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第百二十三話

第百二十三話、投稿しました。犠牲者が出ます。

 ────そうして私という医学者は、97.325%の黄金比率的領域に辿り着いた。

 その数値こそが、実験と研究の末に弾き出した、チヨカワ・サキの最終復元率だった。


 ビリーは、殺した人間をコピーする。

 しかし、殺すには生きていなくてはいけない。

 では既に死んだ人間を殺すには、どうすればいいか。死んだ人間を、ビリーの中に蘇らせるには。


 その答えはシンプルで、当時の状況を、再現すればいい。

 そうしてビリーに、 『チヨカワ・サキを殺したのは自分だ』という暗示を与え続けた。


 実感を、創造した。

 あの時のセイジョウガクエンという環境を、あの死闘を完璧に再現した。

 気温、体温、ストレス、そして殺傷の感覚。ネブリナから提供された映像とチヨカワ・サキの死体を用い、呼応する体感を模倣し、当時の全てをビリーに与えた。


 用意した舞台(バーチャル)の中で、ビリーとチヨカワ・サキを百万遍と闘わせた。

 死にゆくチヨカワ・サキの一から百を焼き付けさせた。

 彼女の睫毛の一本一本を、歯を、乳房を、陰裂の内を、骨を、脳の皺を、筋肉の繊維を、チヨカワ・サキという一個体のあらゆる情報の全てを、ビリーに。

 彼女を殺すまでの一秒一秒を、ビリーの中に植えつけた。


 97.325%────それこそが、私がムゲンループの中で辿り着いた答えだ。

 ではこの残る2.675%には、何がある?

 後の2.675%が、今後の体験によって完全に埋まるようなことがあるのだろうか?


 もしそうなった時───その時ビリーはどうなるのか。

 どうかその答えが、私の知識欲を満足させてくれるものであることを願う。



 ────グーバ=ウェルシュの手記より抜粋。



◆◆◆



 右も左も全て囲まれたこの場所(フィールド)で、彼らは決着をつけることにしたようだった。


 示し合わせたかのように、拓二とビリーは同時に動いた。

 拓二にとって、その因縁は深い。

 十ヶ月前にビリーと初めて会った時からずっと、どこか頭の片隅にあった脅威だった。

 そう、もしかすると────こうなるかもしれないと。『桜季を殺せば、次はこいつだ』と、予感があった。


 そして、今日この日。

 拓二の予感は見事に的中した。


 それも、彼にとって最高にテンションの上がる『(じんかく)』を引っさげて。


「ぁあああああッッッ!!」


 肉薄し、詰めた互いの距離に足蹴が走った。

 空が爆ぜるような音ともに放たれたそれを、ビリーは回避する。しかし追撃は止まらない。

 手をつき、上半身と下半身が滑らかに入れ替わり、流麗な倒立姿勢を描いた。


 この間わずか一秒、まさに突き詰めた者の動きだ。

 腕から滴る血が地面を叩くより早く、秒を細切れにしたその二撃を、ビリーはすんでのところで受け止めた。投球を収めたミットのような、弾けた音が轟く。


「凄い……動きがあの時と全然違うね……!」

「あの時のお前を、今の私は超えた……! お前が本当に今まで死に腐っていた千夜川なら、俺には勝てないよ」

「それは楽しみ……♪」


 拓二は飛んだ。

 受け止められた足を軸に、身体を宙で回転させた。握りしめられる前にその足は拘束から解かれ、自由となる。

 たった片手で浮かせたその身体は、まるで羽のようにふわりと滞空した。


「────シッッ!!」


 矢継ぎ早の三連撃。

 打つのではなく、押す一撃。

 今度こそは、槍のように、ビリーの胸に痛烈な足蹴を見舞った。

 

 筋力。敏捷。体幹。

 まさに言葉通り、以前とはその全てが遥かに違う。

 過去に清上で闘った時には一撃すら与えられず、まるで相手にもならなかったあの千夜川の人格を、完璧にぶっ飛ばした。


「オイオイどうした、目の前でそんな尻すっ転ばして。ブチ犯されてえってのかみっともねえ」

 

 拓二はその様に対し、乱暴な物言いで煽る。

 今の彼は、静かに激昂していた。怒りで、瞼を震わせていた。


「私の腕をもいだ。車に衝突しても耐えた。千夜川の人格を得た。フンフン良いよ、実に良い。────〝で、それだけか〟? 他にお前は、俺に何を見せてくれるんだ? ホラホラホラホラ! 次は何をしてくれるんだ、ビリー?」


 半分以上ハッタリながら、余裕綽々だと自分を見せる。


 理性が疲弊を訴える。全身が苦痛に悲鳴をあげる。

 しかしそれどころでは無いと、それら全ては理性の上にアンバランスに乗り上げた感情の渦に押し呑まれていた。


 この感情を言い表す言葉を、拓二は見つけていた。

 それは、〝嫉妬〟。

 そうこれは、紛れもなく狂いもなく疑いようもなく、嫉妬の感情なのだ。


 ────桜季を殺した? 殺しただと?

 ────〝私だ〟! 千夜川桜季を殺したのは、間違いなく私なのだ! 他の誰でもない!! 私こそがッ!!

 ────世界中の誰よりも私こそが、『千夜川桜季の死』を愛している!

 

 感情が肉体を操るとは、こういう事か。

 力が湧いてくる。どんな状況でも、どんなに苦しくても諦めない、拓二本来の力が。


 拓二に千夜川の人格を見せたのは、逆効果だったと言わざるを得ない。

 もう消え去っていたはずの執着心に、火をつけた。


 それが、目の前の『千夜川桜季』を、今度こそ殺せと吼える。


 桜季を殺し、暁を失った時に一緒に無くしたように思えた、生きる『張り』。

 身体の中心が、空っぽになったままのような気がしていた。

 ずっと何かを失っていた。何かを忘れていた。


 だが、得た。

 得たぞ。

 また帰ってきた。戻ってきた。

 イギリスにいた時の、夏の雨降りしきる学園で闘った時の、(おれ)は。


 ────『相川拓二』は、ここにいる!


「もっと、もっとだ! どうかこの私を満足させてくれ!」


 その返事は、すぐに返ってきた。


〝上空から降ってきた────そう、それは持ち上げられ、キャッチボールでもするかのように投げつけられた────『信号機』を見上げて茫然と、唇の歪みきった笑みを浮かべ〟、



 次の瞬間、雷鳴の残滓を超える轟音が響いた。



◆◆◆



 信号機が根元から叩き折られ、ぶん投げられた。

 映画でしかないようなあまりにもあまりな光景に、その危険性と恐怖が伝え渡ったのは言うまでもない。


 信号機は交差手前の車の列に、上から殴るかのように激突し、破壊された。酷い音が劈き、軍歌を流していたスピーカーが壊れた機械の、狂った絶叫をあげた。


 崩壊。

 それが全てだった。


 惨憺たる情景である。破滅的な絵面である。

 怒号。悲鳴。混乱。

 今まではまだ日常の裏に隠れていた血みどろの(ひにちじょう)が、遂に噴き出した。


 最初は突然現れた『彼ら』に茫然としていた群衆、野次馬、通行人らは全員、蜘蛛の子を散らすように押し退け、逃げようとする。

 ここにいたら────死ぬ。

 理性を超えた領域に対する警鐘は、野生を忘れた人間であろうと動物としてまともにある。


 その必死さといったら、もはや災害を相手にするかのように、本能の根本の部分から絶望感と恐怖が気勢を折る。

 

「あ、あ、うああああああ!!」


 その信号機が車線を跨いで横倒しになった方、横転した車から逃げ出そうと、運転席から砕けた窓から抜け出そうとする若者がいた。

 手を切り、血が出ているがそれどころではない。命の危険を前に、些細な痛覚は邪魔者であった。

 しかし、なかなか抜け出せない。それはそうだろう、教習所でも、割れた窓から逃げ出す方法など教わっていないのだから。


「ひっ、ヒイッ! た、助け……!」


 焦り、ますます混乱の深みに浸かる。

 見えない何かに押し戻されているかのように抜けられない。


 そんな彼に、手が差し伸べられた。


「早く逃げるんだ少年、早く!」


 それは、外国人だった。

 髭を生やした、金髪の男。日本人に外国人の顔イメージを問うてその平均を取るとこんな風になりそうな、どこにでもいそうな男だ。

 しかし、日本人と同等にとても流暢な日本語を話した。


「あ、あ……ありが……」

「声は出すな……行けっ、一度狙われたら殺されるぞ……!」


 男に引っ張り出されると、若者は一礼してから慌てふためき、逃げていく。


『なんでだ……日本の警察はまだ来ないのか……!? 』


 男────マクシミリアンは、辺りに視線を散らばせて唸る。

 遠くからサイレンのクラクションの音は聞こえるのだが、生憎のこの渋滞のためか、一向にそれらしい者が見当たらない。

 渋滞の車は既に大半、もぬけの殻だ。先程の若者同様、とんでもない事態を理解してドアを開けて逃げたのだ。


 目の前で繰り広げられる────『頂上』に対して。


『どうする……目の前に……いる。いるのに……』


 ビリーと、拓二。

 沸き立つ血で血を洗う、獣のように相打つ二人の異様さ、苛烈さはここからでも伝わってくる。

 撃ち、蹴り、そして飛び交う。

 その動きたるや、もはや人間離れしていると言っていい。いや、あのビリーはグーバの手に掛かった実験作(ばけもの)なのだとして、それと互角以上に渡り合う拓二もまたハッキリ言って異次元だ。


 これには、流石のマクシミリアンもまともに割り入ることが出来ない。

 懐に収めた銃に手を伸ばすが、とても抜く気にはなれない。


『クソッ、けどここで逃げるわけには……!』


 踏み込むことの許されない領域を前に、されどどうしようもなくマクシミリアンがたたらを踏む。

 車の陰に身を潜ませ、視線を彷徨わせた。


 それ故、彼は気付いた。


『あ……!』


 自分のいる所の、交差を挟んだ真反対側────前もっての手筈では居るはずのない二人が、むせ込みながら車から外に出ているのを。


『────イノリちゃん! セイドウ……!』


 ようやく、自分が────いや、『自分達』がここに連れてこられたことの意味を、理解し始めていた。



◆◆◆



『痛い! ちょっと離して、痛いってば!』

「いいから来いほら! 逃げるんだよ!」


 細波は、暴れるメリーに構わずその手を引っ掴み、件の交差点から遠ざかろうとする。

 日本語でいくら諭そうが、メリーには通じない。祈に英語でも習っておけば良かったと後悔しながら、それでも強引に酷い音のする方向とは真反対へと連れ出していく。


 この行動は、夕平の指示にも無い。尾行をし、定期的に写真を撮ることだけが仕事のはずだった。

 これは全て、細波の独断によるものだ。

 嫌な予感がしたからだ。この少女を、一刻も早く危険から遠ざけなくてはいけないと。

 非力な自分に出来る精一杯は、これくらいだと。

 

「おい、出ろよ……早く出ろ……」


 早歩きしながら、電話をかける。

 依頼主、夕平の電話に。しかし────


『お掛けになった電話は、現在────』

「クソッ、あいつ切りやがった……!!」


 何回かのコールの後には、無機質な音声が返ってくるばかり。

 もう自分に用は無いと言うことだろうか? それとも、裏切って探偵の越権行為に走ったのがバレた?


 どちらにせよ、これでもう自分は一人だ。一人で解決しなくてはいけない。

 メリーを守らなくては。なけなしの勇気を振り絞らなくては、この悪夢の一日は終わらない。


 ────なあ、そうだろう?


「……いのり、ちゃん」


 開いた携帯の電話帳から、一つの番号を表示した。

 今ここにはいない、ムゲンループを生きる少女。自分などより賢く、これまで何度もその頭脳を頼りにしてきた。

 あるいは一番近くで祈のことを見てきたのは、細波かもしれない。


 天才の感覚に理解が及ばない時もあったが、同じ土俵の上ではあの拓二とも引けを取らない猛者であると、細波は信じている。

 また、祈はメリーとも友人である。彼女に電話すれば、通訳が出来る。この状況を説明すればきっと、打開策を見出してくれるはずだ。


「…………」


 しかし、そうはしない。

 してはいけないのだ。

 彼女は彼女で今、迫り来る苦難に立ち向かっている。闘っているのだ。こんな時にとても、自分を助けるような余裕があると思えない。


 その足を引っ張るような真似など、出来ようはずがなかった。

 せめて、せめて祈のために、何か────


「……?」


 その時だった。

 細波の携帯に、電話が掛かってきたのだ。


 直前に見ていた祈の番号からではなく、夕平からでもない。

 非通知設定だ。


『ちょっと聞いてんの!? もう! 英語も通じないなんて!』


 ぎゃあぎゃあと捲し立てるメリーをよそに、細波はその着信に応えた。


「もしもし」


 返事は無かった。

 電話の向こうに、人の気配はある。しかし、細波が再度口を開いても、沈黙を保った。


 その返事の代わりにパチン、パチンと軽快に指を鳴らす音が聞こえてくる。


 最初それは、一つだった。

 しかし聞いていくうちに、二つ、三つとその音は増え続け、まるで合奏のように重なり合っていった。


 パチン、

 パチンパチン、

 パチンパチンと。何かを示す合図のように。


 細波は怪訝に眉を顰めさせた。


「……? おい、何だよイタズラか?」


 電話の相手は、頑なに返事しない。

 無言で指を鳴らし続ける音が聞こえるのみだ。

 

「いい加減にしろよ、切るぞおい?」


 誰がどう聞いてもイタズラに間違いない内容の電話でも、一度断りを入れるのは彼の性格によるものか。


 ────すぐに切っておけば、よかったのに。

 そう後悔する間など、もう残されていなかった。



「貴方の生涯に献杯を。どうかせめて、安らかに」



 日本語の、やや歳若い女の声だった。

 同年代────いや、祈くらいの歳の少女かもしれないと、そんな関係ないことまでぼんやりと感じていた。


 それが最後の思考だった。


 こめかみに、一発の衝撃。

 視界の端が、赤く染まった。そしてすぐに、視界一面が黒く染まる。


 それっきりだった。そのまま意識が、感覚を放棄する。

 聴覚が消え、視覚が消え。

 その手に握っていた、温かな感触が無くなったところで、細波は『終わった』。


 この非情な現実において、己の行いが万事上手くいくとは限らないと知らぬまま。

 自分が撃たれたのだと知らぬまま。

 そばにいたメリーがどうなったかも、もはや分からぬまま。



 何もかもが突然で、何もかも訳も分からぬまま。

 祈とメリー────二人の少女の行く末を案じ、細波享介は事切れた。



◆◆◆



 細波の命を奪った凶弾────その軌跡は、彼らがいた歩道の対向車線を走っていた一台の車から描かれたものだった。


「────gotcha!」


 窓を閉じると、硝煙の臭いが車内に籠もる。

 恐らくは狂騒が巻き起こっているであろう殺人現場を通り過ぎながら、三列座席のミニバンに、歓喜の声が上がった。


『一発命中! よぉしよくやったぞロメン!』

「Да」

『おめえは日本人(ヤポンスキー)の新参者だが、銃の腕はド一流だ。ンな出来の悪いZIPでここまで出来んだからな』

「Да」

『俺はよぉー気に入ってんだぜお前のこと。銃良し指鳴らし良し器量良し。ああ大好きさ、妹よ』

「Да」

『……お前、俺の話理解してねーだろ』

「Да」


 男と女が話していた。

 ロメンと呼ばれた女は、眠そうな目が特徴の日系風の子供だった。アジア寄りの端正な顔立ちをしており、しかし一方で、際立つ美しい銀髪がその顔と奇妙なバランスを保っていた。

 利き手であるその手の甲には、小さく『Ⅶ』の数字の刻印が施されている。


 隣からロシア語で捲し立てる男の言葉が理解出来ないため、彼女は話半分に銃をしまい、座席にもたれ込んでしまう。じろじろと擬音が立ちそうな、その無遠慮の視線には気付かないフリをして。

 サイドミラーに、殺した男が手を引っ張っていた少女が混乱し、もつれる足で逃げていく様がチラリと映り込んだ。が、標的でもない人物など、ロメンと呼ばれる彼女にはどうでもいいことだ。


 ────そう、彼女こそが、細波を殺した者。

 それも、〝数ある歩行者の中から正確に、遠距離にある車の速度を鑑みた偏差射撃を細波に叩き込むという神業級の腕を披露してのことだ〟。

 それはあたかも、鴨撃ちでもしているかのように。

 細波の命は、彼らにとっての射撃の的でしかないとばかりに。


『はァ〜、まあいい。お次の狐はまあまあビッグネームだ、コッチの野郎がもう殺ってくれてたら楽なんだがよ〜ぉ……』


 一方の短髪の男は、顔の頰のところに大きく『Ⅲ』の数字を彫り、剃った眉に何重もの絡み合った曲線のタトゥーを入れた巨漢であった。そのタトゥーは目の上にまで及び、そのペイントだけで前衛的なアイマスクのような様相を呈している。


 ロメンの肩を抱きつつ、収まり切らずはみ出た足で運転席を蹴る。


『まだ着かねーのかよ、オラ飛ばせやニッカネン!』

『Да、でございます』

『おいロメンの真似してんじゃねー殺すぞ』

「Да」

『おめえのことじゃあねえからな〜、よおーよおしよしよしよし、クソゥやっぱ可愛いなあロォォメェェェェン!』


 こんな人相もガラも悪い男だが、ロメンのことになるとすぐにその凶悪な相好をだらりと崩し、彼女のことを可愛がる。

 その様は奇妙を通り過ぎていっそ不気味であるくらいだが、両者とも、別段なんとも思っていないらしい。


 このままではいつまでもこの可愛がりは続くだろうと、運転手が制するように口を開く。


『後ろの「荷物」はどういたしましょう?』


 そう、この車にはもう一列後部座席がある。

 そしてそこには、〝頭から麻袋を被せられた物体────人間が、転がされていた〟。その下から覗かせる細足には血の巡りが見受けられることから、死んではおらず眠っていることが分かる。


『あぁー? 知んねえよこんなキチガイ女。日本(ここ)まで運べってなオーダー以外は聞いてないんだ、そこらで捨てとけ』

『御意に』

『はあーあ、やっぱロメン以外のヤポンスキーって糞だわ。なあロメン〜?』


 ロメンは無視した。というか、やはりロシア語が分からないのだ。

 男は慣れた風に肩を竦めると、


『────コッチ! コォォォッチ!! 応答しろ、そっちの首尾はどうだ!?』


 コッチとは、ロメンはもちろんのこと、男の名前でもなければ運転手の名前でもない。

 その相手は、この場にいる者ではない。

 取り付けた小型の通信装置に、ビリビリと音響の振幅激しい、必要以上の声でがなり立てた。


『あァ!? だァーから、もう終わったかっつってんだ!』


 そう、〝徒党は、彼らだけではない〟。

 彼らは各所に散らばった、ほんの一部分でしかないのだ。



『────〝ジェウロ=ルッチアは無事殺ったかって聞ィてんだよ〟!』



 混迷極まるこの舞台に、『この世の腫瘍』が暗躍する。



◆◆◆



 それは、悪徳を望む者のための『手段』であり、『装置』である。


 人間であるが、決して我々と同じ『人間』ではない。彼らは、『兄弟』とランク付けされる者同士でしか通じない倫理観で動き、依頼を受けた標的を集団で仕留める国際的な暗殺集団である。

 国籍を問わず、本名を捨てた(捨てざるを得なかった)世界の悪濃の集合体。一人一人が、英才教育的に研ぎ澄まされた精鋭(アウトロー)達だ。


 FBI、ICPO、Europol────あらゆる国際警察組織が総力を挙げて追いかけており、その彼らの依頼達成率たるや凄まじく、計測される範囲で驚異の97.3%を記録。この『兄弟』のことを知る者は、国境の無い暗殺装置、国跨ぎの狩人(マタギ)一派と呼び、とある国では信者の模倣により社会現象が起きた始末だ。

 その対象はと言えば、相応の富豪であれば某国の副大統領の時もあった。一つの『仕事』に、少なくて『兄弟』のうち一人が、多い場合で同時に五人が参加した例が見られる。


『チッ……まさか日本に……ここにきて現れるのか……!』


 咄嗟に身を潜めたどこかのマンションの、階段の踊り場にて。

 ジェウロは、生きていた。踊り場の陰に背を預け、息を荒げていた。

 ……〝そして、胴から血がゆるりと流れ出ていた〟。咄嗟に裂いた服の切れ端で、風穴を作った横腹を抑え、呻く。

 しかし内臓をやられず弾が抜けたので、深い傷ではない。まだ動ける。


 それよりも、今の自分を取り巻く状況の方が芳しくない。

 いや、正直かなり分が悪い。

 それどころかいっそ最悪だ。


 ジェウロは、『彼ら』を知っていた。

 例えば現在イギリスに広まったエレンにまつわる都市伝説のように、裏世界にまことしやかに囁かれる都市伝説。

 

 そして最も奇妙なことに────彼らは暗殺寸前、〝ターゲットに聞こえるように指を鳴らす〟。

 決して失敗の例が無いわけではない彼らであるが、しかしこの『指鳴らし』だけは、彼らの絶対の掟であるようなのだ。


 そのことが転じて、付けられた呼称は────


『────「ウェストサイド七兄弟」……!!』


 いちいち指を鳴らしてから暗殺を行うその美学こそ、彼らがウェストサイド七兄弟たる所以。

 彼らなりの相手への流儀であり、死の挨拶(あいず)なのだ。


 ……そうら、今この瞬間にも、どこからともなく聞こえてくるだろう?


 パチン……パチンと、一つ二つ三つと綺麗に重なり合いながら、奏でられる死の音頭が。



 這い寄るように木霊する────指鳴らしの合唱が。






初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。

【追記:七月一日】加筆修正しました。

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