第百十五話
第百十五話、投稿しました。一話ごとのキリの良さは大事。なので今回は繋ぎの回です。
街は、どこか異様な雰囲気を醸し出し始めていた。
第一に、徘徊する警官とパトカーの姿が多い。五分と街中の雑踏を歩けば、そのどちらかには必ず出くわす。職務質問を受けている通行人をあちらこちらで見ることが出来た。
また、コンビニやカフェ中でもその制服姿を拝むことが出来る。パトロールと銘打っているが、彼ら一人一人の顔には己の緊張を決して表に出すまいと振舞うための柔和な仮面が張り付いているので、駆り出された若手やそれの上手くない警官には、ぎこちない違和感を感じることが出来るだろう。
────警戒態勢。
聡い者は起こりうる何かの前触れを感じ取り、そうでない者は離れて起きた車の事故のためか、それともこれからイベントか何か始まるのだろうかという程度の現状。
若い学生やショッピングに来た家族層の、主としての遊び場でもあるこの場所の行楽的な賑やかさに、確かな不気味な色が滲み出ていた。
「……えらくゴタついてきやがったな」
清道は、そんなどこか剣呑な様子に視線を行き来させながら言う。その手に彼の半分くらいしかない背丈の少女────祈を引き連れていた。
二人はそれぞれ服装を変えていた。適当に飛び込んだブティックでそれまでの身なりを捨て、目立たない親子のような装いに身を包んでいる。もっともそれも、気休めに過ぎないだろうが。
「こいつは俺達にとっちゃあプラマイゼロだ。人の波に紛れやすいが、それは『向こう』も同じことだ。自爆目当てで今襲いかかられちまったらどうしようもねえ。……ああ糞、天下の大宮清道社長が、こうしてえっちらおっちら歩いて逃げ回ってるなんざ、何の冗談だってんだか……」
と、愚痴愚痴ボヤく清道。手を引かれる祈は返事しなかった。
「手ェ離すなよ嬢ちゃん。俺の手がテメエの命綱だと思いな」
「…………」
「嬢ちゃん、オイ嬢ちゃんってばよ」
その様子に気付いた彼が、少し考える素振りを見せ、歩を止め祈の顔を覗き込む。
そして尋ねた。
「……『人が死ぬ間際』ってのを、初めて見たか?」
祈は静かに、そして重々しく緩慢に首肯した。
清道は一つ息を吐き、目を配るのを忘れないままこう話した。
「安心しろよ、蔵石はまだ生きてる。……らしい。ウチの息のかかってる一番の病院に向かわせてんだ。もう後は、奇跡でも祈って任せるしかねえよ」
「社長は……どうしてそう冷静なんですか」
「…………」
「貴方も、分かってるはずです。蔵石さんはその気になれば、あの時私達を葬ることも容易でした。でも、そうはならなかったんです。蔵石さんが教えてくれたから。命を懸けて、最後に逃げる時間を稼いでくれたから……彼は、必死に抗っていました。それが分かってるのに……」
祈達は、衝突から命からがら免れた。
それは何より、蔵石のお陰だ。脅され逆らえない彼の、必死の抵抗あってのものだった。暗に二人を逃がすために、彼はわざと時間を掛けてああも話を続けていたに違いなかった。
「冷静……か。ハハ、分かってねえな嬢ちゃん」
清道は祈の手を引き、またズンズンと歩みを始めた。大股に前進する彼の背中を、祈は小走りについて行く。
「────〝今だからこそだ〟。今やるべきことのために、過去やしがらみは一旦捨て置かねえといけねえよ。あったことにいちいち喚き散らして気ィ取られてんじゃ、いざって時見るべきもんを見失っちまう」
嘘や見栄の弛みの無い、芯の通った声だった。
清道自身が今まで見てきたものを映したような……いつかの拓二も、似たような目をしていた。
清道もまた、彼なりの生き方を編み出した者の一人。経験から辿り着いた境地は、拓二と性質は違えど確固たる価値観を掴んだ者特有のそれであった。
「あいつがベラベラと話してたことは何も間違っちゃいねー。確かに俺は俺の思うままに……色んなことしてきた。自分達守るために、相手によっちゃあ殺しても殺し足りないようなこともしてきただろーな。恨まれ役の生き方しか出来なくなっちまったんだ。その部下からしたら……まあ堪ったもんじゃねえわなァ」
「…………」
「……嬢ちゃんには一生分からんでいい」
そう言う清道の横顔には、常時の彼には無い、弱り切ったような寂しい笑みが浮かんでいた。
「なぁ、嬢ちゃんはよぉ、『今日』が終わってもこうなってくれるなよな? 次のループになっても、それだけは忘れんでくれや。……この感覚にズッポリ浸かっちゃあ最後、いざ悲しみたいって時に悲しめなくなるぜ」
「……私は」
と、横断歩道を渡ろうと清道の足が道に差し掛かったその時。
「────う、うおをおッッ!?」
不意に横道から、バイクが飛び出したのだ。
清道は、轢かれそうになるのをとっさに後ずさる。バイクは信号を思いっきり無視していた。急いでいるのかスピードを飛ばしたドリフトをかまし、危うかった清道に見向きすることなく(フルフェイスヘルメットだから見向きも何も無いが)風を切って走り出して行ってしまう。
「っんの……!! 危ねえなボケナス! 目ン玉付いてんのかこんドタンチン!!」
そんな遠く離れていくバイクに、自分達が潜んでいるのも一時忘れて悪態を叫ぶ清道。
我に返った時には、息を忘れるほど思いつく限りの罵倒を言い終え、相手もとっくに見えなくなっていた。
「スリか当たり屋か……? 胸糞悪りぃな、ったくよぉ〜」
「……あ」
「おいホラ行くぞ……嬢ちゃん? あのバイク野郎がどうかしたんか」
しかし祈は、その決して短くは無い間、怒鳴る清道を制するでもなく、じっとバイクが向かった先を見つめていた。
────彼女が一度見たものに、間違いは無い。
〝例えば一度出会った相手の格好などは、同じものが視界を過れば、どんな街中であろうと探し当てることが出来る〟。
「〝今の……拓二、さん〟?」
それぞれの運命が交差する瞬間を、その目だけは見逃さなかった。
◆◆◆
エンジン音が唸りを上げる。
法定速度など糞食らえとばかりに速度を上げ、そのバイクは道という道を突っ切っていた。
軽快かつ大胆に飛ばしながら、しかしその運転は大したもので、危ないのに危なげが無い。これくらいのことは慣れていると言わんばかりだ。
既に追ってきたパトカーを一台、置き去りにしたばかりなのであるが────どのような無茶があったかは割愛させてもらう。〝背負っている大きな黒鞄からは、ジッパーの隙間を縫って薬莢を焦がした臭いが立ち込めているが、それだけだ〟。
『…………』
やがて速度を抑え、街道から脇に入った。
落としたスピードを維持し、走り続ける。やがてもはや歩いた方がガソリンの無駄にならないんじゃないかという程になって、ある一点をそのフルフェイスヘルメットの中から注視し、そこでバイクを停めた。
目的地に到着したのだ。
目の前にあるのは、ビルだった。
住宅団地にあるマンション程の大きさで、高さにして八階分。『丸山ビル』という看板の通り、テナントビル……謂わば貸しビルというもので、見上げると虫食いのように幾つかの階層の窓にはテナント募集の張り紙が貼られ、電灯も無い暗い部屋が覗いていた。
鞄を担いで、慎重にビルへと歩み寄っていく。
玄関の扉は閉め切られていたが────その隣、シャッターで閉ざされた地下駐車場の入り口らしき場所に、チカチカ光るものがある。
コントロールパネルらしく、ボタンでシャッターの開閉が出来るようだ。しばしの逡巡の後、それを操作した。
あっけなく、音を立ててゆっくりとシャッターが持ち上がる。
咄嗟に銃を取り出して構えたが、完全に開ききっても特に目につく人影などはない。
オールクリア。厳戒態勢はそのままに、地下に続く緩いスロープを進んだ。
静かだ。
現状誰もいないことが、五感で充分把握出来る。
灰白無地のコンクリートで四方を固めたその地下駐車場は広かった。車が数台停まっているが、空きのスペースの方が圧倒的に多い。
物陰に潜み、銃口と目を一緒に配らせ────そして『見つけた』。
〝記憶違いでなければ、あれはマクシミリアン達が乗った車だ〟。見覚えのある黒塗りでスモークガラスのワゴンが確かに、ポツンと停まっている。
すぐさま飛び出すようなことはしなかった。
少し時間を置いた。もしまだあそこに誰かいれば、それこそ面倒な事態になる。
尾行とは、慎重過ぎる程でなければ甲斐が無い。
が、刻一刻と時間が流れても、変化が無い。
いくら神経を凝らしても、周囲に人の気配さえないのだ。
不信を抱いた、その時。
『────やあ、掛かったねタクジ』
突然に響く声。
同時に直後、背後で入り口のシャッターが、開いた時と同じような音を立て、締め降ろされていく。閉じ込められたと気付いた時には、駐車場全体に反響して姿無き声が重なる。
『よくここが分かったね……と言いたいけど、君なら絶対来ると思ってたよ。信頼してたんだ。どんな手を使っても……君ならこんなチャンス、棒に振るわけないってね』
マクシミリアンの声だ。間違いない。
マクシミリアンはやはり、この近くにいる。近くにいて、そして自分をどこかから見ている。
その事実によって、ただの無機質的だったこの地下駐車場の空気がぐわんと弛み、まるで異空間に誘い込まれたかのように感じる。
『〝君お手製の針を僕に飛ばした瞬間、一緒に車に発信機を取り付けて、ここまで追ってきたんだろう〟? まさにしっぺ返し、君の好みそうなやり方だ』
いや、『誘い込まれたかのよう』ではない。
〝事実、自分はまんまと誘い込まれたのだ〟。マクシミリアンは初めからこうするつもりだった。自らを囮として拓二達の前に晒し、逃げたフリをしていただけだったのだ。
もはや自分が今、マクシミリアンの腹中にあることは明白。機転で追い詰めたつもりが、待ち構えられていたのはこちらの方だったのだ。
『ジェウロのことは確かに動揺したよ……けど残念────〝想定内さ〟。ここは僕の掌の中、君という一匹の獣に相応しい狩場。〝例え君を肉まで細切れにして豚の餌にしようが、ここでのことが明るみに出ることは一切無いよ〟』
とっさに鞄を捨て、手に余る数の得物を装填し、構えた。
そして視線を散らかす。
マクシミリアンの籠った声の次に、耳に入る音があった。
それはエレベーターだった。
〝シャッターが閉ざされた今、この密室空間で唯一の出入り口と言えるそこから、遥かに武装の整った迎撃部隊が降り立った〟。
『……!!』
『イノリから聞いたんだけど、〝こういうの、日本じゃ「釣り野伏せ」って言うんだろ〟?』
数にして────およそ三十。
いやそれ以上の数の重火器を握った軍兵が────〝ジェウロと同様の兵士が三十以上も〟────流れるようにこの場に押し入ったのだ。〝それも、たった自分一人を殺すためだけに〟。
『さあ、第二ラウンド開幕だ。────我がネブリナファミリーの力を前に、ひれ伏し尽くせ』
弾頭の炸裂する砲火が、幾重にも木霊した。
◆◆◆
『座標は……この、マルヤマ・ビル。このビルの中に入った途端、アイカワ・タクジの通信機の反応が失せた……か』
そして────その頃。
グーバはぬっと不気味に白い歯を剥いていた。
目を爛々と輝かせ、肌をざわつかせ、立っていようか座っていようか分からないとばかりに、腰を浮かせていた。己の内に膨れ上がる興奮の潮流を抑えているようだった。
『つまり、つまりつまり、だ……この建物の地下駐車場……ここから直線距離にして、たった北東三キロ弱。〝マクシミリアン及びネブリナの主戦力は、この場所に固まっている〟……!』
ク、ク、ク、と。
歯の欠けた歯車が回る時のような、硝子を斬り付ける時のような、聞いた者を臓物を直接舌が這うような不愉快で耳障りな笑い声を起こす。
娘のベローナが、その様を不安げに見ながら黙って傍に控えている。
『ク、カカカ、クク……よくやった、よくやったぞアイカワ・タクジ、そしてニーナ……! 奴らの根城をよくぞ掴んでくれた……!!』
諸悪の根源が、混沌の元凶が、遂にその重い腰を上げる。
『何年何十年と長き時────この瞬間を待っていたのだ、私は! ずっと待ち焦がれていたのだ、この時を!!〝「引き金」はたった今この瞬間、絞られた〟!!』
そしてこの男こそが、三月三十一日のこの日、最大最悪、未曾有の事態を引き起こすことになるということを────今はまだ、誰一人として知らない。
狂宴は、空前絶後の大乱闘の様相へと、変貌を遂げていく。
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。
【追記:二月十九日】加筆修正しました