第六十八話
第六十八話、投稿しました。唐突な回想はフラグ。
※私事の都合で申し訳ないのですが、二月中の更新は週一投稿縛りを撤回させていただきます。ご了承ください。
「おいいのりちゃん、もっとしっかり掴めって! 振り落としちまうぞ!?」
所変わって、清上学園からおよそ十数キロ離れた地点で、規定速度を越え、信号を無視出来るところは無視し、雨のなかカッパも着ずに二人乗りの数え役満運転で車道を走らせている一つのバイクがあった。
そんな交通法を舐め腐った、バイクの上の会話。
「……すみません……」
「あと三十分も掛からずに着くぞ! 頼むから集中してくれよ!?」
「はい」
降りしきる雨に苦心しながら運転している男、細波に後ろからしがみついている祈が言葉少なにそう答える。
邪魔するな、と言いたげに。
「何か考え事か? ずっとそんな調子だしよ!」
「…………」
あれからじっとこの調子、黙ったまんまだ。
細波は知っていた。いつもの、祈が何かを考え込む時のこの仕草。
こうしている時の彼女は、肉体を置いて、思考が自分には及ぶべくもない所へ駆けているのだ。
「言っとくけど、『腐垢AZ』の心配はいらねえぜ? いのりちゃんの言った通りだ、俺達を撃ってきたりしてこなかったしな!」
「はい……そうですね」
細波と祈の二人は、『腐垢AZ』とネブリナの下っ端が乱闘騒ぎになってすぐ、逃げ出すように駅を後にしていた。
そして、夕平の後を追う形で、清上学園に向かっているのだった。
ハンドルを切りながら、ちらりと追っ手などが来てないかを確かめる。
が、今のところ、尾行の手合いのようなそれらしい車は見られなかった。
流石に、相手方に自分達の脱走が気付かれてないなんてことはないはずだが……。
「誰も付いてきてないぜ、これなら大丈夫だな!」
「はい……」
「桧作くんも、無事に着いたんかな。ちゃんと言われたこと覚えてりゃいいんだけどよ……!」
気をとりなすように細波が威勢良く話しかけても、やはり反応は薄く、口数は滅法少ない。
それはそうだろう。
向かう先は、殺し合いの現場だ。狂気の沙汰だ。
祈のことをとやかく言えない。自分だって、手汗が滲むのが気持ち悪い。
――――緊張の感じ方の違いというのは、人それぞれだ。
気を紛らわせるために口が回り始める細波と、いつも以上に無口になっている祈はまるで対照的と言えた。
「……なあ?」
「はい」
「お前は今、何を考えてんだ?」
しかし、祈は。
この天才が感じているのは、決してそれだけではないように、細波は思った。
「例えば、桧作くんのことだってそうだ。どうしてあいつ一人に行かせるのを許可したんだ? 最初は、反対してたじゃん」
「反対……そうですね、反対でした。初めは……」
自分を掴む手がぎゅっと握られる。
話すか話さないか、浚巡している様子が見てとれた。
が、やがて祈は、重々しく言葉を紡ぎ出した。
「千夜川先輩の狙いは、間違いなく桧作先輩でしょう。そんな彼女の元に彼を向かわせるのは、あまりに愚行。ライオンの檻に餌を放り込むのと同義です。――――本来であれば」
走行音で霧散しそうな程のか細い声を、細波は懸命に拾う。
「しかし、そうも言ってられない予感もするのです。このままでは――――」
そして、祈は声を落とした。
細波には、思いもしない言葉が飛んできて。
何故か、風を切る音を縫ってやけに明瞭に聞こえた。
「――――〝このままでは、拓二さんが何か、取り返しがつかなくなってしまうようは気がして〟――――」
「え……?」
現状、問題の発起人である桜季でなく、暁や夕平を守るという立場のはずの拓二の名前が出たことに、言い様のない何故か全身が粟立った。
「何でそこであいつの名前が……? ってかそれに、桧作を向かわせたのは、千夜川を止めたいからじゃないのか? 立花ちゃんを殺そうとする千夜川を説得させるために――――」
「……私が止めて欲しかったのは、むしろ拓二さんの方です」
一度口を開くと、そこから饒舌に話し出すのが祈だ。
「このお話は、ただの復讐劇ではないということです。拓二さんは、『この時のためだけに』、ムゲンループを生き続けた猛者なのですよ?」
「……それが?」
「分かりませんか? ……いえ、分からないものなのでしょう。ずっと、ずうっと……数十年もの気の遠くなるような時間、忘れなかった憎しみ。果たして何があってそうなったのか想像もつきませんが、これから先拓二さんが暴走しないとも限らないでしょう? その人並み外れた執念は、私にも、誰にも到底理解できないのだと思います」
息を呑む細波。
思えば、彼女の口から直接、拓二に対する警戒をはっきりと聞いたのは初めてのことだったかもしれない。
彼女でさえ見当もつかないという拓二の根源――――すなわち、『目的』。
ムゲンループのなかで彼は何を見たのか。それは、彼のみぞ知ることなのかもしれない。
そしてそれとは別に、と言い置いてから、祈はさらにこうも続けた。
「そんな拓二さんに協力しているであろう人物のこともまた、同様に気がかりです。……そのスタンスは、この件に関してあまりに不気味ですから。そう――――〝今の私達も、その人物によって敢えて泳がされてるような気がするんです〟」
「え、ちょっと待てよっ! 俺達が脱出されるなんて思わなかっただけだろ? 考えすぎじゃないのか?」
「…………」
聞き捨てならない内容に反応する細波に、祈は応えず再び押し黙ってしまう。
ただ一言、口のなかで転がして。
「まだ、分かりません……拓二さん、それに『彼』は今、一体何を考えているのでしょうか……」
◆◆◆
息を殺し、じっと動かないでいた。
物音一つ立つことのない今、強烈な緊張で高鳴る鼓動が、外に漏れ出ているのではないかと錯覚してしまう。
カツン、カツンと。
確かに近付いてくる足音は、刻一刻と俺達の死亡宣告を迫っているかのようだ。
「…………」
「…………」
止まったような空間に、唯一桜季の息遣いが時を刻む。
最後の手段としての逃走経路は考えてはいる。しかしそれは、本当に最後の延命手段でしかない。
チェックを受けて逃げ惑うキングのように。詰み前の足掻きにしかならないだろう。
先ほどのような大掛かりな仕掛けは、ここには無い。
もしここで見つかってしまえば、逃げることさえままならず、二人とも殺される。
「っ……!」
足音は――――隣の教室で止まった。やがて、がらりと扉を開く音が続いた。
暁が必死で唇を噛み締める。
桜季が、ほんのすぐ隣にいる。
ぞっとする程、すぐそばに。
俺達は、まるで動けない。
じっ……と身をすくめて潜むだけだ。こんな時に不思議と、聴覚がいつも以上に冴え渡る。
椅子を引く音、ロッカー物色する音窓を開ける音。
ずっとそばで聞こえてくる物音に、地面と身体が縫い合わされてしまったようだ。
……そうして、どのくらいの時間が経っただろう。
非常に長い時間が流れたような、この場所に一生閉じ込められたかのような感覚さえしていた。
がらり、と再び扉の開閉音。
そして、桜季は俺達のいるところのすぐ前の廊下を通りすぎた後――――静かに遠ざかっていった。
「…………」
「…………」
まるで音が耳に届かなくなって何分経っても、俺達はピクリとも動かなかった。
確かに身に迫りかけていた命の危機という恐怖が、油断を殺し、安堵を遮った。
さらに数分経って、そろりと俺が立ち上がった。
暁は首を横に振った。あまりの恐怖に今にも泣き出しそうな顔で、目で俺にすがる。
止めてくれ、と。
「…………」
気持ちは分かる。だが、その制止を振りきって『離れはしない』と合図して近寄る。
鍵を開け、廊下に身を晒さず恐る恐る覗き込むようにして様子を見た。
……誰も、いない。
薄暗い廊下の端から端まで、影の一つも差し込んでいない。隠れている様子もない。
どうやら、本当にいなくなったようだった。
「……いない、な」
そのことを確認してすぐに扉を閉めると、暁の口から心の底からのため息が漏れた。
「はああ……」
身体を丸め、自分を抱き締める暁。
この現状にかなり参っている様子で、怯えと心労が積み重なっているらしかった。
「……大丈夫か?」
「うん、へ、平気……」
「……とてもそうには見えねえがな」
「ごめん……」
「いや、謝らなくてもいい」
そう、暁が謝る必要などない。
桜季との決着に巻き込まざるを得なかった俺の責任だ。
「でも、どうしてここが見つからなかったんだろ……」
「ああ、そりゃ簡単だ。ここが本来探す必要のないところだからだよ」
「〝ここって……理科準備室が〟?」
暁は不思議そうに首をかしげた。
気を紛らわせるではないが、このまま手持ち無沙汰であるのも参ってしまいそうだったため、簡単に話してやる。
「こういう準備室ってのは、盗まれて困る物とかがあったりして忍び込まれないように、マスターキーじゃなくてそれぞれ固有の鍵でしか開かないようなつくりになってんだ」
「そ、そうなんだ? あれ、でもそれこそ、ここが怪しいって思うんじゃ……」
意外と察しがいいというか、夕平なら何度か聞き直しているところを素直に受け止めて話を進めてくれる暁に頷き返し、答えた。
「他に家庭科準備室とか保健室とか、軽く二十はある鍵をじゃらじゃら持って歩かないだろ?」
「あ……」
「それに、学校中の教室となるといくら千夜川でも探し回るのは時間を食う。まずは粗くでも、学校を一周するのが筋だろう」
五階建ての建物が三棟、体育館やグラウンドも含めれば、この学校の敷地は狭くない。一人でそれらを見回るとすれば、なおさら時間が掛かるだろう。
ならばまずは全体の気配、痕跡、それらを洗い出すことを優先するべきである。
「例えば、隣の理科室は扉が開きっ放しだった。そうだな、『調査済み』のサインのように……準備室みたいな面倒なところは後回しに、先に俺達の選択肢を潰す考えなんだろう」
じわじわと追い詰める算段、か。
今のこの状況、向こうは俺達を見失っても、逆に言えば俺達も向こうを見失っているも同義だ。決められた巡回路を進む警備員じゃないのだから。
一度は学校の広さが効を奏して危機を回避できたが、このままではじり貧である。そう時間を置かずまた、俺は奴の目の前に躍り出ることになる。
つまり――――次に合間見える時が、本当の勝負ということだ。
「相川くんって、凄いんだね……」
「……はあ?」
そんな思考に差し込むような、ポツリと呟きが滴り落ちた。
ばっと振り向くと、暁は目を丸くしてから、力なく笑う。
「あのね、相川くんは、夕平はもちろんだけど私なんかより頭がいいし、いつも冷静で、勇気もあって……」
「何だよ、急に」
「あはは……急なんかじゃないよ? 千夜川先輩とか、いのりちゃんとはまた違って、相川くんだって凄い人なんだって……私は、ほんとに思ってるの」
「…………」
「だから、その……」
見過ごせない間が生まれた。
そして、暁は口を開く意を決する。
「……あの、ね? もし、もし私が邪魔だって言うんなら、私のことは――――」
「断る」
俺の返しに、暁は息を呑んだ。
どうせ、続けて言うことなんて決まってる。
『私のことは気にせず見捨ててくれ』――――とでも言うのだろう。
その優しさは、確かに他に無い、とても得難く尊いものだと思う。
しかし今だけは、それを許容するわけにはいかなかった。
「でも、その……足手まとい、というか……」
「お前の気持ちがどうだろうと、放ってやらない。死んでも邪魔なんざ思ってやらない」
「…………」
「お前は、俺が必ず助けてやる」
そう、何がなんでも。
何があったとして、『こいつら』は救う。
俺は『あの日』、そう誓った。
「……そう、そうだ。『あの日』も、こんな雨が降った日だった……」
胸元に潜ませた、イギリスで貰った十字架をそっと手のなかに置いた。
◇◇◇
――――暁が死んで、一週間が経った。
あれから、『僕』は全てを拒絶した。目に入る物事も、耳に届く情報も、何もかもが不愉快だ。目障り耳障りだ。
『僕』は、背を丸め、身をよじり、じいっとうずくまっていた。
腐り死んだ蛆虫のように、こびりついて野糞のように、ありとあらゆる生理的嫌悪を催す形容を以てしても足りない醜く惨めな姿で、そこにいたと思う。
窓の外では、雨が強く窓ガラスを打っている。おそらくは、明日も雨は続くだろう。
がたがたと震え、吐き気が止まらず、何時までも眠れない。
脳の芯が常にぶれ、ここが現実か夢か分からなくなる。今こうしている自分が何者なのか、時々見失う。
――――気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
誰もいない薄暗い部屋のなか、誰かが『僕』の無様を笑っている気がする。
誰かが、『僕』を、笑って、
「あ、ああ、アアア……ううううう……!」
喉から、まるで自分のものとは思えないほどに低いうなり声が耳に届く。
怖いのだ。叫んでどこか遠くに消え去ってしまいたい衝動に駆られる。
固く閉ざされたこの部屋は、何の異物もない。『僕』だけしかいない空間。
しかし、そんななか。
机に置かれたスマホがチカチカと、一件の新着のメール通知を教えていた。
――――『明日の夜十時、公園で』と。
送信者は、あれから行方が知れないでいる桧作夕平となっていた。
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。
【追記:六月三日】加筆修正しました。




