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第五十三話

第五十三話、更新しました。大変お待たせしてしまいました。これからもこのようなことはあるかもしれませんが、その場合は今回のように活動報告等でお知らせしますので、ご了承ください。

 桧作が事故を起こしたという報せを聞いたのは、その翌日学校に来た時だった。

 ワゴン車との接触事故。結果学校を休み、今は病院で眠ったままなのだとか。


 担任からの連絡で初めて知った。

 桧作だけでなく、立花も学校に来ていなかったからおかしいと思っていたのだけれど。

 千夜川先輩にも電話した。しかし、彼女もすでに知っていたらしく、俺だけがそのことを知らなかったらしい。


 今まで引きこもっていたため、桧作が事故に遭うなんてことは知らなかった。恐らくは、前の世界でも同じことが起こっていたに違いない。

 でも、今は知っている。なら、友達のために行くべきだろう。

 そう思い、僕は、学校が終わり次第見舞いに行こうとした。

 

 ちょうど他にも見舞いに行くかを話し合っていたクラスメイト連中に声をかけた。

 僕も一緒に行く、と。


 その時のあいつらの顔は忘れない。

 露骨な嫌悪の表情と、冷たい眼差し。

 まるで僕と彼らは赤の他人であるかのように。遊んだ記憶さえ無かったかのように。

 ────僕を、見下していた。

 

 気づけば僕は、人気のない校舎裏に立たされ、そしてすぐに土下座させられていた。

 殴られて、蹴られて、笑われていた。


 ────どうやら僕は、友達が増えたわけでも、学校の中で地位(ポジション)が上がったわけでもないらしかった。


 桧作がいたから。

 桧作が言うから仕方なく。

 嘲る声の中で、そんな言葉を聞いた。


 僕は結局、桧作がいなければ誰からも必要とされない用無しなのだ。

 僕はそれまで、自分がどう見られているのか、大きく勘違いしていた。

 みんな、僕よりも桧作のことが好きだった。僕よりも、桧作を好んだ。

 僕は桧作の代わりにもならない、金魚の糞以下なのた。


 桧作が。桧作が桧作が桧作が。

 桧作のことが憎いと初めて思った。思ってしまった。

 そして、そう思ってしまう自分自身を激しく嫌悪した。

 そもそも、桧作がいなければ、誰かと遊ぶなんてことさえ叶わなかったはずなのに。


 日は落ち、僕を連れてきた連中は既にいなくなっていた。

 地面に着いた手を握りしめて、いつの間にか無惨に踏み砕かれた眼鏡を見て、声もなく泣いた。

 みっともなく嗚咽を漏らし、鼻水を垂らし、唇から血を出す勢いで歯を噛み締めた。そうでもしないと、声に出して叫んでしまいそうだったから。

 悔しくて、怖くて、もう何も分からなかった。

 行き場のない感情を、必死に押し止めていて、長い時間動けずに項垂れていた。



 結局、僕は最後まで、桧作の見舞いに行くことはなかった。



◇◇◇



「いらっしゃいませー、一名様でしょうかー」


 カランカランと音を立てて扉を開くと、そんなマニュアル通りの決まりきった声で迎えられた。


「〝三名で〟。後からもう二人来ますんで」

「かしこまりましたー。お煙草お吸いになりますかー?」


 むしろ俺が煙草を吸う歳に見えるのだろうか、とこう聞かれる度に思ってしまう。

 ……まあ実年齢からしたら吸えなくもないのだが。


「いや、禁煙席で」

「かしこまりました、こちらへどうぞー」


 案内され、通されたのはやや奥めのテーブル席だった。通りに面した窓からは、少し強い日差しが注ぐ。


「こちらメニューです。お決まりでしたらお呼びくださーい」


 お冷やとお手拭きを置き、ウェイトレスは離れていった。

 俺は窓の薄いカーテンを引き、眩しい日光を弱めた。


 桜季が指定したのは、この小さなカフェテリアだった。

 ちょっと注意して探さないと見つからない、小通りの隅でひっそりとしている店。まず俺一人ならここに来ようとは思わなかっただろう。

 しかしその分、ここなら誰かに聞かれるようなこともないだろう。席の位置も、図らずもこれなら申し分なかった。


 俺は、持ってきていた荷物を隣の席に下ろし、しばらく腕組みして目を閉じていた。

 今の時刻は、ちょうど午後の三時からおよそ十五分前だった。

 決められた時間よりもかなり早すぎたが、俺にとっては遅すぎるものではなかった。


 頭の中で、何度も8×8の白黒のチェス盤とそれぞれの駒を描き、昨日一日中行った練習通り動かした。

 今時、パソコンだけでなくスマホのアプリでも手軽にチェスは出来る。CPU相手でしか出来なかったのが残念だったが仕方ない。何時か言ったように、チェスは本来手間が掛かるゲームなのだ。特にオンラインセッションでは(もちろん、持ち時間が短く設けられている場合を除く)、一局だけで1日が終わってしまうこともある。

 もちろん、所詮暇潰し程度の『難しい』モードは簡単に全勝した。


 俺は、桜季にチェスで挑むことにした。

 理由はいくつかあるが、一番には、細波から貰った『千夜川桜季プロフィール』があったからだ。


 あの調査結果を見ると、桜季は確かに多くの分野でなんらかの賞を取ったり成績を残している。その活躍ぶりと言ったら、イン・アウトドアお構い無しだった。


 しかし、よく見ると、〝チェスについては何も功績らしいものは記載されていなかったのだ〟。


 かといって、ボードゲームはしていないのかと言えばそうでもなく、例えば囲碁では、企画もののプロとの対決で勝利していて、将棋に至ってはジュニア別の全国大会において優勝も一度経験している。

 ただ、チェスだけは(上三つがボードゲームの全てだと言うわけではもないが)、公式の記録が無かった。


 この事は細波にも確認した。そして、こう断言した。

 ────千夜川桜季は、間違いなく公式の大会などには出場してはいない。せいぜいやったことがあるにしろ個人的なお遊び程度だろう、と。


 俺は、チャンスだと素直に思った。

 これが普段なら────例えば夕平や暁、あるいはいのりとやるとなれば、二面指しか駒をいくつか欠けさせたハンデ戦をするくらいのことはしただろう。いくら俺でも、初心者相手にそこまで大人げないことはしない。


 だが、今の俺は全く遠慮も容赦もする気は無かった。桜季がチェスをまともにしたことがなかろうが、本気で勝ちにいく気でいた。そこは、俺に勝負内容選択権を寄越した桜季が悪い。

 

 そもそもこの勝負、勝とうが負けようがあまり大きな影響は無い。ここでどうなろうが、未来には桜季は暁を手に掛けることになるし、それを阻もうとする俺との衝突は免れないだろう。


 一昨日の事故のことだってそうだ。俺はあの事故のことを桜季の仕業だと思っている。結局桜季の口から答えを聞くことは出来なかったが、俺はそう確信している。


 ならば、勝ったところで何を訊くことがあるだろうか。これでは、真意の知れない桜季の思うまま、彼女にしかメリットがない。

 頭を冷やして思い返せば、当たり前のそのことが、強い衝撃の事実であるかのように脳を殴った。


 してやられたと思うが同時、しかしこれはいい機会だとも考え直した。


 たかが勝負、されど勝負だ。

 もし桜季が万能であれば、あるいはチェスだって俺より強いのかもしれない。

 しかし、何も盤上だけが勝負じゃない。オンラインとは違い、その表情や指の動き、一つ一つの挙動を見られる。勝敗の鍵となることももちろん、何かを探るなら良いチャンスだった。


 ……もっとも、俺も、むざむざ負ける気は全く無いがな。だから俺はチェスを選んだ。


 卑怯結構、騙し討ち結構。

 勝つか負けるかなら、俺は勝つ。

 

「こんにちは相川くん」

 

 午後二時五十五分、その人はやって来た。

 千夜川桜季。そして、もう一人。


「すみません、私のせいでお待たせしてしまいました……」


 桜季に連れ立ち、ぺこりと申し訳なさそうにして謝る、いのりの姿があった。


「中等部と高等部の方で折り合いがつかなくてね。ほら清上祭の件で。待ったかな?」

「……いや別に。結局約束の五分前ですし、そんな待ってもないんで」


 奥へ詰めてやり、いのりが俺の隣に腰かけた。桜季は俺の対面に座る。

 ウェイトレスには三人分のアイスコーヒーを注文した。


「……いのりちゃんは、コーヒー飲めたっけ? 注文しといてなんだけど」

「大丈夫です、お構い無く」

「え、でもお前この間俺の家でブラック飲んだ時顔渋くしてたじゃ……」

「……飲めることは飲めるので大丈夫です」

「……あー、じゃあ違うの頼んであげるよ」


 数分後、テーブルには、一人分余分なコーヒーとアイスティーが並んでいた。


「夕平くん、二週間くらいしたら退院は出来そうみたいだね」

「そうなのですか? それは、よかったです……本当に」

「まあただ、足のギプスは取れないままらしいですがね。しばらくは杖つきで過ごすことになるんだとか、暁が言ってましたよ」

「不便だよね……また今度お見舞いに行こうよ。もちろんみんなでね」

「もちろんです。……ね、拓二さん?」

「……ああ、まあな」


 ポツポツと、途切れ途切れに会話は紡がれる。本題に入る前に場を持たせるだけの、様子見の(くうきょな)やり取りがあてなく泳ぐ。


「それはそうと、相川くんは風邪大丈夫? 完治した?」

「昨日起きたら治ってましたよ。割りと丈夫なもんで」


 それを聞くと、ぱっと桜季が笑顔になった。


「そっか、安心した。……前見た時は刺されたみたいに辛そうだったからね」


 ……それはまさか、脇腹の傷のことを言っているのだろうか?

 いや、考えすぎだ。俺の傷のことなんて、桜季に知るよしもない。


「うーん……私も、覚えてる限りじゃ風邪は引いたことないかなぁ……」

「ちょっと、羨ましいです。私は、一度引いたら長引いてしまうタイプなので、気を付けなくてはいけなくて」

「へえー……」


 アイスコーヒーを吸いながら、


「────でもまあ、せっかくの勝負が風邪なんかで台無しにならなくてよかったよ。ね?」


 ここで、そろそろと言うように桜季が話を切り出した。


「勝負……?」

「あ、柳月ちゃんには言ってなかったっけ。ちょっとしたゲームをやろうってことになって。一つ賭けてるのよ」

「賭け、ですか?」

「そ。勝った方が負けた方に、何でも好きなことを訊ける……でよかったよね?」


 逆に言えば、負けた方は質問権なし。再び話をほじくりかえすな、といったところだろうか。

 大した自信だ。うやむやにしてもいいのに、わざわざ対等な勝負形式(リスクあり)に持ち込むなんて。


「まあそんな感じっすね」

「……それは」


 ちら、といのりが俺に視線を送った。

 本当か、と尋ねているよりは、正気か、といった感じに近い色合いの視線だったが。

 そういえばいのりも、桜季の調査結果(プロフィール)のことを知っているのだ。あれを見た後にこんな展開に持ち込むのは、ますます尚早と映るかもしれない。


「……所詮お遊びだ。そんな大した意味もない」

「そうそう。普通のお友達がやるようなゲームよ」

「……ですが」

「それで、相川くんは何を持ってきたのかな? 持ってきたそれがゲーム?」

 

 そう言って、どこか嬉しそうに俺が持ってきた荷物を指差す。


「……ああ。今日持ってきたのは、チェスだよ」

「チェス、かあ……全然やったこと無いなぁ。囲碁と将棋ならお祖父様に教わってるんだけど」


 案の定、彼女は首をかしげてそう答えた。もちろん、俺は知っていた通りだったからこくりと頷いた。


「何でも良いって自信ありげに言ってましたから、遠慮なく俺が得意なやつにしてきましたよ」

「……ふふふ、そっかそっか。君も、なかなか負けず嫌いね?」

「問題があるなら……変えますよ?」

「……ううん、いいよ。せっかくだし、面白そうだからこれでやろっか」


 そして、桜季はただただ嬉しそうに笑った。乗せられてると分かっていながら、俺に付き合ってやってるように見える。

 完全に見下ろされていて、あまり良い気分じゃないが。


「あ、でもちょっと待って。今からルール見るから」


 かと思うと、持参していたスマホをおもむろに取りだし、今からググり始めた。


「ルールなら俺が教えますが?」

「大丈夫、ルールは一通り知識として知ってるのよ。でも一応、見ながらやる方がスムーズでいいと思うから。相川くんは集中して本気で来てよ」


 えーとどれどれ……と呟きながら、桜季が開いたのはウィキのチェスルールが記載された記事だった。その画面を、俺に見せてくる。


「ルールはこれの通り、アンパッサンとキャスリングもあり?」 

「……もちろん有りで」

「オッケー。じゃあ、やろっか」


 そう言って、やったことないと言っていた割には、すらすらと正しく駒を並べていく桜季。

 知識としては当然知っているということか。


「白の方が先手だっけ。どっちがどっちにする?」

「……選んでください」


 白と黒の駒を両手で握り、目の前に差し出す。もちろん、どちらも黒というどっかの誰かのようなイカサマはしない。


 桜季は少し逡巡したあと、俺の右の手を指差した。

 黒の駒、すなわち俺が先手だった。


「じゃあ私が後攻。引き分けは出来るだけやり直しね」

「了解。……いのり、口出しするなよ」

「…………」


 胸の十字架のネックレスに、自然と手を添える。


 そして、その勝負は始まった。



◆◆◆



「う、うー……ん」


 とある病室で、少年は目を覚ました。

 ぼんやりと重たい頭を起こし────ギプスが施された足が突っ張ったのを感じた。


 気だるさの中、彼は周囲を確認する。

 真っ白な部屋に、自分がベッドに横たわっているのが分かった。


「……ああ、病院か。ここ。死んだと思ってた」


 そして、意外と早く、多くの状況が呑み込めた。

 迫る車によって、自分が事故に遭ったこと、その最中に暁を辛うじて突き飛ばしたこと────その一瞬の光景を覚えていた。


 というより、今までずっと、ぼんやりと意識はあったように思えた。寝ていながら、自分が寝ているという感覚はあったし、誰かしらの声が聞こえていたような気がする。不思議なものだ。


「────っ、そうだ暁、暁は……!!」


 はっと我に返る心地で、彼は声をあげた。

 暁は無事だっただろうか。ちゃんと巻き込まれずに済んだだろうか。


「……んぅ……」 


 声に対し、割合小さい反応が返ってきた。

 見ると、何故気付かなかったのか、ベッドの脇で項垂れて目を閉じている、顔の見知った少女がいた。


「暁…… 」


 ほっと少年は息を吐いた。

 無事助けられた。ひょっとしたら、自分のせいで逆に怪我を負わせてしまったのではないかと不安だったのだ。

 こうして眠っているところを見るに、大事には至らなかったのだろう。



「ゆ……ぅ、ちゃ……」

「……」


 悪夢にうなされるように、少女は少年を呼ぶ。

 長い睫毛は滴に濡れ、頬には一筋光が伝っていた。

 

「……俺なら大丈夫だぜ、『アカちゃん』」


 思わず、少年はそう呼び返していた。

 安心させるように、ここにいると伝えるように。

 何故かふと、そう呼びたくなったのだ。


『ゆうちゃん』と『アカちゃん』。それは、ずっと昔、二人がまだ会って間もなかった頃のお互いのあだ名だった。二人以外、誰も知らない秘密の呼び名。

 おそらく、幼稚園か、小学校の頃だっただろう。どちらにせよ、呼び合っていた頃など遠い昔のことだ。

 もう彼女もとっくに忘れているものだと────いや、自分でさえ今の今まで忘れていた。


「ほんと、赤ちゃんみたいに泣き虫な奴だな。お前は。寝てる時まで泣かなくてもいいってのに」


 眠っている少女に、優しく語りかける。少し泣きやみ、口元が綻んだような気がする。


 今は笑っていようと、どうせ起きたらしこたま怒るのだろう。喜んで、泣いて、怒って、また泣くのだ。

 その剣幕に自分は肩を縮めさせて、悪かった、ごめんとひたすら謝り倒すのだ。またケーキかパフェでも奢るからとか言うと、彼女はそんな問題じゃないとまた怒って、でもちょっと釣られそうになっていて────


 ほら、こんなにも自分は目の前の少女のことを知っている。長い付き合いだ、二人の縁は一生途切れないだろうと感じるほどに。


「……幼馴染み、か」


 確かめるように、呟く。


 ずっと。

 ずっと自分のそばにいた少女。彼女は自分のそばから離れることなく、怒ったり、泣いたり、悲しんだり、笑っていた。

 その存在は、空気のように当たり前でありながら、きっと何よりも得難い。


 幼馴染みとは、魔法の言葉だ。

 好意という感情に、深く考え込まなくてもいい落とし処を付けるための。

 しかし。

 

「……ずっとこのままってのは、甘えなのか?」


 ────私達ってさ、ただの幼馴染み……だよね?


 傘の下で、見上げられた瞳が脳裏をよぎる。

 この目の前の少女は、この完成されきった関係に何かしらの変化を求めようとしたのだろうか。


 そうしなければいけない何かを、感じたのだろうか。

 

「……いや、分かってるよ。いつか俺達だって、変わらなきゃいけないって。いつまでもこのままじゃいられないってさ」


 眠ったままの、その小さな頭にぽんと手を置いてやりたいくらいだったが、ここからは届かなくて止めた。


「────俺、暁のことが好きだ」


 それは、そうだ。でなければ、長年一緒にいたりなんかしない。


「……と、思う」


 でも、それが『幼馴染み』としての意味か、それとも『それ以上』としての意味かと問われれば、答えに窮してしまう。


「でも、もう少しだけ待ってくれ。きっと答えは出すから。ちゃんと、考え、る……から……」


 それだけ言って、少年は再び横になると、あっという間に眠りについた。

 部屋は静まり返り、ゆったりとした空気が流れる。漂う静寂に、二人の寝息が木霊する。


 二人きりの、安らかな時間が過ぎていく────



 ────〝そのすぐ外で、少年の独白を立ち聞いていた存在に、気付くこともないまま〟。



◆◆◆



「……参りました」


 勝負を始め一時間経った頃、盤上の戦いは決着が着いた。

 結果────呆気なく俺は負けた。


「ふう……思ったより頭が疲れたよ。相川くんは、チェス上手なんだね」


 嫌みに見える笑みを浮かべた桜季が、そう言った。ウィキをちら見しながらやっていた奴に言われても、フォローにもなりゃしないが。


 そう、チェスにもパターンというものがある。そのような定型的な駒の動かし方は、やはり数百数千の地道な経験で覚えていくしかないもので、もちろん、そこから応用した型を作った時こそ上達を感じる。チェスは、対戦経験があればあるほど有利である。

 俺も、数十のパターンを頭に入っている。詰め将棋のように、やるべきこととやってはいけないことを頭の中に張り巡らして戦うのだ。


 だが、しかし。桜季には通用しなかった。

 

 俺のキングは、逃げ道を阻まれ、もう数手で負けることが明白なほどだった。そして、それを守る駒もいない

 一方桜季のキングは、俺のルークが一つ刺さっているだけで、攻め手が足りない。このままでは、するりと逃げられてしまう。

 あるいはもう後二手……いや、一手でもあれば。


「惜しかったね。もう一手でもあったらまた状況は変わってたんだろうけど」

「…………」


 ……いや、それはただの負け惜しみだろう。

 結局、一昨日の病院であったことと何も変わらない。

 後一つ決め手があれば、後一つ押しきれれば。


 この勝負で、俺は認識した。

 後一つ────俺には、やはり何かが足りないのだ。俺と桜季の間に、手を伸ばしても届かないような差は確かにある。


 それを知れただけでも収穫だ。俺は大きく前進している。


 それはいくらなんでもただの負け惜しみだろうって?

 ……そうかもしれないな。


「……それで? 訊きたいことってのは?」

「ふふ、そう構えないでよ。ケンカするわけじゃあるまいし、楽にしてほしいなあ」


 そんな桜季の次の言葉は、思いもしないものだった。


「うーん……どうしてもっていうなら答えなくてもいいよ」

「答えなくてもいい……?」

「うん、言ったでしょ? 所詮お遊びだし。勝手に話したいこと話すから、それを聞いてもらってていい? ……というか、あんまり反応に困る話だから、聞いてもらうしかないかもしれないけど」


 一体何を考えているのか、と問いたくなる心地で隣のいのりの方を見やる。


「……まさか、そんなこと……」


 俺の耳にようやく届くような小さな声で、いのりは呟いていた。


「私ね、一昨日の君の話、ずっと考えてたのよ」


 桜季が、俺を見据えて話し始めた。

 一昨日の話となると、病院での会話のこと────正確には、夕平の事故の話か。


「でも、答えがでなかった。それは、君の話や態度のことがそうなんだけど……一番は、あの懐中電灯(ハッタリ)のこと」  

「…………」

「昨日、一昨日の事故が簡単なニュースになってたよ。夕平くんのこととか、事故現場とかが流れたんだけど……そのニュースの中に、運転手の供述で、変な光が目にちらついたって紹介されてたのね。多分、事故の詳細がテレビで流れたのはそれが一番早かったと思うんだけど」


 おもむろに頬杖をついた。


「さて、ここで一つ問題なのは君の話なんだよね。覚えてる? 私が目撃者であることから、私が懐中電灯で運転手の目をくらませたんじゃないかと言ったその時、君は運転手が目に光がちらついたと話していた……って言ったよね。でもさ、〝それってどこから聞いたことなの〟?」


 桜季は、つらつらと言葉を紡ぐ。


「言った通り、詳しくニュースになったのは昨日が最初。その前から運転手の言い分を知ることは出来なかった。でも君は知ってたんだよね……おかしなことに」

「…………」

「でも運転手の話を知らなかったら、懐中電灯なんて発想にはそもそも至るはずがないんじゃない? ただの事故と思うのが普通でしょう? それで私を疑うなんて推論を通り越して暴論、言いがかりもいいところ」


 そこまで話すと、彼女はもう片方の手で指を一本立てた。


「だから、君が犯人なんじゃないかと最初は思ったの。だから、犯人が知り得ることを知っていた……」

「た、拓二さんは私達と一緒にいました! それはあり得ません!」


 それまで黙っていたいのりが、立ち上がらん勢いで口を挟んだ。


「私……『達』?」


 耳ざとい桜季が繰り返すと、いのりははっとした様子で肩を小さくした。


「……まあ、その可能性はすぐに打ち消したけどね」


 桜季は、少し彼女に視線を向けてから、特に追及することなくすぐに話を戻した。

 

 ぬけぬけと犯人がどうこう言っているが、これは遠回しに自分が犯人でないと主張していると同時に、今みたく俺達の反応をうかがったのだろう。いのりはまんまとつられたが、まだ許容範囲内だ。


「でも、だったらこの疑問に対する答えが見つからない。まるで……そう、〝初めから事故が起こることを知っていたような〟……どう?」


 俺を探る目が、すうと細まった。


「君は……いや、〝『君達』二人は一体何を共有して隠してるの〟?」


 桜季は睨めるように、そしていのりの憂いの視線が俺に集中する。

 俺の答えを求めている。


「…………」


 正直、恐れ入った。

 感服してしまった。

 

 何が凄いって、〝彼女は何も後ろ暗いことをせず、ムゲンループの住人の俺達と真っ向から拮抗しているからだ〟。

 世界のループという恩恵を得ている俺をも、まるで意に介さず対峙し、打ち負かしている。これでは普通の人間が太刀打ちできる訳もなく、妬みや僻みもされない。特別過ぎて、かけ離れ過ぎていてそんな気すら起きないのだ。


 神童だの最高傑作だの誉めそやされるに決まっている。

 何せ、数十年分の時間をもってしても、俺は『敵わない』のだから。


「……例えば」

「うん?」


 気付けば俺は。

 挑発的に唇を逆剥けさせた笑みではなく、情景敬意との籠った純粋な笑みを浮かべていて、


 桜季に対し、こう口を開いていた。


「例えばの話だが────もし、世界が一年ごとに繰り返されてるって言ったら、アンタは信じるか?」


 微かに隣から、大きく息を呑む雰囲気を感じ取った。


 が、桜季はというと、その問いをあっさり一蹴した。


「あはは、おかしな冗談。そんなに答えたくないことなの? それならそれで、まあいいんだけどね」


 てんで本気にしてない様子で、言葉通り俺なりの冗談として以外には、捉えていないようだった。

 

「さて、と……四時半回っちゃったかー……思ったより時間掛かっちゃったな。柳月ちゃんは用事ある?」

「あ、いえ……特には何も」

「そっか。いや、私これから予定があって。相川くん、悪いんだけど……」

「いいっすよ。俺は」


 桜季は、頷くと自分の荷物を持って立ち上がった。


「そろそろ行かなきゃ。二人とも、お先にごめんね」

「ああ、でも最後にもう一つだけ」


 それを、俺は呼び止めた。

 最後に、言っておくことがあった。これを忘れては、今日の時間の意味が半分無くなる。


「……〝アンタが欲しがってるものは、ずっと、何やっても手に入らないよ〟。あの二人は、かけがえがないんだ。アンタの入り込む隙なんて、何処にもないのさ」


 それを受けた桜季は、きょとんとした表情になって、


「……あの二人って、どの二人? なんのことか分からないよ」

「分かってるでしょうに。夕平と暁だよ。────〝あいつら、実は付き合ってんだ〟」


 嘘、というより本当のところを知らない。多分付き合ってはいないだろうが。

 だがまあ、どちらにせよ都合の通る嘘だ。


「えっ、そうなの!? すごいすごい!」


 すると彼女は、かなりテンションの上がった声で反応を返した。


「最後に良いこと聞けちゃった。これはこれで、勝負して勝った甲斐があったってもんだよ」

「そりゃなによりで」


 大きな反応とはいえ、その態度自体は一見他人事のように、ごく普通の返し方に映る。

 だが、そんなはずはないのだ。三週目(むかし)と同じ展開であれば、この一言こそ、彼女にとっての切欠に違いないのだから。


「ふふっ、いや、なるほどー……夕平くんも隅に置けないね。面白いなあ」 


 立ち去り際、俺を見る桜季。


「じゃあね、タイムリーパーさん。また勝負しようね」

「……ええ。そんじゃ、『また今度』」


 そのやり取りを交わし、この日俺達は別れた。


 これはいわば、『前哨戦』。俺は桜季に完敗した形で、幕を閉じた。



◆◆◆



「はっ、はっ、はっ……」


 朝。夏が間近に迫る温かい風がそよぐ。

 名もない寂れた公園で、俺はまた鍛練に励んでいた。

 かれこれ一時間以上空を蹴り続けていた。一心不乱に、傍から見たらかなり狂的な姿だろう。

 我ながらとても健康的な量の運動ではない。身体を痛めつけ、限界まで追いやる苦しい運動だ。


 今は汗をどっと流し、肩で息をし、疲れきった身体を休めさせていた。

 心なしか、運動できる時間が伸びたかもしれない。イギリスであったことは、俺にとってもかなり有益だったらしい。

 これでも、まだもう少しなら動ける。


「はっ……はっ……今日は、ここまでかな……」


 だがこれ以上は、学校に間に合わなくなる。別に行かなくても構わないのだが、心配する奴もいる。

 もうしばらくは、普通の学生として過ごす必要がある。桜季の動向の監視と、夕平達のそばにいてやることを優先すべき。


「……帰るか」


 もう暁を狙った事故まで起きている。『その時』まで、時間はそう長くない。

 残された時間をどう過ごすかで、結果は変わるはずだ。


 そんなわけで、イギリスから学んだ経験を維持し、身体作りに勤しんでいたのだが────。



「……ん?」


 身支度をまとめた荷物を置いてあるベンチを見ると、そのそばに人影があった。

 人――――というか。

 あれは子供……?


「…………」

「……そんなところで、何やってんだ?」

 

 近寄って見ると、その人影が少女であることが分かった。

 ベンチに腰かけている。もちろん、見覚えはなかった。


 俺の声に反応して、のっそりと顔を持ち上げさせた。

 学校の制服姿で、眠たそうにとろんとした目。髪をおろしたいのりと同じくらいの長さの明るい茶髪が印象的だった。

 俺より年下……中学生だろうか。顔にはあどけなさが残るものの、どこか精神的に磨耗し疲れきっているように見えた。


「…………」

「言っとくけど、そこに金目のもんはないぞ。盗られて困るもんは入ってない」


 まあ今は上半身裸だから、着替えを盗まれるのは困るといえば困るけども。


 そんな俺を、目の前の泥棒未遂少女はまじまじと見つめる。何かに驚いている様子で、俺を見て固まっているといった方が正確かもしれない。


「おい、聞いてんのか? 寝ぼけてんのか知らんが……」

「……して」

「は?」


 少女は、恐る恐るといった感じで、俺に向けて、こう尋ねてきた。



「────……どうして、あなただけは機械じゃないんですか……?」






初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。

【追記:六月三日】加筆修正しました。

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