第十九話
イギリス編の七話目、総すると第十九話、始まりです。そろそろイギリス編での目標が見え始めるのではないでしょうか。あと、初の戦闘回です。腕が鳴ります。
紫電の飛び散る音が、脳髄にまで反響する。
鼓膜が、痛いくらいに震えた。キンと耳鳴りが尖る。
まるで音の爆弾だ。一瞬、本当に一瞬頭の中が真っ白になった。
完全に、意識の外からの奇襲。
そのせいで呆気にとられ、何も考えられず、思考が凝り固まっていた。
襲撃者が一体何者なのか。何が目的なのか。
そんな疑問が、解かれることなくぐるぐると無意味に錯綜する。
脳が身体と分離したかのように、全身が麻痺していた。思うように判断して動けなかった。
――――だから、『それ』はまぐれだった。
向かってくる物が何なのか、言い換えれば、迂闊にも襲撃者の武器を直接見れなかったという失態をかましながらも、幸運に救われた。
その少女が持っていたもの――――スタンガンは、ぎりぎり右に傾けた俺の頭のすぐ横、わずか数センチのところを突き抜けるように掠めていた。
「…………」
「……っ!?」
お互い、一瞬の硬直があった。
俺は未だに、この現状が呑み込めなかったから。
そして敵は、躱されるとは思ってなかった故の分かりやすいくらいの動揺がそうさせたのだろう。
その襲撃者と、目がかち合う。この時相手の姿を、しっかりと視認した。
そいつは、女だった。
ウェーブのかかった長い金髪に、幼げな顔立ちながらもやぼったいそばかすが特徴的な、外国人女性だ。 歳は大体と同じくらいだろうか。勝ち気そうにつり上がった眉と、大きな目が俺に敵意を持ってして迎える。
それにこの位置からでも分かるくらい、背丈がある。百七十センチある俺と大して身長差がない。それに発育がいいのだろう、シャツのふくらみによってそのハートのペイントが珍妙な形に歪んでいる。極端に短いジーンズのショーパンから、艶かしく長い生足が覗いた。
そこから分かることは、一つ。というか今の俺の頭では、これだけしか分からない。
〝こいつは――――ドが付くほどの素人だ〟。
『っ……こ、このっ!』
均衡を破ったのは、その女の方だった。
勢い余って近づけた身体を一旦離れさせ、距離を取る。そして再び、スタンガンを構え突進してきた。
『ぅ、っわああああっ!!』
「くっ!」
悲鳴のような雄叫びに、流石に目を覚ましたかのように我に返った。
誰かは知らんが、お互いなごやかに話を出来る状態じゃないようだ。
迫りくる電撃に、ベッドの上で身をひるがえしてもう一度回避する。バズン、というくぐもった音がした。シーツの焼けた音だろう、と理解するより先に、転がりながらも相手を目に映す。
『う、うわわわっ!?』
スタンガン女が、その音にびびったように慌てて身体を離す。シーツが焼けて火が付くとでも思ったのだろうか。
なんにせよ、この機を逃す俺じゃない。
位置的に手は出せないが、足は出る。
――――いける。
狙い定めるは、武器の無力化。つまり腕だ。
目の端にスタンガンを持つ腕を捉え続ける。ベッドにうつ伏せの姿勢のまま、ずっと目を離さない。
その視線の先に、想像上の軌道を描いた。出来得る限りの『その先』を描いた。
後はそれをなぞるだけだ。
「ふっ……!」
この間、わずか数秒の思索。
目からビームを撃つような感覚で、目線の先に足を延ばす。姿勢はそのままで身体をひねり、蹴り上げた。
ここは日本ではない。イギリスだ。当然、靴を履いている。
〝俺が前々から改良を施していた鉄板入りシューズが、確かにその手首に直撃した〟。
『あうっ!』
軽い手ごたえと同時、スタンガンは吹っ飛ばされ、女は苦悶の声を上げた。
体勢もあってあまり力の入らない蹴りだったが、それでも十分の威力だったらしい。床に落ちたスタンガンを拾おうともせず、女はぶつかった手を手で抑えている。ちらりとしか見えなかったが、既に蹴られたところは手で隠しきれない赤みがさしていた。
当然、そんな隙だらけの隙に付け入らないわけがない。
はじかれるように身体を起こし、手を掴み取った。
『よそ見してんなよ!』
『あっ!?』
しまった、という表情を浮かべるがもう遅い。完全にもらった。
弾かれたように一気に近付いてそいつの背後を取り、その腕を合気道のように捻りあげ、流れるようにベッドに思いきり押し倒した。もちろん深い意味ではなく。
『――――い、いたい!! 痛い痛い痛いいいい!!』
女は悲鳴を上げる。
俺はというと、腕を極めつつこちら側に引っ張り上げ、その背中を膝で強く押さえつけている。本格的に合気道やら柔道やらは教わったわけでもないから見様見真似だが、身じろぎしている分余計に痛いはずだ。
『痛い! このっ、離せチクショウ!』
『離せって言われて離す馬鹿はいねえよ』
『……は、離さないで! もっときつく!』
『え、なにマゾなの?』
『こ、殺す!!』
じたばたと暴れ、俺に向けて悪態を放ち続ける。
歯をむき、どたばたと騒々しい音を立てて抵抗しているが、痛みに耐えかねただけの意味の無い抵抗では、流石にかじっただけの拘束でも外れない。これでも一応鍛えているしな。
こうなったら、もうどうこう出来るものではない。俺の勝ちだ。
『とにかく、これで少し大人しくーーーー』
『いやぁっ、離してえ! クソッ、いいから離してよぉ!! この(自主規制)!』
『ピー音仕事したな』
いわゆる放送禁止用語まで飛び出たあたりで、俺の方はすっかり落ち着きを取り戻していた。
もう彼女が俺にとって脅威と呼べるものでなくなったというのもあるが、それ以上に、こうして他人がぎゃんぎゃん喚かれるのを見ているとかえって落ち着くというものだ。
『お兄様お兄様』
その時、ちょいちょいと俺の服を引っ張るのは、それまで黙って見ていたエレンだ。ベッドの上をここまで這いずって来たらしい。
見る感じ、泣きはらして少し目の周りが赤いくらいで、他は普段の調子と変わらないように見える。ちょっとは吹っ切れたのだろうか。
その声に、そろそろ力が弱まろうとしていた目の前の女が、すぐそばのエレンを目をやり、我に返るように再び喚き始めた。
『え、エレン! 逃げて! アンタは逃げるのよ!!』
この時、俺は確信した。
やはりこいつは、エレンを襲う襲撃者なんかじゃない。
〝厄介なことに、俺がその襲撃者だと勘違いし、エレンを助けようとしたのだと〟。
するとエレンが、その叫び声に応える。
『ええと、違うの。とにかく二人とも落ち着いて――――』
『さあ早く! あたしに構わず! ほら!』
そんな彼女の言葉を遮るようにというか、まるで聞いてない様子でまくし立てる。
『アンタだけは無事でいるのよ! エレン、エレーン!!』
「…………」
何だろう、この……何だろう。
妙に演技掛かったような口調というか、事の成り行きを一番分かってない雰囲気を醸している。残念な大根役者を見ている気分だ。本人は大真面目なのだろうが、俺達二人とこの女とで、温度差が激しすぎる。
要は、独り相撲がやかましい。
『……あー。エレンよ、もう俺は落ち着いてるから、話してくれ。こりゃなんだ?』
そんな彼女の言うことを無視して、エレンに問いかけた。
彼女は、珍しくため息でもつきそうな呆れ顔を見せていた。
『ええと……うん。身内の恥をお見せしちゃってごめんなさい』
『お、おう……』
少なくとも、九歳になったばかりの少女が使うような決まり文句じゃないのはさておき。
『って待て、身内だと?』
引っ掛かるのは、当然『身内』という単語。
少なくとも、自分を襲おうとした人間に向ける言葉じゃない。
やはり、エレンはこいつと知り合いなのだ。
エレンは、マフィアのボスの娘だ。だから、その関係者を身内と呼ぶのは表現として過ちではない。
だが、エレンの言い方にはそれよりもっと近しい者を称するような柔らかさがある気がする。
それにこの女も、エレンに対してかなり馴れ馴れしいというか、親しげな風だ。先に言った肩書きの女の子に、物怖じは一切ない口振りだった。
『……ってことは、まさか』
視線を、今なお押さえつけている女に向ける。
多分、今の俺はそれはそれは疑わしげな、凄い目つきをしているはずだ。
『なによ変態! ウチのエレンとのほほんとおしゃべりなんかしてんじゃないわよ! 今なら謝ったら許さないけど許したげるからとっとと消えなさい! じゃないとホントただじゃ済まないわよ!?』
ぎゃーぎゃーと幼児のように喚き続けるこの女の様子を尻目に、おおげさに肩を竦めさせ、俺の言葉を継ぐ形でこう告げた。
『このうるさい人は、メリー=ランスロット。一応エレンの実の姉だよ、お兄様』
⋯⋯⋯⋯⋯
『ちょっと、そんな下品な手つきで触らないでよ!? この変態!』
手首の赤く腫れた部分に湿布を貼ろうとすると、にべもなくはねつけられ、睨まれる。
未だ俺に飛びかからんとするエレンの姉――――メリーを半ば強引に一階のリビングに引っ張りこみ、打った場所を診ていた時のことだ。
俺への拒否反応がやばい。もはやアレルギー反応だ。さっきから、俺が話す度にこいつが食ってかかって来て押さえつけている流れを繰り返している。
思わず既に頭を抱えたくなりながら、それでもなお懸命に話しかけた。
『触らずにどうやって治せってんだ。いいから大人しくしろって』
『あたしに近寄るな、この変質者! セクハラ野郎! 不法侵入!』
『あーもう、うるさいぞメリー。静かにしてくれ、エレンが起きるだろうが……』
『名前で呼ぶなバカ!』
どうやら完全に、目の敵にされてしまったらしい。かれこれ十分は、こうした膠着状態が続いていた。どうやら俺達は、考えうる限り最悪の出会いを果たしてしまったようだ。
頼みの綱のエレンは、泣き疲れたのか、姉を部屋から何とか連れ出した時には既に船を漕いでいた。恐らくもう寝息を立てている頃だろう。さすがにそれを起こすのは心苦しい。
というかそもそも仕掛けてきたのはそっちなのだから、反撃されたのを恨まれても完全な逆恨みなのだが。
『それに不法侵入って……そりゃ誤解だ、俺はちゃんとこの家の人間――――お前らのじっちゃんに言われてだな』
『あたしのエレンの部屋に入っただけじゃ飽きたらず、あろうことかそのいやらしい手であの子の身体をまさぐろうだなんて――――!』
『そっちかよ! いやそっちも何も濡れ衣だし!』
『あの子を抱きしめてたじゃない! 言い逃れすんじゃないわよ! 日本じゃアンタみたいなヤツ「ろり」って言うんでしょ! ちゃんと知ってるんだから、このろり野郎!』
『それを言うならロリコンだろ……って俺はそんなんじゃねーから!』
なんだこいつ、話がてんで通じない。
というか露骨に俺の話を聞こうとしない。思わず俺の英語が通じてないんじゃないかと疑ってしまいそうだ。
『とにかく、あたしは認めないわ! アンタみたいな野蛮人が父さんの言ってたアイカワだなんて!』
『随分な言いようだことで……』
またこれだ。
実はエレンの仲介もあって、一応お互いの名前を何とか知り合っているのだが、メリーはと言うと――――
――――はんっ、こんな変態があのアイカワなわけないじゃない! エレンは馬鹿ねぇ。
なんてことをのたまっていた。エレンはなにも言わず、俺に向けてただ首を横に振っていた。
少なくとも、姉妹どちらが精神年齢が高いかは、会ってまだ日の浅い俺でも明白だった。
さて、それはいいとして、その時気になっていたのは『あのアイカワ』という言い回しだった。
まるでエレンが俺のことを紹介するより前に、俺のこと――――名前だけは知っていたかのような口振りに、違和感があった。
が、それももう今納得できたわけだが。
『ったく、マクシミリアン――――お前の親父は、一体俺を何て言ったんだか……』
それは、何の気なしに口を衝いた発言だった。特に理由もなく、マクシミリアンの名を挙げた。
だが、そんななんてこと無い、聞きのがしそうな一言に食い付いたのは、他でもないメリーだった。
『は? 誰よマクシミリアンて。〝あたしの父さんはモーリスって名前よ〟。誰と間違えてるわけ?』
ーーーー瞬間、持っていた湿布を思わず握り潰していた。
『……おい、今なんつった? お前の親の名前が、モーリスだって?』
『なんでまた訊くの? てかモーリスだとなんかまずいわけ?』
『他に何か別の名前とか……』
『はあ? 親の名前間違えるとかないでしょーが』
『…………』
まさか。
まさか……こいつが?
『お前……』
不遜な態度ににらみ返してくメリーを、じっと見つめた。
予感がする。
メリーがこの時間に祖父の家に来たのもそうだが、まるで俺達三人が、意図的にここに集められたかのような予感が。
誰の意図かなんて、考えるほどでもない。
『〝もしかしてお前……そのモーリスから何か預かってないか〟?』
『えっ……』
そう尋ねた瞬間、ぎしり、と彼女の肩が分かりやすく強張った。図星だろう。
そして今、俺の考えが正しかったことがはっきりした。
やはりそうか。
このスタンガン女が、マクシミリアン自身と俺を結ぶ策だ。
『いや、いい。もう分かったから』
『な、何が分かったって……』
『とにかく、お前の親父から俺あてに渡す物があるはずだ。それを出せ。〝それがお前に課せられた役割だ〟』
……どういうことかというと、そう難しい話じゃない。
マクシミリアンという名前は、ネブリナ家の人間に通じるボスの名前だ。ジェウロ、ボルドマン、そしてエレンもその名を承知している。それはそうだ、組織内で通じる名称なのだから。
だが、この目の前の少女はその名前を知らない。嘘をついているようにも見えない。自分の父親の本名が、数多の偽名の一つであるモーリスだと信じ切っている様子だった。他にある名前のことも知らない風であった。
エレンと同じ、ボスの娘であるというのに。
これがつまり、どういうことか。
〝メリーは、ネブリナ家そのものを認知していないのだ〟。にわかに信じられない事だが、自分達がマフィア関係者であることを、彼女自身は知らない。
自分の娘を二人も、そんな裏側の出来事に巻き込みたくないと思ったのか、それとも。
とにかく、それがどういう意図あってのものか不明だが、メリーは誰からもネブリナ家のことを知らされていない。マフィアの事情とは離されていて、マフィアの娘とも知らされず普通の女の子として生きてきたのだ。それに、エレンも一枚噛んでいるのだろう。
だが、ここでおかしな点がある。
俺は『ネブリナ家の客』としてここに招かれている。ということは当然、俺も一応マフィア関係者ということになる。
なら、そんなマフィア関係者の話を、ネブリナ家のことを知らない娘にするのは矛盾しているのだ。
エレンにも言ったことだが、そんな無意味なことをあいつはしない。その確信がある。
その矛盾にこそ、ヤツがこうなった時のために残した思惑がある気がする。
『何よアンタ、えっらそうに。出せって言われて出すかってのバーカ』
『…………』
『そんな目で見てもダメよ。アンタが男だからってビビると思ったら大間違いなんだから。いくらアンタが強くてもあたしは……』
『…………』
『……しっ、知らない! 知らないったら! あたしそんなの――――』
『メリー=ランスロット』
たった一言名前を呼ぶと、まるで叱られると分かってる子供のように身体を縮めさせる。
そんな彼女に、俺はただ懇願した。
『……へっ?』
手を膝につき、つむじを見せるくらいに真正面から頭を下げた。
『……頼む。大事なことなんだ。お前が思ってる以上に、大事なことなんだよ。蹴ったことは謝る。なんなら納得するまで蹴り返してくれてもいい』
誠心誠意、今の行き詰まった状況の打破を求めた。
『だから頼む。もしアイカワタクジに何らかのメッセージを届けにここに来たんなら、それを俺に見せてくれ。それが、お前の大事なエレンのためにもなる』
初めに誤解で襲いかかったメリーと、自己防衛で蹴り飛ばした俺、どちらが悪いという話はさておいて、俺の第一印象がこいつにとって最悪なのは痛い。
あまりにも一般人であるが故に、他の誰かの目の届かない伝達手段でありながら、損得勘定の持たないメリー自身の印象に委ねられてしまう――――要は、マクシミリアンから受け取ったメッセージをどうするかは、彼女次第ということだ。
このじゃじゃ馬娘が、今更頭を下げたところで許してくれるとは思わないが……。
『……父さんの言った通りね』
やがて、返事とおぼしき声が掛けられる。
ゆっくりと顔を上げた。
同年代の男女の会話という今の構図に反して、正直かなり緊張して彼女の答えを待っていた。
いや、ある意味正しいのか? 精神年齢が枯れてるから、もうよく分からん。
『本当に何にもかんにも見透かしてるみたい。……アンタ、そんなんで人生楽しいの?』
相も変わらず、厳しい態度は変わらない。
だが、直接的に拒否をされたわけではなかった。
真っ先に断らなかったということは、つまりは上手く説得出来たと言うことでいいのだろう。そんな打算的な考えはおくびにも出さず、内心で息を吐いた。
『大げさだな……たまたまだよ。たまたま、そんな気がしただけだ』
まあマクシミリアンに関しては、ムゲンループで実際起きたことを告げただけだから、たまたまも糞もないが。
『……分かったわよ、見せればいいんでしょ。父さんの手紙』
『……いいのか?』
俺がそう白々しく訊くと、メリーは盛大に鼻を鳴らした。
『どうせ見せなかったら、またあたしに酷いことするつもりなんでしょう? この色欲狂』
『……じゃあもうそれでいいよ』
そう答えるやいなや、より一層不審なものを見るような目つきが険しくなった。
しかもそのジト目のおまけのように舌打ちまで飛んでくる。どないせーちゅうねん。
……もっとも、もし今ので駄目だったら寝ている隙にこっそり、とか考えてたけど。
『……なんか変なこと考えてない?』
『いやいや、滅相もない』
『……はあ、まあいいわ。はいこれ』
疑わしげな目はそのままに、渋々といった風に一枚の手紙を差し出してきた。それを受け取る。絵葉書でも入っていそうな、小綺麗な手紙。
やはり、マクシミリアンはこういう時のための処置を取って動いていた。それはつまり、俺が使えるとヤツが判断したという意味でもあるし、それだけ今が切羽詰まった事態なのだとも言える。
『おとといだったか、珍しく家に帰ってきてこれを渡してきたの。今日この時間に、お祖父ちゃんの家にいるお客さんに渡して欲しいって言われてね』
『…………』
『あたし、自分で渡せばって言ったんだけど……仕事で直接会えないからって言って、またすぐにどっか行っちゃって……って聞いてんの?』
『……そのおとといから今日まで、親父さんには会ったか?』
『あ、聞いてたの……ううん、月に何回か会って美味しい店のディナーに連れてってくれるくらいだから。自分の娘のメールにもなかなか返してこないしさあ……今頃仕事で忙しいんじゃない』
別段気になったことはないと言うように、肩をすくめるメリー。どうやら、今日その父親に起きたことも聞かされてはいないようだ。スティーブの事件はニュースになるほどだったが、勘づくことなくあまり気にしていないのだろう。
そのことを、俺がわざわざ教える必要はないだろう。教えてすぐ信じるわけが無いだろうし、下手に信じられてもやかましく騒ぐだけだ。
『っていっても、そんな大したこと書いてなかったわよ? ただの世間話ってやつ? とてもエレンにも関わるほど大事なものとは思わなかったけど』
そんなわけがない。
繰り返すが、あいつがそんな意味の無い事をするはずがない。むしろ珍しく、ずいぶん分かりやすい方法に踏み切ったものだと思うくらいだ。
あいつは、今日死ぬはずだった。それを俺は前もって話していたし、だから死ぬ運命を回避出来たのだろう。そんな時に、何てこと無い世間話であるわけがない。もはやこれは、一種の遺言といっても差し支えないくらいのものだと思う。
っていうか……。
『お前勝手に読んだのかよ……』
『悪い? いいじゃない別に、ちょっと気になったんだもの』
悪びれもせず、口をとがらせやがる。
悪いも何も、手紙の内容以前の問題な気がするのだが。イギリスは紳士淑女の国、というのはこいつには当てはまらないらしい。
一瞬、メリーがこれを読んで大丈夫なのかと思ったが、その本人がこの手紙を軽く考えている以上、気にせずともいいだろう。
『……ま、別にいいけどさ』
礼儀やら行儀をどうこう言う筋合いは、俺にはない。
そういうのはこれから、マクシミリアンに任せるしかない。
『んじゃ、読ませてもらうぞ』
手紙を開けると、一枚の紙が折りたたまれていた。
メリーはすっかり所在なく足の爪をいじり出し始めていた。その子供っぽさに小さく苦笑してから、その内容に目をやった。
そして、知ることになる。
今の状況が、かなり逼迫しているのだということを。
そこには、読みにくい筆記体でこう書かれていた。
⋯⋯⋯⋯⋯
ーーーー親愛なる我が友人、タクジへ。
挨拶は割愛し、本題に入ろうと思う。君と僕の仲だ、こちらの今の事情は推し量ってもらえてると思う。
以前君の話した通り、『キングス・ウィリス銀行』の見通しは悪いかな。お先真っ暗、一寸先は闇ってね。
僕も僕の仕事を頑張ってるつもりだけれど、この調子だと今君がこれを読んでいる頃は難航しているだろうね。君にも助けてもらうことになると思う。
直接僕が会うことは難しいかもしれないけれど。
さて、これからのことだけれど、一つ提案させてもらう。
『The workplace(みなの職場)』に行くといい。
僕の行きつけのパブだ。メリーもエレンも知ってる場所だよ。
そこに、僕の部下達がいる。
彼らには『一通りのこと』は話してある。アクの強く、個性的な者ばかりだけれど、ここまで来てくれた君ならきっと仲良くなれるはずだ。そうそう、一人、完全に昼夜逆転生活を送っている子がいるから、夕方頃にそこに向かうのがベターだね。
彼らは信用できる。僕が保証しよう。
君が今すべきことは、これから起こる大きな津波を全力で回避すること。彼らと共に、僕達を助けてくれると幸いだ。
何もかも終わった先、『the workplace』に集ってみんなで一杯引っかけよう。ちゃんと、僕の娘達も連れて来てくれ。楽しみにしてるよ。
それじゃ、身体に気をつけて。
ーーーーregard,Maurice (モーリスより)
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。
【追記:三月二十九日】加筆修正しました。




