7話
地上では、太陽が沈みかけていた。陽が陰り、人々が足早に外出先から家へと歩いていく。その様子を結理だけが楽しそうに見ていた。
「やっぱ地上はええなぁ。柊君と若桜ちゃんは可視化の装置外したらあかんで。うちら幽霊になってしまうからな」
柊たちは口々に返事をし、指輪を見た。指輪は特殊な方法で加工されたアイテムらしく、俺たちを人目に映すことができるらしい。これを付けている間は、普通の人間と同じように人と接することができる代物とのことだった。
「ほな、いざホテルへ突撃!! おいしいもん、いっぱい食べるで! みんな付き合うてな」
「あんまり騒がしくするな、逢魔時だぞ。悪魔が寄ってくる」
「仕事で来たんじゃないのか」
「明日はね。人間、オンとオフの切り替えが大事なんよ。煮詰まってたら、見られるものも見逃してまう」
「頭は大丈夫か?」
「何やの? 憂茨君、うちのこと心配してくれてるん?」
「………………」
「ほんま、優しい悪魔やなあ」
憂茨が結理を見たまま、固まっている。何も考えていないような彼女の行動に驚いているのだろう。結理はそれが面白いようで、空気も読まずに絡んでいく。
それを見かねた若桜が、結理を止めた。結理の扱いは普通の人には難しい。いつも人の話を聞かないからだ。
「はいはい。ほな行くで」
地図を見ながら、結理と若桜が先を歩き始めた。
「憂茨? いつまで固まってるんだ?」
「いや、固まってるわけじゃないが……どうしたらいいのか……」
「そのうち慣れる。若桜がいる時は、あいつに任せておいたらいい」
「ああ……」
先行した2人の後を追おうとした時、背後でばさりと何かが飛び立つ音がした。
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暗い部屋の中、リューリエは悪魔たちの鳴き声に黙って耳を傾けていた。彼らの声が収まったとき、面倒くさそうに手を上げる。すると、悪魔が掻き消えた。
私のインタリオ――柊が、再び館へと赴いたとの報告が入った。それに同行しているのは、ローランドと女が2人。
「うまくいけば、インタリオがもう1人……手に入るかも」
もちろん、一番の目的は花蓮を落とすこと。でも、どうせ動くなら――もう1つ大きな成果が欲しい。
展開が出してきたのは、寄せ集めの集団。しかも、あいつらは私が館に行くなんて思ってないはず。虚をつければ確実な成果を上げられるはずだ。
彼らの、悲痛な顔を見れると思うと、つい鼻歌が出てしまう。リューリエは歌いながら、他の悪魔たちと同じように闇に消えた。
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憂茨が先頭に立ち、花蓮が連れ去られた館へと入る。玄関ホールへ来たとき、結理が準備のために持ってきた大きなスーツケースを開いた。
「これで、悪魔の波長が分かるのか?」
「そうや。頑張ってみんなで完成させてん。古い文献にな人間の観測機の改造方法が載っててな。昔は技術が足らなくて完成させることはできなかったようやけど、今ならって」
「使ったことはあるのか?」
「それが……これ、つい最近できたものやねん」
目を伏せて、悲しげに結理が申し訳なさそうにする。その様子だけで、全員が彼女の言いたいことを察した。使用したことがないのだと。昔の技術を応用するまではよかったが、活用する機会もなかったのだろう。
「ごめんな」
「謝らなくていい。速く作業を終わらせよう」
「そうやね。何か、前に来た時と雰囲気がちゃう気もするし……嫌やわ」
ぱんぱんに詰められた中身を結理が手際よく取り出していく。床いっぱいに荷物が広がったとき、彼女が若桜に話しかけた。
「なあ、若桜ちゃん。UFOちゃん連れて来とる?」
「ああ。いつも通り、柊の上着に潜り込んでいるはずだ」
気が付かなかった。何でUFOが? 昨日、上着を着た時にはポケットには何も入っていなかったはずだ。何かが入っていれば、重みが違うはず。今日の朝だって、何も入っていなかったはずだ。いったいこいつは、どこに潜んでいたのか……。
俺の戸惑いを無視して、ひょっこりUFOが飛び出してきた。モモンガは、俺の頭の上にひょいひょいと上ると、飛んだ。若桜をめがけて。そして、モモンガは彼女の腕に器用に着地した。
「何でだ……」
「気づいてなかったのか? こいつはいつもお前のポケットにいたぞ」
「いや、何でかいつもいたが……さすがにモモンガが
ポケットに入ってたら上着重いだろ!? 気が付くぞっていうか、何で顔に着地しないだ」
「着地の件は分からないが……人間は、慣れる生き物だ。貴様がUFOの重さに慣れたんだろ」
「いや、でもさ……」
「男がごちゃごちゃとうるさいで。UFOちゃんには、大事な任務があるねん。信号送信機の取り付けや! 本人にくっつけるんが、一番確実やけど仕方ないな。おらんし」
結理がUFOに小さな機材を持たせた。少しだけ、荷が勝ちすぎる感じもあったが、モモンガはそれを両手で器用に抱え上げる。
「若桜ちゃん、お願い」
「任された」
若桜が壊れた階段の上へとよじ登り、危なげなく手すりに立つ。その時、円陣が淡く、消え入りそうな光で輝き始めた。
「何これ!? うち、まだ何もしてへんで!!」
「若桜!」
「結理、下がれ! 何か出てくる」
「あかん、逃げられへん!」
口々に結理に逃げ出すように言うが、彼女は聞かなかった。それどころか、円陣の近くに置いてあるスーツケースの中を漁っている。
「ダメだ、何してる。逃げろ――」
「逃がさないわ、インタリオ」
突然、圧が膨れ上がった。火球が顔の横をかすめ、壁に当たる。炎はすぐさま燃え上がり、煙があがった。でも、火なんてどうでもよかった。その真っ赤な唇と声に、覚えがあったから。
「くそっ。若桜、結理を連れて逃げろ! ――来い、血まみれの伯爵夫人」
「…………よく見てなさい。私の刻印を持つ者」
一振りだった。その女は、手を一振りさせただけで、憂茨を壁まで吹き飛ばす。彼は血を吐いてそのまま床に転がった。
「憂茨っ! 憂茨……」
聞き覚えのある声が、室内に響いた。その声の正体に気が付いたとき、全員の動きが止まる。予想外の出来事だった。どうして今、花蓮がここにいるのか分からない。取り戻される恐れがあるのに。
「何で……」
「連れてきたかって?」
女の紅い唇が大きく開き、狂ったようにひたすら笑う。女の哄笑が響き渡る。
ひとしきり嗤った後、女が俺を見下ろす。まるで虫けらを見るように。
「連れてくるわけないじゃない。あれは幻よ、あなたバカなの?」
「そないな事ない! あんた、そこのケバイ悪魔。こっち見いや!!」
「うるさい……女ね!!」
悪魔の手に再び火球が出現する。彼女が手を振り下ろすと、紅い球はすぐに結理へと向かった。結理を抱きながら若桜が床に転がった。
女悪魔はいくつか火球を作ると、それを次々に2人に向かって放っていく。若桜は結理を庇いながら、鉄扇で防いでいる。
憂茨はまだ立てないでいた。2人は攻撃をされている。それなのに、俺はまた何1つできないでいた。
腰に差している銃に触れる。弾が本当に出るかは分からない。それでも、何かしないと。仲間を、助けないと。どうして体が動かないのか分からない。
あの紅い唇、あの声。ずっとずっと、前に聞いたことがある。いつかなんて分からない、どこでかは分からない。でも、身体が凍りつくような恐怖を味わったことがある。
速く、しないと。理由もなく何もしないでいるなんてできない。
「くそ……なんで、動けないんだよ」
若桜と結理の悲鳴が聞こえる。攻撃に耐えきれなくなった2人が、火球の勢いに圧されて吹き飛ばされていた。
動けないでいる2人を見て、悪魔がつまらなそうに呟く。
「つまらないわね……もう少し、頑張ってくれると思っていたけど」
ゆっくりと女が若桜と結理に近づいていく。
ダメだ、行くな。殺さないで。止めないと。速く。
「……めろ、やめろ」
「――やめないわ。あなたはそこで見ていなさい。どうせ、何もできないんだから」
「できるさ。これがある」
「……撃てないんでしょ? あそこに転がってる女、助けることができなかったんでしょ?」
「撃てるさ……撃てる」
グリップを強く握り、撃鉄を下す。トリガーに指をかけた。でも、引くことができない。怖くて怖くて、目の前にいる女が怖くてしかたない。理由のない恐怖が、身体を支配していた。
それを見透かしたように、女悪魔が告げる。
「怖いのは当たり前だわ。だって、私はあなたを――殺したんだから」




