4話
「少し長い話になりますから、どうぞ」
それぞれの目の前に湯呑が置かれた。守護課課長である沼田菫路は、メガネをかけなおすと口を開いた。
「悪魔が何十年かに一度、昼間でも活発に動ける日があるんです。そうですね……周期的に言って、そろそろでしょうか」
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太陽が出ていたはずなのに、いつの間にか辺りは暗くなっていた。日陰に入ったというわけではない。金冠日蝕が始まったのだ。
あたりは下位悪魔が好き勝手に人間を狩っていた。
「はぁっ……!」
近くでかつての相棒が悪魔を1匹、砂へと還した。砂は風に吹かれ、どこかへと消えていく。それでも、悪魔はそこかしこから菫路と李皇を目指して襲ってくる。
お互いがいなければ、もう生きてはいなかった。互いに背を預け、肩で息をしながらも立ち続ける。あたりには、誰もいなかった。
「結構な人数がいたはずだけどな……」
「……みんな、消えてしまったのでしょうか……」
「そういう奴もいるだろうな。でも、俺たちもやばいぞ。残段数が少ない……」
「私も……持ってきた呪符が心もとないです……」
「そうか……なぁ、気が付いたか?」
「……下位悪魔が統制されているように動いてますね」
「ああ……俺たちを襲うのは、ついで……なのか?」
「ついでで殺されるなんて、嫌ですね」
「なら、生き残るぞ」
「もちろん」
李皇と2人で路地裏に入る。細い路地裏に入れば、身体が小さな人間のほうにいくらか分がある。そう思った。
先に入った李皇の声が叫び声が聞こえる。
――読まれてたか。
そう思った矢先、悪魔の声と銃声が轟き大量の砂が風に吹かれて小さな砂嵐を作った。
「早く来い。人が――人がいるぞ!」
悪魔たちに囲まれている青年がいた。その青年は所々から血を流し、それでも木の棒1本で道を切り開こうとしている。生き残るための道を。
「どうしてっ……」
「そんなことはどうでもいいっ! バカモノが! 行くぞ」
青年に向かって駆け出し、その勢いと共に自らの武器で悪魔を力の限り砂へと還す――が、そのかいもむなしく青年は悪魔に目の前で連れ去られた。
手が、届きそうな場所にいたのに。助けられる距離にいたのに、助けられなかった。青年が連れ去られる直前に言った言葉が、耳から離れなかった。
――助けてっ! 死にたくない。
「ぼうっとするな、追うぞ!」
李皇が悪魔を追って駆け出す。道を妨げる悪魔を斬り伏せ、蹴飛ばし、殴り、爆弾を使いなりふり構わずに砂へと還していく。
転んでも、切り裂かれて血が出ても、目の前の目標に向かってひたすら走り続けた。そうしてたどり着いた場所には、今までと比べ物にならないくらいの数の悪魔がいた。
悪魔達の中心にあったのは、一件のあばら家。そこからは、誰かに怒鳴り返す声が聞こえた。きっと連れ去られた青年のものだろう。
「まだ、生きてる……!」
「行きますよ」
徐々に、地上に明るさが戻ってくる。日蝕が終わりかけているのだ。太陽が再び顔をだし始めた時、悪魔達の攻撃の手が緩んだ。
その隙を逃さず、力の限り悪魔を砂へと還していく。何匹か討ち漏らしたが、彼らが戻ってくることはなかった。
あばら家の粗末な扉の隙間から、中を覗くと人間が2人いた。真っ赤な唇をした女と、先ほどの青年。先ほどの青年は、ナイフを手にし感情のない瞳でそれを見ていた。
醜く歪んだ女の唇から零れ出る言葉を聞いて、耳を疑った。
「さあ、私の刻印を持つ者。会いに行きましょう、あなたの愛しい人に」
あれは、人間じゃない。高位悪魔だ。
判断した瞬間、扉を蹴破る。中へと入ろうとすると、悪魔が手を一振りし吹き飛ばされた。暴風はあばら家を中から吹き飛ばし、大破する。
視界が確保できない。目が開けていられない。
「菫路! 避けろ」
何とか目を開けると、目前にはすでにあの悪魔が迫っていた。彼女が延ばす手を避ける暇などなく――そのまま、首を締め上げられる。
酸素を求めて口を開くが、何も得るものはなく。私を助けようと、李皇は何度も何度も女悪魔に攻撃するも、一向に彼女はダメージを受けた節はなかった。
このままやられるなんて、死んでも死にきれない。
口の中で短く詠唱する。地に出現した文様の中心から、狼が出現した。狼は女悪魔の首筋に噛みつき、肉を食い破る。
狼に悪魔が気を取られている隙に、李皇の絶叫と銃声が響いた。弾は女の腰辺りを突き抜ける。
そして――女は傷つけられた怒りをぶつけるように、私の体を李皇に向かって投げた。力任せに。その衝撃で李皇と菫路は無様に地に転がる。女はゆっくりと近づいてくると、突然、私たちに興味を喪ったように空を見上げた。
「――ここまでか。分が悪い。せっかく仕留めたのに……」
ぽつりとつぶやくと、女は掻き消えた。
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「何か参考になりましたか?」
「ってことはや……沼田課長、ちょっとこの紙見てもらえないですか?」
お茶をゆっくりとすすっている菫路に結理が柊の検査結果の紙を差し出した。
それに目を通した菫路は、何かにすぐ気が付いたようで彼女のほうを見た。
「この数値……いつにもまして異常ですね。柊はもともと、生命力が強かったというか……元気だったというか……そんな子でしたけど」
「前に記録した健康診断の記録見てみると、そんなに異常な精神値は出してへんのです。それが急に……私が使った威嚇用のアイテムは、そんなふうに影響せえへんはずなんです」
「となると……考えられるのは……」
菫路が結理のほうを見つめる。彼は1つの結論を導き出したようだった。
「あの女悪魔との繋がりですね」
「どういうことです?」
菫路はまだ何か隠しているのか、悩み始める。口を開けては閉じたりを何度も繰り返す。言いだす決心がつかないほど、重要なことなのだろうか。
「言ってください。俺の事ですよね?」
「ええ……まあ……端的に言うと、あなたの状況が上層部で疑問視されてます。対悪魔用武器をまだに使い続けている理由――これが何なのか」
確かに、こんなに長く陽気な未亡人を使い続けている者はいなかった。以前、書類を見た結理たちに聞いたときは、持ち主たちは短期間で姿を消している。
それを知っている者からしたら、今の俺は化け物じみて見えるだろう。使いこなしているとは言えないが、喰われてもいない……。
「この話は、何の参考にもなりませんが……あの女悪魔――リューリエを喰い破った私の式神。あの子は上層部に連れて行かれたまま、帰ってきませんでした」
「どうして……」
「分かりません。式神を上層部が連れてくなんてことは、一度もありませんでしたから。その時、ちょうど兵器部で研究・開発されていたのが対悪魔用武器だったとの噂があります」
その噂が本当だとしたら。この銃が――陽気な未亡人をその時、製作していたのだとしたら。思い当たるのは、1つしかなかった。
「俺、その女……リューリエの刻印を持つ者だからか……」
「まだ、繋がっている。という事でしょうね」