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第三十四話

第三十四話、投稿しました。驚くべきことに、今回のお話でようやく作中で一夜が明けました(数えたら十四話かけてようやく朝を迎えました笑)。

 裏切り、って単語がずっと頭の中に付いて離れない。

 ぐるぐる、ぐるぐるって。


 混乱して、考える気も失せてしまった頭で、その言葉の意味をなぞり続けてる。


 今日、あたしはあたしの全てを覆された。自分の出生から、今まで生きてきた人生とその間に会ってきた人達。

 そして――――かけがえの無い親友を。


 身に起きたこと、教えてもらったことが全部嘘だと思いたかった。けど、あたしなんかより多くを知ってる人達がそう言うのならそうなのだろう。


 訳も分からず流されている自覚はあっても、流されるしかない。頭は既に麻痺しているし、いちいち反応を示す方が億劫だ。あたしの処世術は、流れに流されるということの他に無かった。


 早くこの夜の悪夢が終われと願いながら。


 だけど、最後の最後に――――何もかもを失った。


 会って間もない少年が、『the workplace』の人達が、ジェウロが、そしてパパさえも、ギルを責めなじる。

 あたしの知る世界も、知らなかった世界も、全てがギルを否定する。


『裏切り者』――――と。いっしょくたにあたしの大切な友達をいじめる。


 だけど、そのみんなは、あたしを裏切ってないというの? こんな大事なことをずっと隠しておいて、まるで言い捨てみたいに次々と明かしていって。

 突然、マフィアだとか裏切り者とかなんて言葉が出てくるような世界に、あたしを放り出して。


 ギルのことなんかより、これこそ裏切りと思ってしまうあたしは、悪い子なんだろうか。


 もう分からない。何も分からないの。


 いやだ、もう。こんなの……もう、もう何も考えたくない。



『……色々を考えるために、ここで立ち止まるのも一つの選択肢だと思う。目と耳を塞いで、閉じ籠ってるのもいいさ』



 ありとあらゆる怨嗟の言葉を、恨みつらみの数々を、溜め込んだもの全てをぶちまけていた。

 あたしよりも年下の……男の子に。


 全てを黙って聞き続けた彼は、こっちが驚くぐらい何の表情も見せなかった。目元は少し緩んでいたかもしれない。ほとんどあたしの八つ当たりの言葉を、黙って受け止め続けていた。


 彼は、凄い人だと思う。あたしなんかより、ずっと。

 本当はずっと分かってた。エレンは彼と話す度に、嬉しそうにしてた。あの賢い妹が、会ったばかりのはずの男には、心を開いていた。

 それだけじゃない。今日一日で、近くで見ていて、何度も凄いと思ってしまった。

 だから、ムカついてた。気に入らなかった。

 あたしよりも、なんて認めたくなくて。


 そして、ここにも『あたしよりも』がまた一つ。

 あたしと彼は、同じ立ち位置の人間だったはずなのに。あたしとは、違う。彼は、自分の行く末が分からなくとも、落ち着いて前に進もうとしている。


 それがとにかく情けなくて、苛立たしくて、涙が溢れてくる。

 違うのに。いつもはもう少し感情を抑えられるのに、それ以上に気持ちが波打ち立ってる。今は見るもの聞くもの全てに、涙腺を刺激されてしまう。



『でもお前は、エレンに会いたいんだろ? エレンに会えるかもってだけで、俺のことまで信じたんだろ? 思い悩むのも一つの手だろうけど、敢えて頭空っぽにして前を進み続けるのも、ありなんじゃないか?』



 前なんて、もう分からないよ。

 ごちゃごちゃになった頭と切り離されたように、口はもう一度激しい悪態を少年に吐いた。


 ――――また、拭いきれない涙が溢れた。



…………



『さて、僕が生きてるとは露とも思わなかったかな? グレイシー』


 マクシミリアンの、静かな声が響く。


『いやあ、大したものだったよ。君ら、止めを刺そうと変わり身スティーブが運ばれた病院まで襲ってくるんだから。慎重というか、執念深いというか』 

『……どうして貴方がここにいる』

『ごほん、誰とは言わないけど、前から情報があってね。近々僕が死ぬことになるって。んーごほんおほん、誰とは言わないけど、おかげで命拾いしてね』


 わざとらしく二回、咳払いをしながら語るマクシミリアン。

 視線が一瞬俺の方に向けられていた気がした。


『だから、逆にそれを利用してやろうと思い付いたんだ。「敵を騙すならまず味方から」……そちらさんはともかく、ネブリナ家全体を騙すのは思ったより苦労したけど。今の僕の事を知ってるのは、ジェウロ他数少ない人間だけ。それと今ここにいる君達だね』

『…………』

『死んだふりしたおかげで、裏であちこち動き回れた。準備は万全、全て計画通りさ』


 ……奴の言ってることは、嘘じゃない。


 マクシミリアンが瀕死という情報は、ニュースになるくらいの大きなものだった。そこで、タイミングよく俺というネブリナ家ボスの客人が現れれば、当然そっちに目が行くことだろう。

 俺が、マクシミリアンが残した保険、最後の秘策であると。

 だが実際はこうして生きていて、俺を目くらましにし、自分を敵側の意識から逸らさせていた。

 

 奴が作り出したミスディレクションに、敵味方問わず誰もが騙されていた。

 ……とんだ『黒幕』がいたものだと思う。


『……あ、一つ断っておくけど、ここでもう一度僕を殺そうなどとは思わないことだよ』


 肩で息をしているグレイシーを見据えながら、マクシミリアンは笑い掛ける。

 俺が知る彼女とは思えない程に落ち窪んだ目つきで睨まれながらも、全然意にも介していないようだ。

 

『君が生きているのは、僕がそうさせてるからだ。今の君の命は、僕が守ってる。〝その気になれば、ここで全てを終わらせることだって出来る〟』


 そして、意味ありげにコンテナの陰や、灯台の裏、ここから見えない死角に顎をしゃくってみせた。

 既にグレイシーを狙っているというサインなのだろうか。俺達がここに来ると予期して、人を置いているとでも?

 どこまで先を読んでいるのか、その果てが見えない。


『試してみようか?』

『……なるほど。では、そうさせている、とはどういう意味ですか?』

『簡単さ。〝君をここから逃がしてあげる、という意味だよ〟』


 実にあっさりと、事も無げに彼はそう答えた。


『……本気ですか?』


 当然だが、グレイシーは訝しげな様子で聞き返している。まあそりゃ、何か裏があるとしか思えないだろう。

 俺だって、ここまで苦労して追い詰めた裏切り者を、考えなしで放されてしまっても困るしな。


『いやだなあ、もう既に逃げる算段を企ててるくせに』

『……一体、何故ですか』

『その意味を聞いたところで何になる? どうせそうするしかないんだからさ』


 そこで、何故か俺の方に話を振ってきた。


『ねえ? アイカワくんもそうだろう?』


 にこり、とその微笑みをより深くしてみせるマクシミリアン。

 そこで初めて、俺達は面を向き合って対峙したと言ってもいい。


『……さあ、どうかな』

『うん、異論は無いみたいだね』


 何を考えているのか、どうしても読めない。その語調や表情から内心が窺えない。笑顔のマスクを被っているかのようだ。


 どこか透明感のある質量を感じさせない軽い声が、再びグレイシーの方へと向けられる。


『君はただ黙って逃げればいいさ。そうすれば、僕達は君に何もしない』

『…………』

『逆に、君には逃げる以外の選択肢を僕達は与えない。……どうだろう? お互い、嫌な思いはしたくないとは思わない?』


 グレイシーは、なおも黙り続ける。彼の一挙一動に、注視を絶やさない。

 マクシミリアンの意図を推し量っているようだ。


『…………』

『…………』


 胃に穴が空きそうな沈黙が、両者の間で流れる。

 誰も何も話さないし、動かない。どこか遠くで船の汽笛の音が聞こえた。


 どうするんだと思ったその時、マクシミリアンが動いた。


 すっと、彼の表情が能面のように消える。

 音もなく、そっと右手を持ち上げた。


 ――――まるで、何かの合図のように。


『っ――――ちっ!!』 


 大きな舌打ちが一つ。

 素早い身のこなしで、グレイシーは身を翻した。


 かと思うと、そのコートの裏から、スプレー缶のようなものが零れ落ちた。

 『それ』はカツン、と音を立ててこちらに向かうようにバウンドした。


『相川くん、耳を塞いで避け――――』


 その言葉尻は、別の音に被さって聞こえなかった。

 それでもなんとか、反応は出来た。そばにいたメリーを庇うように抱き寄せ、精一杯の膂力で飛び跳ねた。


『うあっ!』


 直後、耳をつんざくような爆音。

 そして背後に広がる熱気のような閃光が、俺の身体を包み込む。

 頭が真っ白になった。

 

 熱い、背中が熱い。燃え尽きて灰になりそうだ。

 音も消えてなくなった。何も聞こえない。鼓膜が破れたようにさえ感じる。


 だが、あくまでそれは俺の感覚的なこと。実際は大したことはない。せいぜいが軽い火傷だ。地面を勢いよく擦る肩や背面の感触が、身体が地面を転がる音が、それを教えてくれる。


『う……』

『ごほっごほっ、っつぅ……』

 

 もくもくと、辺りに煙幕がたちこめる。

 それが目に染みる。薄い霧のようだったが、強い異臭が鼻腔を突いた。


 まずい。せめてメリーだけでもと、もっと強く抱きしめる。

 俺の服で鼻と口を塞いでやり、ハンカチ代わりにして煙を防いだ。


 しばらくした後、倒れた俺達に誰かが駆け寄ってきた。そして、俺達二人を引っ張り上げてくれる。


『大丈夫かい、二人とも』


 マクシミリアンだ。

 肩を貸してくれ、俺の顔を覗き込む。


『っと……ごめんねアイカワくん。メリーは気絶しちゃってるみたいだ。少しだけもっててもらえるかな』

『うっ……く』

『僕のこの声は聞こえてる? 煙は吸っちゃいけない。離れたらすぐに深呼吸するんだ、いいね』

『ごほっ……グ、グレイシーは』


 俺の言葉に、マクシミリアンは首を横に振った。


『逃げたよ。かすかにエンジンの音がした。前もってバイクでも用意していたんだろうね』

『だろうね、ってお前……』


 そんな悠長なと思った矢先、俺の考えが読まれていたのか、拵えた顔の笑みを再び深くしていく。


『心配はいらない。彼女の軌跡は常に把握してる。わざと泳がせたんだよ』


 こうして見ると、こいつもただのにこやかな中年男性のようだ。ボルドマンや娘達も含めて、ランスロット家はマフィアの空気に馴染まない家訓でもあるのだろうか。


 変に場違いなことを考えていると、マクシミリアンの耳から伸びる端子から、掠れるような声が聞こえてきた。

 それを受けて、装着しているマイクに向けてマクシミリアンが応答した。

 一瞬、その瞳に滲ませた光には見覚えがある。

 ボルドマンの時にも感じた、表に出さず奥底に隠したまま醸成された深い殺気。深海のように冷たく、幽々たる雰囲気すら覚えた。


『――――こちらデッドポイント。同胞達に通達!想定ケーストレス、教則「ユダは口づけた」現刻よりルートを絞り込み、万難を排して目標の行方を追及せし!』

 

 おそらく、この付近に潜ませている人間に向けてのものだろう。

 マクシミリアンも、準備は万全と言っていた。既に蜘蛛の巣を張り巡らすがごとく、グレイシーを追跡できるよう人を配置させているのか。


『ね?』

『……安直な作戦名(コードネーム)だな』

『ん? ああ、教則のこと? あはは。恥ずかしながら、僕は聖書を読んだことがなくてね。おかげでその辺の学が無い。教会にも、門の前を素通りしたことがあるくらいだ』


 メリーには内緒だよ、とウィンクしてみせた。


『――――ジェウロ! 起きてる?』

『……ええ、もちろんです』


 マクシミリアンが後方に向けて尋ね掛けると、少しだけ息を弾ませた様子で、ジェウロが答えた。

 見ると、今まで寝ていたジャッカルが、不得手そうにしながらもなんとか彼の身体を担ぎ上げている。その尻を支えるように、ベッキーが懸命に両手 で支えているようだ。


『損な役回りばかりですまないね。なにも、君を役者に仕立てあげようとしてるわけじゃないんだけれど』

『こういったことは……もう勘弁願いたいものですな。命が、足りない』

『うん、ありがとう。君にはこの先もいてもらわないと困る。気掛かりだろうけど、少し休むといい。起き抜け最初の仕事は、全部終わってからの後片付けだよ』

『そうですか……では、お嬢様をよろしくお願い申し上げます』

『ははっ、言われなくても。僕は父親だよ?』

 

 ジェウロの言葉を、からからと笑い飛ばすマクシミリアン。何となくだが、さっきまでの笑みよりも、今の方が自然な笑い声に見えた。


『後はエレンを救出するだけさ。僕らはこれから、そのために注力していく。だから、ひとまず安心していいよ』



⋯⋯⋯⋯⋯



『――――ウアアアアアアアアアアアアアアア!?』

 

 絶叫が響き渡る。

 喉を潰しかねないような叫び声が。

 人間、これだけの音量を出せるのかと、耳を塞ぎながら思わず感心してしまう。

 決して広くはないこの部屋の中で、反響する女の叫び声というのは耳が痛くなるくらいにうるさい。


『あああ、アアアア!!』

『メリー、落ち着け! おいメリー!』


 そのままベッドから転げ落ちそうだったから、慌てて身体を押さえにかかる。

 火事場のなんとやらとでもいうのか、かなり力が強い。押さえるだけで一苦労だった。


 そのまま一分強は叫んで暴れ続けていただろう。一分とはいえ、叫びっぱなしだとかなり長い時間だ。


『ああ、あああ……げほっ、げほっげほ』

『……落ち着いたか?』

『はあっ、はぁっ……あ、アンタ……ここは……?』

『隠れ家だとさ。ネブリナの』


 あれから数時間は経っただろうか。

 夜は明け、俺達は生きて朝を迎えていた。


 グレイシーが逃げた後、あの港から車で移動した(俺達が乗ってきた車は捨て、マクシミリアンが何台か呼ばせた車の一つを使った。グレイシーの運転してきた車に発信器が残されている可能性を考慮した結果だった)。

 連れられたのは、完全会員制でネブリナ家の息の掛かったチェーン店のカジノだった。

 オーナーらしき人物にへこへこされながら、安定の裏口に通され、安定の地下に案内される。『the workplace』でもそうだったが、もはやお約束なのだろうか。


 だが地下は、それ以上に広かった。エレベーターの階数にも表示されず、摘発防止のためか蟻の巣のように入り組んでいるらしい。上のカジノの多くの従業員にも知られていない、秘匿された場所。


 その内の一つ、学校の保健室のようなベッドが二つ並ぶ小部屋で、俺達二人ははしばしの休息を言い渡されていたのだった。

 俺はと言うと、目が冴えて全く眠れなかったのだが。


 取り敢えず、俺達の身が確かに安全であることを告げると、うつむいたまま、何も言わなくなってしまった。


『…………』

『あ、あー……その。隠れ家って良い響きだよな。子供心を刺激されるっていうか』

『…………』

『……悪い、その。何て言ったらいいか』

『……ふふ』


 その時、メリーの口から微かな笑みが零れた。

 彼女の顔をふと見る。

 普段なら、俺のことで笑ったらすぐに隠していたはずだ。今はその気力すら無いのか、虚ろな目と力無い笑みだけがその顔に貼り付けられていた。


『アンタ……クッサイこと言う以外は女の子一人ろくに慰められないのね』

『いや……まあ』

『アンタにも、出来ないことってあるんだ。……いいこと覚えちゃったわ』


 思わず、頬をポリポリと指で掻いていた。

 正直、メリーの立場を思うと、なんと言っていいか分からない。

 彼女はきっと何がなんだか分からないだろうから。本人が掛けて欲しい言葉が分からないと、こっちも何を言っていいのやら……。


『……じゃあ』

『あ? お?』


 頬を引っかいていた手を、メリーがむんずと掴んできた。

 その俺の手を、そっと両手で包み込む。相変わらずの力無い笑みを見せながら。


『……ったく、おっかしい。何であたしがアンタに気を使ってんのよ』

『ぐ、すまん』

『はあ……少し、長話するから。黙って聞いてて。そんくらいは出来るでしょ?』

『ああ、分かった……』


 そう言って、話されたのはグレイシーのことだった。


 他愛の無い話だ。グレイシーと出会った五年程前の時のことから、家族と一緒にやったホームパーティーにあったこと、クリスマス……どれもこれも、楽しげな思い出ばかり。話してる本人も、それはもう楽しそうに表情を緩ませていた。

 意外にも、グレイシーの細かい挙動の一つ一つやその時の自分達家族の反応を細々と覚えていて驚く。


 そうして長い時間、彼女はずっと語り続けていた。

 

『その時の誕生日パーティでもらったのが……見て、十字架のネックレス。おっきくてかっこいいっしょ? ギルとお揃いで、貰った時からずっと肌身離さずよ。それで、それでね……』

「…………」

『それで――――……』


 それでも、話のタネは無限でなく、いつか尽きる。

 とうとう今年の話になって……メリーの言葉がぽつぽつと途切れ途切れになっていった。


 メリーの思い出話を聞くうちに、気付いたことがる。


 彼女達が初めて会った時から、今に至るグレイシーとの数年間を、数十分かけて聞いてきたわけだが、その多くが過去の数年間のもので占められているということ。

 つまりここ最近、めっきり二人は会っている回数を減らしているのだ。メリーも、今日グレイシーと会ったのは本当に久しぶりだったらしい。メールや電話のやり取りはしていたようだったが。


 その時にはもう、ネブリナ家を裏切るつもりだったのだろうか。

 メリーを、裏切る気だったのだろうか。


『…………』

『……メリー?』


 俺の手を握る手が、ぎゅっと強くなった。


『……おい、メリー』

『……れない』

『うん?』


 小さく溢したその声を聞き漏らし、尋ねかける。

 メリーは、震えるようなか細い声でこう言った。

 

『……離れないの。裏切りって単語が、頭を付いて離れない。ぐるぐる、ぐるぐるって』

「…………」


 それから、メリー自身のことを聞いた。

 何も言わずに、ずっと黙って聞いていた。


 裏切りとは何なのか。

 ずっと隠されてきた事実を知った今の混乱。

 グレイシーへの確かな気持ちを、俺達への疑問を、たどたどしくも彼女なりの言葉で以て、内にある思いの丈を真っ向からぶつけられた。


『――――もう、分からない。何も分からないの』


 気付けば、彼女は泣いていた。

 子供の様に泣きじゃくっていた。

 頑張って堪えるように激しくしゃっくり上げるも、大粒の涙がその頬を伝う。

 それを拭い取ろうとはせず、俺の手を固く握り続けていた。

 

 そこに、何かを求めるように。


『いやだ、もう。こんなの……もう、もう何も考えたくない』


 俺は、メリーを真の意味で助けられない。

 彼女にとって、彼女を救えたのは、親身に手を取れたのは、それこそグレイシーだけのものだったろうから。


 メリーも、俺がグレイシーだったら、なんて思っているかもしれない。


『……色々を考えるために、ここで立ち止まるのも一つの選択肢だと思う。目と耳を塞いで、閉じ籠ってるのもいいさ』


 俺が言えるのは、これだけだ。

 メリーの言う通り、俺は女の子一人ろくに慰められやしない。


『でもお前は、エレンに会いたいんだろ? エレンに会えるかもってだけで、俺のことまで信じたんだろ? 思い悩むのも一つの手だろうけど、敢えて頭空っぽにして前を進み続けるのも、ありなんじゃないか?』

『前なんて、もう分からないよ……』


 さらに涙がこぼれる。

 酷い顔だ。顔中ぐしゃぐしゃで、目元は真っ赤になってしまって。

 

 でも、なんでか――――今のメリーの顔が一番綺麗だと思った。


『……自分の胸に従い、浮かび上がる「道」を行きなさい。ってな』

『……?』


 レッジが残した、最後の言葉。

 それは今、確かに俺の中にある。誰かに伝えられるものになって、生きている。


『俺達の前にあるのは、道だ。だから流されるな、自分を信じろ。……な?』

『……やっぱり、クサい台詞ばっかりじゃない』

『うるさい』


 目は涙を流しつつ、くすくすと笑う。

 ずっと掴んでいた手を離し、いい加減目元をこすって涙を掬い取る。


『でも、どうしてかな。……アンタのこと、今なら信じられる気がする』

「…………」


 ……俺は、メリーに何かを提示できたのだろうか。


 結局、俺達二人はどこまでいっても赤の他人で。

 人は分かり合えると言うが、俺はそうは思わない。俺自身、そうやすやすと、自分のことを分かって貰いたくもないし。

 あくまでも、そうなった気になるだけだ。つい数日前は存在すら知り得なかった俺達なら、なおさら。

 本来、こういうのはグレイシーの役割だったはずだ。俺では代わりにならないのに。

 彼女と挿げ替えるように、信頼できる人間という立ち位置に居直って。

 

 これでよかったのか、俺には分からない。

 分かっているという振りをして。安心させてやると誇張して、心の隙を突くような真似をして。


『ありがとうね。アンタ……ううん』


 それでも、少しは、目の前の少女に掛かる負担を減らすことが出来たのだろうか。


『……タクジがいてくれて、良かった』

『そうか……』

 

 メリーが、泣き腫らした目で俺を見る。

 もう、意地を張って隠そうともしていない。


 俺に、全幅の信頼を寄せているのを感じる……。


『ね、ねえ……』

『……ん?』

『その……もっと、タクジを信じてもいい?』


 息を吐くように、静かにそう言う。


『あたしの「道」……見つかるまで、横であたしを見ててくれる?』


 潤んだ目で、俺を見つめてくる。

 その頬が熟れた林檎のように上気して赤い。ふー、と緊張を孕んだ細長いため息を吐いた。

 

『…………』

『…………』


 無意識だった。唐突のようにさえ感じた。

 少なくとも、好き者同士のそれでは無い。これは一種の儀式だ。二人の信頼を確かめるための。

 形ある根拠を、分かりやすい安心感を欲していた。


 どちらともなく、そっと顔が近付いていく。

 まるで引力に導かれているようだ。

 気付けば、鼻と鼻がぶつかり合うくらいの距離に、お互いの顔があった。


 近い。そう思って、つい少しだけ距離が引いてしまった。

 すると、メリーもちょうど同じように僅かに下がる素振りを見せた。

 

 その時に目がかち合う。イギリス人の目と、日本人の目。

 吸い込まれそうな瞳に、すとんと何かが腹の中に落ちたような感覚がした。

 つい、と唇を突き出すために顎が持ち上がる。


 そして、彼女の大きな灰色の目に、静かに瞼が降ろされて――――



『あー、盛り上がってる所、申し訳ないんだけどね……』



 ばっ、ともの凄い勢いで俺達はお互いの身を離した。


 この小部屋の扉付近に、いつの間にかマクシミリアンがいたのだ。


『んなっ、パッ、パパ!?』

『うん、お父さんだよメリー。おはよう』

『ちょっ何でここに――――って違うの! 違う違う! そんなんじゃないからこれっ!!』


 見てたのか、とマクシミリアンの気配の薄さに俺が驚いている間、メリーが頬を真っ赤にして大きな身振り手振りで騒ぎ立てる。


『これはそのええと、だから、とにかく想像してるのとは違くてっ――――』


 テンパるメリーをよそに、マクシミリアンのいる方に身体を向ける。


『趣味が悪いな、アンタ』

『いやなに、娘の色恋沙汰は父親からしたら気にならないわけないじゃないか?』

『……わざわざジョークを言いに来たのか? 本題は?』

『ツレないね』

『何でアンタはそんな冷静なのよっ!?』

 

 まったく、騒がしいったらない。

 やはり、メリーはメリーか。


『……何か分かったんだろ? タイミング的に……グレイシーの居場所、か?』


 俺がそう言うと、ピタリとやかましいメリーの声が止まった。

 マクシミリアンが、息を吐きながら肩をすくめた。


『居場所はとうに割れてるんだ。問題は、僕らネブリナ家のことだよ』


 もうその準備も整いつつあるけどね、と言い繋いでから、続ける。


『もうまもなく、最終作戦に移る。ずっと待ちわびた決戦を始めようと思う』

『相手は……やっぱりギル……?』


 恐る恐る娘が尋ね、その父親が頷く。


『金で集められた傭兵集団と、それを統括するグレイシーの鎮圧。ネブリナ家全ての力を結集させて臨むつもりだよ』


 カツ、カツと小気味よく靴を鳴らし、俺達のそばに歩いて来るマクシミリアン。


『そのために、演説をしないといけないんだ。出来るだけそれっぽく』

『それっぽくっておい』

『それにほら僕、一応死にかけってことになってるから。決戦の前に、みんなに状況説明とその士気を上げる必要があるんだ』


 なるほど、面倒なしきたりってやつか。ここから先は組織ぐるみで動く以上、それなりの手順を踏まなければいけないのだろう。

 それだけ、マクシミリアンの言うグレイシー達との真っ向勝負は激しいものになると予想しているに違いない。


『――――そこで、アイカワくん。最後に、君に協力願いたいことがある』


 やはりいつもと変わらず、顔だけ見れば微笑んでいるだけのようにしか見えない。

 しかし俺を射抜くその目は、どこまでも真摯だった。



『有り体に言おう――――ネブリナ家の背信者、グレイシー=オルコットと直接対決をしてもらいたい』






初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。

【追記:九月二十一日】加筆修正しました。

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