2話
非常警報が鳴る中、結理が暗い顔をして言った。
「……憂茨君は、行かんほうがええと思うで」
彼女が言いたいことはすぐにわかった。先日、魂の劣化を避けるか先延ばしにする方法がないか、相談からだ。
結理は調査部。様々な部署と連携し、色々な現象を調べることに長けていた。彼女がそういうのであれば、きっとどうにもならいのだろう。
「そうや、気づいてると思うけど……避ける方法も先延ばしにする方法もない。
老いって言ったらええんかな……なんや、劣化を観測した事例があまりないから
間違うとるかもしれへんけど……」
「衰弱だ……。悪魔は魂から力を摂取してる……栄養失調みたいなものだ」
「分かってて何で聞いたん? それやったら避ける方法も――」
「知らないんだ。魔界では、魂を食べることを奴はいなかった……少なくとも俺は知らない。天界なら、何か情報があると思ったから聞いた」
「そう……」
魂の劣化を避ける、もしくは先延ばしにする方法には1つだけ心当たりがあった。ちぃこを狙っていた悪魔――ミューズリーは負った傷を仲間を喰らって癒していたのを思い出す。
「……力を得るために魂を食べるのなら……悪魔のものでも構へんのやないか?」
でも、それはしたくなかった。アンヌの笑顔と、花蓮の笑顔が頭に浮かぶ。
一族から追放されたその日、俺は自然と食事を避けるようになっていた。人間をもう、捕食対象として見ることができなくなかったからだった。
それはきっと、人間が持っている感情が俺にも芽生えたからだろう。
悪魔は人の魂を口にすればするほど、力をつけクラスが上がっていく。そして人のような感情を抱くこともままあった。恐らく、人の魂が悪魔に影響を及ぼしているのだろう。
悪魔は自分以外の者を愛さない。感情も本能と呼べるもの以外ない。それが高位悪魔になればなるほど、人間らしい感情を見せることがあった。
もしも俺が悪魔の魂を食べれば、今持っている人間らしさが死ぬ可能性もあるだろう。
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「2人共、冗談はやめろ……。憂茨が消滅するなんて、笑えないぞ」
若桜の顔が引きつっている。突然、そんな重大なことを知らされてもついていけないのは当たり前だった。
先日の高位悪魔との戦闘で傷を負ったUFOがいる。その存在が、俺たちに消滅を身近に感じさせていた。
魂の消滅。それは、俺たち肉体を持たない者達にとっての死だった。
「冗談なんかじゃない。話してやれよ、若桜にも。2人で深刻そうに話してたんだ。結理には言ったんだろ?」
「……言った。何か情報がないかと思って……」
ぐったりとうなだれて、憂茨がつらそうに喋る。深い傷だったのか、出血はまだ止まらず傷が癒える気配はなかった。
「足手まといになって、すまないな――」
「やめろよ。今、そんなこと言ってもしょうがないだろ。劣化を避ける方法はあるんだよな? だから結理に聞いたんだよな?」
憂茨がゆっくりと首を振った。
そんなこと、信じたくない。でも、何も言えなかった。
「でも、2人で深刻そうな顔して話してたじゃないか」
「ないものはない。諦めろ」
「諦められるわけないだろ。ここまでやってきて……今更1人だけ抜けるとか許さないからな」
「消滅するんだ。許すとか許さないとかの問題じゃな――」
「嘘つかんとき。そんなん意味ないで」
階段のほうを見ると、肩で息をしている結理がいた。怒っているような、それでいて泣き出しそうな表情で近づいてくる。
「うちのことはええねん。2人共、悪魔殺したらあかんで。憂茨君の口にねじ込むんやっ!!!」
今、俺は全力疾走していた。後ろからは悪魔が迫っている。武器の使用は悪魔を殺さないために禁止。捕まれば、抵抗する手立てはなかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
階段を許す限りの力で全力で駆け上がり、4階を目指す。そこに連れて行けば、今俺を追いかけている悪魔を拘束できる可能性があるからだ。
あと少し、あと少しで4階へたどり着く。
あと少しで、憂茨にこの悪魔の魂を食べさせることができる。そうすれば、助けられる可能性が増えるはずだ。
そう信じて、廊下を駆け抜ける。遠くに「研究課悪魔部」のプレートが見えた。だんだんと目的の場所が近くなり、その中へと入った。
「来たで!!!」
扉を突き破って悪魔が入ってきた。悪魔は赤々とした瞳で獲物を捕らえると、すぐさま鉤爪を伸ばしてくる。それを防いだのは、若桜の鉄扇だった。横面から攻撃をまともに喰らった悪魔は、研究用器具を破壊しながら壁にぶつかる。
悪魔はすぐさま体勢を立て直すと、柊の方へと向かう。鉤爪が彼に迫り、捕まえる。腰に手を伸ばすが、壁にぶつけられた勢いで銃が手から離れた。
そのまま悪魔は力任せに噛みつく。深く、深く。歯を突き立てて、柊を貪ろうとする。その悪魔が、突然悲鳴を上げて離れる。隙間から見えたのは、悪魔が憂茨へと襲い掛かるところだった。
痛みのせいですぐには動けず、悪魔が力任せに憂茨を引きずり倒すのを見た。若桜が駆け寄り――立ち止まった。何もせずに、床へと視線が釘付けになっている。
彼女の視線の先から、立ち上がったのは――憂茨だった。悪魔はすでに砂へと還り、跡形も残っていない。
「憂茨……?」
顔を上げた憂茨の瞳は、金色から赤へと変わっていた。下位悪魔と同じ瞳の色になっていた。
肩に負った傷は癒え、憂茨からは異様な気配が漂ってくる。今までとは違う、腹の底から冷えるような感覚。
「憂茨!」
「喰った……。これで、満足か」
そう言った憂茨の声は、低く、哀しみに溢れていた。
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悪魔を喰った後、自分の体から何かが消えていくのが分かった。烙印がなくなったのだ。2つ目の。花蓮と自分を繋いでいた印。
それと同時に、1つ感情を喪った気がした。その感情が何なのかはわからない。傷は癒え、劣化は多少マシになっていた。力も少しだが得ることができた。
得ることができたのに、心にぽっかりと大きな穴が開いたような気がしていた。