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第四十八話

第四十八話、更新しました。

ふと思ったのですが、投稿時間は固定していた方がいいのでしょうか。

毎日か数日毎に頻繁に更新されるような猛者の作者様方とは違って、一話毎の間隔がてきt……バラバラなのであまり関係無いような気もしますが。

「千夜川桜季────清上学園高等部三年、第三十七代生徒会長。清上小学校・中学校をともにトップの成績で卒業。部活動にも励み、小学二年生の時のピアノコンクールでの特別優秀賞入賞をきっかけに、書道、剣道、テニス、陸上、その他……そのそれぞれの大会やコンテストで優勝を重ね、たった一人で数えきれないほどの賞を総なめにしている。助手という名目で何度か旧帝大の助講師を務めた経験もあり、既にハーバード大学に飛び級編入するとの話も持ち上がっている、か……」


 細波のレポートは、その作業量を想起させるほど事細かに書き込まれていた。

 所々、彼の私情が入ったようなゴテゴテの表現が見受けられたが、それ以外は良く出来たレポートだった。


 そんな良く出来た報告書を見た、俺の最初の一言。


「……何だこのチート」


 ……それしか、言葉がなかった。

 桜季のことは昔からよく知っていたが、ここまで詳しい情報として彼女を理解することはなかったせいで、改めて愕然としていた。


 というかいっそ、呆れ返ってしまったぐらいだ。

 なにこいつ、本当に人間か?


「強いて言えば、チームプレーが要求される競技は不得意だと仰っていました。バスケやソフトボール、テニスのダブルスなどは勝てなかったと。しかしそれも……」

「……他のチームメイトが千夜川に追い付けてなかった、あるいは相手が千夜川を避けて他のやつを狙うから、だろ?」

「はい。その通りです。それでも、チームを全国大会進出まで導いていましたが、完全に千夜川先輩のワンマンチームだったそうです」

「うっはあ。まさに、生まれ持った素質ってやつよなぁ」


 細波はそう付け足すように告げ、落ち着きなく机を指でトントンと叩く。ニコチン不足なのかもしれないが、残念ながらここは全席禁煙だ。


「月並みな表現だけどさ、この子ほど世界に愛されてる人間は職業上見たことない。当たり前のように、全てにおいて優秀。どんなことでも人を凌駕してないと気が済まないのかってくらいにな。だから────っといけねえ。また興奮しちまってた」


 そう再び口が回り始めたところで、細波は先ほどの自分の行いを省みたのか、気恥ずかしそうに頭を掻いた。

 そんな彼に、先ほど来たばかりのいのりが首を傾げて疑問符を浮かべる。


 細波は、気を取り直すように咳払いを一つ吐いてこう続ける。


「とにかくよ。こんなとんでもない人間だから、俺としても調べがいがあったってもんだぜ」

「なるほどな……」

「おまけに超絶美人だしな。へへっ、なんか得したって感じ?」

「…………」

「細波さん。それはいくら私でもちょっと……」

「じょっ、冗談だからな!? あれ、ジョークのつもりだったのにマジ引き!?」


 まあこんなやつは無視するとして。

 この超人めいた経歴(ステータス)が書かれた紙切れを睨む。

 一日のタイムスケジュール、趣味、交遊関係その他もろもろにざっと目を通した。


 彼女の一日は基本的に、その能力にそぐわない程に、至って普通だった。

 家庭環境もごく普通。父親は会社員で、母親は専業主婦。父方、母方の祖父母共に健在である。

 特別な家庭背景がある訳でもなく、ありきたりな一般人から、突然変異のように桜季は生まれた。

 彼らからすれば――――いや、その血筋の人間全てを振り返ったとしても、桜季の存在はまさに誉れそのものだろう。


「千夜川先輩は、学園関係者の中でその名を知らない人はいません。『清上の最高傑作』と言えば、誰しもが彼女のことを指します。……私では、到底あの人の足元にも及びません」

「さ、最高傑作……」


 いのりの話を皮切りに、俺達三人は黙りこくった。


 その言葉を裏付ける根拠が、机の上(ここ)にあるのだ。嘘を吐いていると今さら思うわけもないし、それならばそれで、桜季のその脅威より具体的にが、一層身に迫って感じられた。


「……いつかお前が言ったこと、ようやっとその意味が分かってきたよ」


 この世界で桜季と初めて会う前に、いのりが言っていたことと今の話は、『自分ではまるで及ばない』という点で今と一貫して変わらない。

 桜季を知る人間だからこそ、悟ってしまった彼我の力量の差は、より鮮明なものなのだと思う。


 特別な人間がいるとすれば、それは他の誰からも諦観され敬服されている人間、か。


 言いえて妙だな、本当に。



「────千夜川桜季は、俺達同様ムゲンループの住人である可能性がある」

「!!」

「…………」



 以前、俺達が桜季のその『可能性』の話をしていたことを知らない細波が目を見開き、いのりが黙って腕組みする。


「これは確かに、ムゲンループの恩恵を得ていると考えるのが妥当かもしれない。もしそうだとして、 何巡すればここまでになるのか検討もつかないが……いや、まずは本当に住人かどうか確定させるのが先か……」


 少しだけ考えを纏めた後、細波に視線をやる。

 もうここらが潮時だろう。


「細波さん、取り敢えずアンタはここまでだ。おつかれさん、帰っていいぜ」

「ど、どういう意味だよ?」

「アンタの尾行がバレてる可能性を考慮する。金はやったろ? それでしばらくの間、どっか旅行にでも行ってこいよ」


 俺のその言葉に、ギクリと表情を強張らせる細波。

 やや彼の矜持を逆撫でしたのか、恨みがましい目でこちらを見返してきた。


「……俺が、目標に見つかった上に、依頼人の名前をべらべら話すような馬鹿だとでも?」

「そうは言ってないさ。……ただ、念のためだよ。アンタを泳がせることで、少しは撹乱に使えたらと思ったんだ」

「……そう、か」


 それでもまだ腑に落ちないような、微妙な顔をして、縦に頭を揺らした。


 ……もちろん、それだけではないのだが。ここは余計に突っ込まず、黙っておいた方が懸命だろう。

 表情ひとつ変えず、細波に分かりやすい謝意(フォロー)を述べた。


「これは本当に、俺なりの慰労の気持ちだよ。本当にこの資料は助かった。今から事務所にでも行って、有給でも頼んでみたらどうだ?」

「ははっ……そう簡単にそんなもん取れるかよ」


 彼は少し機嫌を直したのか、小さく口元を綻ばせ、立ち上がった。


「これは借りてくけど……勘違いすんなよ。ちゃんと請求額分しか貰わねえからな」

「え、いいのか?」

「あー、いいんだよ。職業上貰いすぎはご法度なんだぜ。ってかこんなもん持ってるだけてもおっかねえよ」


 そして先ほど渡した通帳をかざしながら、言う。


「後でちゃんと差し引いた分返すから、その代わりまた俺も混ぜろよ。お前らには興味あるんだ、頼むぜ」

「……了解。また何かあったら呼ぶよ」


 ヒラヒラと手を振りながら、彼はここを去っていった。


「……ああいうのを、良い人って言うんだろうな」


 その後ろ姿を見送った俺に、それまで黙っていたいのりが話しかけた。


「……よかったのですか。今の」

「ああ、追及して拗ねてもらっても困る。……むしろお前が空気読まずに突っ込むかとヒヤヒヤしたぜ」


 いのりもやはり気付いていたようだった。


「ひょっとしたら、千夜川に操られてるのかもと思って帰らせてはみたが……」

「……多分、それはないでしょう。しかし……尾行がバレたということについて、細波さんは少し心当たりがあるように見えました」

「……だよな。お前もそう思ったか」


 さっき、俺が『桜季に尾行がバレている可能性』を指摘した時の、細波の言動。

『俺が、目標に見つかった上に、名前をべらべら話す程馬鹿だとでも』……俺の言葉に対し、やや過剰に反応していた。

 それに加え、細波が桜季のことを話す時は常に熱が入っていた。

 まるで見たかのように、その凄みを語っていたのだ。


 なんというか、怒るにも怒れない。

 細波がよくやってくれたのは事実だ。しかし、こちらもしてやられた。

 名前を出してはいないと言っていたが、それもどこまで通用するか。俺は既に、桜季に対し宣戦布告もしたしな。


 もっと人手を増やして、徹底させるべきだったか。もっとも、そんなことをする余裕さえ、あの時の俺には無かったのだが。


「まあそこは仕方ない、バレてなんぼだと考えよう」

「ええ……」

「どうにかして千夜川が同類だという確信が欲しいな……」

「…………」


 途端に、沈黙が降りた。

 細波がいる間は、途絶えても一分未満だった会話が、不気味なほどに静まり返った。


 先程の、感動の再会は一体どこへやら。

 一気に気まずくなってしまった。


「……なんも訊かないのか?」

「……と、言いますと?」

「いや、お前は、俺に言いたいこととかあるんじゃないかって……」

「訊いたら……ちゃんと答えてくれますか?」

「…………」


 お互い分かっている。

 イギリスと日本を繋いだあの電話のことだ。


 あの時俺は言葉を濁し、いのりの当然の問いを黙殺して助けを求めた。


 今こそあの時の事を尋ねる機会だというのに、彼女は何も聞いてこようとしない。それはつまり、聞かずとも事の大半におおよその見当がついているということに等しい。

 俺のやろうとしていることに、確証はなくとも察しはついていると言ったところだろうか。


「……お前は、どこまで分かってるんだ?」

「…………」


 今、俺とこいつは会話をしているんじゃない。

 探り探りの心理戦をしているのだ。


 何を考えているのか、何をしようとしているのか、それをいかに自分のことを話さず相手から引き出せるか。

 当然、俺が圧倒的に不利だ。


「……私は、拓二さんを信じています」

「……ああ」


 いのりが、頭の中で選んだであろう言葉を口にしていく。


「本当なんです。私は、貴方を信じたいんです。数少ない、同じ境遇の人ですから……」


 こう聞いている分には、まるで恋人同士の会話のようだ。

 本当にそうだったら、どれだけよかったか。

 実質はもっと、剣呑なのだが。 


 僅かに身をこちらに傾けさせ、指を組んで交差させ両肘をつく。

 その彼女の挙動一つ一つに、気を張り巡らせる。

 もし仮に、いのりが武道に明るい人間であったなら────俺が今殺気をぶちまけているということなど筒抜けだったはずだ。


 細波を先に帰らせたのは、『万が一』のためだ。


 もしこいつが知りすぎていて、そして万が一。

 俺を、止めようというのであれば。


「それを踏まえて、一つだけいいですか?」

「……何だ?」


 俺は、こいつを────。



「拓二さんは────千夜川先輩を殺すおつもりなのですか?」



◆◆◆



「……いかわ! おい、相川ってばよ!」


 名前を呼ばれたことに気付き、ふと我に返った。

 ところ変わって、ここはファミレス。

 現在、夕平、暁、いのり、桜季の四人と一緒に放課後の帰り食いをしている最中だ。


 どうやら、柄にもなく考え事でぼうっとしていたらしい。

 夕平が、俺を覗き込むようにこちらを見ていた。


「話聞いてたんか? お前はどう思うよ」

「あ、ああ……」


 全然まったくこれっぽっちも聞いてなかった。


「……なんの話だっけ?」

「おいっ! ホントに無視すんじゃねえよ!」


 くすくすと、そのやりとりを聞いて暁と桜季が忍び笑いを浮かべる。

 本当に、そんなつもりは無かったんだがな。


「ああいや、悪い悪い」


 ったく、とごちってから、夕平はこう話をした。


「だからな、尾崎の妹が引きこもって不登校中なんだってよ。んで、尾崎が俺に相談してきてさ」

「へぇー……」


 尾崎といえば、原チャ窃盗(未遂)で俺の中でまことしやかに有名なあの尾崎のことだろう。詳しくは第六話参照。

 俺にはまずそもそも、妹がいたのかというところの認識の刷新から始めなければいけないのだが。


「何でも、四月入ってからいきなりなんだってよ。家の外を怖がって、ほとんど出ようとしないらしくて……あ、これ秘密にしてくれな。滅多なやつには言わないようにって頼まれてんだ。まあお前なら大丈夫だろうけど」

「おう……」


 まあわざわざ言いふらすようなことでもないし、誰かに告げ口する気もさらさらないが。


「親も尾崎も、もうどうしていいか分からないらしくてさ。んで、何か対処法とか参考になることないかなと」

「その家の外が怖いってのは、どういう意味でだ?」

「そう、それがな? 家の外ってか、人と話せないんだと。たいじんきょーふしょーっての? しかも最初は、家族と話すのさえヤバかったんだとよ。喚くわ泣くわで家が壊れるかと思ったってさ」

「突然で、しかも家族とも?」


 そこで、夕平の言葉に桜季が反応した。


「それは相当ね……理由は分からないの?」

「ああ……本当にいきなりで、尾崎も親も心当たりはないらしいんだ」

「いじめとかは、無かったんだよね」

「ああ。むしろ仲良い友達は多くて、みんな驚いてるんだと。『何でいきなり……』って」

「『いきなり』、ねえ……」


 桜季はそう呟いたっきり、何も言わずに黙った。

 何か考え事をしているようで、唇に指を添え、じっとどこか虚空の一点を見つめて動かなかった。


 その代わりとでもいうように、ティラミスをほおばりながら暁が喋った。


「でも、不思議だね。何も原因が分からないなんて。そんなものなのかな?」

「さ、さあ……? 俺もよくは分かんねーけど」

「いや、自分でも訳が分からないまま、いつの間にか長いこと引きこもってることはよくある話だ」


 そこで、俺が口を挟んだ。

 二人が、俺の方を振り返る。


「え、そうなのか?」

「ああ。原因なんてもんは人それぞれ、本人でもはっきりと分からない、なんてよくある話さ。ずるずると嫌なことばかり引き摺って、下り坂を転げ落ちるように何もしたくなくなるんだ。雨の日だとほっとする、他の同学年の下校時間が気になる、もし今頃学校に通っていたらと数時間妄想する。……心身ともに気分のいいもんじゃ決してねえな。でももちろん、長引けば長引くほど、辛くなる……色々と」


 それはもう、幾度となく体験済みだからよく分かる。

 挫折する度、またやり直せるということに安堵しながらも、またやり直さなくてはいけないと嫌気さえ差すような長くて怠惰な時間だった。


「だから、そいつが何を患ってんのか知らねえけど、まずは様子見からが一番じゃねえか? 扉越しでもなんでもいい、落ち着いて会話していくといい。でも大事なのは、会話一つで改心させるとか、どうこうしようとは絶対思うな。落ち着いて、普段通りに会話するだけでいい。会話を重ねること自体が大事だからな。そこらへんは、部屋にずっと閉じこもってるんじゃないなら何とでも出来るだろ」

「お、おお……何か相川がそれっぽいこと言ってるぞ」

「相川くん凄いね、ハカセみたい!」

「……まあ、ちょっとそういうのには心当たりがあって」


 夕平と暁の二人が、キラキラした瞳でこちらを見てくる。

 

 少しべらべら話し過ぎたか? 

 まあ別に、どうでもいいか。


「とにかく、尾崎にはそう伝えておけばいい」

「あ、ああ。ええと、まずは落ち着いて、会話、っと……メモメモ……」

 

 夕平はそう言って、鞄からペンとノートから雑に破いた紙切れを取りだし、熱心に書き込んでいく。

 所詮は他人事だというのに、変わった奴だ。

 はっきり言って、放っておけばいいと言いたいくらいだったが、夕平の期待の眼差しに圧されてつい色々言ってしまった。

 

「……ん、オッケー。次会ったら、尾崎に言ってみるぜ! 他に意見誰かあるか?」

「じゃあ、私から提案が」


 片手を挙げ、口を開いたのは、いのりだった。


「おっ、じゃあいのりちゃん! どうぞっ」

「今度の月末、七月二十八日。清上うちで学園祭……清上祭を行うことになっているのですが、もしよければ、その学園祭に招待するのはどうでしょうか? 一般公開されるので、誰でも観覧は可能ですし」

「へえー、学園祭かぁ」

「もともと、皆さんをお誘いしようと千夜川先輩と話をしていたので。もしよろしかったら」

「私行きたい! ね、二人とも行こうよ?」 


 いのりの提案に、暁が嬉しそうに俺たち男二人に持ちかけてくる。


「俺はいいぜ、行ってみたいしよ。相川は?」

「……いいんじゃないか? 面白そうだ」

「わーい! やった」


 その返事に、暁が手放しで喜んだ。

 俺としては、夕平と暁から目を離せないという理由からなのだが、まあ単純に興味があったというのもある。


「……まあでも、程度の問題はあるけどね」


 深く長考していた桜季が、静かに落ち着いた声で話を引き戻した。

 合図せずとも、その場の全員が彼女の言葉に意識を傾けた。


「話を聞く感じ、かなり重症だと私は思う。相川くんの言い分とは異なるけれど、その子は何か『理由』があるよ」

「理由……?」

「その確かな内容までは分からない。でも、何かしらの理由から、家族や誰とも話せなくなり、時間をおいてその子が頑張った結果、家族とは話せるようになった……その方がしっくり来るのよね。ただの勘なんだけどさ」


 自信がないような言い回しの割に、ある程度以上の確信を持った調子で桜季は言う。


「じゃあ、どうすりゃいいってんだ? 清上祭は無理ってことか?」

「ううん、そうとも限らないよ夕平くん。明確な原因があるのなら、根は深い分考えやすい。まずは、やっぱりコミュニケーションね。こまめな会話や挨拶からその子の心を開かせていくべきというのは、相川くんと同意見。そして、もしそれが上手く行ったら清上祭に誘ってもいいかもね」

「おお、なるほどなー」

 

 そしてまた、夕平がメモを取っていく。


「せ、い、じょー、さい、っと……」

「その妹さん、少しでもよくなるといいね」


 そうまとめた上で、桜季はにっこりと夕平に向けて微笑みかける。夕平は、それに対し、にっと笑い返していた。


 その後は、特に語るようなことも無く、だらだらとをしてから、日が落ちた時には解散の運びとなった。


 

◆◆◆



「────俺が今すぐ、お前や千夜川を殺すとか……そんなこと思ったりしたか?」


 その帰り道。俺はそう尋ねかけた。

 気を使われたのかどうなのか、何故か二人きりにされて、後ろから付いてきているいのりに向けて。


「……いえ、拓二さんはそんなこと絶対にしません。そんな、人の目に付くような迂闊なことは……」


 その言葉に、大きく鼻を鳴らす。


「なるほど、ある意味信頼されてるってわけだ。俺が平気で人を殺す人間だと」

「そんな、ことは……」

「じゃあどういうことだよ」

 

 俺は声を荒げた。

 立ち止まり、振り返る。

 付いて来るように後ろを歩いていたいのりも、合わせるように足を止め、俺を見上げた。


「信用ないんだろうがこれだけは言っておく。俺はムゲンループを生きてきたウン十年の中で、人を殺したことはない。試しに殺そうなんて考えたこともない」


 本当だった。

 俺は、意図的に殺人を犯したことは今までにない。

 しかし、全て正しくはない。ムゲンループの住人が殺人をすればどうなるか、考えてみたことは何度もある。

 その結果を……俺はつい先日人づてで聞いた。


「もうお前ならなんとなく察しはついてるかもしれんが────暁はもうじきに死ぬ。そして夕平は拉致監禁されることになる。全部、千夜川のせいで、この日常も崩れ去る」

「っ! ……そう、ですか……」


 本当だった。

 確かに、この世界は、色々と変化が多い。俺が繰り返した世界とは何かがずれている。

 しかし、一度起こったことが変わることはない。


 あの悲劇は、今回も繰り返される。


「俺は、俺の出来る限りのことをやろうとしているだけだ。でもそれは、本当に最後の手段でしかない。嘘に聞こえるかもしれんが、本当だ。出来るなら命までは奪いたくない……俺だって、出来ることなら殺したくなんかないに決まってる」


 だが────これは、嘘だった。

 いのりさえも知らない、俺がムゲンループの新法則────『ムゲンループの住人が殺した人間は、生き返らない』ルール。

 このルールは、俺の覚悟を真の意味で確かなものにした。


 俺は、桜季を間違いなく殺す。倒すではない、殺すのだ。

 例え何らかの理由で桜季が暁を殺せなくなったとしても、俺は桜季を殺す。


 既にそれは、俺にとっては手段ではなく目的なのだ。

 殺さないと気が済まないと言えば、気が触れているようで語弊があるが。でも、だって、殺さないと終わらない。

 もはや、桜季がいては俺は────俺達は先へと進めないから。千夜川の存在そのものが、二人にとっては害悪なのだ。


 千夜川の命と、アイツらの命。どちらかを選ぶなら、俺はあの二人の命を選ぶ。

 たったそれだけのことだ。簡単な等価交換に過ぎない。


 問題は、その目論みを、目の前のいのりに悟らせないようにしないといけない。もしかしたら、ここぞという時に邪魔をされてしまう可能性があるからだ。

 桜季を殺すのはあくまで最終手段であって、最終目的ではないと思わせなければ。


 しかし、舌戦では俺はいのりには勝てない。理屈の上から言い負かされる。

 ならどうするか。

 理屈でこいつに勝てないのなら。感情でこいつに勝てばいい。


 相手は機械じゃなく、一人間なのだ。俺にあっていのりに無いのは、対人経験の差だというのは前回と同様。

 俺はいのりの味方。いのりの『良きパートナー』だ。今だけそれを演じればいい。


 大丈夫、俺なら出来る。


「答えがあるなら俺だって知りたいさ! 誰もが幸せになる未来があるなら、そうしたいさ! でも、でもよ……俺は止めなくちゃいけないんだ。なんとしても。アイツらのために、どんなことをしてもアイツらを救わないと、俺は……俺はもう……!!」

「…………」

「なあ……頼むよいのり。もうこれ以上、暁が死ぬのを……夕平が廃人になるのを、俺は黙って見てられないんだ……!」


 そう言って俺は────いのりの身体をそっと抱きしめた。


「あっ……」

「俺を信じてくれ、いのり」


 まるで気分は、演劇の王子様のよう。

 若干わざとらしくでも気分を盛り上げ、感情をありありと溢れさせ、仰々しく振る舞う。


「お前は、俺を信じたいってこの前言ってたな。俺も、お前に信じられたい。数少ない住人(みかた)のお前には、全部言っておくのがフェアってもんだと思った。じゃなかったら、こんなこと話してない」


 笑える。

 白々しい言葉が、次から次へと飛び出てくるのが自分でもおかしかった。

 これは、俺の言葉であって、俺の言葉じゃない。言わば、『いのりが望む俺』の言葉だ。

 こうあって欲しいと願ういのりが欲しがっている偶像だ。

 

 ……馬鹿馬鹿しい。

 だから俺に利用される。お前も、誰もかも。


「でも、邪魔はさせない。いくらお前でも、俺の人生の意味を、お前に奪われる気は無い……分かってくれ」

「あ……わ、私は……」


 こう言えば、人は悩む。これが人間なのだ。


 同情心に訴えかけるのは、容易だ。『悲劇的で可哀想だ』と見られれば良い。

 涙はいらない。ただほんの少しだけ、言葉に本心を乗せればいい。

 たったそれだけで、人を揺さぶれる。

 隙を作らせられる。


「少し……考えさせてください」

「……ああ」


 俺達はそっと身体を離した。そして、何事も無かったように再び歩き始めた。

 付いてこないかと思ったが、やがて、後ろから重い足取りが聞こえてきた。

 それからまた、ずっと俺達は何も喋らなかった。


「じゃあな、いのり」

「…………」


 家路が別れる時まで、いのりは物思いに耽り、珍しく悩んでいるように見えた。


 静かに遠のく後ろ姿を、見えなくなるまでずっと眺めていた


「……ふふ」


 感情論に答えはない。

 あいつは、それに気付くことはないだろう。これさえも駆け引きだと露にも思わない。


 俺への好意と疑心のどちらかを捨てきれずに迷ってるお前には、判断出来ないだろう?

 やはりお前は、経験が圧倒的に足りない。


 しかしこれで、あいつは大丈夫だろう。『その時』が来るまで、余計な茶々を入れてこられては堪らない。

 が、これでいのりは封じた。


「甘い……甘いなあ……本当にお前は甘ちゃんだよ」


 そして、『その時』が来た時にはもう全てが遅い。

 決着まで、お前は指をくわえて見てろ。それだけでいい。

 もし何かあれば、その賢い頭だけ利用してやるから。

 

「後顧の憂いは断った……ってやつだな」


 ……帰って、寝よう。

 夜の冷えた風に当てられて、少し寒気を感じ、身震いした。

 





初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。

【追記:六月三日】加筆修正しました。

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