第三十三話
第三十二話・第三十三話連続投稿の第三十三話です。ここからラストまでが、イギリス編でやって来たことの集大成となっています。色々な意味で。
世界が止まったかのようだった。
俺以外の皆が遅くなったのではない、俺の意識だけが時間の流れを振り切ったような感覚。
実際の一秒にも満たない時間を、俺だけが何十秒も体感しているかのようだった。
グレイシーの身体が、ゆっくりと倒れていく。
それだけのスローな時間、多くの物が見えた。
俺の方に身体を向くジェウロ。
揺らめく硝煙。
そして、俺を見るメリーの様子も。
メリーとグレイシーが、仲が良いことも知ってる。俺が知らない、長い付き合いがあることも。
だが、こうなることはずっと前から決められていて、今この時を待ちわびていたのだ。
俺がではない、ネブリナ家全体が。
これは、俺に課せられた最後の役目。
『あ、え……?』
メリーに、こんな顔させることが。
……これだけ損な役回りも、中々無いよなあ。
「…………」
俺を責めるというよりも、自分の理解から外れ過ぎた事態に、呆然とした表情を向けているメリー。
何も出来ないのだろう。知らないことがありすぎて、訳もわからないはずだ。
彼女にはあまりにも、話してやりたいことが多すぎる。
だが今は……それどころじゃない。
ジェウロは動かない。
俺の方を見ながら、倒れたままのグレイシーの背中を乱雑に踏みつけ、踏みにじっていた。銃も突き付けないのか、と一瞬思ったが、彼の手を見てすぐに考え直す。
〝出来ないのだ〟。その手は血まみれだ。撃たれている。
彼がとどめの左の回し蹴りを放つその一瞬だろう。そうとしか考えられないが、瞬間的な交錯すぎて、目にも見えなかった。
『……最後に、訊かせてくれないか!?』
少し遠くで立っているジェウロに向けて、声を張った。
『――――この世で最も信用され、同時にこの世で最も信用されない存在は?』
合言葉。
グレイシーに言わせるなら、「合わせ言葉」だ。このやり取りを、まさか俺がすることになるとは思いもしなかった。しかも、教えてくれたグレイシーの前で。皮肉なものだ。
『……ふん。しばらく放っておくうちに、妙なお遊びを覚えてきたようだな、アイカワ』
この選択が正しければ、ジェウロは、この答えを知っている。
何故ならその答えこそが――――ジェウロ自身の本当の正体なのだから。
『答えは容易い。――――「二重スパイ」だ。一重では足らない。知る者からは任ぜられ、知らぬ者からは疑われる』
ちょうどつい先程までの貴様のようにな、と付け加えて、恨みがましそうに睨んできた。
多分、いや間違いなく、駐車場でぶん殴ったことを根に持っている。
『そうか……それで全て分かった。全部が、一本の線に……』
『ギ、ギル!! いやっ、ギルゥ!!』
何もかもに納得している時に、メリーが叫んだ。そして、グレイシーの元へ駆け寄ろうとする。
『メリー、よせ』
それを俺は手で遮った。
『何でよ! この人殺し!! 人殺しィ! アンタなんかサイテーよ! 死んじゃえバカァ!』
もはや子供が泣き叫ぶような感じだった。立ち塞がる俺を責め、何度も叩く。
無理もない。
俺からしたら、暁か夕平を撃たれたようなものか。当たり前だろう。
だが……。
『落ち着け、話を————』
『うっさい! いいからどきなさい! どかないと――――』
『――――グレイシーはっ!! 裏切り者だったんだよ!』
そう大声で叫んだ時、メリーの動きが止まった。
『俺も……ずっと気付けなかった。ジェウロが裏切り者だと勘違いしてた。俺は……〝いや俺達は、ずっとこいつらの手のひらの上だったんだ〟』
今がこうなっているのは、トップファイブの誰の仕業でもない。
〝俺達が見てきた敵は、黒幕じゃなかった。今までが敵の仕組んだことでありながら、そうじゃなかった〟。
俺達は全員、イギリスという大きな舞台で踊っていただけだったのだ。
『全部、全部俺がここで明かしていく。いきなりでごめんな……でもまずは、少しだけ聞いてくれ』
でも、もうその幕は下り、俺達は踊り切った。
もう、我慢しなくていい。全部終わったのだから。
すぐに殺してしまう前に、メリーを納得させてやりたい。
『……な、いいだろ? グルのジェウロさんよ』
『それで、納得するのであれば。この女も防弾チョッキは着ているだろう、まだ死んではいない。が、立ち上がれもしないはずだ』
グレイシーは自分が見てやるから、話してみろということか。
上等。
今度は謎解き(こっち)の時間だ。
操られてやった分、俺の答え合わせに付き合ってもらう。
『まず、初めから……そもそもグレイシーが裏切り者ってのは、実はお前らは最初から、承知の事だったんだろ?』
『……ほう、何故そう思う』
『〝だって俺自身が、マクシミリアン本人から聞かされてたことだからさ〟。数ヶ月前に「アル」って子供がいるってな』
チェスの最中でやった、大分前のあのやり取りを思い出していく。
『アル』は自分の組の系列子会社で、知らない玩具は『密輸品』、あるいは『横流ししたお薬』という暗号会話。
そのはずだった。
だが本当は違ったのだ。
『Gracie=Alcott (グレイシー=オルコット)……オルコット――――A、L、C、O、T、T。その最初の二文字を取れば……「Al (アル)」』
メリーを見やる。
『メリーは、「ギル」って呼んでるよな。G、I、Lで、ギル。それがヒントになった』
ずっと抱えていた思い違いは、今になって解消された。
直接的にグレイシーの名前を出さなかったのは、隠語を使うことで俺が気付くタイミングを計っていたのだろう。初めてグレイシーと会ってすぐ分かっては都合が悪い。
『マクシミリアン……お前の親父さんは知ってたんだ。グレイシーがネブリナ家を裏切ってることを。それを、俺に伝えようとした』
『そ、そんなのこじつけじゃ――――』
『そこでマクシミリアンは、どういうわけか俺という部外者とグレイシーをあてがうことにした。グレイシーの本性を曝し、始末の役目を担うよう仕組んだんだ』
メリーが反論しようとするのを遮る。
『部外者だからこそ、グレイシー程の人間を始末に都合がいいと思ったのか、俺を囮に向こうのスパイであるグレイシーの気を惹きたかったのか……どうなんだよ、ジェウロさん?』
『……ふむ。確かに、オルコットの存在は手こずらされた。ネブリナ家の中枢に居座られれば、情報漏洩にも容易い。だからこそ、貴様への応援という体でフリークチームなどという「辺境」に送り込んだのだ』
フリーク達は正規のネブリナ家の人間からも煙たがれると、カマタリも言っていた。
その距離は、ネブリナ家という大きな括りの中でも端から端くらいのものなのだろう。だからこそ、この場合には好都合だ。
自分達組織が大々的に動くには、スパイであるグレイシーが邪魔だ。だが、彼女はボルドマンの秘書も務める格がある。何も知らない内部からの反発は必至で、簡単には処理できないのだろう。
だから、どかしたのだ。
ジェウロの言う『辺境』にいる、マクシミリアン取っておきの『秘策』の補助を名目として。
グレイシーからしても、おいしい話だったのだろう。ネブリナ家ボスとその側近しか知らない正体不明の『取っておき』、スパイとして飛びつかないわけがない。
その思惑を利用して、彼女の正体も知ったうえで、敢えて餌をちらつかせたというわけだ。
『グレイシーは見事に俺っていう餌に飛びつき、今に至る。ここまで、全部マクシミリアンのお膳立て、計画通りってか。……ぞっとしない話だな』
俺が今まで感じていた違和感。
まるで整備された道を歩かされているような、敷かれたレールに沿ってこさせられているような。
その正体がこれだ。
見えない誰かに導かれるようにして、ここまで来た。その誰かが、まさかマクシミリアンその人だとは、今まで思いもしなかったが。
『あの方は、そういうお方だ。全ての先を見透かす悪魔的な頭脳とそれを活かせる力を持っておられる。だからこそ、ネブリナ家のトップでおわせられるのだ』
『……言いたいことは山程あるけど、俺ら当人にはたまったもんじゃないぜ。まさにチェスゲームだ、神にでもなった気かよ。反吐が出るっつの』
所詮俺達は、マクシミリアンの駒遊びに過ぎないのだろうか。
良い気分はしない……どころじゃない。
――――その盤上から外れた者が、確かにいるのだから。
『あ、アンタらの言うこと、全然わかんない。分かんないわよ……!』
それまで黙ってたメリーが、子供のようにイヤイヤと激しく首を横に振る。
『それで、どうしてギルなの!? アンタが言ったのとか、アルとか、そんなの知らない! 何でギルが悪者になるのよお!』
「…………」
何で、と訊かれてもな。
俺には、自分の身に降りかかってきた事の顛末しか分からない。本当に全てを知るとすれば、マクシミリアンただ一人だけなのだろう。
ただ、グレイシーが彼女の言う悪者であるということは覆らない。俺はそれを、出来る限り宥めすかしながら告げることしか出来ない。
『……ついさっき、検問に扮した傭兵に襲われたの、思い出してくれ』
『そ、それが……?』
あやすような柔らかい語調を心掛けながら、メリーを見つめる。
エレンとよく似た、吸い込まれてしまいそうな程に澄んだ灰色の目。それを真正面に捉える。
……この目で思い出した。そう言えば、メリーをここまで連れてきた目的は、エレン救出のはずだった。だが結局、俺に課せられていた役割では、それは叶わないのかもしれない。マクシミリアンは、使い終わった駒の事なんざ、考えてなかったのかもしれなかった。
嘘を吐いたようで心苦しい、と思わなくもない。
『あの時、運転席にいたのはグレイシーだ。そして、開けた窓も運転席側。その意味が分かるか?』
『……?』
『おかしいんだよ。〝そんな状態だったら、普通は運転手を仕留めるべきだ〟。でないと、実際今みたいにカーチェイスされる羽目になる。でも真っ先に俺を狙ってきた。……ジャッカルがいなきゃ、確実に死んでただろうな』
そろそろ俺の言いたい事が呑み込めたのか、その大きな目をさらに見開いていく。
『狙ったかのように俺達を待ち構えてたのも、グレイシーが仕向けてたと考えれば繋がる』
『…………』
『他にも色々あったけど、あれで九割確信した。グレイシーが裏切り者だってな』
その他の色々のこと――――レッジの遺書が残した物の事も話したいくらいだが、メリーにはこれで十分だろう。
これ以上は、ますます混乱させるだけだ。
『お前の気持ちは、俺には分からない。分かってやれないのが、もどかしいくらいだ』
『……うん』
『でも、な――――』
と、更に言葉を紡ぐその時だった――――
『ぐっうおおああああっ!?』
男の野太い絶叫が響き渡る。
ジェウロだ。慌てて振り向く。
ジェウロは、左足を抑えて蹲っていた。遠目ではっきりしないが、その手は、おびただしい血の流れにまみれている。
庇っている足のズボンは、あたかも大きな爪で引き裂かれていたようだった。
その脇に、裏切り者の女――――グレイシーが佇んでいた。
まるで鉤爪のように右手に装着させたダガーナイフからは、彼の血が滴っている。あれで、ジェウロの脚を裂いたのか。ご丁寧にも、被弾した脚に追撃するように。
忘れていた。彼女が暗器を使う人間であるということを。
やはり弁解より先に、仕留めさせておけばよかったか。
『メ、メ……リー……』
肩を上下させるほど息を荒げさせ、ジェウロのことなど目にも入らないという様子で、俺達を見ていた。
まるで別人のようにくぐもった声だった。血を吐いて、ずるずると体を引きずるようにしてこちらへ近づいてくる。
俺が撃った銃弾のせいだろう、いくら防弾ベストを着てようが、ダメージは残っている。肋骨の数本は持ってかれているはずだ。それにしたって、漫画みたいに『アバラが数本いったな』では済ませられないくらいの重傷のはずなのに。
息をするだけでも震えるくらいの激痛が走り、ろくに動けもしないはずだ。
それなのに、確かにこちらに迫り寄ってくる。
『メリ、ごほっごぶっ! ごほっ、メリー……さあ、こっち、に……』
メリーの名をうわ言のように呟くその口の端からは、血の泡を噴き出している。
メリーしか見えないと言わんばかりに、血走った眼を向け、右手――――ナイフの爪を持っている手ではなく、ジェウロにやられて百八十度人差し指が折れ曲がった方の手を、こちらに伸ばしていた。
『ひっ……』
その様子に、メリーは――――俺を前にするように、ほんの小さく、その身を後ろに退かせた。
そしてその瞬間、銃弾がグレイシーの足元を叩いた。
それまで進ませていた歩が止まり、とっさに両腕で庇うグレイシー。
俺達のどちらかではない。
ジェウロは今銃を持っていない。
なら、誰が――――
『やあ、うちの娘に近寄らないで貰えるかな、女狐さん。ウチは代々犬アレルギーなんだ』
ともすれば聞いた瞬間に頭から抜け落ちそうな、何の変哲もない男の声が、後ろから聞こえた。
振り返る。
背後にはいつの間にか、一人の男がいた。至ってありふれた風体の男。目に付いた特徴といえば、身だしなみがよく整えられた四十前後の金髪の男、くらいのものだ。見た目だけなら、ふらっと街に出ればいくらでも素通りしていたであろう一般人のそれだ。
あのフリーク達が、彼に向けて一斉に、その後方で恭しく頭を垂れていなければ。
〝俺は、この男を知っている〟。
だが、直接顔を会わせたのはこれが初めてだ。
何故なら、初めて邂逅した日本では、顔を見る前に気絶させられたから。
そして彼は今、病院で重体の身であるはずだった。
『長らくお待たせしたね。――――さあ、全ての決着を付けよう』
ネブリナ家の頭にして、遍く権力を司る統括責任者――――マクシミリアンは、柔らかな微笑を湛えて、この場に降り立った。
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。
【追記:六月十三日】加筆修正しました。




