6話
連れ去られてから何度目かの移動を終えた後、花蓮は暗い場所に連れてこられた。灯りも何もない。聞こえるのは、どこからかしたたり落ちる水の音だけだった。
食事が差し入れられるまで、誰もこないだろう。そう思いながら、花蓮は壁に背を預け膝を抱える。
しばらくそうしていた時、いつの間にか遠くに紅い2対の光がぽっかりと浮かんでいた。私を捉えている悪魔の目だった。
「灯りを」
女が言葉を発した瞬間、室内を蝋燭の火が照らし出す。女の艶やかな紅い唇が見えた。
「今日も元気そうね。私の刻印を持つ者」
「あなた……」
「私のこと知ってるでしょう? いつだったか忘れたけれど――孤児院へ迎えに行ったことがあるのよ」
「あの時のことは覚えてないわ。目を、瞑っていたから」
「そう。まあ、こうして手に入れたんだから、別にいいのだけれど」
この人は――リューリエは一体何をしに来たのだろう。下位悪魔とは違い、人と同じ姿をした高位悪魔が心底楽しそうに嗤った。
「何が面白いの?」
「そう攻撃的にならないで。今日は、あなたの大好きなローランド――違ったわ。憂茨の話をしに来たのよ」
「憂茨の?」
「そう。この間ね、彼に関して面白い発見をしたの。あなたも興味を持つと思うわ」
ゆったりと喋るリューリエは、新しいおもちゃを見つけた子供のようだった。いつも様子を見に来るだけの女が、これだけはしゃいでいるのを花蓮は初めて見た。異様な気配に、悪寒が走る。それを抑え、花蓮はリューリエに次の言葉を促した。
「花蓮。あなたの大事な憂茨は、もうすぐ死ぬわ」
「嘘よ。信じないわ」
「嘘じゃないの。彼の事は知ってるわね?」
「人じゃないことは……分かってるわ」
「あなた、憂茨が食事をしているところを見たことある?」
「ある、わ……」
「そう。それは、人間が摂取する栄養の事でしょう? 彼はね、私たちと同じ悪魔よ。悪魔はね、自らの力を維持するために魂を喰うの」
「……」
「誰かの……人でも悪魔でもいい。彼らの魂を食べているところをみたことは?」
そんなところ、見たことがない。彼は無暗に人の事を追い掛け回し、狩るような悪魔たちとは違う。
「ないわよね。あなた達が食事をしなければ衰弱していくように、私たちも魂を食べないと力が弱まっていくのよ。それを何世紀も続けていれば――」
餓死する。もう、彼女が言いたいことは分かっていた。憂茨は弱っている。どうしようもないほどに。でも、私を守って怪我を負った時は傷が自然と治っていた。人間の治癒力とは比べ物にならないほど、速く。
「信じられないわ」
「今わね……。でも、信じさせてあげる。本当に私が話したいことは、それからにするわ」
リューリエが去っていく。笑いながら。
彼女が何をするつもりかは分からないけど、良い事のはずがない。でも、今の私にはそれを止める手立ても、力もなかった。無力感にさいなまれながら、花蓮は女悪魔――リューリエの背を見ていることしかできなかった。
遠い日の約束が、蘇る。
泣きそうな顔をしながら、約束を交わしてくれた憂茨の顔が。
――もう、1人にはしない。
無性に憂茨の顔が見たくて、私は声を殺して泣いた。孤独に耐えるために。
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気が付くと、暗闇の中に立っていた。闇の中、手探りで灯りを探してみようとするが手の届く範囲には何もない。
気を失う前に聞こえたあの声に答えるまで、きっとここからは出られないのだろう。
「答え……そうか。先延ばしにしてたな」
『ああ、充分過ぎるほど時は与えた――さあ、答えを』
女の声が反響した。
俺の今の望みはなんだろう。あの時は、ただ悪魔を退けることしか考えていなかった。
花蓮を、憂茨を助けるために、自分が生き残るために。
それなら、俺の望みは1つしかないはずだ。
「俺の答えは――花蓮を助けたいから、あんたを使いたい」
いつまで待っても答えは返ってこず、闇からも抜け出せそうな気配はない。
「なんだよ……なんか言えよ。答えを出したぞ」
『それは、お前の答えではない』
何を言ってる? 今の俺は、他に答えを持っていない。
この女は、どんな答えを望んでいるのだろう。
「じゃあ聞くが、お前はどんな答えを望んでるんだ?」
『何も。私はお前の答えだけを望んでいる。お前の、強い望みを』
「俺の、強い望み……」
自分で自分の事が分かってないと言いたいのか? そんな訳ない。
俺は花蓮を助けたい、憂茨を助けたい。あの銃を使って。
「違う。俺が、本当に望んでいることは――」
花蓮だけを助けたいのでもなく、憂茨だけを助けたいのでもなく。
ちぃこの、結理の、花蓮の顔が思い浮かぶ。誰も、見殺しになんかしたくない。
そのために得られる力があるのなら、手に入れよう。
「俺は、守りたい。命令だからとかそんなんじゃなくて、悪魔に狙われて死ぬ人間をもう出したくない」
『目的を、見つけたようだな。これでやっと、私を扱える人間になった。永い時をかけたかいがあった』
――永い永い、気が遠くなるほど永い時を。
辺りが徐々に白くなっていき、女の声が遠のいていく。
目を開いた時に聞こえたのは、意味の分からない言葉だけだった。
目を開くと、床ではなく天井が見えた。
カーテンで仕切られているということは、病院か医務室だろう。
「柊君!」
「ごめん……どのくらい、寝てた?」
「気にするな」
結理から気を失っていたのは数時間で、その間の事を手短に聞いた。
その話によると、銃は高位悪魔の魂を利用して作られているようだった。
悪魔は契約した人物の願いを叶えれば、その魂を狩りに来る。
今までの使用者たちが何を願ったのかは分からないが、彼らは喰われただけだった。
「柊君、聞きたいことあんねんけど」
「なんだ?」
「その、どうやったん?」
「何が?」
「倒れる時、銃が呼んどるって……」
契約したかどうか。きっと結理はそれを聞きたいのだろう。
憂茨も黙って話を聞いていた。
「したよ。契約……」
願いを叶えた時、俺は死ぬんだろう。この銃に喰われて。何も残さずに。
「消えたらだめや。あかん。何か手があるはずや、何か考えんと」
「大丈夫だ。俺の願いは、たぶん俺が諦めない限り続くから」
「何言うとんの? 願いが叶ったらいなくなるんは、もう証明されとる」
「俺が願った事は、悪魔から人を守りたいってそれだけ。だから、終わりなんてない。ずっと」
転生することなくずっと、天界に捕らわれるかもしれない。
願いを叶えるよりも先に、俺の力が尽きるかもしれない。
それでも、目の前で誰かが傷つくよりはマシだ。