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第五十話

お待たせしました、第五十話投稿です。

とうとう本編のみで第五十話まで続いてしまいました。これもひとえに皆様の応援あってのものと思っております。ありがとうございます。

五十回ということで、何か記念のようなものでもやりたいと思っているのですが、何をしようか少し考えております。また進展などがあれば、後ほど活動報告の方で報告させていただきたいと思いますので、しばらくお待ちください。

「いやあ、ごめんね。よりによって風邪になってる時に来ちゃって」


 ちゃぶ台の上に腰掛け、へらりと呑気そうにマクシミリアンが笑う。興味ありげに、部屋のあちこちに落ちつきなく視線を移していた。

 まあ立ち上がってうろうろされたりするよりはマシなのかもしれないが。


「まったくだ。驚きすぎて熱ぶり返すとこだったわ……感慨も何もない登場してくんなよな」


 そもそも、こんな友人感覚で気軽に現れていいような奴じゃあるまいに。


「アンタのことだ、いくらなんでも旅行しに来たなんて言わないよな?」

「ううん。さっきも言ったけど、こっちで用事があるんだ。昔からの知人とのミーティングでね」


 こうは言うが、ごく平然と俺の家にやって来る辺り、相も変わらず油断ならない。こいつなら、俺の家ぐらいこうして特定しててもちっともおかしくはないというのがまた。


「……んで、何しにここに来た?」


 彼の前にお茶を出してやり、見据える。

 とても普通の客人を迎えるような対応はできなかった。


「だからさっきも言ったよ? ここに来たのはそのついでさ。たまたま近くに来たもんだから、ね」

「本当に?」

「信用がないね……これは本当さ。たまたまだよ」


 そう答えて、マクシミリアンが苦笑する。


 たまたま、ね。

 ちらり、と『ある人物』に目を向ける。


 そこには、もう一人の客人、受け取った茶を啜り、静かに座っているいのりがいた。


 いのりが何故家にというのは、話を聞けばこうだ。

 最初は、桜季提案のもと、夕平と暁、そしていのりを連れた四人で俺の家へ看病に来ようとしたらしい。

 しかし、桜季は清上祭運営の急な仕事が入り、夕平は今まですっぽかしてきた補習に捕まってしまったのだとか。

 そして暁は何の気を利かしたつもりなのか、補習中の夕平を待つという口実でドタキャンし、いのりだけが残されてしまったという。

 完全に面倒事を押し付けられてしまったような形で、今に至る。


 ……まったく、大した偶然もあったもんだ。

〝今この場に、三人のムゲンループの住人全員が揃っているなんて〟。

 この邂逅を、誰が予期したろう。計算外にも程がある。

 正直、勘弁してほしいところだった。


「で、そこのレディは一体どちら様かな? タクジのガールフレンドかな? はっはっは」

「いや、別にこいつは……」

「はい、そうです。私は、拓二さんの恋人で、柳月祈と申します。今日は、拓二さんの看病でここに参りました」


 以後お見知りおきを、と言っていのりはぺこりと頭を下げた。

 何か以前にもこんなやりとりをしたような気がする。

 

 しばらくの間が生まれた後、ぐるんとマクシミリアンが首を回してこちらを向いた。

 心なしか、俺を見るその目が据わっている。


「……ねえタクジ、これはどういうことだい? 君はメリーと良い感じじゃないの? 僕の可愛い愛娘というものがありながら浮気かな? ねえ? お父さん許しませんよ?」

「待て待て、落ち着けよ。今はそんな話してる場合じゃないんだよ」


 そもそもいのりともメリーとも、恋人同士になった覚えはないし。

 メリーにはキスもされたが、まあそれだけだ。特定の誰かと乳繰り合う気は毛頭無い。


「こいつが勝手に言ってるだけだ。友達ってわけでもないが、そうだな……」


 まあそれはさておき、今は状況が状況だ。

 こうなってしまった以上、この場をやり過ごす必要がある。いのりの前にマクシミリアンがいるこの危険な状況をどうにかしなければ。

 何も知らないマクシミリアンが余計なことを言って、いのりに変なことで勘ぐられては困る。

 そうなる前に、俺が誘導する。やることはいつぞやのムゲンループについて話し合った時と変わらない。


 頭を回し、いのりが不審に思わないようやり過ごさなければいけない。

 まずはマクシミリアンの口止めが優先だ。


 ならば、こうする。


「……いのりは、俺と同じくムゲンループの住人なんだよ」

「「っ……!?」」


 二人が、驚いたように同時に俺に振り向く。

 しかし、それぞれの目はそれぞれの思惑を訴える色合いで俺を捉えた。目は口ほどに……とはよく言ったもので、二人の考えていることは痛いほど伝わってきた。

 マクシミリアンは、本当なのかと言外に尋ねかけ────

 いのりは、どうしてそれをマクシミリアンに話したのかと目で問いかけていた。


「……安心しろいのり、こいつの名前はセリオ。ムゲンループの事を知ってる俺の協力者だ」

「ムゲンループを……知ってる?」

「ああ。────〝でも俺達のようにムゲンループの住人じゃない〟。お前が細波さんにやったように、この世界で俺がムゲンループについて教えたんだ」


 真実と虚偽は、織り交ぜてこそ意味がある。 

 いのりにマクシミリアンがムゲンループの住人であると言うのは論外だ。

 だが、単なる一般人では不審な違和感はぬぐいきれない。


 ならばいっそ一歩踏み込んで、細波同様『ムゲンループを知っているだけの一般人』という、俺達と関わりがありながらも同類ではない真ん中の存在でいてもらった方がいい。


 そばにいるマクシミリアンを見やる。

 彼は俺の嘘に少し逡巡した様子だったが、目に気付くと、何かを察したかのようにほんの小さく肩をすくめてみせた。


「……ああ、うん。そうだね」


 浅く頷き、にこりと笑いかけた。


「はじめまして、君がいのりちゃんか。君のことは話に聞いてたよ。よろしくね」

「はい、よろしくお願いいたします。セリオさん」

「その髪の二つ結びはキュートでいいね。娘にやらせてみようかな」


 どうやら、マクシミリアンは俺の意図に乗っかり、合わせてくれるようだった。

 有難い。もしここで空気を読まずにこいつがムゲンループの住人であることをいのりに明かしていたら、いのりから何を訊かれるか分かったもんじゃない。

 ムゲンループを知っていてもおかしくないという立場は、ぼろを出しにくい。いのり相手に用心はこしたことはないのだ。


「なるほど……セリオさんは拓二さんとはどこで?」

「以前ちょっとお世話になってね。個人的にタクジには大きな借りがあるんだよ」

「それって……つい最近のことですよね。失礼ですが、イギリスにお住まいの方ですか?」

「おっ……あはは、どうして分かったんだい?」

「……いえ、なんとなくです」 

 

 いのりの意識は、今は完全にマクシミリアンに向いているようで、彼の事について熱心に物問う。

 

 案の定、いのりはマクシミリアンに探りを入れているようだ。

 俺の空白の一週間がマクシミリアンと関係していること。そして、そこから俺の考えていること、やろうとしていることを読みと取ろうとしている。

 いのりからしたら、多くを語らないみかたについて計り知る機会なのだ。どんな些細なことでも貴重だろう。


 いのりの疑心は、今や桜季よりもまず俺に向けられている。


 果たして本当に、俺は信頼できる人間なのか────と。

  

「では、以前日本にいらしたことは? 例えば────〝数か月前など〟」


 ……だが、まさかここまで突っ込んだ質問を投げかけて来るとは思わなかった。


 俺には、この質問の意図が分かる。

 それは、俺がいつの日か、マクシミリアンと初めて会い、いのりともまだ出会っていなかったあの時。

『セリオ』に殴られて気絶したところを、いのりには遠目で見られていた。

〝あの時のセリオが、今目の前にいるマクシミリアンではないかとこいつは考えているのだ〟。数か月などとぼかしてはいるが、間違いない。


 そして、それは正しかった。こいつからして見れば、断片的な推測材料でしかないはずなのに。たったそれだけのことで、ここまで思考が及んでいるとでもいうのか。

 ……見抜いてくる。察してくる。


 内心戦々恐々としながら、マクシミリアンを見やる。

 この問いで、マクシミリアンも、あの時の事に言及していることに気付いたはずだ。

 が、特に動揺した様子もなく静かに答えた。ただ、その目つきは一瞬細まったように見えたが。


「……いや? 日本には一年ぶりくらい前に来たっきりだよ」

「……そうですか」


 彼の答えは、果たしていのりの中でどう思っているのか。

 考え込む様子を見せていると、マクシミリアンが俺の方に視線を向けてきた。

 その表情は、なんとも言いがたい複雑なものだった。

 一応、『一体なんなんだい、この子は?』と言いたいのであるのだけは分かった。


「……ですが、ちょうどよかったかもしれません」

「ん?」

「今日は、拓二さんの看病の他に、聞いていただきたいことがあったので、こちらに参ったのです」


 聞いてもらいたいこと。

 嫌な予感しかしない。というのも、わざわざなにかを話しに俺の家まで来たということはだ。

〝電話ではなく、直接会って話したいことがあったというわけなのだから〟。


「……ムゲンループについての話、か?」

「ええ、そうです」


 何かもう、こいつとムゲンループについて話すのが嫌になってきた。こういう時は大抵ろくなことが無い。


「セリオさんにも、呑み込み難い話かもしれませんが、よろしければ聞いていただきたいです」

「うん、面白そうだ。ぜひお聞きしたいねリトルガール」


 言葉尻のリトルガールという単語に、マクシミリアンなりの皮肉を感じる。いのりのおよそ子供らしからぬ思考について触れているのかもしれない。

 そもそも、ムゲンループの住人が外見と同じ実年齢をしているわけがないのは本人も知っているだろうに。


「ありがとうございます。聞いていただきたいことというのは、私なりに考えたある一つの結論についてのお話なのです」


 俺の方に向き直ったいのりは、いつもの無表情ながらも、決意の籠った目をしていた。

 それが、まっすぐ俺を射抜く。


「お二人は、因果律という言葉をご存知ですか?」


 いのりの言葉は、まずそんな前置きから始まった。



◆◆◆



「あー、やっと解放されたあー」


 拓二達ムゲンループの住人達が話をしているほぼ同時刻、夕平は大きく伸びをしながら薄暗い校門から外に出ていた。

 分厚い雲に覆われた空模様で、あたりは時期の割には薄暗かった。


「まったく。それもこれも夕平が無駄に宿題サボってたからでしょうに」


 その後ろに付いていた暁が、呆れたようにため息を吐いた。

 夕平はさておき、どことなく暁まで疲れているのは、彼女がずっと夕平の個人補習が終わるのを甲斐甲斐しく待っていたからであった。


「だってよぉ、相川だってここ最近つれねえっつうか、宿題見してくんなくなったっつうか」

「宿題を見せてくれるのが友達みたいに言うなばか夕平!」

「いてっ、冗談だっつうのー……」

 

 背中を小突かれた夕平は、少し考えるように唸ってから暁に向き直ってこう言う。


「まあでもほら、今からあいつん家に看病しに行くし。ほら、立派に友達友達。マイ・フェイバリット・フレェエエエンド」

「……どうせ、看病を言い訳にして相川くんの宿題写させてもらおうとか思ってんでしょ」

「さて、それじゃあ相川のお宅訪問だぜ!!」

「あっ、やっぱりそのつもりだったんじゃない!」


 その時、一滴の雫が二人の身体に当たった。

 しばらく間をおいて、一滴。それからあまり時間を置かずまた一滴。


 そしていつしか、目に見える程度にぽつぽつと地へと流れ落ちる雫は増えていく。

 雨が降り始めた。


「うわっ、雨だよ……! 傘なんか持ってねーって!」


 慌てたようにカバンと上着を脱ぎ、雨から守るように上にかざす夕平。


「暁、早く帰ろうぜ!」

「……ふふふ」


 だがしかし、暁はというと狼狽えることなく、カバンをに手を入れる。

 そして、その手は『ある物』を取り出した。


「そ、それはっ……! 折りたたみ傘、だとォォ……!?」


 それは紛うことなき、小さめの折り畳み傘であった。

 学生にとっての緊急回避アイテム、虎の子の傘、常にカバンに入れておきたい物ランキング堂々の一位(当社比)であるお折り畳み傘。


 ────折り畳み傘で大事な書類が雨に濡れずに済みました。ありがとうございました。

 ────折り畳み傘のおかげで受験が成功しました! 

 ────折り畳み傘がなければ即死だったな……。

 ……などなど、使用者の喜びの声は多数!


 さて、まあそれはとにかく。

 まさしくこのように、突発的に降った雨に対してはその効果は絶大と言えよう。


「あーっ、お前ずっりーぞ! 傘持ってんじゃねえか!」

「ふふーん、前もって準備しなかった夕平が悪いのよっ」


 得意げに傘を開いて雨を防ぐ暁と、恨めしげな声をあげ雨に濡れる夕平。


「おらっ、その傘よこせー!!」

「きゃー! やめてー!」


 ふざけ半分でその傘を奪い取ろうとするのを、暁が避けようとする。

 

「ええい、いいから入れろー!」

「ちょっ、ちょっと……!」


 が、ヒートアップした夕平は、無理やり同じ傘の中に入り込んでこようとする。

 もちろん、小さな折り畳み傘では二人も収まり切れるわけはないのだが、夕平は無理に押し込んでいく。


「こ、こらっ! やめろってば……!」

「へっへっへ、つれないこと言うなって――――」


 そして両者の距離は近づき――――結果ほとんど密着しているような形になってしまった。

 はたと二人の顔と顔が、お互いの鼻が触れ合うような距離まで近付き、見合ってしまう。


「「あ……」」


 途端に、無言。

 それまではしゃいでいて賑やかだったのが一転、染み渡るような雨が地面を叩く音だけがこの場に残る。

 一瞬の間の後、すぐに二人は顔を離す。


「ご、ごめん!」

「あ、いや、俺も……やり過ぎちった」

「…………」

「…………」


 やってしまったといった感じの気まずさが、二人の間に立ち込める。

 お互い顔を背け、見ようともしない。


 その間にも、雨足はますます強くなってきていた。


「……あっ、じゃ、じゃあ俺、相川ん家まで走ってくっからっ! 傘あんがとな!」

「あ、ちょっと待ったっ」


 夕平がとうとう先に口火を切った。

 そして走り去ろうとしたのを暁は呼び止め、その腕を掴んだ。


「入れたげるよ……ど、どーぞ?」

「……い、いいのか?」

「いいもなにも、ここからじゃちょっと遠いでしょ。せっかくだし、ほら……ね?」

「……おう」


 上擦った声とともに、すっと差し出された傘に、戸惑いながらもその下に入った。

 要は相合い傘をしている状態なわけで。

 冷たい雨の下、出来るだけ濡れまいと身を寄せ合い、身体を密着させている。傍から見たら、恋人同士のそれに見えたかもしれない。


「……あー、のさ。傘、本当によかったんかよ? このちっさいのじゃお前もちょっと濡れちまうぞ?」

「だ、だったら感謝してよね。わざわざ入れたげてるんだから」

「お、おう……」

「…………」

「…………」


 もぞもぞとした足取りで、ぎこちなく会話が途切れる。


 二人の距離は、近い。肩と肩が触れるくらいに。

 しかし、傘に入り合ったのは、何も今だけのことではない。小学生の時にも何度かこうしていた覚えが、夕平にはある。

 だが、何か違う。あの時とは。変わっていないようで、その実何かが変わったのか。

 少なくとも、降り続ける雨の音なんかは、こんなに耳に残らなかったはずだ。


「……ぷっ」


 そんな時、暁が小さく吹き出した。


「ふっ、ふふ。あはは……」

「な、なんだよいきなり。なんかおかしかったか?」

「う、ううん。違うの、ちょっとね。ふふふ」


 堪え切れずといった様子で、ひときしり笑ったあと、彼女はこう話した。


「あのね……私、最初いのりちゃんと二人で相川くんの看病に行こうって思ってたの。夕平は補習で、千夜川先輩も用事で遅くなるって話になっちゃったからさ」

「ああ、そうだよな……あれ? でもじゃあなんで、俺を待ってたんだ?」

「それはね、ちょっと思い付いちゃったからなの。いのりちゃんと相川くんを一緒にしようって。……二人きりにしようかなって」 


 お節介だよね、と言って暁は薄く笑う。

 

「そんな余計なことばっか他人に押し付けておいて、私はと言えば、よりによってアンタなんかとこんな恋人みたいなことしてさ」

「うるせーよ……」

「それで、いざ自分のことになるとテンパって……そう思うと、ちょっとおかしかったの。それだけ」


 ざあざあ、ざあざあと。

 降り続ける雨の中、夕平は考える。

 こいつ、こんな風に静かに笑うんだ、と。


 いや、いつもこんな笑い方だったかもしれない。

 他の友達がするような大笑いといった笑い方を、この目の前の幼馴染みはしていなかったかもしれない。

 いつも笑う時といったら、馬鹿をした自分に呆れ半分可笑しさ半分の笑みをそっと浮かべていた。


「……なるほどな。そりゃちゃんちゃらおかしなこって」

「うん」


 今になって初めて気付いた。

 いや、今だからこそ、なのだろうか。


「でも……本当は、それも違ったのかな……」

「……? どういう意味だよ?」

「…………」

「…………」


 取り繕うような表面だけの会話のムラに、容赦なく沈黙は顔をのぞかせる。

 誰かと話をし続けるということが、こんなに難しいことだとは、今まで思いもしなかった。


「……ねえ」


 何故か、そう声を掛けられて死ぬほど驚いた。

 心臓が跳ねた。何もそこまで突然の事じゃなかったのに。

 身体の芯で、一種の怖気のような何かが走った。


「────私達ってさ、ただの幼馴染み……だよね?」

「え……?」


 幼馴染は、幼馴染みだろ。

 いつもなら、そう答えていた。

 そうして、変な奴だなと笑って受け流して、それですぐに違う話題で盛り上がって────

 

 だが、しかし。

 暁は、何かを確かめるかのように夕平を見上げている。

 特徴的なくりくり目が、今はその奥までよく見える気がする。

 

 ────その瞳は、『いつも』とはまるで別物の、真剣な色合いを帯びていた。


「…………」


 何が彼女にとって正しい答えなのか、何を彼女は期待しているのか、分からない。

 でも、何かとても大事なことのように思えて。おどけて逃げてはいけない質問のような気がして。


 だから、


「……俺は」


 その時だった。

 チカッと何か強い光が目の端に映った。

 

 振り向いて見た時には、もう全てが遅かった。

 目の前に迫る、眩いライトが二人を包む。

 


 そして、一つの影が、猛スピードで二人に向かって接近していた。


「────っ!!」

 

 一瞬の事だった。

 どこかから絶叫が耳に届き、続いてクラクションの鋭い歪んだ音が鼓膜を劈く。

 


 ────そして、それらの最後に、甲高く凄まじいタイヤの摩擦音が残響した。



◆◆◆



「『全ての事象の原因と結果の間に一定の関係が存在し、原因は結果より時間的に必ず先行して必然的かつ一意的に決定される』……ムゲンループは、この因果律の原理が土台となって支えられている一現象です」


 静かな家の中で、いのりの言葉だけが聞こえる。 

 聞き取りにくいぐらいに抑揚のない平坦なその声も、こういう時はやけに力強く、惹きつけられるものに感じてしまう。おそらくそれだけ俺が、こいつの一言一言に細心の注意を払っているからなのだろう。


「事故も震災も事件も、どんな些細なことから世界に遍くような出来事も、全て繰り返し起こってしまう……そしてそれは、殺人でも同じこと」

 

 いのりは言葉を紡ぐ。

 すらすらと、流暢に。


「人は、殺せばもちろん死んでしまいます。しかし、ことムゲンループではそうではありません。例えばこの一年で殺された人は、新たな『四月一日』を迎えると、また生き返り殺されてしまう。当然のことですが、殺す人間と殺される人間という『原因こうず』が無くては、『結果さつじん』が発生しないからです。だから、死んだ人間は生き返り、殺人はいつまでも繰り返されてしまいます。いつまでも死に切ることは出来ません」


 しかし、そう具体例を挙げて語るいのりは、まるで公衆に向けてプレゼンを行っているかのように無機的なもので、大事なことと銘打った話をしているようには見えない。つまり、考えが読めない。

 何をしてくるか分かったもんじゃない。


「ここまで、よろしいでしょうか」

「…………」


 マクシミリアンも俺も、何も言わなかった。

 そこまでは前提条件として当然知っている内容だったし、話の腰を折りたくなかった。

 問題は、そこから先の内容だ。


「では……もし私達ムゲンループの住人が誰か人を殺した時、その被害者はどうなると思いますか?」


 ────答えは、明白だった。

〝いのりは、俺達と同じ答えに、既にたどり着いていたのだ〟。

 マクシミリアンが見つけ、俺がつい最近知った新たなルール。『ムゲンループの住人が殺した人間は、生き返らない』という法則に。


 問題は内容だと言ったが、より正確に言えば、その内容を知るいのり問題なのだ。

 所詮は根拠のない推論だが、根拠なくして正解を突き止めていたという事実。


 いのりの脅威をそのまま示す、はっきりとした事実だった。


「……生き返らない、というのが答えかな?」


 マクシミリアンは、顎を撫でた後、組んだ指の上に顎を載せていのりを見据えた。

 どうやら、いのりにだいぶ興味を示しているようで、その口元が少し緩んでいた。


「ずっと……拓二さんと話して、引っ掛かっていました。殺人という手段について。ムゲンループでの殺人の定義について」


 そんな彼にちらりと視線を向けてから、話を続ける。

 

「私達ムゲンループの住人は、他の人達と違い、ループを認知することが出来ます。それはつまり、〝ムゲンループで繰り返される原因と結果に介入することが出来るということです〟。それは本来、ムゲンループの現象の中であってはならないこと────ムゲンループの土台である因果律の破壊の可能性を意味します」

「因果律の、破壊……」


 例えば、俺達が馬券を買って大儲けするということも、その一つに挙げられる。

 俺達が大当たりを出すことで、当然逆に損をする人間も出てくるだろう。だがそれは、今までの繰り返しには本来無かった出来事であるはずだ。俺が馬券を買っていなければ、損する羽目にはなっていなかったのだし、今までがそうだったのだから。


 そんな些細なことでも、決められた繰り返しループは変わってしまう。

 俺達が生きている限りは、そうなってしまうのだ。


 住人の存在は、いわばムゲンループにとって異質だ。

 俺達は、存在そのものがムゲンループの『欠陥』なのだろう。


「そして、因果律を破壊することが出来る私達が人を殺せばどうなるか……もうお分かりですよね、拓二さん」


 話の先が、どうやら見えたようだ。

 何故、今このムゲンループの新ルールについて、いのりが話を始めたのか。


 いのりは、俺に警告しようとしているのだ。

 桜季を止めるために、殺すのは最終手段だと言った俺に、踏みとどまるように危険性を語っているというわけだ。


「決められた事故からその『誰か』を救うのか────」


 ────もし本気でそう考えてのことだったなら、残念だったな。


「────そして、死なないはずだった『誰か』を殺すのかは……私達次第なのですよ」


 ────〝知ってるよ、そんなことぐらい〟。


「…………」

「…………」

「…………」


 重い沈黙が降りた。

 いのりは、これで言いたいことは全部のようで、じっと俺に目を向けている。


 俺にどう答えろというのだろうか、こいつは。

 夕平と暁は救って、桜季は許すと言えば満足なのだろうか。嘘を吐いて逃げるだけなら簡単だ。

 それが、いのりの望む俺の答えということなのだろうか。


「……俺は」


 その時、場の空気に似つかわしいのか似つかわしくないのかよく分からない、任侠もののドラマで流れるような音楽が唐突に流れた。

 思わずがくっと肩がずり下がった。


「あ、すみません。私の着信音ですね」

「おー、僕それ知ってるよ! 殺しの旋風なんていいセンスだねーいのりちゃん」

「アンタは何で盛り上がってんだ……」


 少しお電話失礼します、と言い残し、いのりは立ち上がって部屋から出た。

 男二人は部屋に残される。


「……面白いね、あの子。とても頭がいいらしい」


 マクシミリアンが一言、感心した様子でそう呟く。


「今日ここに来て……いのりちゃんに会えてよかった。あれが、もう一人のムゲンループの住人、僕らの仲間なんだね」

「…………」


 仲間、という言葉が突き刺さる。

 マクシミリアンは、分かったようなにやけ面を見せていた。

 

「……んだよその顔。俺に仲間なんてもんはいない」

「ふーむ。ま、君はそうだろうね。けどあの子は……本当に、君を慕っているんだねえ。半分見て見ぬふりされてるようなもんじゃないか、君の『クサい』部分にさ」

「うるさい……黙れ」

 

 誰に何を思われようとも、誰に何を罵られようとも。

 俺は────


「……拓二さん!」


 大きく張り上げた声が、突如として部屋に飛び込んできた。

 勢い激しく部屋のふすまを開け、いのりが戻ってきた。

 

 その時、俺は初めて見た。



「ひ、桧作、先輩が……っ!」



 いのりが目に見えて狼狽し、動揺した時の表情というものを。


 



初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。

【追記:六月三日】加筆修正しました。

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