第七十話
第七十話、投稿しました。この章もいよいよ長くなって参りました。完結まで果たして何年かかるやら、です。
「……ここに、本当にあいつらがいんのか?」
十数分程前、清上学園前。
弾ませた息を落ち着かせながら、夕平は、その校舎を軽く見回せる物陰にこそこそと身を縮めさせていた。
「何か……静かだな。って、ん……?」
見上げてみても、以前学祭で来た時と、何の変哲もない学校で――――いや、一つ、妙なところがあった。
下から数えて三階の、建物と建物の間の細い通路が激しく破損し、黒く焼け焦げている。まるで今しがた火事でも起きた跡であるかのようだ。
明らかな異変。
しかしそれ以上の異変は、その周辺から騒ぎが起こる訳でもなく、誰かが駆けつける様子もなく放置されていることだ。これは明らかにおかしい。
「消防車も来てないのか……? やっぱり、少し変だぜ。いのりちゃんが言ってた通り、ってことか」
言いながら、夕平は先程自分に言われたことを、ゆっくりと思い返していた。
◆◆◆
「――――言っておきますが、今清上学園はここ同様普通の空間ではありません。あそこに行くなら、まずはそのことを心掛けてください」
駅で閉じ込められている時、祈は夕平に向けて話していた。
見張られているなか、その相手が日本語に明るくないことは二人にとって幸いしていたが、しかしそれも、あまり長くは見過ごされはしないだろう。
祈は、夕平にもよく分かるような言葉選びをしつつ、端的に手早く『今推断出来る現状への見解』について、順を追って話しているようだった。
「普通の空間じゃない……? それって」
「より言うなら、注意すべきは千夜川先輩だけではないということですよ。さらに大きな陰謀に覆われた、〝整えられた〟殺し合いの舞台、それが今の清上学園です。関係者でなければ近寄れないようになっていることでしょう」
まるで実際に見てきたかのようにそう受け答える祈の返しに、訝しむことなく真剣に頷く。
祈のその頭の回転の早さは、初めて会ってからの数ヶ月で夕平にもよく理解していた。
「っていうか陰謀……って、一体どんななんだ?」
「それは……」
その無機質ながら深刻な雰囲気に、息を呑む。
祈の次の言葉を、じっと待ち、
「……すみません、さっぱり分かりません」
「がくっ」
思わず力が抜けた。
「わ、分からないのか?」
「はい、残念ながら情報不足で……皆目見当もつかないです」
「あ……ああ、まあそりゃそっか」
こうして話を聞いていると、思わず何でも答えてくれるように勘違いしてしまうが、この少女も自分と何ら変わらない状況にあるのだ。
むしろ駅の中に閉じ込められながら、ここまで冷静に分析出来ることの方が特殊なのだ。
「……ただそれは、私達のような小市民では想像もつかない程の、圧倒的な力が働いているということです。警察や消防署などの公共機関は一切機能しないと予想されます。外に出て通報したとしても、恐らく無駄でしょう」
しかし、と続けて祈は口を開く。
「付け入る隙はあります。私が考える通りであれば」
「隙……?」
「桧作先輩は、学園の中に入れる……〝いえ、もっと言えば、この殺し合いに招かれているのではないか。私はそう考えています〟」
「え、そ、それは、おかしくないか? だって、今までの話じゃ、学校ん中に誰も干渉させないようにって言ったのは相川で……」
「そのはずです。そして、それは確かに履行された……建前上は、ですけど」
「……相川とその組んでる奴が仲間割れしてる、ってことか?」
「仲間割れと言うよりも、拓二さんとは別の独立した意思がうごめいている、と言うべきでしょうか。……もっとも、正直この話は、些細な引っ掛かりからこじつけた可能性の話でしかありません。しかし、もしも私の言うことが全て正しいのだとして、これらの状況に説明付けられる答えがあるとすれば――――」
こじつけと言うにしては、確信めいたように静かに、厳かに、
そして、事の重大さを物語るように、重々しくこう告げた。
「――――それはずばり、今起こっていることが全て、裏に控える存在達の単なる『見世物』なのでは、ということです」
しん、と場が突然静まり返ったように感じた。
身体は季節外れにも凍りつき、心臓の鼓動すら、早鐘を打つどころでなく、がしり鷲掴みされたかのような緩慢な動きでそれに応えた。
「……そんな……」
信じられない、と拒絶するには、祈の目は嫌気が差す程真っ直ぐで。
「酷ぇ……そんな話が、あるってのかよ……?」
「……あくまで、私の想像ですが……」
そう前置きしつつも、自分の言うことに顔を伏せる祈。
「きっと今頃、千夜川先輩と拓二さんで勝者を賭けていることでしょう。私達の慌てふためく姿を嗤っていることでしょう。何せ、『自分達が面白いから』……そういう、どす黒い場所である場所であるかもしれないということです。何せ相手は、絶する権力の持ち主ですから」
そしてそれを聞いた夕平の全身から、まず何より真っ先に、度し難い怒りがこみ上げてきた。
自分でも驚く程の強い怒気に駈られて、声が震え、呂律が回らなくなる。
「ひ、人の命もっ……俺達も、結局偉いだけの奴等の余興って言うのか? ふ、ふざけやがってっ……!」
「ええ、そうです。〝しかし、だからこそ私達にもチャンスがあります〟」
対して祈は、どこまでも冷静に、温度のない言葉を紡いでいく。
「……確かに今は、その趣味の悪いお遊びに乗っかかることしか出来ないかもしれません。分かっていても、描かれた筋書きに従うしかないかもしれません」
「…………」
「でも桧作先輩なら――――いえ、〝桧作先輩だからこそ〟、その筋書きを壊せるかもしれない。彼らの裏をかけるかもしれない」
「お、俺が……?」
所詮は一般人でしかない自分に、一体何が出来るのか。行ったたところでどうにもならないのではないか。
そして、果たして祈が何を考え付いたのか、それも分からない。
そんな話を聞いて、のし掛かる期待と不安に、自分のなかで怖じ気がない訳でもなかった。
「私からお願いします。私達の敵は千夜川先輩でも、拓二さんでもありません。もっと上なのです……!」
「……もっと、上……」
しかし、それでも。
「……分かった。俺は、いのりちゃんを信じる。俺はどうすればいい」
夕平は、全てを聞いた上で、神妙に頷いた。
◆◆◆
――――閑話。
とある姉妹同士の通話内容。
『もしもし、もしもし? 聞こえてる?』
『あ、お姉様。どうしたのー? 珍しいね、私のお部屋に掛けてくるなんて』
『ああ、エレン、アンタか。ジェウロは?』
『あ、今出かけてるよ。――――〝「お客様」を招きに行くんだってさ〟。それでね、こっちは今雨が降っててね、私の傘貸してあげたの。しかも、ピンクのうさちゃん!』
『……? そう……』
『ええと、それでどうしたの……?』
『……あのさ、ついさっきイノリ……友達から電話が掛かってきたんだけど』
『うん?』
『その電話先から……アンタと仲良しのベッキーの声が聞こえてきたわ』
『……!』
『なんかね……胸騒ぎがすんの。その友達、アイツ……タクジの知り合いらしくて。そしたら急に、あの馬鹿の顔思い出して……ちょっと、寒気がした』
『…………』
『そんで……ちょ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど! ……なんか顔、見たくなった』
『……お姉様……』
『……ねえ、今何が起こってんの? またアイツ、何か巻き込まれてんの? エレン、何か知ってるの?』
『私は……』
『…………』
『……私も、よく分からないの。私一人じゃ干渉出来ないところに、今お兄様はいるから』
『そう……ならいいわ』
『ごめんね、お姉様』
『いいわよ。ま、ことアイツに限って、こんなの杞憂だろうし』
『……きっと』
『うん……』
『きっと、お兄様なら大丈夫だよ。きっと……』
◆◆◆
「……よくよく考えりゃ、俺は本当に幸せもんだ」
夕平は、自分に向けてそう語る。
「今日の今日まで、何にも知らずに生きてきた。千夜川先輩のことも、暁のことも……相川のことも、全然知らなかった。だから――――」
だから――――本当なら、ここで終わっていた。
何も知ることなく、〝巻き込まれることさえなく〟、自分の全てが済んでしまうところだった。
「ほんっと、重たい責任だよな。普通の高校生にさせることじゃないぜ。でも……」
何も出来ないままのはずの自分に、チャンスをくれた人がいる。
こんな自分を信じて、送り出してくれた人がいる。
「でも、迷うことなんて、初めから無かった――――!!」
もう、目を背けるわけにはいかない。
「――――よし、行こう……!」
強い決意と、固い勇気を以てして、大きく堂々と踏み出したその一歩は、
「――――Hey you!」
「へっ?」
雨音を縫って掛けられた耳慣れない言語と、額に青筋を引っ提げ、刈り上げた金髪が特徴的な女が阻んだ。
「Freeze! down!!」
武器は無く、あるのは身一つ、雨ざらしで無防備にも程がある夕平に、鉛のような拳銃を突きつけて。
◆◆◆
「――――あちらに行くのに武器なんていりませんよ。桧作先輩は、無防備でいいんです」
柳月祈は、その頭脳から導きだした彼女なりの結論を話し出していく。
「『桧作夕平は、計画の都合を満たす無知蒙昧な操り人形である』……この認識を逆に利用しましょう」
「逆に……利用?」
祈の言葉は、一つ一つがその熟考に裏打ちされ、生徒に教え諭す教師のように淀みない。だからこそ、夕平も異論なく頷いている。
「学校近辺には、間違いなく『人避け』が配置されているでしょう……ですが、桧作先輩には当てはまらない」
「……それは俺が、その『上の奴ら』に都合が良いからか……?」
「貴方がこの一件において、無くてはならない鍵だからです」
もしくは、この事件の第二の火薬庫だろうか。だからこそ、拓二は手元に置くのを避けた。
祈は見据えたまま、続ける。
「恐らく、学園の中に入れるはずなんです。武器の所持は、その邪魔になる……いえ、持っていても意味がないのです」
「な、なるほどなあ……いやでも、やっぱ怖えなあ……心もとないっつーか、もし万が一でも襲われたりしたら……」
「最初からそのつもりならば、とっくにこの場でどうにかしています。私達を手枷足枷で拘束するなり、拉致するなり出来たはずです」
「うむむ……」
キッパリとした祈の返しに、唸る夕平。
「大丈夫です。絶対に、桧作先輩に危害が及ぶことはありません」
◆◆◆
「Stahp!」
現実は、先の祈の言葉を裏切った形となって突きつけられていた、しかしその時、男の地響きのような籠った声が応えるように飛んだ。
「――――ッ!?」
振り返ると、男がいた。
丸めた頭に、サングラスでも隠しきれない渋面。
若干焼けた肌が、眉間に深く刻まれた皺がよりくっきり露となっている。
しかし、その片手には何故かこの場にギャップのある、ウサギを模したデフォルメイラストが薄ピンク色の傘を手にしていた。
「――――Put off your gun ! Monica! (――――銃を下ろせ、モニカ!) If you don't, I'll tell you what will become.(もし従わなければどうなるか、身をもって知ることになるぞ)」
「W……Why?(な、何故です?) Why are you here……? (どうして貴方が、ここに……?)」
「Because of what you don't know.(お前には分からない事情故だ) His pass allowed by our boss's order.(マクシミリアンの命のもと、彼は通させてもらう)」
「……I,I see……(……分かり、ました……)」
それを機に、女の銃口はゆっくりと夕平から外れ、項垂れるようにその手のなかに収まる。
夕平は当然のように、彼らの捲し立てるような言葉の羅列を、呆然と聞き流していた。僅かな時間でも自分の身に迫っていた命の危機に、囚われている暇さえなく。
が、その二人の様子や雰囲気から、何かしら――――祈の言葉を信じるならば恐らくは、自分の対処のことで揉めていること。
そして今来た男が女をいとも容易く言い負かし、〝つまり男の立場がこの場で最も上であるということだけは分かった〟。
「――――.――――」
「ッ――――!?」
「――――.」
それから、男が二言三言何か言い加えると、女は身を翻し、さっさと何処かへ歩き去っていく。
「あ……」
「――――さて」
そんな彼女に一瞥くれることなく、男が口を開いた。
「ユウヘイ・ヒツクリだな」
「……!?」
それは、日本語だった。
明らかにハリウッドにいそうな出で立ちからしてみれば、驚くほどの流暢な口振りであった。
「この学校〝を〟入りたいのだろう。私〝は〟、貴様〝が〟招いてやる」
男は素性を名乗ることもなくそう言って、静かに脇に避ける身体を傾けた。
まさに、祈の言った通り。脱走した夕平に、何ら危害を加える様子は一切見られなかった。
「…………」
「どうした? 入らないのか?」
あまり関わるべきではないことは分かっていた。
それどころじゃないことも、他にやるべきことは大いにあることも。
「お前らは……神様にでもなったつもりなのかよ」
「…………」
だが、それでも。どうしても一言余計な悪態を、吐かずにはいられなかった。
「見てろ。全部が全部、お前らの思い通りになると思ってんじゃねえぞ……!」
「……フン」
男は、鼻荒く横を通り過ぎる夕平に、ただただ鼻を鳴らしただけだった。
西門を抜け、あてどなく足を向ける。
駆けていき、何故かガラスの割れたドアから校舎のなかに入った。夕平には知りようもないが、奇しくも拓二達の通った入り口でもある。よくよく見てみれば、切断された極細ワイヤーが床に這っているのが分かっただろう。
ポタポタ垂れる水滴を無視して、夕平は無人の廊下を突き進む。
駆け出しながら、そして、
「――――……相川ー! 暁ー! どこだーっ!? 返事してくれー!」
そして――――〝夕平はあらん限りの大声で叫んだ〟。
普段と違い人気のない今の校舎にはよく通った。よほど隅の方にいない限り、これに気付かない者もいないだろう。
しかし、無計画からのものでもない。夕平にはある打算があった。
それは、祈のもう一つの言葉。それが彼の脳裏にはあった。
◆◆◆
――――それと、もう一つ。〝学校に入ったら、まず拓二さん達に呼びかけてください〟。学校中に聞こえるように、大きな声で。
――――……見つかるじゃないかって?〝いえ、これは見つかってもいいんですよ〟。今最も避けるべき事態は、『拓二さんを見つける前に千夜川先輩に見つかること』ですから。
――――……もちろん、その逆であれば言うことなしなのですが……恐らく、その可能性は低いでしょう。最低でも同時でなくてはいけません。〝それならいっそ、こちらから探しに来てもらった方が上手く行く確率は高いです〟。
――――正直、ここがまず一番の難関になります。とにかく桧作先輩は、いかに拓二さんの邪魔にならないように合流出来るか……それだけに集中してください。
――――後は……そうですね。千夜川先輩の方が先に来てしまわないよう、ただ祈るくらい、でしょうね。
◆◆◆
「相川ー!! 暁ー!」
叫んだ。
迫り来る嘘のような現実に対し、鬱憤を晴らすように、叫んだ。
何故か心臓が跳ねる。
夏なのに、今も雨に紛れて汗は引かないのに、薄暗い校舎はひんやりとしているように感じる。
走って、探して――――息が切れた時には、二階の教室前にいた。
疲れたのではない。立ち止まざるを得なかったのだ。
「……〝誰だ〟?」
〝その視界の奥、行く先に待ち構えるようにして――――薄闇に紛れた人影が、うっすら立っていたから〟。
「……おい、聞こえてないのか? 」
「来て、くれたの……」
「っ――――!」
聞き覚えのある声に、分かりやすく数歩後ずさりした。
「……千夜川、先輩……!」
「…………」
多くを聞いた。
今起こっていることだけでない、この切っ掛けである――――何時かの事故の真相も。
今目の前に佇む存在が、敵であるということを。
だから、退いた。
迫る脅威に、根本的な動物本能に障って身構えた。それだけのことだ。
「あのね……愛してる」
対してそんな夕平の反応にも気にも止めずに、その影は囁く。
「……愛してる」
とても通りの良い、
「……愛してる……」
とても耳障りの良い、
「――――愛してる――――」
とても都合の良い、
「愛してる……愛してるの、こんなにも……だから、ね? お願い」
そして、とても心地の良い声音で、愛を紡ぐ。
「――――貴方を愛する私を愛して?」
影は、すっと何かを懐から取り出した。
手の中の『それ』――――祈から奪っていたスタンガンは、先端部らしき部分から喧しい紫電を宙に弾けさせていた。
「千夜川せんぱっ……!」
「ゆう、へいっ、くん――――!」
影が、駆けた。
獲物に肉薄せんとばかりに夕平へと接近し――――
瞬間、
〝その両者の間を、けたたましい破壊音が突然割って入った〟。
「――――千、夜、川ァァァァァ!!」
一体どうやったのか、二階の廊下、その窓をぶち破り――――相川拓二が、雨粒と粉々の硝子の破片を一身に浴びながら、場を怒号で震わせた。
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。
【追記:三月一日】加筆修正しました。




