表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/141

第五十四話

第五十四話、投稿出来ました。サザ〇さん風にまとめるならば、新キャラ登場、拓二はクズとなり、そしてその他大勢の三本仕立てとなっております。

「相川……くん。その怪我……」


 その次の日の夜、僕は千夜川先輩を呼び出していた。


 電話を一本……彼女がその場で出なかったので、留守電にメッセージを入れて、夜も更けた『この場所』に、たった一人で来て欲しい、と。その言葉は、どうやらちゃんと届いたらしい。


 ────そうここは、いつの日か僕と千夜川先輩が、初めて会った場所だった。


「一体誰にやられたの? どうして言ってくれなかったの」

「これは……いいです。何でもないから……」

「でも……」


 千夜川先輩は、僕の傷のことを気にかけているらしい。いつものように、ちゃんと気遣ってくれてるのが分かる。

 けど、あまり嬉しくない。

 この傷を見る度に、自分の情けなさが去来する。この傷のことを問われる度に、相手の憐憫がいつも以上に胸を裂くように痛い。


 違う。ほんの数ヵ月前、彼女と会った時とは何か違う。

 同じ場所で同じ人と一緒にいるのに、全然違う。


「本当に、大したことないんで……あの、それよりも、大事なことが」


 おかしいな、気分まで悪くなってきた気がする。

 それはきっと、これから言おうとすることに緊張しているから、だけではないだろう。


「……千夜川先輩」

「うん?」

「…………」

「…………」


 僕達は、まっすぐ対面していた。


 夜よりも暗く、そして美しくたなびく黒髪。

 人形よりも整った、その美貌。

 頭脳明晰で運動神経抜群。その上性格も優良。


 彼女は、完璧だった。

 ……僕には、とても釣り合わないほどに。


「……僕と、付っ、き合って、ください……!」


 僕が告白なんて大それたことが出来たのも、世界がやり直されることが分かっていたから。一からリセットされるという『保険』を知っていたからだ。


 その、一方で、告白した時、心のどこかで本気で思った。

 ────僕は、何がしたいんだろう、と。 


 殴られて、蹴られて、散々自分に嫌気が差していたのに。

 ここで憧れの人に告白したところで、どうなるというのだろう。彼女にオーケーを貰えると自惚れたのか、まだそれほどの自信が自分にあったのか。

 

 今となって考えると、自信を保ちたかったからじゃないかと思う。


 どん底に打ちのめされた存在価値を、もう一度千夜川先輩に掬い上げて欲しかったのだ。

 初めて会った、あの時のように。

 彼女と恋仲になるかどうかなんて、考えてもなかった。というか、それは僕にとっては二の次だった。


 告白という形で、認めてほしかったんだろう。

 多分、例え嘘でも彼女が頷いてくれたら、それは僕にとって大きな慰みにもなったことだろう。


 千夜川先輩は優しいから。

 また僕を助けてくれる。

 そう、考えていた。

 まったく、お笑いだ。同情も憐れみも、何もかもが苦しいと、ついさっき言ったばかりなのに。


 しかし────


「……ごめんなさい」


 しばらくして返ってきたのは、拒絶の言葉。

 考えれば当たり前なはずなのに、激しい衝撃を受けた。


「……え……?」

「ごめんね。君とは……そういう関係にはなれないよ。弟みたいだと思ってたし、それに……」


 ……振られた。

 呆気なく。味気なく。

 恐らくはこれまでに彼女に告白し玉砕したであろう人間達と、同じように。


 ────どうして。


「そ、れに……?」


 何も考えられない。ふわふわと、身体が軽くなったようで、そして内から燃えるように熱くなった。

 真っ白な頭で、それでも精一杯の虚勢は張ろうとする意識が残っていたのか、彼女の言葉を繰り返すように口だけが動いた。


「…………」

「それに……何ですか?」


 納得できずに、問いただす。

 そもそも、納得も何もない話だが。


 一筋の夜風が、僕らのいる土手を抜けた。


 そして。



「……私、私ね────実は、夕平くんのことが────」



「……は?」


 やがて、少しだけ躊躇いながら千夜川先輩の発した言葉に、足が、がくがくと小刻みに震えた。


 信じられない心地だった。嘘だと叫びたいくらいで────でも、自分の口すらまともに動かせなかった


 ────また、桧作だ。

 この人も、桧作を選ぶんだ。


 みんな、みんなが僕を嫌う。誰も、僕を認めない。


 どうして。

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。


「どうして……?」


 尋ねた。けど恐らく聞こえてないだろう。

 喉が痙攣して、声を届かせられない。案の定、風に掻き消されてしまう。


 ────駄目だ。千夜川先輩も、結局は僕を見捨てる。僕を嘲る奴らとおんなじになるんだ。

 僕が情けないから。

 僕が桧作じゃないから。


「僕が……」

「え、なんて? 聞こえないよ……?」

「…………」

 

 その時だった。

 突如として、その『冗談』は頭に降りてきた。


 本当に、何故思いついたのか分からない。悪魔的な発想だとしか思えない。

 しかし、それでも、〝思いついてしまった〟。


 一泡吹かせてやりたいという気持ちがあったかもしれない。

 振られて投げやりになったのかもしれない。


 僕は、口を開いていた。


「……あいつ、桧作は」

「え?」


 止せばいいのに、言うべきじゃないのに。言葉だけが口を衝いて止めどなく出ていく。


 そんなことを言ってどうにかなるとも思ってなかったのに。

 

「桧作は……立花がいるだろ」

「立花ちゃん? でも……」

「だって……」


 思えばこれが、最後の切欠だった。


 僕が千夜川先輩と出会い、桧作や立花と出会い、遊んだりしてきた今までが。

 四人で一緒に笑い合って過ごしてきたこれまでが、上手くやってきた僕達の全てが――――決定的に違えた瞬間だった。



「……だって、〝あいつらは付き合ってるんだからさ〟」



 僕は────最低のクズだ。



◇◇◇



「あたしねー、小森こもり琴羽ことはって言うんです。四月一日が誕生日の早生まれで、こないだ十五歳になったんですけど」

「……ああ」

「それで私、この公園の近くに住んでるんですよ。それでねそれでね、窓からここまでの道が部屋の窓から見えるんですけど、あなたが走ってるのをよく見かけてたんですね」

「……ああ」

「でも最近いらっしゃらなかったからどうしたのかな~って、思ってたとこなんですよ。あ、そうだ! お名前なんて言うんですか? 見た目大人っぽいから、先輩かな? おいくつですか?」

「…………」


 あ……ありのまま今、起こったことを話すぜ!


 ある朝、俺はいつものように明朝ジョギングをし、公園でトレーニングに励んでいた。

 自分の独壇場であるはずのチェスで、桜季に敗れた俺は、心機一転、己を省みるために久しぶりにここでカポエィラの技を磨いていた。

 その時の俺は、まさにバトル漫画よろしくやる気に満ち溢れていた。

 もう負けられない。敗北は許されない。

 次が泣いても笑っても、俺が数十年やってきたことの決着となるのだから。我ながら並の執念ではないのだ。


 そしたらなんか、変な少女に身柄を拘束されていた。

 しかも何故か、顔も見たことのない俺に懐いているらしい。


「…………」


 いや、訳が分からない。何だこの状況。

 過去のムゲンループでも、こんなことは起こったことはなかった。なんだ、とき○モかな? 周回プレイで出てくる隠しキャラ?

 まさしく頭がどうにかなりそうな気分だ。いや、それほどでもないか。

 いやしかし、思い出せ。こいつの第一声を。


 ────……どうして、あなただけは機械じゃないんですか……?


 統失か電波か、はたまたメンヘラか。

 うむ、実に香ばしい。関わってはいけないタチの人間かもしれない。


 ……俺? 俺の場合はほら、ムゲンループはちゃんと存在している現象であって。


「……相川、拓二だ。高一やってる」

「わ、じゃあ相川先輩だ! 相川せんぱーい!」


 俺がやむなしに答えると、嬉しそうに琴羽と名乗った少女が声をあげる。


 今になって俺は、ここに鍛えにきたことを若干後悔していたのだった。

 頭の中は既に、どうやってこの危ないガキから逃げようかと算段を立てていた。


「……ん? 早生まれで最近十五歳になった? じゃあお前も俺と同じ高一だろ。先輩じゃなくね」

「おお、よく分かったですね。早生まれがどうこうって、誰に訊いてもちゃんと知ってる人少ないんだよねー」


 そう、一九九六年生まれで誕生日が九月の俺が今十五歳で、今年で満十六歳になる。

 つまり十五歳の琴羽は一九九七年四月一日生まれであり、俺と同じ高校一年生ということになる。どう考えても俺は先輩ではない。


「だったらどうして、同い年の俺を先輩なんて呼んだんだ? 勘違いか?」


 よしゃーいいのに、気になったのもあって尋ねてみる。

 我ながら物好きである。


 クレイジー女は、そこで困ったような笑みを浮かべ、ぽりぽりと頬を指で掻いた。


「んまあ……へへ。あたしにも色々ありましてー」

「色々?」

「ん、実はあたし……不登校してて。だから、学校に行ってる人って……なんか、ほら。ね?」

「……ふうん」


 不登校ねえ。

 だからこんな、学校に遅刻するぎりぎり寸前まで俺を拘束しても問題は無いということか。

 俺にしたらはた迷惑この上ないのだが。


「……ありゃ、驚かないんですか?」

「別に、よくある話だろ」


 俺も、どうこう言える筋合いはないしな。

 

「そう言ってくれると、嬉しいな。ちょっとほっとするかも」


 琴羽が、ふっと息を吐いて微笑んだ。


「ほっとするなよ……こんな素性も知らん奴の言葉に」

「あはは、確かにそうですね」

「……変な奴だ」

「うん。……まあ、それだけじゃ……ないんだけどね」


 ぼそりと呟いたその言葉を、聞き逃しはしなかった。

 それまで快活に話していた少女の目が、一瞬、うつむきがちに伏せられる。


 それが、今までの雰囲気との差異は、肌で伝わるかのようにはっきり感じ取れた。


「……『機械』」

「え……?」

「お前が言った事だろうが」

「あ、ああー……そっか」

「あれは、どういう意味だったんだ」

「……それは」


 躊躇いがちに口を閉ざした琴羽。

 俺に何も言いたくないというよりは、俺から何かを察して欲しいという、変に言えば『話す踏ん切りを作って欲しい』ような気を感じた。


 ……まあ、大体想像することは出来る。

 先ほど軽く触れていた彼女の不登校と『機械』という単語は無関係ではないのだろう。


 一つ推測するに、この少女は病気なのじゃないか。それも、精神的な疾患。


 その深刻そうな表情が少しだけ気になって、一応訊いてみる。


「病気か何かか?」

「…………」


 小さく首を横に振った。


「……分かんない。病院にも連れてかれたし、カウンセリングも嫌だったけど受けた。けど、結局何が何なのかも分からなくて、追い返されちゃったんです……」

「ただの電波発言じゃなかったのか」

「電波って……それは酷いですよおー」


 唇を尖らせ、琴羽が俺を不満げに見上げる。 

 そんな目で見られても、初対面の俺に(といっても、琴羽は前々から俺の事を知っていたようだが)そんなこと話して意味不明キチガイと取られるのも無理ないだろう。

 というか、何故ここまでの私情を俺なんかに? 


 そうさらに尋ねようとしたその時、琴羽がちょうどのタイミングで、口を開いた。

 それまでの明るかった口調とは重々しいそれで、膝に置いた両手をぎゅっと握りしめて。



「あたしね……目に映る人達全員が、みんな機械に見えるの」



◆◆◆



「────この点Aからガラス中の点Bに到達する光は,図2の経路ACBを進む。そして、空気の屈折率を1,ガラスの屈折率をnとして,入射角qと屈折角fの間には、さっき話したスネルの法則が────」


 教鞭を取る教師の声が、黒板に白文字が踊る音以外静まり返った教室に響く。

 生徒は皆一様に、一心不乱にノートを取っている。その並び揃った様はまるで、訓練された兵隊のようだ。

 

 千夜川桜季も、その一人。彼女は今、二限目の午前授業を受けていた。

 教師の言葉を耳に入れ、ノートに鉛筆を走らせていく。が、その書き記している内容は、今授業で解説されている事柄ではない。


「…………」


 その紙一杯につらつらと書いてあるのは、会話だった。

〝それは、つい先日自分と『とある少年』とのやり取りを、一言一句完璧に記憶から書き起こしたものだった〟。カギカッコで小説の会話文のように書き起こし、綴っている。

 彼女は、自分がこの時このように言って、相手の少年がこう返した、という一つ一つを覚えていた。


 しかし、何故そんな、手間のかかることをしているのかと言うと。


「……やっぱり」

 

 周りに聞こえないように、口のなかで転がすようにそう呟く。


 その目は、ある一言に留まっていた。


 ────「……アンタが欲しがってるものは、ずっと、何やっても手に入らないよ」


 この一文に下線を引き、授業もそっちのけでずっと考えている。並の人間には計り知れないその頭脳で、深く、より深く。


 相川拓二。

 まるで、年頃の高校生でなく、老獪な年長者を相手しているような……。


「────さて、ではこの問の四を……千夜川! 解いてみろ」

「あ、はい」


 名前を呼ばれ、意識を切り替えてそのノートを閉じた。

 桜季にとっても、チェスで勝ち、手に入れたものは確かに存在している。


 そのなかで、桜季が下した結論は────

 


◆◆◆



「────って、立花さんとこの奥さんが謝ってきたんだけどね? あたしがあの子は全然大丈夫ですーっつってもぺこぺこ頭下げてきてさ。いやー、ほんと良い人よねえ。娘のあかちゃんもいい子だし、血って言うのはほんとにあるもんなんだよねえ」


 ここは、夕平の病室。

 学校のあるこの時間に、彼ともう一人、四十代ほどの化粧の濃い女性が夕平にべらべらと話をしていた。


 その話は長く、かれこれ二十分は途切れさせることなくもっぱら身の上話を垂れ流し続けている。


 しかし何を隠そう、この女性こそが彼の母親である。


「なあ母ちゃん」

「んー? あによ」

「……なに人のもらったお見舞い勝手に食べてんだよ」


 しゃりしゃりと当たり前のようにリンゴを丸かじりする母に、夕平が呆れつつ尋ねた。


「いーじゃない、ここまで来るの面倒なんだし。ちょっとくらい親身に息子を見舞うグレートお母様をねぎらう気ってもんがないのかいあんたは」

「……まあ別にいいけどさ。また看護師さんに見つかって怒られても知らねーぞ……」

「あんたの分は残しとくわよ」

「そりゃどーも……」


 夕平の母は、元来こういう性格の人であった。

 がさつというかなんというか……実の息子である夕平でさえも、時々ついていけない。

 今でさえ、本気で心配してるのかどうなのかよく分からないでいる。親としての責務は果たそうとしているようだが。


「それにどうせあんた、学校サボれる理由出来てラッキーとか思ってんでしょ」

「いや、死にかけてまでそんなことする気はねえよ!? つっ……」

「ほらバチ当たった。大人しくしてな、死んじゃっても面倒見ないわよー」


 そんな調子なもんで、夕平にとっては親子というより姉弟のようなあけすけない感覚なのだった。

 もちろん仲は決して悪くない。


「今日もあかちゃんは遊びにくんの?」

「見舞いだろ。まあでも、そうなんじゃね」 

「ふーん……こないだ久しぶりに会ったけど、また可愛くなってたねえ。いい女になったじゃない」

「オヤジかあんたは……」


 突っ込みつつ、その時ふと、暁のことで思い出したことが夕平にはあった。


「そういや母ちゃん、あいつになんか変なこと吹き込んでなかったか?」

「はあん? 変なこと?」

「あいつ昨日、やけにそわそわしててさ。こことトイレ何度も行ったり来たりして、訊いてみても赤くなってさ」


 昨日の学校が終わった夕方頃、暁はいつものように見舞いに来ていた。

 暁の見舞いは毎日の習慣になっていた。毎度毎度、ご苦労なことだと思う。何故そこまでするのかは謎だ。謎といったら謎なのだ。


 暁はいつも、今日は友達の誰それと喋っただの、こうこうこんなことがあっただの、学校であったことを夕平に話して聞かせていた。

 しかし、昨日はその様子が変だった。

 先の夕平が言ったことに加え、何時ものように話を始めず黙りこくったまま、こっちから話しかけたら椅子から転げ落ちる、手持ちぶさたにリンゴの皮を切ろうとすると指を切るなど……らしくないことばかりしていたのだ。


 一昨日帰った時までは普通だったし────その時自分が何かした覚えもない。

 となると自分以外の何かが原因なのか、と考えてのことだったが……。


「あー」


 そう訊くと、何か思い当たる節でもあったかのように手を叩くと、



「多分あたしがあの子に、『もう夕平にヴァージンあげたの』って訊いたからじゃね」

「最っ低のセクハラだったー!!」



 とんでもないど畜生発言をかました。


「あんた人の幼なじみに何してくれてんだー!!」

「やぁーねえ、ナニすんのはあんたでしょ」

「上手いこと言ったつもりか!」


 けらけらと笑う母親に、夕平の怒声が飛ぶ。


「うっさいわねー。ていうかあんたらまだ付き合ってなかったん。何ちんたらやってんの」

「余計なお世話だっつーの!!」

「なぁーにが余計だこのひよっこが。こちとら不本意に年食った経験論から言ったげてんのよ」

 

 そこで、それまで笑っていた表情から一変、目を細め、大事なことを話す時のように、真剣な眼差しを夕平に向けた。


「あのねえ、世の中で悲しいことってのは、総じて誰かが死ぬことと恋破れることよ。それが理不尽な理由であればあるほどね。だから映画とか本とか、男だか女が死ねば、それで感動的なお話よ。だって悲しいことが重なってんだもん」


 かと思うと、視線を逸らし、どこか遠くを見るような素振りを見せる。


「……あたしもさ、今となっちゃ後悔してばっかよ。この時こうしてれば……なんて生娘みたくうじうじ悩んで」

「母ちゃんでもそんなこと思うことあんの?」

「一体あたしを何だと?」


 とにかく、と一言置いて、こうまとめた。


「まあやれるうちにやることやっときなさいな。青春ってのは戻ってこないんだから」

「…………」

「特に、あんな可愛い子と思春期過ごせるなんて奇跡だと思って、ちょっとはあかちゃんのことも見てやんなさい。死んでからイチャイチャ出来るわけでもないんだし」


 そして言いたいことは言ったというように、かじっていたリンゴにまたかぶりついた。


 夕平には、その言い分に覚えがあった。

 暁を見てやれ、と。

 まさか、この母親から同じようなことを聞かされるとは思わなかった。言葉は似ていても、意味合いは大きく非なるものだろうが。


 ……やはり、暁のことをもっとよく考えていくべき時なのだろうか……。


「……母ちゃん」

「んー?」


 夕平は、掛けられた言葉を噛み締め、まっすぐな視線を以てして答えた。


「……父ちゃんを勝手に死んだことにしてやんなよ。単身赴任だろただの」


 そう告げた途端に、母は頬を膨れさせ、拗ねたような口振りになった。


「だあってー……もしかしたらあっちで女作ってるかもしんないじゃない? そしたら、男として死んだも同然っしょ?」


 ちなみに、夕平の父親は酒にも金にも誠実な一介のサラリーマンだ。

 もちろん、女遊びなど縁の無い真面目な夫である。


「はあーあ、ヤれるうちにヤっとくべきだったわほんと。抜かったわー、家出てった五年前に二人目こしらえときゃよかった」

「いたいけな息子にそんな生々しい夫婦事情聞かさないでくれる!?」


 傷に響くような声を張り上げる夕平。

 突っ込む時には突っ込む芸人魂を感じさせる。


「んで、あんたは童貞卒業出来そうなん?」

「うっせーばーか!! ばーか!!」


 そして、その大声を聞いて看護師に安静にしろとお達し(イエローカード)を受けてしまったのだった。

 それも、夕平だけ。



◆◆◆



 小森琴羽が、その『病気』になったのは、高校の始業式が始まる朝のことだったらしい。

 何時ものように目を覚まし、ベッドから身を起こして着替えている最中に、その異変に気付いた。


 部屋の姿見で自分を見た時────最初は寝ぼけているのかと思ったのだという。

 気持ちは分からなくもない。

 見慣れた自分の腕や素足────人間の生身全てが、無機質な鉄の骨組みに赤や青色のコードが絡まっている奇妙な形になっていたのだから。


 特に顔は、ゴルフボールぐらいの大きさの、つるっとした球が二個埋め込まれ、肌という肌は消えさり、ボルトとネジで張り重ねられた鉄板が人の顔の形を模しているだけの、人ならざる姿。それは本当に突然の事だったという。

 人が機械に見えると言っていたが、決して二足歩行の出来るマスコット系のロボットのようなものではなく、剥き出しの機械であるといった方が正しいようだ。

 

 人としての容姿も、表情も何もない。

 その穴のような口から出る言葉以外、全てが無機質な機械に囲まれて生きてきたのだ。


「私だけじゃない。お母さんもお兄ちゃんも……外に出れば近所の人もすれ違う人も友達もみんな、機械になっちゃってた。ニュースのお姉さんもみんな……。でも、みんなそれが普通みたいに過ごしてて。私、頭が……おかしくなったんだって思ってた」


 それは、どれほどの恐怖だっただろう。

 俺も、似たような経験はある。

 自分とその他全員が違うことの恐ろしさを。まるで自分だけが異端で、その他大勢が正しいのであるかのように周りから錯覚させられてしまう感覚は、自分という存在を塗り潰していくことに等しい。

 自分は何も間違っていないのに。


 それを、この少女はたった一人で受け止め続けていたのだ。

 家族にも言えず、孤独に一人で。 

 

 俺は、いつの間にかこの少女にシンパシーを感じていた。

 話も、聞いている限りでは荒唐無稽のほら話だと一笑に付すものだと思うが、それを話す琴羽の様子や態度は、俺から見る限り嘘や演技には見られなかったのだ。

 まあ、いくらこいつの話が信じがたいと言っても、俺には人のことを言えない事情があるしな。


「でもね、先輩は違ったの! 部屋の窓からたまたま、相川先輩が走ってく姿を見た時は夢かと思った。ていうか逆におかしくなったのかなって思ったし。でも、もう一度見た時……嬉しくて、本当に嬉しくて。ちょっと泣いちゃった」


 その時の事を思い出したのか、言葉尻は小さく震えていた。

 

「ごめんね、こんな突然。……怒った?」

「……いや、興味深い話だと思う」

「ぶー、人の気も知らないで……」


 俺の返し方は、琴羽には不満だったらしい。 

 が、本気で嫌がってるわけでもないのか、すぐに話を切り替えた。


「で、もしかしたら相川先輩も私とおんなじなんじゃないかなー……って思ったんだけど」

「悪いな。俺はそんなことなったことはない」

「……うん。でもまあ、そんな気はしてたよ! そう上手くはいかないだろうなって。だからだいじょーぶ!」


 琴羽が、ニパっと笑いかけた。


「それに、誰かに話してスッキリした! 家族以外に話したの、これが初めてなんだ。というか、家族以外誰とも話せないんですけどねー」


 ベンチで、隣に腰かけていた俺の腕をがっしり抱きしめる。


「ありがとね、聞いてくれて。別に信じてくれなくてもいいですから」

「いや、信じてやるよ。今のところは」


 面白そうな話だし、今がこんな状況じゃなかったら色々訊いたりしてみたいところではある。

 騙されているとしても、それはそれで大した演技力だと思うし。

 俺は単純に、この琴羽に興味がある。


「ほんと!? ありがとー!」

 

 強く強く抱きしめられる。痛いくらいに。

 まるで懐いた猫のように、その腕に軽く頬ずりをしてきた。

 

「お前っ……」


 しかし、俺はその目に、うっすら光が溜まっていることに気付いた。

 文句を言おうとしたが、止めた。


「ああ……人の肌って、こんなに温かいんだぁ……」

「……汗臭いだろ。気になるだろ?」

「ううん……いいの」


 しばらくこのまままるで恋人同士の触れ合いのような時間が流れた。

 やがて、何となく気恥ずかしくて、そっとその拘束を解くだけにしておいた。


「そろそろ学校に行かないと。俺は行くからな」

「え、でも……もう遅刻じゃないです? サボっちゃいましょうよー」

「そう言うわけにもいかないんだよ、お前と違ってな」


 ひーどーいー、と文句を垂れる少女を横目に、すっくと立ち上がった。

 琴羽の言う通り、遅刻もいいところだろうが、学校に行かないわけにもいかない。暁と夕平の見舞いに行く約束をしていたのだ。

 それに、今や一人となった暁を放ってはおけない。彼女の護衛をする必要がある。まだ『その時』ではないし必要はないとしても、用心に越したことは無い。


「また……会えますか?」

「さあ。会いたきゃ来い。部屋から見えるんだろ?」

「……! うん!」


 学校には昼前に顔を出せばいいだろう。

 さて、今の時刻は……。


「ん……あれ、スマホがねえ」

「これ?」

 

 時間を見ようとポケットをまさぐっても、スマホが無いことに気付いた。


「今落としてたよ。はい」

「それで、今何時か見てくれ」


 荷物から替えの服を取り出し、着る。

 ていうか、人気の無い公園で高校生の男女が一組いて、そしておれが服を着ながらその言葉はなんか誤解を生みそうだが……まあいい。


「えっとね、今は十時────……」

「十時か。今からなら昼に間に合うな」

 

 ずいぶん長話をしてしまっていた。

 急いで帰って、シャワーを浴びて、学校に向かおう。

 またいつぞやの時のように心配してしまうと流石に悪い。


「この、女の子……」


 ところが、琴羽を振り返って見た時、琴羽の様子がおかしいことに気付いた。

 わなわなと全身を震えさせ、視線だけがスマホの画面を見て動かない。


 何事かと思った時、琴羽は再度、絞り出すような声でこう言った。



「〝この女の子……! この子も、機械じゃない〟……!!」



 琴羽が見ていたのは、スマホの待ち受け画面だった。

 それは、いつの日か閉園前の遊園地で、四人で並んで撮ってもらった時の画像。冗談半分で待ち受けにされてから放置していたものだ。


 そして、彼女が指差していた少女の名前は────柳月祈。



〝俺と同じ、ムゲンループの住人だ〟。



◆◆◆



「…………」


 昼休み、いのりは一人静かに菓子パンを口に入れていた。

 どこまでも無表情に、パンを運び、噛む。その味に何かを思っている様子はなく、ただ単にエネルギー補給するロボットのように食べている。

 

 教室には、いくつか仲のいいグループで集まり、食べて話して楽しそうにしているのだが、いのりには関係の無い話だった。

 そういう子供らしいところは、この進学校である清上の生徒でも他の高校生と変わらない。授業や試験中とは違う、弛んだ空気が流れている。


「…………」


 しかし、いのりだけは深刻そうな表情で(当社比)、一枚の紙切れに視線を落としている。

 いかにも探偵物のドラマでやるような、顎に手を添え、長考に耽る姿のまま、じっと動かない。


 パンを静かに食べ終わり、彼女は考えていた。いや、敢えてちびちびと齧っていた。

 自分がこれからどう行動すべきか、否か。


 その紙きれは、自分の服のポケットに何時の間にか入っていたものだ。

 恐らくあの時────車で夕平の病院に到着した夜、『彼』が忍び入れたものだろう。〝ハグと称し、抱きしめられた、あの時だ〟。

 家に帰り、このメモを見つけるまでまるで気付かなかった。凄まじい手際だと思われた。


「……よし」


 しばらくの間の後、ついに意を決し、彼女の中で何かを決めたように顔を持ち上げ、スマホを取り出す。

 そして番号を入力し、それを耳に当てた。


「…………」


 いのりが考えていたのは────電話をするかどうか、二択の選択肢についてだった。


 この時、拓二や暁がいれば、それが緊張した面持ちであることが分かっただろう。

 元来、彼女は見知らぬ他人とコミュニケーションおしゃべりすることについて本分としていないのだ。電話もあまり得意ではない。大体自分の声が相手に届かず、訊き返されてしまうからだ。

 言ってしまえば、コミュ障である。


「……ハ、hallo?」


〝しかも────発音については知識でしか知らない英語で話すとなるとなおさら〟。


 そのメモに書かれているのは、十一桁の数字の羅列。

 イギリスの電話番号だった。



『────「hallo」じゃなくて「hello」でしょ、なにそのへったくそな発音』



 第一声、電話の向こうから迎えたのは、若い女の声だった。

 自分とは違うナチュラルなイギリス英語。聞き取って理解し、答えるのが精一杯になりながらも、いのりはこれに返す。


『あ、あの……セリオさんはいらっ〝せー〟ま〝そ〟か?』

『ハア? セリオ? 何か聞いたことあるような……。てかアンタ、訛りひっどいわね。イタズラじゃなさそうだけど。つうか、海外からって』

『電話代の方はお気にな〝せ〟らず』

『顔も知らないアンタの心配なんかしてないわよ』


 向こうで、鼻を鳴らす様子が耳に届いた。

 しかし、あの柔和な雰囲気の男、セリオの声が出てくると思っていたのに。


 内心焦っているいのりに、電話の女性はこう答えた。



『で? こちら、そのお目当てのセリオさんじゃなくて、メリー=ランスロットの番号ですけど。掛け間違いじゃないかしら?』





初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。

【追記:六月三日】加筆修正しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ