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You're in my heart

作者:

開いてくださった方、ありがとうございます!


この作品は自サイトである蒼の世界にて主要キャラとして活躍中の漣連夜を主人公とした短編物です。

ちょっと長いかもしれません。

ですが中学生の小さな決意と諦めない気持ちの強さ、前向きに1歩踏み出す等身大の恋愛物語を紡いでみました。


良かったら読んでください!

 蝉が暑さに苛立っている……かは知らないがうるさく騒音を出している。

 夏の風物詩かどうかは知らないがまだまだ寝ていたい俺にとっては騒音の何者でもない。

 そしていつの間にか空いていたカーテン……誰が明けたかは安易に想像がつくがそのせいで暑い日差しが差し込んできてる。

 そのせいで汗が滲んできている……不愉快だ。

 だけど眠気の方が勝っている、眠っていたい。そんな俺の頭を覚醒させたのは急に部屋に入ってきたある人物の声だった。


「お前、いつまで寝てる気だ? 夏休みだからって怠けすぎだ」


 部屋に入ってきたのは親父だった。めんどくさく時計を手に取るとちょうど九時を指していた。

 休みぐらいいいじゃないか、そう反論したかったがいちいち怒られるのもシャクであり、仕方なく体を起こす。

 そこで初めて父親の顔を見たが、特に怒ってるわけでもなさそうだ。暇だから俺に絡みに来たってところだろう。まったくいい迷惑だ。


「白夜がリトルの試合に行くそうだ。見に行かないか?」


 白夜というのは俺の弟。はくやじゃなくてびゃくやと読む。


「行かないかってことは親父も行くのか?」


「いや、俺はちょっと用事があるからいけない」


「じゃあ誘うなよ」


 そんな面倒なことをと思い、また体を寝かそうとしたが親父の一言に止められた。


「お前はグーダラしすぎだ。たまには外に出ろ」


 親父の言うことは最もで、休みに入って以来ろくに外に出ていない。

 だけどたまの休みぐらい寝ていたいというのが本心だが、野球の試合というのもまったく興味がないわけじゃない。

 このままじゃ俺が起きるまで続きそうだから渋々体を起こし、着替えることにした。




 居間に行くと妹の光がエプロン姿で掃除機をかけていた。

 俺に気づくとスイッチを切り、微笑みかけてきた。


「あ、おはようお兄ちゃん」


「あぁおはよう」


 恐らく人の部屋のカーテンを開けた張本人だろうが、本人の顔を見ると怒る気が失せる。

 本当に可愛く、そのうち誘拐でもされないかと気が気じゃない。

 そのことを親父や弟に言うと流されるが、俺は本気で心配をしている。


「光、ビャクは?」


「白夜だったらもう行ったけど?」


「あぁそう……」


「朝ごはん食べる?」


「あぁ頼む」


 朝食を光に頼み、俺は冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注ぎ、一気に飲み干す。

 噴き出していた汗の分、水分を補給し俺は扇風機の前に座り、朝食が来るのを待った。


「はい、お待たせ」


 光が持ってきたのは白米のご飯に味噌汁、そして目玉焼きだった。

 一般的とも言える朝ごはん。それでも作ったのは小学生の光という点では頑張った方だろう。

 なんせうちには諸事情で母親がいない。俺も父親もろくに料理は作れず、主に料理を作るのは光か白夜だったりする。この二人は二卵性の双子で二人とも小学生。

 こんな家庭、恐らく日本全国探してもそうはないだろう。

 俺は光が作ってくれた朝食を平らげて、家を後にした。



 外に出ると太陽からの日差しが容赦なく照りつける。

 帽子を被っていても熱中症になってしまいそうなぐらい暑い……やっぱり家に戻ろうかって気にもなったが、ここで戻るのも何だかなっと思い自分の気持ちに渋々 抵抗して野球を見に行くことにした。意味が分からないが当の本人も意味が分からない。何もかも暑いのが悪い。


 俺は歩いて半時間ぐらいのところにあるリトル・シニアが兼用しているグラウンドに向かった。

 本当は自転車を利用予定だったが弟がパンクさせたのを親父がまだ直していないため利用できなかった。何でこの暑い日に歩かなきゃいけないのだと自問自答したところ、やっぱり暑いのが悪いってことにした。暑いからパンクしたし、暑いから親父もパンクを直すのを忘れている。

 そんなくだらないことを考えているうちに野球独特の金属音と少年たちの声が聞こえてきた。


 俺はグラウンドを見渡せる高台に行き、野球観戦することにした。

 木がいい感じ日陰を作ってる場所があるため、そこに移動してみると先客がいて驚いた。

 俺が驚いたのは人がいることではなく、その先客が車椅子に乗っていることに驚いた。

 気を遣い、別の場所に行こうとも思ったが今日はなんせ日差しが厳しい。流石の俺も直射日光を浴びながら観戦する気にはなれず、少しのスペースをお借りしようと


日陰に入った。


「あ、こんにちは」


「……こんにちは」


 良く見ると車椅子に乗っているのは可愛らしい少女だった。明るく挨拶をされ、何となく返した。


「あたし、邪魔ですか?」


「あ、いや全然。後から来たの俺の方だし、邪魔だったら他に行くけど」


「いえ、全然大丈夫ですよ」


「そう? じゃあお言葉に甘えて」


 今まで立って野球を見ていたが、座らせてもらうことにした。

 そしてグラウンドに目を向けるとちょうど白夜がマウンドに上がっていた。


「あの……?」


「ん?」


 せっかく真剣に弟のピッチングを見ようとしていたところに少女から話しかけられる。


「誰かお知り合いでもいるんですか?」


「ん、あぁ……あの試合してるチームにってこと?」


「はい」


「今、投げてるの俺の弟なんだ」


「えっ!? 漣くんのお兄さんなんですか?」


 自分の苗字が出てきて正直ビクっとなった。どうやらこの子は弟を知っているらしい。


「弟のこと知ってるんだ」


「えぇ、チームのエースですから……ってお兄さんってことは中学生ですよね?」


 大人っぽいと良く言われるが高校生と言わない辺り、やっぱり見た目は中学生なんだろう。

 少し残念に思いながらもここは素直に答えることにした。


「あぁ、中1。あいつ、年子なんだ」


「あ、じゃあ同い年ですね」


「……えっ!?」


 年下と思っていたこの少女は同い年と言う……人とは分からないものだ。

 しかし俺の驚き方が少々大げさだったせいか、少女は頬を膨らませていた。


「どうせ、小学生に見えますよっだ!」


 すっかりふて腐れてしまった。俺のせいなんだろうけど、こんな時なんて言っていいか俺の引き出しには入っていなかった。

 でもそんな心配はいらず、すぐに少女の方から次の話題が飛んできた。

 どうやらマジメに野球観戦をさせてはくれないらしい。


「えっと漣くんのお兄さんは野球やらないの?」


「リトル時代は少しやってただけ」


「どうして辞めたの?」


「センスがなかったから」


 俺があまりに素っ気無く答えたせいか、少女は言葉に詰まったようだった。

 悪気はなかったが、あまり触れられたくもない話題でもあったから仕方がない。

 俺は埼玉に居た頃、リトルリーグに入っていた。弟の白夜と一緒に。だが、センスの差は歴然だった。更に親父も白夜にのみ指導し、俺にはまるで辞めろと言わんばかりの態度だった。

 だから神戸に引っ越して来たのをキッカケに俺は野球を辞めた。だが今日出会った少女にそこまで言う必要もなければ言いたくもない、だから一言で済ませた。


「そういえば、髪長いよね」


 少女は話をすんなりと変えてきた。別にそこまでして俺と話さなくてもいいとは思うがやはり無視するわけにはいかず、グラウンドに目を置きながら答えた。


「体質か知らんけど伸びるの早いんだよね。だからほっといてる」


 俺の髪は肩を超える程度まで伸びている。一方、少女はショートヘアーで肩に襟足がつくかどうかぐらい。つまり俺の方が長い。どうも、それが気に食わないのか隣


から「むぅ」と唸った声が聞こえてきた。


「ショート似合ってるよ。気にすることじゃない」


 だから一応フォローを入れといた。目はグラウンドのままだから少女がどんな態度を取ったかは知らないが、褒められて嫌な人はいないだろう。あくまでその場の処置だが、今日限りであろう少女相手にはちょうどいいはずだ。

 それから他愛のない話も混ぜつつ野球観戦を続けていると一人の男性が現れた。


「捺、そろそろ行くぞ」


 その男性は少女に話しかけたが、その声に聞き覚えがあって顔をまじまじと見てみるとやっぱり俺の知っている人だった。


「彰規さん?」


「ん? ……おぉ、連夜か」


 現れたのは黒瀬彰規さん。俺の弟やダチだちが入っているリトル・シニアの出身で、良く見に来ている。シニアの試合観戦時に来た時に俺もダチに良く見に来いと引


っ張られていたため知り合った。


「お兄さん、連夜って名前なんだね」


 そういえば自己紹介もしないまま、話していたなと今更ながら気づいた。

 少しの間だが話をした関係のため一応、しっかりと挨拶しておこうと思った。


「漣連夜だ。君は?」


「黒瀬捺です。よろしく、連夜くん」


「呼び捨てでいいよ。同い年なんでしょ?」


「そう? じゃあよろしくね、連夜」


 満面の笑みの捺につられ、こちらも笑ってしまう。どうやらこいつは人を惹きつける能力はぴか一らしい。


「黒瀬さん、病気の妹さんいるって言ってましたけどこの娘のことだったんですね」


 俺の問いかけに黒瀬は笑って頷く。

 そして車椅子の取っ手の部分を持ち、押す体勢に入った。

 それに気づいた捺は慌てて彰規さんの顔を見るため、後ろを向いた。手もあたふたとさせてその行動が少し可愛かった。


「え、ちょっと待って。もうすぐ終わるところなんだけど」


「外の風に長時間当たってるのは体によくないだろ。そろそろタイムリミットだ」


「むぅ……」


 今日日、本当に頬を膨らませるやつがいると思わなかったが、捺は普通にやってのけた。

 それを彰規さんに両手の人差し指で潰していた。

 捺の頬は風船の空気が抜けたような音を出し、正常な大きさに戻った。


「じゃあ連夜、またな」


「今日はありがとね」


 彰規さんは軽く手を挙げ、捺は右手を思いっきり左右に振って黒瀬兄妹は帰っていった。

 二人の後姿を見送り、見えなくなった頃、ちょうどグラウンドでは弟の白夜が会心のガッツポーズをしてキャッチャーとタッチを行っていた。

 俺は思った、肝心なところ結局見ていなかったなっと……



…………*



 翌日、俺は夏休み恒例となっている蝉と暑さと睡魔と戦っていた。

 俺は眠りたいのに蝉のやつは生きたいと懸命に泣き、暑さは俺の体から水分を奪っていく。

 それでも俺は寝たいんだといよいよ戦闘態勢に入ったところ、部屋の外からバタバタと走ってくる音が聞こえてきた。俺は嫌な予感がして枕で頭を抑える。

 その瞬間、部屋の扉が豪快に開かれた。


「連夜ァッ! 起きんかい、朝やでぇっ!」


 それと同時に聞こえてきたのはやかましい関西弁。俺は瞬時に誰かを認識し無視を決め込む。

 しかし声の主はそんな俺の気持ちを汲み取ってはくれず、枕を取られ耳元で叫ばれた。


「連夜ぁっ! あーさーやーでー!」


「だぁもう! やかましい!」


 耳元で叫ばれては流石に無視も出来ず、すかさず起き上がって声の主の頭を叩く。

 思いっきり叩いたのにも関わらず声の主は俺が起きたことが嬉しかったのか、それとも単純に叩かれたのが嬉しかったのか、豪快に笑い出した。


「よーしよし、ようやく起きたかぁ」


 どうやら前者のようだったので少し安心をした。


「透……相変わらず頭爆発してんな」


 俺の目の前にいるのは倉科透。ユニフォーム姿で頭は重力に逆らって逆立っている。

 恐らく寝癖をそのままワックスで固めているんだろう。俺の中ではそう解釈している。


「ワイの頭はどうでもええねん。それより試合や! 連夜、いくでぇ!」


 どうやら今日もまた俺に自由はないらしい。

 というか休みなんだから寝ていたっていいじゃないか、そう思うのは俺だけなんだろうか?

 そして更にツッコミどころを挙げるなら……


「何でシニアの試合に俺も行かなきゃいけないんだ?」


 透とは同じ中学ってだけの付き合いで、ついでに言えば俺はシニアリーグとはまったく関係ない。白夜の時と同じでただ透など中学で付き合いのある連中が試合に出る時に何回か見に行ったことがある、ただそれだけだ。

 野球を見ること自体は嫌いじゃないが、こんな暑い日に外に出るほど俺だって愚かじゃない。

 たまにはアイスでも食べながら扇風機の前を独占したって良いじゃないか。それなのに神様は俺に平穏な一日すら与えてくれないらしい。


「そんなんどーでもええねん。どうせ暇やろ? いこーやん」


 大した理由もなかったらしくいつもの如く、力技だった。

 こういうときは何を言っても無駄なのはすでに承知済みだ。

 俺は着替えるから外で待ってろっと透に告げ、部屋を追い出した。




 着替えをすませ居間に行くと、麦茶を一気に飲み干している透がいた。

 どうやら光が麦茶を透に出したらしい。こういう気が利く一面があるのは良いことだが、何もこんなやつに我が家の貴重な水分を提供する必要もないとも思う。


「透、行くぞ」


「ほいさ! ほな光ちゃん、お茶おおきにな」


 光は笑顔でお辞儀し、朝食に使った食器洗いに戻っていった。

 家を出て眩しいばかりの日差しと対面し、俺は朝食を取ってないことに今頃気づいた。




 昨日と同じグラウンドに行くと、活気のいい声が響いていた。

 俺は透と別れ、昨日の木のところに向かった。そこには二人の人影があった。

 昨日と同じシルエットだったため、誰がいるかはすぐに分かった。


「彰規さん、捺。今日も来たんですか」


「おっ、よぉ連夜。お前も熱心だな」


「いや、今日は透に連れてこられただけですよ……」


「はははっ、いつものことだろ」


 笑って流される。確かにその通りのため、何も言い返せない。


「でも来るあたり律儀だよね」


 そう言ってきたのは捺だ。律儀なのか断り下手なのかは俺にはわからないが、恐らく後者だろう。

 だが言葉を変えるとお人好しってことだ。それがいい言葉かは俺には判断はつかないがな。

 そんなこんなで今日は三人で観戦かと思ったら、グラウンドから二人駆け足でこっちに向かってきた。一人は俺を引っ張ってきた倉科透。そしてもう一人は……


「おっ、なんだ連夜。来てたのか」


「よぉ一葉」


 一葉と呼んだが本名は常盤一葉。名前はかずはと読む。

 第一期神戸に住んでいたときの小学校からの付き合いだ。中学でこっちに戻ってきた時にまた同じ中学になった。つまり幼馴染と世間では言う関係だ。

 その一葉が人を見て意外そうな顔をし、言葉を発した。つまり俺を連れてきたのは透の独断らしい。本当に迷惑なやつだ。


「お前ら、もうすぐ試合じゃないのか?」


「だから彰規さんにベンチに入ってもらいたいの。ほらほら来てくださいよ」


「ちょ、お前ら。ひっぱんなって!」


 彰規さんはあっという間に透に引っ張られ、グラウンドへと降りていった。

 一葉は残って「んじゃまた後でね」と言い、駆け足で戻っていった。

 でね、って言い方が俺ではなく捺に言ったことを証明していた。


「何、一葉と知り合いなの?」


「うん。というかお兄ちゃんのおかげでリトル、シニアには知らない人いないよ」


「あーなるほど」


 今のようにベンチに連れて行かれるほどこのリトル、シニア出身の彰規さんは良く顔を出すってことで慕われている。

 俺も部外者ながら何度かベンチで観戦したことがある。

 恐らく捺が観戦に来ていても俺はベンチにいたりで今まですれ違ってきたのだろう。

 しかし体が弱いらしく、彰規さんがベンチにいった以上、俺が捺の様子を見なければならないってことだろう……それは意外に面倒な役目を事実上押し付けられたということだろう。


「体調は?」


「え?」


「体弱いんだろ? 大丈夫なのか?」


 もう少し聞き方ってもんがあるだろうと即座に自分をツッコミたくなった。


「大丈夫よ。そもそもお兄ちゃんたちが大げさなだけ。あたしは元気なの!」


 大抵、重い病気を背負ってる人ほどこういうことを言うもんだが、捺がどれほどの病気か俺は分かりようがないので、本人の意見を尊重することにする。


「そうか。ならいいよ」


「心配してくれるの?」


「捺に何かあると近くにいた俺の責任になるからな」


「もう! 心配しすぎだってば」


「ところでさ」


「なに?」


「なんで捺は野球が好きなんだ? 女子が好きになるってなんか珍しいなっと思って」


 試合が始まったようだが、序盤からそんな動きはないだろうと興味本位に捺に話を振ってみる。

 そもそも今日は野球を見に来るなんて考えてもいなく、自分の意思で来たわけでもないため、律儀に見てやる必要も責任もない。試合後確実に聞かれるであろう活躍


度は透の時だけきっちりと見ていればいいだけだ。


「ん~連夜も分かっちゃってるみたいだけど、あたしちょっと病気で体が弱いんだ」


「らしいな」


「いつも入退院を繰り返す時に暇で、その時お兄ちゃんがあたしに野球を教えてくれたんだ」


 グラウンドを見つめながら笑顔で話す捺。

 その様子から本当に野球が好きなのが感じ取れる。


「あたしの夢は自分でも野球をやることなの。だから早く元気にならなきゃ」


「……なぁ、ちょっと突っ込んだこと聞くけどさ」


「なに?」


「どういう病気なんだ? そんな重い病気なのか?」


「……うん、ちょっと心臓に……ね」


「……ふ~ん、そっか」


 自分の心臓付近を手で触り、少し切なげに話す捺。

 やはり突っ込んだのは失敗だったかなと公開したが、心臓に病なら病弱なのも頷ける。車椅子なのも歩いて心臓への負担を少しでも和らげるためだろう。


「そういう連夜はどうなの?」


 話題は急転、俺に変わった。俺はとぼける気も合わせ、聞き返してみることにした。


「どうって?」


「野球。見に来るってことは嫌いじゃないんでしょ?」


「ん~……つっても昨日は弟が出てたし、今日は透に引っ張られてきただけだしな。捺ほど野球が好きかって言われるとそうでもないかも」


 俺は素直に心境を答えた。本当に好きという雰囲気を出している捺に対し、偽善で好きとは言えなかった。

 自分が本当に野球が好きなのか、自分で自分が分からない。


「そっか……でも興味はあるんでしょ?」


「興味ね……いやさっきのは語弊があったな」


「え?」


「好きだった……好きだったよ、野球」


「だった?」


「あぁ、今でも未練があって好きなのかもしれない。けど自分でやるのは嫌いなんだ」


「……どうしてか聞いてもいい?」


 俺はグラウンドを見つめながら腕を組んだ。

 捺の質問に答えようか、ちょっと戸惑ったというのが本音だ。

 正直、自分では思い出したくも、喋りたくもない出来事だからだ。


「ゴメン、いらないこと言っちゃったかな……?」


 俺が少し黙ったら捺が謝ってきた。

 別に捺は悪いことしていないわけで、俺は謝られる必要はない。


「いや大丈夫だよ、気にするな。そうだな……少し長くなるけどいいか?」


 俺は捺に話すことにした。なぜ野球が……自分でやるのが嫌いなのかを。

 俺は兵庫に来る前は埼玉でリトルに弟と一緒に入っていた。そう、俺自身も野球をやっていたのだ。そして父は元プロ野球選手。父は口癖にように「お前もプロになれよ」と言ってきた。

 俺も弟もその気になっていた。だけどその父は弟ばかり指導……野球を教えた。いや、野球の話でさえ弟とばかりだった。そしてある日気づいた。

 父は自分には才能がないから野球を教えないのだと……プロ野球選手になって欲しいという願いをかけているのは自分じゃない、弟だと……それに気づいたとき、俺に残っていたのは虚無感だけだった。それ以来、俺は自主的に野球を辞めた。父から弟から野球から逃げるように……


「ま、こんな感じだが……捺と会って二日目だというのに話すことじゃなかったな」


 一通り話終えたところで隣に座ってる捺の方を見る。

 そうしたら捺は大粒の涙を流していた。

 俺はそれに普通に驚き、慌てた。ここから見たやつがいればまるで俺が泣かしたようにしか見えないだろう。


「お、おい、どうしたんだよ!」


「ひっ……ゴメンね……ひっ」


「いやなんで泣いてんだよ……?」


「連夜がする話が哀しいからだよ」


「哀しい? そうかな……?」


「ねぇ、連夜。野球やるべきだよ」


「あ?」


「お父さんのせいにして逃げてる。本当は野球好きなのに心を閉じてしまってる」


 捺の言っていることが俺には理解できなかった。

 何より今のを聞いて俺が本当に野球が好きだなんて思うやつはまずいないだろう。


「んなことねぇよ」


 返す言葉も見つからず、とりあえず否定しておいた。

 それからはこれといった話題もなく、グラウンドでやっているシニアの試合に集中した。

 でも捺の心を閉じてしまっているという言葉に少し引っかかっている自分がいた。




 ある程度、野球を見ていたら隣に捺が息遣いが荒くなっているのを感じた。


「どうした捺?」


 俺はそのままの姿勢で首だけ捺の方に向けた。

 そこには胸を抑え、苦しそうにしている捺がいた。


「はぁ……はぁ……」


「捺!? 待ってろ、今彰規さんを連れてくる!」


「はぁ……待って……!」


「あん?」


「もう少し黙ってれば良くなるから、大丈夫……」


 そうは言うが段々顔色も悪くなって息遣いも荒くなってきている。

 素人の目から見ても悪化しているのは分かった。


「バカ言うな。早く病院に戻った方がいい!」


「お兄ちゃんにあんまり迷惑かけたくないから……」


「アホか。彰規さんはそんなこと思うわけないだろ。いいから黙ってろ」


 俺は捺の制止を振り切って試合中のグラウンドに駆け出した。

 幸い、透たちのチームベンチはグラウンドを挟まずちょうど下った方にあった。

 これが逆だったら試合を中断してグラウンドを突っ切ることになっていただろう。


「彰規さん!」


「おっ、ビックリした! どうした、連夜?」


 ベンチで腕を組んで観戦していた彰規さんが俺の方を見て不思議そうな顔をしていた。

 そりゃ、上で見ているはずの男がそれも焦って来れば不思議がるのも無理はない。


「捺が……体調崩して!」


「な、なんだと!?」


「早く病院に!」


「わ、分かった! すいません、監督。俺はこれで」


 シニアの監督への挨拶は忘れずに行い、彰規さんは上の木の元に急いだ。

 俺も監督に一礼して彰規さんの後を追った。


「はぁ……はぁ……」


「捺!」


 木の元に行くと先ほどよりも顔色を悪くした捺がいた。

 何がもう少し休んでいれば良くなるだ……その兆しすら見えない。

 彰規さんは急いで自分が着ていた上着を捺にかけ、車椅子を押す体勢に入った。


「すまなかったな、連夜」


「いえ、俺がもっと早くに気づいていれば……」


「そんなことはない。ありがとな」


 そう言い残して彰規さんは急いで車椅子を押して病院へ向かった。

 俺の中にはもっと早くに気づいてやれれば……そんな想いを抱いていた……




…………*




 翌日、俺は自分で言うのもなんだが珍しく早起きをした。

 弟や妹、親父全員に驚かれ、雨でも降るんじゃないかと茶化された。

 まぁ、そんなのはどうでもいい。俺だってやることがあれば自分から起きることだってある。

 そのやることを果たすため、俺は電話の受話器を左手に、右手で番号を押している。

 相手は三回目のコールの後、電話に出た。声からして俺の目的の人物だった。


「あ、もしもし、一葉?」


「そうだけど、誰?」


「俺、連夜」


「……は? 今、何時だと思ってんの?」


「AM、七時半だけど?」


「連夜がそんな時間に起きるわけねーだろ」


 心外だが俺に関わるもの全員が俺を毎日、無駄に寝て過ごしていると思っているらしい。

 半分以上は正しいため何にも否定は出来ないが、ここまで言われると俺だって思うことはある。


「今日は特別だ」


「雨でも降るんじゃね?」


「そのセリフ、もう四回目だよ、聞くの」


「まぁ、いいや。んで何の用よ?」


「彰規さんの妹のこと知ってんだよな?」


「あぁ、捺ちゃん? それがどうした?」


「通ってる病院わかるか?」


「ん? あぁ、分かるけど」


「教えてくれ」


 それから俺は一葉がいう病院名をメモに取り、一葉にお礼を言って切ろうとしたがそう簡単に問屋は卸さなかった。


「んで、何で聞きたかったわけよ?」


「……あのな一葉。お前が思ってるようなことはねぇよ」


 思春期真っ只中な一葉のことだ。俺が捺に惹かれたとかそんなことを考えているに違いない。そうなったら余計な噂が立つ。ここは根元から否定しておかなくてはいけない。

 結局、一葉は最後には不満そうに納得をして電話を切った。火の無いところに煙は立たないとは言うわけで結局は余計なことになりそうだが、それはまぁ覚悟しておこうと思う。

 病院の場所と病室番号を聞いた俺は光に出かけてくると一言伝え、家を出た。家を出た瞬間、日光は相変わらず燦々としていた。




 家から病院までは自転車で小一時間程度の場所だった。というより大きな病院で、名前を聞けば場所は一葉に聞かずとも分かっていた。

 問題は病室だが、これは後で面倒な弁解をするという条件と引き換えに聞き出せたから問題ない。ちなみに自転車もようやく親父が重い腰を上げて直してくれた。まぁ自転車もこんな暑い日は日陰にしまわれていた方が良いんだろうけど。

 俺は病院に入る前に自販機でジュースを買い、一気に飲み干した。流石にこの炎天下で小一時間、自転車をこぐという行為は体に負担が大きい。光が出かける前にタオルをくれたのだが、思えばタオルがなきゃ汗ダラダラ流して面会に行かなくてはいけなくなるところだった。改めて出来た妹に感謝をし、俺は病院に入った。


 流石は一流どころの病院。冷房管理はバッチリだ、と言いたいところだが汗かいている状態のためこれでは逆に風邪を引きそうだった。この場ですぐお世話になるのは勘弁したいところなので早めに捺の元へ行くことにした。

 

 一葉に教えてもらった病室の番号のところに行くとその部屋のところに『黒瀬捺』とネームが貼ってあった。一人分の名前しかないため、どうやら個室のようだ。

 俺は一呼吸置いて、部屋のドアをノックした。


「は~い?」


 中から捺の声が聞こえてきた。俺はその声を聞き、ドアを開けた。


「よぉ、元気そうで何よりだ」


 第一声に悩んだが先ほどの捺の声が元気良かったため、咄嗟にその言葉が出た。

 中に入ると、そこにはベッドに座っている捺とその横にイスに座っている彰規さんの姿があった。


「連夜!? どうしてここに!?」


「連夜……どうしたんだ?」


 二人とも驚いた様子だった。そりゃそうだろう、病院すら教えてもらってなかったやつが急に現れたら驚くのが普通の反応だ。だが捺の驚き方が少しオーバーで目を思いっきり見開いて、手を口に当てていた。漫画か、お前はとツッコミたくなった。

 それはともかく、ここまで来た理由と経緯を話さなければならない。


「えっと昨日のお詫びに……」


「お詫び?」


「俺がもっと早く捺の異変に気づけば、こんなことにならなかったはずです」


「お前……」


「べ、別に連夜のせいじゃないよ?」


「その通り。お前が気にすることじゃないぞ」


 二人が慰めてくれるのは有難いが、病院に運ばれ個室に入ってるということはそれなりに重い病気なはず。少しでも悪くしたのなら隣に座っていた俺にも責任がないとは言えない。


「えっと連夜、どうやってここに?」


「あぁ、一葉に聞いた」


「一葉? あぁ、常盤に聞いたんだ」


「そう。来ちゃ悪かったか?」


「ううん、そんなことないよ!」


 首を横に大きく振って否定する捺。だからお前は漫画か、とやはりツッコミをいれたくなる仕草につい苦笑してしまう。

 俺が笑ったため、捺は小首を傾げていた。彰規さんに目を移すと彰規さんも苦笑していたため、俺と同じ気持ちだったんだろう。だけど彰規さんと目が合うとふと表情が変わって俺に指差しをしてきた。


「なぁ、連夜。それなんだ?」


 彰規さんが指したのは俺が持っていた物だった。


「あ、これですか? 捺が野球好きっていうんでせめてものお詫びと思って」


 そう言って持ってきたグローブを捺に差し上げた。


「一応、親父のサイン入ってるから、多少売れると思うけど」


「えっ!? 連夜のお父さんってあのレイ選手だよね!?」


「あぁ、登録名そうだっけ? まぁ、そうだけど」


 聞いといて俺の返答を聞いてるのか分からないぐらいグローブに釘付けになっていた。

 持ってきた俺も俺だが、本当にここまで喜ばれるとは思わなかった。


「いいのか、連夜」


「別に減るもんじゃないですし、構いませんよ」


「わぁ、ありがと連夜! 大切にするね!」


「いや、売ってくれても構わないけどな」


「そんなことしないよ!」


 俺はここで初めて野球ファンに親父が認知されていたかを知った。

 三冠王二回とった大打者と言われても普段の親父からは想像が出来ない。身近な人間っというのは得てしてそんなものだ。


「さてと、俺はそろそろ練習に戻るかな」


 そう言って彰規さんはイスから立ち上がった。


「じゃあ俺も……」


「いいよ、連夜。ゆっくりしてけ。その方が捺も暇しなくていいだろ」


「そうだよ、連夜。ほら座って」


 彰規さんが座っていたイスに勧められ、俺はなすがままにそのイスに座った。

 それを確認し、彰規さんは笑顔で部屋を後にした。

 彰規さんが去って少し間が出来た。俺は自ら話題を持ち出すのが苦手だった。ましてや相手は捺、出会ってからの期間が短いのもあるが、ここまでずっと捺が話題を出してた。それに少し期待していた自分がいた。

 妙な間が一分程度過ぎただろうか、ようやく捺が口を開いた。


「驚いたでしょ、一人部屋で」


「まぁな……一人部屋ってことはさ……」


 そこから先は俺には言葉に出せなかった。

 代わりに捺がクスっと笑ってその先の言葉を汲み取った。


「あたしね、心臓に重い病気を持ってるんだ。原因不明でね、治療も困難なんだって」


「治療も?」


「うん、難しいんだって」


 それを聞いて俺は少なからずショックを受けていた。

 確かに身体が弱く、心臓に病を持っていたのは聞いていたがそこまで重い病気だったとは……と。

 それでも笑顔に元気に振舞っている捺を見て、普段だらけている自分に苛立ちさえ覚えるようだった。世の中にはいろんな人がいるというが身近にこんな大変な目に


あってる人がいるとは思ってもいなかった。


「連夜、今悲しそうな顔してるよ?」


「そんな話聞かされて笑顔でいるのも変だろ」


「あはは、それもそうだよねぇ」


「捺……」


「自分の病気がそういうのだって聞かされた後、絶望の中にいたあたしを救ってくれたのがお兄ちゃんなんだ。野球のこと教えてくれたりして……ってここは前に喋ったっけ?」


「あぁ、聞いたな」


「これでもあたし、結構沈んでたんだよ?」


 まるで今の自分からは想像できないでしょ、と勝手に言ってるようだがまぁ確かに想像し難いのも事実だった。だが、自分が原因不明の重い病で治らないなんて言われたら普通はそうなるだろうなと思った。


「そうだろうな」


 だからなんて返していいか分からず、当たり障りのない返事になってしまった。


「でもお兄ちゃんが野球を教えてくれたおかげで一葉くんとか色んな人と友達になれた。あたし、入退院繰り返してたせいで学校もろくに行けなくて同学年の友達がいなかったから」


「そっか」


 ここで俺はようやく微笑むことができた。いや嬉しそうな捺を見て自然と笑みが零れたというほうが正しいんだろうけど。


「連夜は夢とかある?」


 捺の唐突の質問に俺は戸惑った。夢か……そんなこと考えたこともなかった。

 一時期は可愛げがある感じでプロ野球選手とか言ってた時代もあったが……


「いや、ない」


 と素直に言ったら捺は目を細めた。

 どんな答えを期待していたのかは知らないが、その期待に応えられずがっかりされたようだ。


「ちなみにあたしはね」


「自分で野球やるんだろ?」


「うん。それもあるけど球場にいって生で野球観戦がしたいんだ」


「彰規さんの試合か?」


「それもだけどプロ野球かな。まぁ、この体じゃ無理なんだけど」


「夢なんだろ? はっきり無理とか言うなよ」


「クスッ、夢が無い人には言われたくないよー」


 非常にごもっともなセリフに俺は苦笑せざるおえなかった。

 それから小一時間ほどくだらない雑談事……主に野球の話で盛り上がった。

 この一時間話してみて分かったことは捺は本当に野球が好きってこと。そして病気のことがあるのに心から笑えることだった。

 捺からすれば俺が持ってる心の傷なんて大したことないんだろうなと思い知らされた。

 俺はいつの日か、心から笑える日が来るのだろうか?


「じゃ、俺そろそろ行くよ」


 そう言って立ち上がった。思ったより長居をしてしまった。


「あ、連夜」


「ん?」


「……また来てくれる?」


「……あぁ」


 ポンと捺の頭を軽く叩いて、俺は病室を後にした。

 病院を出たら相変わらず太陽は燦々と照り輝いていた。




 それからというもの、この夏休みは透たちのせいで試合がある度……いやただの練習の時でさえ呼ばれ、安眠という言葉は無くなっていた。

 ただ捺もたまに見に来て、捺と会話するのが一つの楽しみになっていた。

 普段、あまり人と接しようとしない俺にとっては不思議な気持ちだった。


「ねぇ、連夜。キャッチボールしない?」


 とある日、突然捺が言い出した。

 その申し出に俺は苦笑するしかなかった。


「お前、できるの?」


 その言葉にカチンと来たらしく、頬を膨らませていた。


「出来るよ! 体調良いときはお兄ちゃんとやってるもん!」


「はいはい、じゃあグローブとボール借りてくるからちょっと待ってろ」


 俺は練習中のグラウンドに行き、監督にグローブとボールを貸して欲しいと頼んだ。

 リトルにもシニアにも所属してなかったが、弟や透たちのおかげで俺も顔なじみになっており、捺がやりたがってることを話すと快く貸してくれた。

 俺はグローブ2個とボール1個を持って捺の元へ戻った。


「ほらよ」


「ありがとー」


「んじゃ行くぞ」


 それから数メートル離れてキャッチボールを始めた。

 やってると言うだけあってキャッチングもまともだし、何より投げ方がしっかりしていた。

 だが大変なのは俺の方で、相手が相手のためコントロールミスは許されない中やってるため、いつも弟とやる時より緊張し、慎重にやっていた。

 何十球かやった時だった。捺が急にキャッチボールの動作を止めて俺を手で呼んだ。

 俺は具合が悪くなったのかと思い、駆け足で詰め寄ったが顔色は悪くなかった。

 ただ明らかに疑問を抱いている顔をしていた。前から思っていたが捺は非常に顔に出やすいタイプなんだろう。


「どうした?」


「連夜、なんか投げにくそうに投げるね」


 それは相手がお前だからだよ、とは流石に口に出せなかったが、どうやら根本的にそういう問題ではないらしい。


「そうか?」


「うん、投げにくそう。感じない?」


「ん~……これが当たり前でやってたからな。ほんとに昔、野球やり始めた時は確かに左でも投げれたけど」


「じゃあさ、試しに左で投げてみてよ」


「え?」


「だって見ててぎこちないもん。私より下手に見えるよ?」


 それはそれで嫌だなっと思い、試しに左で投げてみることにした。

 先ほどの位置まで戻り、グローブを外し左手でボールを持つ。

 そして投げてみた。そうするとどうだろう、物凄く投げやすく、力を入れてないのにスピードの乗ったボールが捺へ一直線に飛んでいった。


「キャッ」


 悲鳴と同時にグローブでボールを弾く音が聞こえた。

 どうやら速すぎて捺が捕球できなかったみたいだ。


「悪い! 大丈夫か!?」


 俺はボールを拾いすぐに捺に駆け寄った。

 捺は尻餅をついて、目を丸くしていた。

 手を差し出して、立ち上がらせると捺は急に飛び跳ねて俺の腕を上下に激しく振ってきた。


「凄い凄い。右とは全然違うじゃん!」


「そう、だな」


 自分でも驚いたが俺は元々左利きだったようで、それから捺とキャッチボールを続けてみたがコントロールも左の方がつけやすかった。

 この事実に俺は自分自身に苦笑した。俺は自分のことすら分かっていなかったのかと。


「そろそろ休むか?」


 右投げから換算すると結構な時間、キャッチボールをしていた。

 捺の体のことを考えると無理はさせられない。捺は満足そうに頷いて日陰に止めていた車椅子に戻っていった。俺はグローブとボールを返しに一度グラウンドを降りて、それから捺の元へと向かった。


「ふぅ、楽しかったー」


「それは良かったな」


「ねぇ、連夜。少し立ち入ったこと聞いていい?」


「聞くのは自由だぞ。答えるのは俺の自由だがな」


 少し意地悪な言い方をしてみた。正直何を聞かれるのか分からず、戸惑っていたりする。

 捺は少し間を空けてから、覚悟したかのように言葉を振り絞った。


「連夜は人と交流するの避けてる?」


 本当に立ち入ったことだなと、俺は今日何度目かの苦笑の胸のうちでした。

 だが先ほどの左で投げてみろと言ったりと捺は根本的に着眼点が鋭いのだろう。

 確かに俺自身、そういう部分はあるからだ。


「どうだろうな、意識はしてないけど……言われてみればあるかもな」


 仲のいい透や一葉たちともどこか一線を引いてる。それは意識してるわけじゃなく本能だったりする。理由はもちろん自分では分かってるつもりだった。恐らく捺は理由を聞いてくるだろうと、心の中で答えを用意しておいた。


「どうして?」


 案の定、不思議そうな顔して聞いてきた。


「前に父親のこと話したろ?」


「あ、うん……」


「そのせいかな、誰にも裏切られたくないという気持ちが出てしまってるんじゃないかと思ってる。だから仲がいいやつらとも一線を引いてる気がする」


 俺は素直に捺に伝えた。良く分からないが捺にはほんとの自分をさらけ出すことができる……そんな気がしていた。


「でもそれじゃあダメだって連夜自身、気づいてるんだよね?」


「さぁな。俺はこのままでもいいと思ってるけど」


「そんなダメだよ!」


 立ち上がって全力で否定してきた。そんな急な動きをしたら心臓に良くないだろうと思い、俺はとりあえずなだめて捺を座らせることにした。


「ねぇ、連夜。連夜は人としっかり交流できる人だよ。あたしとだってすぐ仲良くなれたじゃん」


 それは絶対、そっち側のおかげだろとツッコミたかったが俺はあえて違う言葉で切り替えした。


「なぁ、捺。俺不思議に思ってることがあるんだ」


「なぁに?」


「お前、どうしてそんな明るくいられるんだ? 俺だったら塞ぎこんでそうだけどな」


 少し立ち入ったことかもしれないが、これでお互い様だ。

 捺が答えなかったらそれはそれで別にいいと思っていたが捺は素直に口を開いた。


「お兄ちゃんや親に心配かけたくないから、かな」


「……なるほどね」


「それにね、連夜。あたしはもう希望がないけど連夜の人生は続いていくんだよ? やっぱりこのままじゃダメだよ」


「そんなこと言うなよ!」


 俺は自然と声を張っていた。急に声を上げてしまったため、捺も驚いたようだ。

 だが希望がないなんて悲しい言葉、捺の口からは聞きたくなかった。


「何かないのか? お前が助かる道は!?」


 つい強めの口調で俺は捺に問いかけた。

 捺は俯いて俺とは逆に少し抑え目の口調で話し始めた。


「アメリカに行けば、あるいは……なんだって」


「アメリカか……でも行けば治るのか?」


 それには無言で首を横に振った。

 俺には意味が分からず、捺の言葉を待った。


「……それでも助かる可能性は少ないんだって。だったら短い時間とはいえ僅かでも家族と一緒にいたい……それがあたしの選んだ道なんだ」


 それに対し俺は何も言えなかった。

 加えて捺は手術しなければ余命は後1年と言われているらしい。

 どちらにせよ捺には時間がない。希望がないという言い方をしたのは先の未来がないという意味だったことを俺は今、ようやく理解した。

 だけど、このままで良いわけが無い。俺はどうしても捺に助かって欲しかった……いや諦めてほしくはなかった。


「なぁ、捺」


「なに?」


「俺、プロ野球選手を目指すよ」


「え?」


「そしてお前を球場に呼ぶ。それが俺の“夢”だ」


「連夜……」


「だからお前も諦めるな。希望があるなら賭けてみないか?」


「ほ、本気なの?」


 捺は涙を流し、声を震わせながら俺に問いかけてきた。

 俺は微笑みながら答えた。


「あぁ、本気だよ。捺、好きなポジションはあるか?」


「え?」


「目指す以上はどこかやんなきゃいけないだろ? 俺、特にやりたいところもねぇし」


 こんな適当な男がプロ野球選手を目指すなんて、今一生懸命練習をしているリトルやシニアの選手、いや全国の野球をやっている人に失礼かもしれない。

 でもそれぐらいやらなきゃ捺だって動いてくれないだろう。人のために自分の道を決めるなんておかしな話だが俺はそれでもいいと思っていた。


「キャッチャー……かな。お兄ちゃんが守ってるし、一番最初に覚えたポジションだから」


「OK。キャッチャーね」


「でも連夜、左利きでしょ? 左のキャッチャーなんて聞いたことないよ?」


「いいじゃねぇか。聞いたこと無いなら俺が先駆者になる」


「連夜……」


「俺はお前の夢を叶えてやる。だからお前もそれを目的に生きてくれ」


 捺は泣きながら、それでも力強く何度も頷いた。




 その夜、俺はシニアに入りたいことを夕食の時、家族の前で言った。

 親父は固まって、お前何言ってんだって顔で見てきた。だから俺は繰り返し、やりたい旨を伝えた。


「俺、野球やりたい。シニアに入れさせてくれないか?」


「お前……何で突然……」


 ようやく言葉を振り絞ったかのような親父に俺は力強く言ってやった。


「プロ野球選手になりたい。今度は本気だ」


「……お前がプロ野球選手だと?」


「無謀なのは分かってる。だけどやらなきゃいけないんだ」


「……分かった。お前がそこまで言うのは珍しいからな……」


 渋々といった感じだが親父は折れてくれた。こうして俺の2度目の野球人生がスタートしようとしていた。1度目は物凄く短かったが、2度目はそう簡単に終わらせ


るわけにはいかない。


「困難な道だぞ」


「やりがいを感じるな」


 親父は立ち上がって最後の忠告といえる言葉に俺はイスの背もたれにもたれながら笑って言ってやった。親父がどんな表情をして、どんな気持ちで言ったのか俺には分からなかった。

 とにかく親の承諾を得て、明日早速シニアの監督に申し込み書などをもらいに行こうと考えていると白夜が不思議そうな顔をしていた。


「どうした、ビャク」


「何で急に野球なんだ? レン兄、野球は……」


「気まぐれって言ったら怒るか?」


「……レン兄のことだから、何か考えあるんだろ」


「さぁな」


 俺ははぐらかし、食器を持って台所へ行った後、自分の部屋へ戻った。

 ベッドに寝転がり、俺はいよいよ明日からかと思うと高揚感で中々寝付けなかった。




 翌日、俺はいつものグラウンドに行った。

 昨日の段階で電話で一葉や透に野球を始めたいということを伝えており、グラウンドに行ったらすぐ監督が話しかけてきた。


「よぉ、野球やりたいんだって?」


「はい、よろしくお願いします」


「正式な手続きとかは後でやるとして、テストしてみたいんだが今日いいか?」


「テスト……ですか?」


 入団テストがあるなんて聞いてない。と思った矢先、監督が笑いながら訂正を入れてきた。


「ははは、違う違う。どれぐらい出来るのか見てみたいだけだ。経験者なんだろ?」


 なんかあらぬ尾ひれがついてしまっているが恐らく透たちのせいだろう。

 経験者といっても埼玉にいた頃は何ヶ月もやっていない。

 つまり未経験者に近いというのに……だが入団テストじゃないと聞き、安心はした。

 これからお世話になるためには実力は知っておいてもらった方がいいだろう。


「分かりました。経験者と言えるかはわかりませんがやりましょう」


 テストは五十メートル走や遠投など基礎体力を測るのが中心だった。

 足にはそこそこ自信があり、それなりのタイムで乗り切った。


「ほぉ、速いな。常盤より速いんじゃないか?」


「監督、それは言いすぎですよ。連夜には負けたことないですもん」


 一葉が気に食わないのか訂正していた。悔しいが一葉で走りで勝ったことないのは事実。

 でも身体能力はずば抜けている一葉と比べられるのは悪い気はしなかった。

 続いての遠投テスト。俺はつい先日発覚した左投げで挑むつもりでいた。

 これから左で野球をやるんだから当然だろう。


「んじゃ、いきますよ」


「ちょっと待て、連夜。お前左利きだっけ?」


 投げようとした瞬間、一葉が止めに入る。

 ペンや箸など日常的なのは全部右でやっているため、一葉も疑問に思ったのだろう。

 タイミングが悪すぎるが……


「最近知ったんだが、こっちの方が……」


 そう言いながら投球モーションに入った。


「投げやすいんだよっ!」


 そして投げたボールは自分が想像していた以上に飛んだ。

 その飛距離に一葉や透、周りで見ていたリトル・シニアの選手たちも驚いていたようだった。


「す、凄いな……」


 そして監督も驚愕してくれたようだが、一番驚いているのは何を隠そう自分だったりする。

 俺って左だとこんなに投げれたんだと……


「身体能力は問題ないようだな」


「ありがとうございます」


「どこか希望のポジションはあるか?」


「キャッチャーです」


 ハッキリというと監督の顔色が変わった。

 そりゃ、そうだろう。野球を少しでもかじったことがある人が聞いたら誰だっておかしいと思うだろう。監督は恐る恐るといった感じで俺に再度質問してきた。


「キャッチャーってお前……左利きなんだろ?」


「えぇ、プロ初の左利きキャッチャーを目指したいんです」


「だがな……」


 難色を示す監督に対し、それを聞いていた透が大きな声で笑い出した。

 皆、何事だと透に視線が向けられた。


「ええやん、ええやん。本人がやりたいって言うとるんやから」


 実のところ透も左利きでサードをやっている男だ。理由は違えど、俺の気持ちも少しは分かってくれてるんだろう……透のことだから確信はないが。


「まぁ、まずはやらせてみてはどうですか?」


 一葉もフォローにまわってくれた。


「お願いします!」


 そして俺は深く頭を下げた。ここで断られたらまずここに入団する意味がなくなる。

 左投げでのキャッチャー以外に俺の野球をやる道はない。


「……ふぅ……分かったよ。とりあえずってことでやってみるか」


「ありがとうございます!」


 最後には監督が折れ、俺は左利きでキャッチャーをやることになった。

 今日はひとまず挨拶だけってことで、他の選手たちに自己紹介をし、書類などを持って家に帰った。練習にはとりあえず明日から参加することになった。早朝からやるため睡魔との闘いがあるが、それ以上に自分がどこまで出来るのか、凄く楽しみにしている自分がいた。




 シニアリーグに入って一週間、とりあえず当面の目標はコンバートされないよう一生懸命キャッチャーとしてやっていくことだった。

 最初はかなり戸惑ったが、ようやく形になってきて一安心といったところだ。

 最もまだ試合に出れるような状態ではないが……


「よぉ、連夜」


「彰規さん」


 練習試合を終え、帰宅している最中、彰規さんが後ろから声をかけてきた。


「今日、捺は?」


「捺は残念ながら定期検診の日だ」


「なるほど」


「それより……」


 ちょうど俺の隣が空いていたため、彰規さんがイスに腰を下ろす。


「シニアに入ったんだってな」


 マジマジと俺のユニフォーム姿を見ながら、彰規さんは少し笑っていた。


「似合わないって言いたいんですか?」


「違うよ。しかも左でキャッチャーやってるんだって?」


「えぇ、まぁ」


「捺から色々と聞いてるよ。最近はお前の話ばっかりだな」


 なぜ最近来てなかった彰規さんがそこまで詳しいのだろうと思ったら、ネタの出所は捺だった。

 捺とはちょくちょく電話でやりとりするようになったし、たまに病室にも顔を出している。


「キャッチャーとして色々とアドバイスしてくださいね」


「ふふっ、俺でよければな」


 それから色々と彰規さんと会話しながら歩いていた。

 その時だった。正面から車が凄い勢いで走ってきた。

 しかも曲がりそうにない、良く見ると運転手が首を力なく前後に揺らしていた。


「危ない連夜!」


 咄嗟の判断で避けようと思ったがそれ以上に彰規さんの反応の方が早く、彰規さんに引っ張られ俺は後方に投げ飛ばされた。

 そして車が電柱にぶつかり物凄い音がした。


「彰規さん!?」


 俺を助けてくれたはいいが、自分まで避ける時間がなく彰規さんは肩を抑えうずくまっていた。

 運転手の方も思いっきり電柱に突っ込んでグッタリしている。


「今、救急車呼んできます!」


 彰規さんの方も痛みからか意識がハッキリしていなかった。

 俺は近くの公衆電話まで人生一のスピードで走った。

 救急車を呼び、事故現場に戻ると人だかりが出来ていた。

 俺は野次馬をかいくぐり、彰規さんに声をかけた。


「彰規さん!」


 苦しそうな唸り声を上げるがきちんとした反応はない。

 俺は救急車が来るまで彰規さんの名前を呼び続けた。

 サイレンの音が近くなってきて野次馬たちが道を開けた。

 救急車が2台到着し、俺は事情説明に彰規さんが乗った救急車に乗せられ病院に向かった。

 そのまま治療室に運ばれ、俺は病院の待合室で無事を祈った。

 命には別状ないと思うが、しっかり聞かされるまで安心は出来なかった。

 その後、警察の人が来て、俺は事情を説明した。

 ちょうど説明を終えたところで医者が来て一言告げた。


「少年の方は肩を骨折しているだけだ。大丈夫だよ」


 その言葉に俺は安堵し、一気に肩の力が抜けた。




 その後、彰規さんは病室に運ばれ俺は目が覚めるまで待っていた。


「ん……」


「彰規さん!」


 彰規さんが僅かな反応を示し、俺はここが病院だと言うことも忘れ大声で叫んだ。

 最初は意識がハッキリしていなかったが、段々に目も虚ろからハッキリと開いてきた。


「連夜……か? 俺は……?」


 起き上がり、周りを見渡す。まだここが病院の病室とは認識してないようだ。


「すいません、俺……なんて謝ったらいいか……!」


 だが俺はそれとはお構いなしに頭を下げた。

 俺の言葉で何があったのか思い出したようでポンと肩を軽く叩いてきた。


「お前がやったわけじゃないだろ。大丈夫だよ」


「彰規さん……」


「そうだ、事故にあったんだったな。良く生きてたな、俺」


「冗談でも止めてくださいよ。俺、そうしたらどうしていいか……」


「だからお前のせいじゃないだろ。まったく捺の時といい変に責任感強いやつだな」


 彰規さんが普段の口調で話してくれて俺も気が楽になった。

 それから医師が来て、症状などの説明をする間、俺は一度部屋を出て自販機に彰規さんの分と二人分のジュースを買いに行った。

 ジュースを買ってきたらちょうど先生とすれ違いになり、俺は頭を下げて部屋に入った。


「おっ、ありがとな」


 彰規さんにジュースを手渡し、俺はイスに座った。

 何を話そうか迷っていると彰規さんから話題が飛んできた。


「最近、捺の様子が変なんだ」


「……え? どうかしたんですか?」


「最近になって急にアメリカの手術のことに関して聞きたがってるんだ……前までは興味すら抱かなかったのに。連夜、何か知らないか?」


 彰規さんに言われ、俺は軽く動揺した。何か知らないかと言われたら、完全に俺との約束のせいだろう。しかし隠しても仕方がない。俺は一呼吸置いて、全て話すことにした。

 俺が諦めないように生きて欲しいと言ったこと、全て洗いざらい彰規さんに話した。


「ばかやろう!」


 彰規さんの声が病室中に響いた。だが俺はそう言われるのは覚悟の上だった。

 捺が言った『僅かな時間でも家族と一緒にいたい』これは捺の気持ちもあるだろうが、家族が望んでいることだと思ったから。


「捺はな、手術だって何度も受けてるんだ! 俺はもう捺にはメスで傷ついて欲しくないんだ!」


「だったら……このまま死ぬのを黙って待てって言うんですか!」


「っ……!」


 病室は嫌な緊張感に包まれた。

 彰規さんの言い分は最もだったが、俺はそれ以上に何もしないでこのまま黙ってる現状が嫌だった。だが彰規さんら家族の気持ちも考えず、口に出してしまった言葉は決していいものではなかった。


「すいません……俺……」


「いや、俺も悪かった。頭に血が上ったようだ……」


「でも彰規さん、俺は1%の可能性があるならかけて欲しいと思ってます。俺が左利きキャッチャーでプロ入りできるのとどちらが高いと思います?」


「お前……まさか……」


 目を見開いた彰規さんに対し俺は笑って頷いた。


「そうです。俺が野球を始めたのは捺が諦めるような言葉を言ったからです。今までの俺が言えたことじゃありませんが、人は可能性に満ちている。あいつはまだこんなところで死んでいい人間じゃないんですよ!」


 彰規さんは神妙な面持ちで俺を見ていた。


「俺は諦めない。諦めない。絶対諦めない」


「連夜……人のために野球をやるなんて自分の身にならないぞ」


 いつもより低めのトーンで彰規さんは俺に正論をぶつけてきた。

 だけど、俺の場合は違った。


「俺は今まで何もしてこなかった。人のためだろうと目標があった方がいいんです」


 今まで怠けていた自分にはさようならだ。俺は捺と出会って変わった……変わらなきゃいけないと思った。死が現実に迫ってきている中、懸命に生きている人と出会ったんだ。

 俺は今までの自分とは決別し、生きていかなきゃその人に失礼だと思ったから。


「自分もどこかで諦め逃げていたところがあったかもしれないな」


 彰規さんは振り絞るかのような声で小さく呟いた。

 俺はその言葉は俺の意思や捺のアメリカ行きを容認するように聞こえた。


「彰規さん……」


「ま、最後は捺が決めることだしな」


「そうですね」


 俺と彰規さんは笑みを浮かべた。

 さっきまでの緊張感がなくなり、彰規さんの表情も元に戻った。

 俺は一言、最後に謝って部屋を後にした。

 最後に謝った際に『だからお前のせいじゃないだろ』って言葉がいやに安心感を俺に与えていた。



…………*



 シニアに入って残りの夏休みは練習に費やしていた。

 勉強なんてもんはもう初日の間に終わらせてある。あんなの後に残しておいて何が楽しい。めんどくさいことはやってしまった方がいい、もしくはまったくやらない方が潔いってもんだ。


「そういや聞いたか、連夜」


 練習の休憩中、一葉が俺に近づいてきて声をかけてくる。

 俺は飲んでいたアクエリアスを地面に置き、一葉の方を見る。


「ん?」


「彰規さん、事故で肩ケガしたろ?」


「あ、あぁ」


 彰規さんの配慮で俺を助けて事故にあったという事実を一葉は知らない。

 なのでこうやって遠慮なく話題に出してくる。

 俺としては申し訳ない気持ちが再び出てきて憂鬱な気分になるが、そうも言ってられない事実が俺を待っていた。


「そのケガのせいで決まっていた甲子園行き、ダメになったらしいぞ」


「な、なんだと!?」


「うおっ!? な、なんだよ。そんな驚くことか?」


「お、おい、今の話、本当か!?」


「お、おう……」


 俺はすぐに立ち上がり、彰規さんのところに行くことにした。


「お、おい連夜!?」


「悪い、抜ける。監督には言っといてくれ。後、そのアクエリアスもやる!」


 一葉からの返答を待たず、俺は捺の病院へと向かった。

 なぜ捺の病院に行くのかと言うと俺は彰規さんの家を知らない。

 なので一度、捺から家の場所を聞く必要性があるからだ。


「はぁ……はぁ……」


 息が切れてるのもおかまいなしに病室のドアをノックする。

 中からいつもの捺の声が聞こえてきた。


「俺、連夜だ。入るぞ」


 声をかけてドアを開ける。そこにはベッドに座っている捺と彰規さんがいた。

 なんというタイミングの良さか、とここは神様に感謝しつつ俺は彰規さんの前に立ち、頭を下げた。


「すいません、彰規さん!」


「な、なんだよ急に」


「俺のせいで甲子園いけなくなったって……」


「あー……聞いちゃったか。別にお前のせいじゃないけどな。知ったらお前、そういうかと思って黙ってたんだが、透か? 一葉か?」


「聞いたのは一葉ですけど……」


「まったく、口止めしときゃ良かったな」


「すいません……」


「謝るな。あの事故はお前のせいじゃないだろ? ならお前が悪いことは一つもない。気にしすぎだ」


「彰規さん……」


 俺らのやり取りをポカーンと見ていた捺が間に入ってきた。


「ねぇ、何の話?」


「ん、なんでもないよ」


 事故の経緯などは捺にも隠しているため、俺がいきなり彰規さんに謝って捺も驚いたんだろう。

 だがややこしくなるのを避けたかったのか、彰規さんは詳しく教えなかった。

 その配慮が少し嬉しく、少し胸が痛かった。


「そうだ、連夜!」


「ん?」


 なんでもないと言われて粘るかと思ったら、すぐに話題を変換してきた。

 この天然さんはある意味武器だなと感じた。


「あたし、アメリカ行くんだ!」


「な、なにぃっ!?」


 俺は病室だということも忘れ大声を出してしまった。

 幸いだったのが捺の病室は一人部屋だったことだ。


「ほ、本当なのか?」


「うん!」


 この天然さんはニッコリ笑って頷いた。

 自分から勧めといてなんだが、いざ決まるとそれはそれで重いものがある。

 色々と問いただそうとした時だった。彰規さんがイスから立ち上がった。


「俺、飲み物買ってくるわ。連夜、コーヒーでいいだろ」


「あ、すいません」


 彰規さんはいいよいいよと言いながら病室を後にした。

 何となく彰規さんが気を遣ってくれたのが分かった。


「自分で……自分で決めたのか?」


「うん。でも連夜の励ましが大きかったかな。あたしも諦めたくないって思ったから」


「可能性……低いんだろ? 怖くないのか?」


 それを承知で俺は捺を励まし、彰規さんを説得した。

 だが実際、その手術を受けるとなったら急に怖さを感じた。

 自分だったら生存する可能性が低い手術を受けられるだろうか……?

 実際はギリギリまで仲のいい友達たちに囲まれて、家族と一緒にいる時間を大事にしようと……これまでの捺のような選択をするんじゃないかと……


「怖いよ……正直……ね」


「捺……」


「でも将来、左利きのキャッチャーで頑張ってる連夜を見たいから。だから私、生き延びるために手術を受けるの!」


 捺の言葉に俺はすぐには言葉を出せなかった。

 捺の言った『生き延びるため』という言葉が凄く重く感じたからだ。

 今になって、捺の病気の重さを分かったのかもしれない……

 でもそう決心させたのは自分だ。そして自分のために彼女は生きようとしてくれた。

 その重さ、責任が俺にはあった。


「捺、諦めるなよ」


「うん」


「諦めない、諦めない、絶対に諦めない」


「うん」


「俺も諦めないから、捺も絶対に諦めるなよ」


「うん、諦めない!」


 捺は力強く頷いてくれた。

 俺と捺の約束……後悔だけはしたくないから一生懸命頑張る。

 諦めず、最後まで足掻いてやる。

 それが俺と捺のこの夏に誓い合った約束だから……!




 それから一週間が過ぎ、捺のアメリカ出発の日。

 俺は早起きをし、病院に向かった。

 また家族に雨が降るだの、雪が降るだの茶化されたが無視して、朝ごはんも食べず飛び出した。


「はぁ……はぁ……」


 病院の入り口では看護婦さんと車椅子に乗っている捺の姿があった。


「捺!」


「連夜! 来てくれたんだ!」


「当たり前だろ」


 どうやら捺は親が車をまわしているのを待っていたらしい。

 俺が来たのを見た看護婦さんは捺に一声かけ、病院内へ入っていった。


「最後まで希望は捨てるなよ」


 前にも言った言葉を俺は繰り返した。

 これしか捺に言ってやれる言葉がなかったからだ。


「諦めない、でしょ?」


 捺は最後まで俺に笑顔を見せてくれた。

 捺の笑顔を見ていると自然とこっちも笑顔になる気がした。


「あ、来たかな……」


 一台の車が目の前に止まった。

 そして運転席と助手席から捺の父親と母親らしき人物が降りて俺に頭を下げてきた。

 初めて会ったが捺から話がいっていたのだろうか?

 疑問に思いながらも合わせるように俺も頭を下げた。


「ねぇ、連夜。最後に握手しよ」


 捺はパッと左手を出してきた。


「なんで左手なんだ?」


 俺は苦笑いをした。


「連夜、左利きでしょ?」


 捺は笑顔で答えた。


「左手の握手は外国じゃ差別の意味がある。ましてや永遠のサヨナラなんて意味もあるって聞いたことあるしな」


 そう俺が言うと捺はちょっと残念そうに俯いた。


「なんだ知ってたんだ……」


「確信犯かよ。永遠のサヨナラなんてゴメンだぞ」


「ゴメンってば。でも私なりの決心なの。自分への決別のため」


 捺の力強い目を見て、連夜は軽くため息をついて左手を仕方なさそうに出した。


「約束だ。必ず帰って来いよ」


 出した左手を捺は握り返した。


「うん!」


 力強く頷いた捺。その光景を見ていた捺の両親は微笑んでいた。

 そして気づけば看護婦さんが数人、出てきており周りを囲っていた。


「捺、そろそろ行こうか」


 親父さんが声をかけ、捺は車に乗り込んだ。

 その際、看護婦さんたちから千羽鶴をもらっていた。

 捺は嬉しそうにありがとうと言い、車の扉を閉めた。

 窓を開け、手を振る捺に俺も手を振り返した。そして車は走り出し、空港へと向かっていった。

 看護婦さんたちは車が見えなくなるとすぐに病院へと入っていったが俺は見送った後も暫くそこから動かずに佇んでいた……




 捺と別れてから、俺は約束を果たすため左利きながらキャッチャーを続けていた。

 苦労する点は多々あるが、今まで生きてきて感じたこと無かった充実感を俺は得ていた。


「おっし!」


 放った打球は右中間を抜けていく。

 それを見た俺は軽く拳を握り、ランナーの一葉と透が還ってくるのを確認した。


「ナイスバッティング!」


 透からの声に俺は手を挙げて応えた。

 俺は夏の間にレギュラーを獲得し、今日の試合もスタメンで出場し結果を出した。

 以前、野球をやっていた時とは違い、まるで別人のような動きに俺自身が戸惑ってもいた。


「頑張ってるな、連夜」


 試合を終え、挨拶をしベンチに戻るとそこには唯一日本に残っていた彰規さんがいた。


「彰規さん!」


「大分、力がついてきたな」


「彰規さん……捺は?」


「お前、会うたびそればっかだな」


「す、すいません……」


「ま、いいさ。気になるのは当たり前だよな。今朝、連絡が来た」


「えっ……!?」


 彰規さんは俺から視線を外すと、空を見上げた。

 そして彰規さんから発せられた言葉は……


「諦めず最後まで頑張ったそうだ」


 俺は彰規さんの言葉を聞いて、彰規さんに背を向けた。

 そして空を見上げ、無理して微笑んで見せた。


「お前は俺の中にいつまでもいるからな」


 言葉にもならないようなかすれた声だが、それでも捺に届くように言った。

 目から自然と涙が込み上げ来て、俺はそれを流すまいと必死に天を仰いだ。


 それでも俺は捺との約束を守るだけ。

 左利きキャッチャーとして……捺にも届くほど有名になって約束を果たす。

 その日まで……


「諦めない、諦めない、絶対に諦めない」


 ってね。


読んでくださった方、ありがとうございます!


この主人公、漣連夜は自サイト、蒼の世界では多数の作品に出ています。

野球では珍しい左利きキャッチャーとしての活躍を決意したのはこういう経緯があったということを書きたかっただけなんですが、自身が思っている以上に長くなりました(苦笑


この小説で興味がわきましたら是非、蒼の世界にて別の作品での連夜の活躍を見届けてあげてもらえたら嬉しいです!


ではありがとうございました!

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