第六十五話
第六十五話、投稿しました。
分かりやすいような前回のあらすじ:桜季「帝王はこの千夜川だッ! 依然変わりなくッ!」
『トラップ……?』
『ああ。千夜川を仕留めるには、それしかない』
死闘前日、最後の下準備のために清上学園に向かう車の中、拓二とベッキーの間でその会話はなされていた。
ずばり、千夜川桜季をどうやって打倒するのか。拓二が考える、その手段について。
『細波……ある探偵から得た千夜川の情報を、隅々まで見回した。その過去経歴全てを叩き込み、千夜川と接触した時間、この俺が直接見たあいつの様々を思い起こして検証した結果――――俺では、奴に勝てないだろうと判断した』
『え、勝てないの?』
拓二は、事も無げに頷いた。
自分が負けると、あの烈火のごとき持ち前の執念をひっくり返すようなことを平然と。
それがベッキーには意外に映った。
あのイギリスでの拓二の活躍、そしてそんな彼の原動力を知っているベッキーには、なおさらだった。
ただしかし、弱気になっているのかと言われると、そうではない。むしろ非常に前向きだ。
勝つために、彼は客観的事実を冷徹に受け止める。そして尖った執心を押し殺し、戦略を立てる。
能力が劣っているからこそ、様々な可能性を熟慮し、策を練る。
彼は、この機会の重要さを誰よりも知っている。
だからこそ、こういう時にその賢慮が光るのだ。
彼はどうしても譲れない彼なりの矜持こそあれ、慢心やつまらない見栄などで全てをふいにするなどという愚かな真似を、決してしない。
『俺一人じゃ勝てない、そうするだけの能力が足りない……それだったら、舞台を俺の独壇場にしてやればいい』
『それで、トラップなんだね。でも……そう上手くいく?』
隣に腰掛けるベッキーの問いを、拓二が作業しながら答える。今は、トラップ設置場所を記した学園の見取り図の束を片手に、もらった『S&W M29』に特殊接着塗布剤を使って、より衝撃に頑丈になるよう磨いている。
『……まあ、それが命中すればそれに越したことはないし』
その言葉には、『まあまず当たりはしないだろう』という言外の含みを持たせているように、ベッキーには聞こえた。
『どちらかというと、注意を散らばらせ、こっちの有利になるよう仕向ける囮だ。別に失敗しても構わない。とにかく、切れる手数はあるだけいいからな』
『トラップを、囮にねー……』
感心した様子で、ベッキーが何度も頷く。
まるでこれでは、戦いというより紛争のようだ。
これまでの話はそのまま、桜季が罠を看破出来るという前提のもとに話されているのだから。
『清上祭で、仕掛けられそうなポイントは大体見当をつけた。材料は揃った。後はこうして実際に赴くだけってわけだ。今日一日は忙しくなるぞ』
『ふうん……』
『……ったく、皮肉なもんだ。散々ループに頼ってきといて、こんな土壇場が一発勝負なんてな……』
ぶつぶつと何かを唱えるように呟く拓二の声も気にせず、今思い出したと相槌を打ち、ベッキーはあることを尋ねた。
『あ、ねえ。〝じゃあ、今トランクに積んでるでっかいのは? あれも囮〟?』
車の後部、閉じられたトランクの方を指差し、釣られて拓二も顔を持ち上げると、ああ、と答えた。
『あれはトラップもどきじゃなくて、本当に「仕留めるための」トラップだ。これは完全にとっさの思いつきだが……上手く行くか分からない』
『上手く行くか分からない?』
『当たればでかい分、条件が厳しいんだ。その時の状況で、成功率は極端に変わる』
『……それなら、まだ確実なもので揃えた方がいいんじゃ』
ベッキーがこう言うのも、桜季への警戒とその行動が一見ちぐはぐのように感じたからだった。
拓二が言うように、桜季が幾重もの罠を掻い潜るほどの人間であるとするならば、ますます運の絡む罠は避けるべきではないのか。
だが、拓二は銃を弄るのを止め、身体を預けるようにして座席にもたれた。
『言ったろ、手数を増やしたいって。せっかく仕掛けたトラップが外ればっかでもしょうがない。それに、こういう不確定要素がいつもマイナスに働くとは限らん』
『そうなの……』
『お前は何も知らねえんだから、黙ってその日を見てたらいいんだよ』
そう鼻を鳴らし、そして付け加えるようにこう告げた。
『んで、だ。このとっておきを仕掛ける場所なんだが――――……』
◆◆◆
――――三階奥の、A校舎とC校舎を結ぶ連絡通路。
通路は校舎ごとの扉に挟まれ、どちらも閉じると密閉された空間になる。普段学校生活を送るのに、あまり見向きもしないただの通り道。
トラップを仕組むには、ここが一番だった――――のだが。
「くっ……」
近くの窓枠に手をかけ、立ち上がる。
蹴られた腹が疼く。服には掠れた空気音と共に消火器から漏れたリン酸の粉末やら炭酸ガスのなりそこねが付着し、汚れてしまっている。
ただ、そのようなことも今となっては些末なことだ。
思いがけない反撃は、かなり手痛かった。いくら桜季とはいえ、異常な反応速度だ。〝まるで、俺の攻撃を読んでいたかのように〟
偶然ならいいのだが、もし……これが桜季の本領なのだとしたら、俺は――――。
「…………」
その桜季は、自分の手元に視線を落とし、何か呆気にとられているようだった。
無防備だった俺を、見ようともしない。それが嫌に不気味だった。
「――――……らァっ!」
いや、しかし、構うものか。
狙うはお返しのどてっ腹。身を奮い立たせ、凪ぎ払うように足を振るう。
だが――――その軌道は簡単に空を描いた。
上体を反らし、軽々と避ける。
蹴って蹴って蹴り続けても、なお最小限の動きで華麗にかわしていく。
――――早い。
桜季の動きが、俺よりも――――〝いや、さっきまでの桜季自身の動きと比べても〟ずっと早く、速い。
反応・動作・神経速度、その全てにおいて一拍分俺が遅れているようなこの感覚。これでは子供扱いだ。
その動きはまるで、まさしく本来のカポエィラのダンスを踊っているようで、俺の攻撃はというと、まるで当たる気がしなかった。
「っ――――ダンス踊ってんじゃ、ねえよ!!」
宙で上体を回転させ、渾身の一蹴りを叩き込んだ――――。
「ふっ!!」
「っ!? ――――がッ……!」
――――のだが、一瞬のうちに至近距離に肉薄され、逆に掌底を浴びせられていた。
身体は比喩なく宙を滑り、その勢いで、今度こそ扉に背中を叩き付けられる。肺の空気という空気が絞り出された。
「う……っ」
「……諦めた方がいいと思うよ、相川くん」
桜季が、話しかける。
息乱れた様子一つ見せず、俺の罠を越えてきた証拠を、その服の傷みが示しているだけだった。
……ネブリナの力を借りて仕掛けた囮のブービートラップの数々を、どうやったら無傷で避けられたのか。いっそ俺が知りたいくらいだ。
「なんだか、調子が良いみたいだから。今ので精一杯なら、私はもう絶対に負けない」
「…………」
「だからもう、『喧嘩』はこれまでにして……」
「……『喧嘩』、ねえ……ハハッ……いいなァ……」
「え?」
ゆっくりと手を付いて、起き上がる。
対して俺はといえば、ダメージが足に来ているのか、一時的とはいえ身体が重い。
俺に有利なはずが、もう既にぼろぼろなのは俺の方。
決定的な差が、どうやっても埋まらない。五十年繰り返しても、目の前のこいつはまるで意に介さない。
そして今では完全に俺が劣勢、俺が下だ。
「かっこいいな、アンタは……きっとアンタを見た誰もが、そう思うんだろうな……」
……こうなるってことくらい、本当は分かっていた。それも、ずっと早い段階から。俺では、桜季に勝てないと。
そう思ったのは、果たして何時からだったか。
今日初めて顔を合わせた時から?
チェス勝負をした時から?
夕平の病室で二人になった時から?
それともこのループ中に桜季と邂逅した時から?
――――……ねえ。よければそれに書いてあること、手伝ってあげようか?
いや違う、もっと前か。
俺が初めて、桜季に会ったあの日からだ。
「現に、俺は……今までずっと……」
そうだ。俺はずっと。
己の価値観を超越する桜季に、俺は――――。
「――――ずっと、憧れてたんだな」
後ろ手でそばの扉を開き、そしてもう片方で、ポケットからその『火種』を取り出した。
剥き身のマッチ一本。それは、ささやかな熱を以て光を灯している。
「〝マッチ……それに、この臭い〟――――まさかっ……!!」
「おせえよ、完璧超人」
どうやら俺の意図に気付いたようだったが、俺の方が絶対的に速い。
擦ったマッチを放り捨て、扉の向こうに転がるようにして飛び込んだ。
そして次の瞬間。
――――地面を裂くような大音量を伴う爆発が、辺りの空気を引っ掻き回しながら轟いた。
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。
【追記:四月二十六日】加筆修正しました。




