第百六話
第百六話、投稿しました。
「拓二……さん。どうして、ここに……?」
その拓二の姿を認めた時、祈は動けず、目の前の光景を前に口だけが反応していた。
すぐさま止めに掛かることも出来たはずだ。そうするべきだと、頭が警鐘を鳴らしている。
しかし、この事態の急転に普段動かさない身体は竦み、どうしても付いていかない。
こんな空虚で決まりきった質問を投げかける前に、祈も脳裏では理解していた。
拓二も、知ってしまったのだ。自分と同じ結論を得て、明確な確信を持ってここにいる。
「……メリーから、話は聞いた。あとはお前と同じ理由で琴羽を探してここに来た。琴羽が暁を殺ったんだと、すぐに分かったからな」
暁に宛てられた脅迫の手紙。その存在がそのまま、暁の死が事故などではないことは勿論、加えて琴羽の自白と同義であることは、当時の状況を振り返れば、考えるべくもない。
手紙は暁の下駄箱の中に届けられていた。ただの出席番号以外にそれが本人のものであるという情報の無い場所に、間違いなく。
何故手紙を入れた者は、暁の靴入れの場所を知っていたのか? ただのクラスメイトですら、一同級生の出席番号、そして靴の位置をわざわざ覚えているという理由は多くは無い。
偶然などという現実逃避にも近い雑多的な低確率を排除すれば────残るのは、〝暁と仲が良く、その下校にも付き合っている最中で自然と覚えるようになったと見るのがシンプルで分かりやすい〟。
加えて、手紙を読んだ暁の反応を確かめることが出来、照明器具の作為的な事故を装うための条件を満たす、文化祭委員という裏方の仕事。
まるで見せつけるように、優勝の瞬間を狙った殺し方から感じられる、暁に対し強い悪意を持ちうる関係者。
すなわちあらゆる状況証拠が、琴羽を指差していたのだった。
「ァ……かはっ……」
琴羽の喉から、押し潰された息遣いが絞り出る。
祈は、そこでハッと我に返った。まるでようやくこの状況に目を向けたかのように
「やっ……止めてください、拓二さん!」
今度は身体が弾けるように動いた。
駆け寄るというよりも、何かにつまづいたかのような動作で、へし折らんとばかりに琴羽の首を鷲掴みする拓二に突っ込んだ。
「ぐっ……!?」
拓二はその子供のような体当たりもどきを受け、それでも呆気なくもんどり打って倒れた。
地面に飛び込むように倒れ掛かる重心を巻き込み、拓二達は二転三転と雑草と砂地をモロに浴びる。
琴羽の首皮に立てていた爪は既に外れていたが、それも分からない祈は、全身で抱きしめる格好で、必死に拓二に食らいついていた。
拓二はその懸命な拘束を振り切ろうと、もがき、雄叫ぶ。
「いのり、お前……! 俺の邪魔をするのか!?」
「邪魔します! もう彼女は逃げられません、あとは警察に任せて……!」
祈は、先ほどの自分も今の拓二と同様、琴羽への憎しみで支配されていたことを一時的に忘れた。
忘れたというより、冷や水を浴びせられたというべきか。殺してやりたいというただの感情は、実際に殺そうとするという行動を前に、もう一度理性を差し込むだけの躊躇を生んでいた。
気持ちは痛いほど分かっているつもりだった。もし拓二がここで琴羽を殺せば、そのまま祈の中に確かに燻っているその我欲も満たされるということも。
だからこそ、止めなくてはいけない。どうしてこれが他人事でいられようか。
「警察に何の意味がある! こいつは千夜川の代わりに暁を殺した、それはもう覆らない! だから殺す!」
「それでも! 拓二さんが殺す必要は無いはずです!」
「いいや、あるね!! 暁を助けるなら殺せばいい、千夜川の時と同じだ!」
「同じじゃありません!!」
このままではいけない。身体が拓二を拘束するだけで精一杯ならば、口や頭を動かせ。
信じてきた物を強引にでも使わなければ、本当に取り返しのつかないことになる。
「〝そもそもおかしいんです、千夜川桜季の代わりに琴羽さんが立花先輩を殺すなんてこと! 私達の仮説には本来あり得ないことのはずなんです、千夜川桜季と琴羽さん自体は何の関係も無いのに〟!!」
拓二の気を引く意味で胸中の疑問をぶち撒けていく。
拓二の全身が、その剣幕に反応して微かに強張った。しかしそれも一瞬で、祈を押しのけるだけの力はすぐに取り戻されてしまう。
「だったら、俺達の推測した前提が間違ってたってことだろォが!」
「そうです!!」
頭より先に、口が力強く断言した。
もみくちゃとなってほんの目と鼻の先にある拓二の面に、必死の声をぶつける。
「私達は、何か間違えています……何かを勘違いしてるはずなんですよ? それを確かめもせず、その手を汚すつもりなのですか!?」
「ゴチャゴチャとうるせえよテメエは!!」
嗄れた怒号が壁のようにぶつかり、祈は耐えきれず重心ごと後方に怯んだ。
その機を逃す拓二ではなかった。緩んだ抵抗に乗じ、容易く祈を跳ね除ける。
『四月一日』から鍛え続けていた拓二と、運動能力に乏しい祈。
当然力比べとなると話にもならず、祈は悲鳴を上げて地面にくずおれた。
「手……手だァ? ────俺の手なんざ、もうとっくに汚れちまってンだよおッッ!!」
ゆらりと、拓二は立ち上がる。
組み付いていた祈も押しのけて、すぐにまた琴羽に向かうのかと思えばそうではなく────両の手で頭を抱え、誰に向けたとも知れぬ苦しげな声で話し続ける。
「俺は……ずっと、助けたくて……無力で、弱くて。強く……強くなりたかった。どんなことをしてでも守りたくて、ただそれだけで……だから俺はもう、それを証明した────はずだったのに」
それは、琴羽を殺すことに対する躊躇────ではなく。
拓二がたった一人で抱えてきた苦悩。そして、懸けてきた全てが結局水泡に帰し、光を失った絶望の谷底に落ち込み苦しんでいるのが、ありありと浮かんでいた。
「どうして……どうして暁が死ななきゃならない? 何で……」
「……拓二さん……」
ゆっくりと上体を起こした祈が、そんな拓二に静かに声を掛けた────その時。
「お父さん……お母さん……」
祈達から離れて、鼻にかかった泣き声が届いた。
子供のようにしゃっくり上げ、ベソをかき、フラフラとこちらへ近付いてくる琴羽。
「ねえ、どこ? どこいっちゃったの? お父さんとお母さんは? どうしていないの? みんな、なんで泣いてるの? ねえ、どうしてもういないの? あたし寂しいよ。寂しい、寂しい、誰か、誰か……」
心なしか、比喩ではなく語調は幼くなり、声が庇護欲を煽る甘えたものとなっていた。
「拓二先輩、どこぉ……?」
拓二の名前を呼んだ。
あわや自分を殺しかけた拓二の名前を、それでもまるで助けを求めるかのように。
「お願いいぃ……先輩、見捨てないで、一人にしないでぇ……? あたし、いい子にするから……何でも言うこと聞く、どんなことでもするからあ……だからもう、あたしを一人ぼっちにしないでよぉぉ……」
拓二は自分の全てなのだと、彼女は言った。
祈にはそれが理解出来ない。好きとか愛とか、そういう感情の一時の暴走なのかと、思いつく限りの納得出来る言葉で何とか言い聞かせていた。
「嘘じゃないよ。本当なんだよ。だって、見たでしょ? ほら。あたし。あたし、あたし、アタシ────」
そうして理解に努めて、琴羽という存在を頭で呑み込もうとしていた祈は、次の瞬間に思い知る。
「〝あなたの心に残るならって。あたしね、友達だって殺したんだよ〟?」
────絶対に自分には、彼女を理解出来ないと。
「はは」
拓二が笑った。
しかしそれは、例えるなら人形が笑うことがあればこんな感じだろうという、抑揚の無い笑い声。
しかしそれは、徐々に込み上がって大きくなっていき、
「────はは、は、アハッ……ヒヒヒクク、あーっはははは!! ああ、ああ、そうか。そういう────アハハイヒ、ヒーッハハッアハハハ!! イッヒヒヒヒぁははははハハハハハハ!!」
遂には、腹を抱えて爆発のような大笑いを辺り一帯に響かせた。ヒイヒイと涙を浮かべ、トチ狂った笑い声を上げ続けている。
祈は、もう呆然とその様を見ているしかなかった。
「────〝殺さない殺さないッ!! 絶対にお前は殺してなんかやらない〟! 今決めた、お前は何回も何十回も繰り返して、死んだ方がマシだと思えるような苦痛を永遠に味わせてやる!」
今まで笑っていたのが一転、憤怒の形相でグルンと琴羽に振り向く。
祈を通り過ぎ、ずいと右手は琴羽の服の襟を、左手は両頬を喋れないように力一杯挟み込んだ。
「その目はずっと、ちゃんと持ってろよ? 確かに俺にはお前が必要だ、生かす価値があるよ……目ん玉以外はゴミだけどさァ!」
「う、う」
「良かったなぁ琴羽? 俺はクズなお前を見捨てなんかしない。共についてこい。俺のために、大事に大事に扱ってやるさ。────ホラ、嬉しいだろ? 笑えよ、笑って嬉しいっつってみろよォこの雌犬が!!」
パッと手を離してから、胸を突いて乱暴に琴羽をすっ転ばした。
強かに尻餅をついた琴羽はそれに対し、怒るようなこともなく、むしろ虚ろな笑みを見せ、犬猫のように拓二の足元にすり寄っていく。
「あは……はは、えへへえへ……うれしいです、うれしいです、うれしい、うれしいうれしい……」
「そうだ、それでいい」
卑屈な、媚びへつらう色をした目が見上げている。
対し、腫れたように真っ赤な唇の端を吊り上げ、歯を剥き、見る者をゾッとさせる鬼気迫る笑みで拓二はその無様を見下ろした。
嘲るように。嗜虐の愉悦に浸るように。
「た、拓二……さん……?」
「ん? おお、いのり。いのりじゃないかぁ~」
耐え切れずとばかりに声を掛けると、祈に朗らかな笑みと口調で拓二が答える。
性格を切り返したかのようなその情緒不安定さが、夜の帳の中で一層不気味に際立っていた。
「なあいのり……俺さあ、分かっちまったよ。よく考えれば別に、そう悲観することはないかって……俺達はちゃんと前に進んでる。ああそうさ、いったん気付けばこんな簡単なことはない……」
「それは、どういう……」
「まあ聞けよ。この世界は、無限ループ……ずっと一年を繰り返してるんだ。何がどうしてそうなってんのか知らないが、これは間違いない」
困惑している祈をよそに、淀みなくスラスラと己の弁舌を披露する拓二は実に愉しそうで、目には今までにない生気の光が爛々と灯っていた。
それはまるで一度踏みつけられ、へたれた雑草のように。
時間をかけ這い上がり、立ち直り、凛とその背丈を伸ばしていく。
「だから俺、もう一度やり直しに行くよ。いや、もう一度じゃないな……辛くても苦しくても、何度でも何度でもやり直して……そして、最後には暁を救う。それが俺の出来る償いだ」
────相川拓二は、完全無欠の人間などではない。
人よりも負けて、人よりも失敗して、そこから学習してやり直してきた。
本当の完全無欠な人間を知る彼は、高みにあるその境地にずっと手を伸ばしてきた。
「ていうか元々俺は、そうやって生きてきたんだった。同じ失敗をしないために、自分を変えようとして、ここまできたんだった。何でこんな簡単なこと忘れてたかなあ……千夜川殺して、ちょっと天狗になってたのかもな」
彼にとって、これが常なのだ。
彼にとって成長とは、世に言う勝利や達成感などと呼ばれるものではない。マイナスへの振れ幅……挫折、敗北、失敗などである。
「だからこそ────〝俺にもう一度前を向かせてくれた暁の死には、今は感謝さえしているよ〟」
〝それ故彼は、さらに暁との死別すら己の糧にする〟。
〝自分の中に取り込んで、教訓にする〟。
ごくごく自然のことのように。友人の死に、心の底からの喜びと活力を見出していく。
「……えっ?」
「結局今回も、俺は守れなかった。助けられなかった。……〝でも、それでいい。暁は、死んでよかったんだ。だって俺に、こんな大切なことを教えてくれたんだからさ〟」
拓二が、今も痛むであろう拳を固く握りしめた。
失ったものと、そこから得たと心から信じているもの。それを力にし、痛みと共に噛みしめる。
「俺は、かつての成長を思い出した。新たな目的を見つけたんだ。俺はもっと、このムゲンループの中で強くなり……暁が生きるのを世界が許さないというのならば、ムゲンループさえも俺は支配してやる。それだけの力が、数十年を積み重ねてきた俺にはある」
相川拓二は、終わったのではない。
「この世界の頂……境地……『王』。そう、『ムゲンループの王』────俺は、それになる」
────ここから、始まったのだ。
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。
【追記:二月一日】加筆修正しました。