1話
悪魔たちから逃れるために極力人目を避けて、なるべく関わらずを貫いているうちに数年が経っていた。
数年を経た今も、憂茨の姿形は変わっていなかった。
私は今年、17歳になる。お兄ちゃん、と呼んでいたけど彼が私と兄妹ではないことはもう嫌でも分かる。彼が人間ではないことも分かっていた。
それでも、それでも一緒にいたのは――。私には、彼しかいなかったから。彼にも、私しかいなかったからだろう。
でも、孤独感だけが理由じゃない気がした。もっと別の、何かがある気がする。今は分からないけど、いつか憂茨が話してくれたらいいと思う。
暖かな陽光を浴びて、獣道の端っこには花が咲いていた。赤、黄、紫、白、ピンク、様々な色で溢れている。
ここしばらく襲撃がないこともあり、春を堪能することができることを花蓮は嬉しく思っていた。
「ねえ、憂茨。もう少し周りを見たら? いい天気だよ」
「周りなら見てる。いつ襲撃があるか分からない」
「そういうことじゃなくて。追われるだけの毎日なんてつまらないじゃない」
「……緊張感の欠片もないな。お前は命を狙われてるんだぞ」
「分かってる、分かってる。でも、生きてるっていうことも覚えておいてくれると嬉しいな」
憂茨は不満げに眉根を寄せた。時を止めたままにしている身体は、幼さを少し残し周囲に中性的な印象を与える。日本には、黒い髪に金色の瞳を持つ者は珍しいからかよく注目を集める。そのため、人気のないところにいることが多かった。どうしても人ごみに中に身を置かなければならないときは、黒のカラーコンタクトをして瞳の色をごまかしていた。それでも注目されるにはされていたが。
「あ、ねえ。あそこ――何かいる」
放置され、ぼろぼろになった教会を指した。一瞬、襲撃かとも思った。でも、ばさばさと羽音を立てているのは小さな鳥だった。
「怪我、してるのかな。行ってもいい?」
「言っても聞かないだろ。行けよ。どうせ、今日はあそこが寝床になる。屋根もあるし、地面に寝るよりはマシだろ」
「はーい」
花蓮の明るめの茶色い髪が翻った。特に結んでもいない髪は風に弄ばれて揺れていた。
扉の前につくと、小鳥が飛ぼうとはばたいていた。よく見てみると、骨が折れているのか飛ぼうとしても飛べない。
私たちはいつまでもここにはいられない。でも、助けてあげたい。骨が折れているのは、きっと痛いだろうから。
幼い頃から肌身離さずつけているペンダントに意識を向けた。次いで、意識するのは折れている骨。自分の中に入ってくる、痛みが体から抜けきったとき、小鳥が空へと羽ばたきそのまま蒼天へと消えていく。
「勝手なことをするな。居場所がばれる」
「分かってる。けど、行きたい場所に行けないのは、かわいそう」
自分勝手なのは分かっていた。でも、私は自由に好きな場所へ行けないから、どうしても治してあげたかった。
自由にできない理由は分かってる。父親の形見である、透かし彫りの細工がされている翡翠のペンダントのせいだ。
この宝石の細工は珍しく、インタリオと呼ばれているらしい。くわえて、不思議な力も持っている。悪魔たちはこれを狙っていた。
「ここを離れるぞ。見つかる」
無言で歩き出した時だった。頭上から、羽音が聞こえてきたのは……。先ほどの小鳥ではない。比べ物にならないくらい大きなものだった。
悪魔達は、黒い体に蝙蝠のような皮膜だけの翼を動かし、中空に浮かんでいる。手には鋭い鉤爪が備わっている。悪魔は紅い瞳で私を見た瞬間、笑った。獲物をみるように。
そして、悪魔は私を狩ろうと手を伸ばした。
「逃げろ! 教会の中だ」
憂茨に突き飛ばされ、地面を転がる。その時に、異様な光景を目にした。
教会を中心に黒い輪ができている。悪魔たちだった。
「憂茨っ!」
「……中へ。教会の中に入るんだ!」
いくつもの殺意を向けられて、怖くて身体が竦む。それでも、這ってでも教会の中へ行く必要があった。私は戦えないから。絶対に、憂茨の邪魔だけはしない。
憂茨が名を呼んだ。
彼が、使役する者の名を。
「来い、血塗れの伯爵夫人!」
緑色に光り輝く円陣が広がる。その中央から、何かが出てきていた。ゆっくり確実に。現れたのは、銀色に光り輝く長剣。
剣を見たとたんに悪魔たちがぎぃぎぃと鳴き交わし、警戒し始めた。聖書の言葉でもなく、祈りの言葉でもなく、この世で唯一自分たちを傷つけることができる物に対して。
それでも、敵は1人、数の暴力で押し切れる。そう確信したのか悪魔たちは一斉に憂茨に襲いかかる。
「数が――ダメ、憂茨!」
2人が逃げ込んだ先。教会の中からは、人の悲鳴と獣のような咆哮が絶え間なく続き――やがて建物は、崩壊した。