第二十三話
第二十三話アップしました。待っていただいた読者様、遅くなってしまいすいません。以後こうならないよう気を付けたいと思います。
ヒトキュウサンサン。目的地の高層ビルに到着。レッジが警備員と会話。これを難なく突破。地下駐車場へ。
ヒトキュウサンロク。別の警備員の誘導に従って駐車。英国紳士の名に違わぬ優しいソフトな運転で、乗員の俺もこれにはニッコリ。
『お待ちしておりました。スティーブ氏の代理人の方ですね』
『クリス=バナードで通っているはずですが。ちなみに本名ではないですので、ご理解ください』
『……頭取のエトーがラウンジで控えております。どうぞ、こちらに』
『分かりました』
ヒトキュウサンナナ。レッジが案内役の人間に導かれ、書類とおぼしき荷物を片手に歩いていく。すらっとした身体に纏う黒いスーツが映えている。
フタマルマルマル。会議が始まったはずだ。会議の様子が気になるが、そっちはレッジに任せている。時間まで、静かに待ち続けた。
そして、フタマルヒトゴ。
時間ちょうどだ。
「よし……」
さあて、それじゃ。
――――これより、第一回スニーキングミッションを行う。
目の前の光の隙間に指を突っ込み、力を入れて光を引き延ばす。ジッパーの開く音と一緒に、瞼の裏に光が現れる。
この隙間がかなり大きくなった頃、俺はゆっくりと上体を起こした。
「痛っ、ジッパーに髪の毛何本か巻き込んだ……」
――――ここは、車の中。
その後部座席の足元、目立たないように置かれていたボストンバッグの中に、俺は隠れていた。
この駐車場に到着する前には、既にこの状態だった。警備員にも気づかれること無く、俺はここにいる。無理に入ったせいで身体の節々が痛いが。
とにかくこれで俺は、完全に単独で発信器を付けることが出来る。
わざわざこんなことまでするメリットは、主に二つ。
一つはもちろん、誰にも気づかれずに発信器を仕掛けるためだ。レッジが行くのに俺一人が車で待機なんて不自然になってしまう。
そして、それ以外にもう一つ。
「おっとと……」
窓の下に潜り込むように、さっと身体を伏せる。
すぐ外で、警備員らしい人間が素通りしていった。危ない。
まだ見つかるわけにはいかない。少なくとも、発信器を付け終わるまでは。
ここにもしもの時の逃げ道は無い。最悪、もし囚われたりしてしまった場合、俺は完全に孤立してしまうからだ。
〝それが、さっき言ったもう一つのメリット〟。
とはいえ俺の、ではなくネブリナ家にとってという意味だが。
今の俺は、相手側からしたら『本来いるはずのない』存在だ。俺のことを知っている人間は、ネブリナ家でもごく少数である。
“つまり言ってしまえば、誤魔化しがきくのだ〟。仮に俺がへまをして囚われたとして、それを助けてくれるような人間は一人もいない。それは例え、共犯であるレッジでさえ。俺が人質になったところで、あっさり見捨ててしまうことができるのだ。
いくらかの悶着はあるとして、最終的に俺はたまたまこの駐車場に潜んでいた軽犯罪者とみなされるだろう。果たして発信器の取り付けに相応する『甘い』処遇を受けられるかは怪しいもんだが。
徹底して二手に分かれるこの合理的な方法に、俺の命綱というものは無い。ネブリナ家に協力しているとはいえ、誰かを頼れるわけではないのだ。
目的のためなら、これ以上ない大胆な攻め方だと思う。不満と言えば、俺の命が掛かっていることだが。
「……まあ、覚悟はしてたしな」
今はまだ、我慢だ。
命の危機はもうここ数日で何度も体験しまくっているが、今回は俺だけの問題じゃない。
ネブリナ家のため――――というわけでもないが、ここでの成功は、間違いなく『何か』を変える。今回に限って、そういう『意味のある』死線をくぐっている。
命がけの綱渡りは、これから始まったばかりなのだ。これくらいで躓くわけにはいかない。
「あ、そうだ。発信機発信機」
俺と一緒にバッグの中に詰められていた発信機を取り出す。
思っていたよりも小さな型の物で、簡単に取り付けられるように、ご丁寧にマグネット式の物を見繕ったようだ。このあたりの紳士さが、彼たるゆえんなのだろう。
入っていたのは、全部で五個。
まあ十分だろう。
「……一応、念のために」
一つを予備としてここに置いておこう。何時か他の場所で使うかもしれない。発信機を付ける車は四つで十分だ。
問題は、これをどの車に使うかだが……。
そうっと、窓から外の様子を窺う。
「……あれっ?」
そんなことを思っていたのだが、駐車場には、他に車があまり無かった。どうやら発信機四つでも事足りるくらいのようだ。
ラッキーと言えばラッキーだが、肩透かしを食らったのもまた事実である。無駄に広いせいで、打ちっ放しのコンクリで四方を囲んだこの場所が、酷く殺風景だった。
それにしても、駐車場なのに本当に車が無い。あっちに一つ、そっちに一つ、という具合に黒塗りの車が点々と。見た感じ、手で数えるほどしかないようだ。会議の事を考えるに、それこそトップファイブだとか、そういう重役やそのお付きの人間くらいしかここには来ていないのだろうか。
……どうでもいいけど、こういう金持ちとか大物とかの所持する車ってどうしてこう黒い色が多いんだろうな。厨二病なの?
「……まあいいや。そんじゃあ、ミッションスタートだ」
今は人の気配がない。チャンスだろう。
そろり、そろりとドアを開けた。開閉音が響くのを嫌って、ドアを閉じずに半開きにしておく。
隙間から抜け出るように、ずるりと身体を外に出した。そしてすぐ、車に背をかけ、辺りを見回す。
車がここまで少ないと、当たりをつける分には助かる一方、障害物が無い分見つかるのも容易だ。
警備員の目を潜り抜けながら、しっかりとどの車にするかを見定めて発信機を取り付けないといけない……これはかなり骨だろう。
まさかイギリスにきてどっかの段ボールのプロフェッショナルみたいな真似する事になるとは思わなかった。ちなみにあのゲーム、俺は一度もやったことが無い。
スニーキング? ……知らない子ですね。
「ううむ、さてこういう時ってどうしたらいいもんか……」
諜報活動の訓練とか、いくらループして歳取っても流石にそんなもんはやったこともないって。
っていうか、そんなんが必要になる人生とかこのムゲンループより何なんだよって話だ。あいにく、そういう世界とはこれまで縁が無かったな。
「こんなことなら、CIAとか行って教えてもらったりしたらよかったなー……」
冗談でもなんでもなく、今度の世界ではそういう諜報組織の方面に行ってみようか。多分、何度も失敗を繰り返すことになるだろうけど。
「……とにかくばれなきゃいいんだよな。んで、終わったらレッジが来るまで待てばいい。簡単だ」
今は、八時二十五分。かれこれもうここに来て五十分近くが経過している。
今頃、レッジはどうしてるだろうか。
何の気なしに、そう思った。ここからずっとずっと上の階で、今頃そのトップファイブと顔を合わせているのだろう。
株主総会か……美味しい物でも食べてるのだろうか。いや、流石に真面目に円卓を囲んで真剣な会議だろう。
うん、それなら行かなくてよかった。まさに適材適所ってやつだな。
きっと、あいつも頑張っている。頑張らないと出来そうもないことを、本人は気負うことなくやろうとしている。
マクシミリアンの代わりだなんて大役を、あの涼しげな二枚目顔で平然と担っているのだから。
「……よし、こっちも頑張るとするか」
こっちはこっちで、やるべきことをやろう。
今はそれでいい。
⋯⋯⋯⋯⋯
時間を少し遡って、時刻は午後七時四十分。
レッジは、ビル一階のラウンジにいた。
大きなシャンデリアに、美しい幾何学模様を描いた絨毯。壁には何枚か、人が五人横になってもまだ余る程の巨大な絵が飾られていた。
豪華絢爛と呼ぶにふさわしい、世界中の美という美をかき集めてきたかのような、そんな場所である。
レッジに相対するのは、身長百六十センチもないくらいの小さな老人だった。
白いひげを豊かに蓄え、大きなぎょろ目が特徴的であった。
『どうもどうも。私がキングス・ウィリスの頭取、ケールです。この度はようこそおいでくださいました、バナード様』
『こちらこそ。別段光栄でも何でもありませんが、お会いできて光栄です』
唐突な喧嘩腰とも言える挑発の言葉に、近くの黒服達がいきり立とうとする。
が、その前にケールと名乗った老人が彼らに手を振りかざした。止めろ、というジェスチャーだった。
『はは、お噂通りの人物ですな。嘘を吐いたり吐かれたりするのを心底嫌うのだとか』
『……その事をどこで?』
訊いてみても、老人はわざとらしくはぐらかすばかりだった。
『さて……どこででしたかな。去年の冬にあった総決算時会談の時のスティーブ氏から、でしたか。忘れてしまいました。歳は取りたくないものです』
『…………』
やり返した、という笑みを隠すかのように、彼は深々と一礼をした。
『申し訳ありませんが、早速会議室へご足労お願いします、バナード様。もう皆様お揃いですので、お待たせするわけにもいかず』
『……分かりました』
『ささ、こちらに』
そう言って、ケールは近くのエレベーターを示す。
既に黒服の一人が、エレベーターを降ろさせ、扉を開いて待っていた。
レッジとケール、そしてエレベーターボーイのように佇む付き人を乗せ、エレベーターはぐんぐん上へと上がって行く。
ガラス張りで見える外の街の風景は、まさに夜に光る星のようだった。それを、急上昇しながら上から眺めつつ、エトーが口を開いた。
『この度は、お忙しい中こちらにお越しいただきありがとうございます』
『いえ。これもボスの言い付けですので』
そう返すと、露骨に眉を下げ、トーンを下げた声で答えてくる。わざとらしい、と思えるくらい大げさな仕草だった
『……昨日の件は、誠に残念であります。何か助力出来ることがあれば、と思うのですが』
『貴方がたがご心配なさることではありません。スティーブに代わって、お気持ちだけ頂いておきます』
『そうでしたか。突然の事でしたので、こちらの懸念の意を伝え損ねた事、何卒お許しください。スティーブ氏のご快復をお祈りいたしますと共に――――』
べらべらと心にもない前口上を話すこの男に、舌打ちの一つでも打ってやりたいところだ。
彼にとっては、気持ちの無いお世辞や美辞麗句の類も嫌悪の対象なのだった。レッジもまた、そういううすら寒い物を敏感に感じ取れる人間であった。どこかの少女のように、人の内面がすべて分かるという程のものではないが。
もちろん、そういうものがあって世の中回っていることは知っている。そう理解はしていても、納得出来るかどうかはまた別の話だ。
聞いてもないのにべらべら喋り続けるケールに対し、ため息を吐きそうになりながらも相槌を打ち続ける。
無駄に多い階層を見て、憂鬱になりながら、早く着かないかとばかり考えていた。
『――――とまあ、こちらも忙しない状態でして。と、どうやら着いたようですな』
四十階の所でランプが止まり、扉が開いた。
付き人が扉を開けたまま、黙ってこちらを促す。
『進んで奥の部屋です。どうぞ、どうぞ』
『…………』
ケールと並び、通路を進んでいく。
この先にいるのは、知る人ぞ知るあらゆる方面での大物。一人で国の財政を傾けると言われる大富豪揃いだ。傍らにいる小物とは文字通りケタが違う。
そんな相手と、これから対面する。いくらネブリナ家幹部の彼と言えど、そんな人間達と対峙したことは未だかつて無い事だった。
その場所へ進んでいきながらも、レッジはこれ以上ないくらいに落ち着いていた。落ち着きすぎていたと言ってもいい。
特に何も気負うことなく、ここにいる。一体何故かと自問しても、その理由が分からないでいた。
『こちらです』
『分かりました。ありがとう』
ついに、その部屋までやって来た。
この扉の先に……と考えても、やはり何とも思わない。緊張すらなく、自分でも気味が悪いくらいだと思った。
仲間内からも紳士だ紳士だと言われて生きてきた。
紳士とは確かに、何事にも動じず、落ち着いて徳を積む者の事を差す。
だがこれでは、何事にも動じないというより、もはやロボットのようだった。自分の心が、あまりにも透き通っていた。今なら何でもできるような、そんな気さえする。
『……どうか、されましたか?』
『……いや』
ぐっと扉に手をかける。
その時、不意に理解した。
何故、こんなにも自分が落ち着いているのか。
――――ああ、そうか。
――――あの少年が……。
思い出されたのは、『とある一瞬』の拓二の目。
『それ』を自覚した瞬間、彼はそっと笑み――――
一発の銃声。
そして――――その銃弾が彼の身体を貫いた。
…………
「……あーあ」
スニーキングミッション開始から、十分が経過した。
意気揚々と潜入をして、気付かれないように発信器取り付けに取り組んだはいいものの。
「やっちまった」
足元に折り重なるように転がる、数人の男達。
彼らはみな、ピクピクとしか動かず、立ち上がろうとしない。
言うことがあるとすれば、一つだけ。
もうスニーキングする必要が無くなってしまった、ということだけだ。
「どうしてこうなった……」
いや、何故なのかは分かっている。
全ては、俺の不器用さが招いた事故だ。
どうやら俺は、こういう潜入任務には恐ろしく向いていないらしい。
隠れてたつもりでも、物陰からシャツが飛び出ていたり、見られて近寄られた時に物音を立てずに動こうとした瞬間、足に気をとられ過ぎて車のサイドミラーにぶつかって「いてっ」と普通に口に出してしまっていた。
そりゃばれますわ。ええ。
もう悔しいというか、恥ずかしいというか。意気込みだけが空回りする最悪のパターンにどはまりしていたのだった。
というわけで、ガードマン全員なぎ倒しちゃいましたとさ。
……こんなメタル〇アあったら絶対いらない。
「……まあ、これで仕事がやりやすくなったといえばその通りだけど」
それにしても、囚われたらまずいとはなんだったのか。正直、寝転がってるこいつら全員、まるで歯ごたえがなかったし。持ってる武器もちゃちい警棒くらいで、俺を見つけた時は迷い込んだ子供と間違えて追い出そうとしてたみたいだし。
俺が変に身構えすぎただけなんだろうかね。
もっとも、あくまでこいつらだってこのビル自体の雇われで、プロのガードでは無いのだろうけど。というか、もしそうだったら俺は今頃虫の息だったろう。
……大丈夫だったよな? 他の仲間に報告される前に潰しておいたはずだが。
「……まあいいか。発信機取り付けよ」
肩をすくめて気を取り直し、元の仕事をやり遂げることにする。
実はもういくつか候補は絞っている。『特に高価そうな外車』、これで四つも山張ればそのうち一つはヒットするだろう。
安直かもしれないが、何だかんだこれで間違いはないと思う。仮にも、財政界の大御所だ。世界中駆けまわって年商数千万ドルの人間が、みんながみんな安っぽい車に乗るはずがない。そんなことを気にする体裁が、彼らにはあるのだ。
「なんか……思ってたより地味な仕事だな。」
なんかもうチョロすぎて申し訳ないくらいだ。こんなもんなら、レッジの方も大したことないのでは……。
「ああでも、こいつらどっか見えない場所に閉じ込めておいた方がいいか……」
そんな瞬間だった。
突然響く暴音。
身体に音の衝撃がぶつかったかのような、花火のような金属的な衝撃音がした。
「……へっ?」
いや、違う。
まるで爆発でもあったかのような音だったが、これは――――
――――〝駐車場で反響した、銃声か〟。
「手元〝を〟狂ってしまっ〝て〟みたいだな……」
カツン、カツンと靴が床を叩く音が響く。
聞き覚えがある声だ。
そして、聞き覚えがある口調だった。
視線を、声のする背後に移す。
そして――――思わず振り向いた先の光景が、にわかに信じられなかった。
「……な、なんで」
「なんで、だと? 訊く必要〝を〟無い。見たまま〝で〟答えだ」
ピタリ、とその人間は俺の前で立ち止まった。一対一で、そいつと対峙する。
〝その男は、銃を俺に向けていた〟。
そう、この俺に。
『……話しやすい言葉でいいって言ったろ。どういうつもりだ』
そいつに、話し掛ける。
下手くそな日本語で話されるより、英語の方が分かりやすいからだ。
『〝どういうつもりだ――――ジェウロさん〟』
ここにいるはずの無いその男――――ジェウロが、激昂したでもない、虫を見るかのような目で俺を見つめていた。
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。
【追記:十一月二十七日】加筆修正しました。




