛みがあったはずだ。
1度目は偶然だったとしても、2度も偶然がある訳がない。柊は腕の痛みが増したような気がして、無意識に抑えた。




