第百三話
第百三話、投稿します。今年もあと僅かであることに戦慄を覚える今日この頃です。
俺の名前は、相川拓二。
どこにでもいる、ごく普通の高校一年生だ。
顔立ちは我ながらそこそこ、一人暮らし同然の生活の恩恵か、料理も人並み以上に出来る。
友達は……いなかった。学校にいる間も自分の机にしがみついて、人の輪に入ることを諦めていた。
波風の立たない、平穏無事な灰色の人生を送ってきた。
しかし今はひょんなことから、そんな『どこにでもいる』って肩書きは、『ちょっとした』なんて枕詞に取って代わることになっちまったけどな。
それもこれも、ムゲンループ(と俺は呼んでいる)……この現象が起きてから、俺の人生が一変した。
高校一年生の時間をを何度も繰り返し、その間起きた出来事は覆らない。そしてそのことを、俺だけが覚えている。
難しいテストも、答えさえ覚えていれば誰でも解ける。
競馬に行けば、勝つと分かっている勝負を知ることも出来る。
間違えたらやり直せる。成功するまで繰り返せるのだ。
怖いとは思わなかった。もう嫌だとも思わなかった。
『富を築く才能は、神からの贈り物だと思う』だと言ったのは、誰だったか。
何にせよムゲンループは俺のためにあると本気で思った。俺のための、チャンスなんだと。
ゲームのように説明書も無ければ攻略のヒントも無いこの人生で、俺が賢く生きる上での取っ掛かりなんだと思った。
俺だけが、リセットと記憶セーブ機能がアップデートされたゲームをやっているのだ。他の劣化版をプレイしている人間相手に、負けるはずが無い。
まさに、何でもありな最高の世界。
そうして俺は、自分でもその回数を忘れるほど何度も繰り返して────そして、今に至る。
最初に比べて見違えて成長し、力をつけた。
全ては俺が、賢く生きるために。
「おっと、もうこんな時間か」
さて、それはさておき。
時刻は八時前、そろそろ学校に行かないと遅刻しちまう。
もはや学校も行く意味も無いのに、律儀なものだと思う。授業など出なくとも、もう高校生の勉強をほぼ終わらせた俺は問題無いのだが。
音楽祭も終わって、結構疲れていたのは間違いないが、これも学生の本分っていう悲しい性ってやつか。
「……んじゃ、行ってきます」
相も変わらず誰もいない家に向けて、独り言のようにそう言い残して学校へとくりだした。
◆◆◆
ここ数日の天気の悪さを物語るようなぬかるんだ道端の水たまりが、晴れきった今の空模様を映し出す。
毎日繰り返す登校路。良好とは言えない自分の出席率に反して、その道中の内容の無さによる飽和感は著しい。
しかしそんな変わり映えのない光景も、学校の校門をくぐった時までだ。すぐにその異常は目に付いた。
体育館付近が、黄色のバリケードテープで中に入れないよう囲まれている。人除けの目的を強調する何重もの警告と、敷地内に侵入してまでその側に控えるパトカー数台はあまりに異質だった。
[※※削除※※]が死んだあの日から、警察は捜査を続けているらしい。連日の報道でも、悲劇的な事故ということで取り上げられていた。
他の登校中の生徒は、割と面白がるでもなく我関せずとばかりにその場を通り過ぎている。そそくさと、何かを振り切るように。
「……あ。よお、相川……」
体育館の前を突っ切り、俺も校舎に入った。
そしてその時、予鈴が迫る玄関口で待っていたのは、尾崎光輝の暗い顔だった。
「俺を、待ってたのか?」
「ん……相川『も』待ってたぜ。……でももう、授業始まっちまうよな」
光輝はそう言って、力無く笑う。
俺達は二人教室に向かいながら、
「昨日の[※※削除※※]の葬式さ……行ったか?」
俺は、何も言わなかった。
「そうか……あ、いや悪いとは言わないぜ? そりゃ、ショックだもんな……」
光輝はそれをどう解釈したのか、慌てて労わるような声音でフォローし、何度か頷く。
そしてそれまで進めていた足取りがふと止まり、陰鬱な面持ちで口を開いた。
「……夕平も、来てないらしいんだ」
「…………」
「あいつの叔母さんが言ってたんだけど……あれから、部屋から出てこないって。飯もろくに食べてないんだとよ」
沈んだ光輝のその声は、若干震えていて、風邪でえずいた時のように苦しげだった。
「俺……俺のせいだ。[※※削除※※]に、行ってこいって言っちまって……そしたら、あんな」
行き場のない感情が、喉、目のそれぞれの琴線を震わせ、心の内の混乱を露わにしていた。
「こんな……何でこんなこと……」
「……仕方ないさ」
俺は、億劫ながらいちいち説き明かすように言ってやる。
「こうなる運命だった、ってやつだ。誰が悪いとか、こうすればとかは、もう言ったってきかない。[※※削除※※]は、もういない……」
「それは分かってんよ、でもっ……!」
「はっきり言うが……俺達に出来ることは何もない。普段通り過ごすことが、今出来る精一杯なんじゃないか? そうだろ?」
すうと光輝を見やる。
俺の言葉に驚いたのかどうなのか、意外そうな顔をしてぎくしゃくと首肯した。
「あ、ああ……それは……そうかもしれねえ、けど」
そう言いつつ、
「……なんか、結構平気そうだな、相川は」
「まあな」
その俺に向ける言葉回しや視線の種類に、他意を含んでいるのは火を見るよりも明らかだった。
傍から見て知人の死を悼んでいるのか定かでない、俺の淡白への不可解や疑心。それを呑み込めずにいるのだろう。
「考え方の違いかな……そうするのが一番、[※※削除※※]のためだと俺は思ってる。当たり前の日常を送ってやることが[※※削除※※]の願いだろうから」
「そんな……分かんねえよ……」
別のクラスである俺達の行く先が別れるその間際、光輝は最後にこう言った。
「────やっぱお前、普通の奴とはどっかおかしいぜ」
それは素直な賞賛なのか、それとも侮蔑を込めた皮肉なのか。
果たしてどういう意図の言葉だったのか、俺には判別がつかなかった。
「……行くか」
俺は去っていった光輝のその後ろ姿を目で追い、しかしすぐに切り返してから自分のクラスへと足を動かした。
死別は、この世でもっとも明確な決別だ。
そしてまたこれも、そうした人の死に直面し、残された者同士が袂を分かつ明確な一瞬であったのだろう。
これを期に、光輝とは友人として二度と会うことはなかった。
◆◆◆
それから、改めて口にする必要もない時間が過ぎた。
午前の授業が終われば昼休みのチャイムが鳴り、弁当を食べ、適当に駄弁ってから午後の授業。
そしてたまたま放課後の掃除当番に当たっていた俺は、苗字の語順の近い他数人とそれを済ませ、荷物を纏めた。
クラスの雰囲気も、遠慮がちでいつもより遥かに静かではあったが、生徒達は普段通り、思い思いの時間を過ごしていた。
[※※削除※※]の死を感じさせるものといえばそれこそ、彼女の机に置かれた花の入った花瓶だけ。ドラマや小説の世界でなく、本当に置かれるものなのだとクラスの誰もが思ったことだろう。
だが、そのこと自体に触れるものは誰もいない。担任の教師でさえ、朝に十分に満たない時間状況説明をした程度だ。
ましてや話題と同調の繰り返しに過ぎない高校生の会話で、わざわざ傷口をほじくるような、空気を読まない真似などしないのだ。
まさに何事もなく、不自由のない平凡でとりとめのない高校生活。
皆が皆、俺を壊れ物を扱うかのように優しく接してきた。あまり話したことのない他のクラスの奴も、話しに来た。
俺自身としては正直そうした意図があけすけで鬱陶しくもあったが、昔より夕平や[※※削除※※]を介しての友達もいるし、虐められていた昔よりも遥かに過ごしやすい。
要は俺の望み通り、当たり障りのない生活を送っていたというわけだ。
「ただいま……っと」
帰ってきた家に、やはり人はいない。俺だけだ。
家の外に隠されていた合鍵を適当に放り、教科書で重い鞄を脇に置いた。衣替えの時期で冬服になった制服のブレザーを脱ぎかけながら、決まったルーチンで洗面所へと向かう。
身につけた制服をシャツもズボンも脱ぎ捨てて、用意した着替えを手に取った。
「…………」
と、ふと洗面台の鏡の中にいる自分の姿に目が留まる。
見慣れた目と、眉、鼻、口。こう鑑みて目につくのは、包帯のくっついた左腕と、筋肉の引き締まったその胴体……。
俺の名前は、相川拓二だ。
どこにでもいる平凡な少年だったのが、ムゲンループで十六歳をやり直していくうちに、年並みの子供とかけ離れた運動神経と頭脳を手に入れた。
イギリスでは命を懸けた鉄火場で奮闘し、そして死ぬ運命にあった[※※削除※※]の命を一度救った。
繰り返して繰り返して。
何度も何度も繰り返して、俺は今ここにいる。
困難から成し遂げてきた今の俺の姿が、俺の終着点だ。
「これが……俺の望んだ世界……」
じっと見ていると、自分自身では気づかないほど小さく、鏡面に映された俺の口元がふっと笑みの形に持ち上がっていた。
そして俺は、
〝けたたましい破裂音とともに、自らの頭蓋でその薄笑いを粉々に打ち割った〟。
「────お、おお、オオおおおおおおおああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああアアァァァ!!」
────違う!! 違う違う違う違う違う違う、チガウッッッッッッッ!!
俺はこんなもの望んでなどいない俺は違う俺は違う違うこんなつもりじゃ[※※削除※※]のために[※※削除※※]のために[※※削除※※][※※削除※※][※※削除※※][※※削除※※][※※削除※※][※※削除※※][※※削除※※][※※削除※※][※※※き][※※つき]のためにそうだあかつき、あかつきあかつきあかつき暁のために俺はこんな結果に五十年も俺は俺は千夜川を殺して俺のせいで暁がどうして俺は俺は俺は何だったんだ俺は俺は俺は俺は俺は俺はオレハオレハオレハオレハ……
「────ッ! ヴぉエッ!! グぉえ゛ぇぇぇぇっっ……!」
吐いた。胃液に溶かした弁当の中身が、ツンと酸っぱい臭気を発する。
しかしすぐに、違う臭いが鼻を突いた。
鉄臭い、臭い。それに頭が、顔が生ぬるい。
血だった。
額を切ったらしい、しかも深く。吐瀉物に紛れてたらたらと赤い滴が垂れる。
胃の中の物を吐いても、血が止まらない。首元まで濡れた。シンクに収まらない流血に、さらに気分が悪化している。
痛くはない。苦しい。息が出来ないくらい苦しい。
「ハァーッ、ハァ゛ーッ……!」
震える胃が肺の代わりに酸素を求めているかのように、深く速く息をつく。
気分は酷い。暴れて何もかもぶち壊したいくらいの心持であるのに、身体の機能がそうさせない。汚れきった洗面台に手をつき、全身で息するのが精いっぱいだ。
『あーあ。無様ね』
「……っ!?」
そんな折、グワングワンと頭の中に響くような声がした。
大きくひび割れ、砕けた破片が個々抜け落ちた鏡面に、俺以外のもう一つの影が差す。俺以外の姿を認めた鏡が、俺の知った声で語り出した。
今の俺には吐き気を催す程忌々しいその声が、耳を突く。
『あれだけ言って、これだけやって、結局はこの様。暁ちゃんの死を受け入れたつもりで、その実全く認めようとしない。敗北と失敗から、目を背けて逃げようとする。イヤ滑稽滑稽、とんだ甘ちゃんよねぇアッハハハハハ!!』
「やめろ……やめろよ……」
俺を嘲る愉悦の笑い声は、ますます大きく響き渡った。
ぐにゃりと歪んだその姿は、俺に顔を突き出し食い気味に最後に言い放つ。
だがその形相は、俺の思った『彼女』のものではなく────
『もうさ、とっとと分かれよ? これがお前の────「僕」の、本当の姿なんだってさァ!!』
〝そこに映っていたのは、昔の俺自身〟────
今度は頭ではなく、ベトベトに汚れた拳が打った。
破片の鋭利で自傷した五指が痛む。その痛みが、酒浸りのような頭を覚まさせた。
鏡の中の虚影はたちまち消え失せた。俺が見ていたものは、桜季の幻覚のような、ただそれよりもある意味で正しい自己像幻視であったようだ。
……そんなこと、もはやどうでもよかったが。
「……ふ、ふふ」
気付けば。
気付けば手は拳の形を解き、ガラスの破片で一番大きなものを握りこんでいた。
当然、切ったところからまた新たに血が流れる。右手に傷を負っていない部分はもう無いのではないかと思うくらいに、手もガラスも血にまみれていた。
いい切れ味だと、ぼんやりそう思った。
そう、例えば────〝人の首の皮を切り裂くには足りる程に、その破片は凶器的だった〟。
「何が運命だ……こんな世界」
────E che volete
……歌声が、聞こえる。
聞いたことのある歌だ。
────che mi conforte
いや、これは、俺の歌なのか?
それとも他の誰かの歌なのか?
────in così dura sorte,in così gran martire?
嗚呼……もう、どうでもいいか、そんなこと。
そうだ。もう、全てが、どうでもいい。
「〝こんな世界、初めから無ければよかった〟────……」
────私を、死なせて────
『────駄目えええっ!!』
行為に及ぼうとしたその瞬間、大きな声で叫ばれたと思ったら、後ろから俺の手を掴みかかる者がいた。
猛然とした勢いで持って、狭い洗面所にお互い倒れ伏した。拍子でうっかり事が済んでしまわなかったのは、ある種幸運だったのかどうなのか。
『バカ! バカバカバカバカバカバカっ!! どうしてそんな事っ……何やろうとしてんのよアンタは!!』
押し潰され、もう身動きは取れないというのに俺にのしかかっいる奴は、拘束を止めない。
ただただ、俺を止めるという意思がその全身から伝わる。
俺の命を助けたこの重みは、確かな実体としてここにある。
その事を確かめるようにして、その少女の名前を呼んだ。
「……メ、リー……?」
俺はそこで初めて、自分が泣いていたことに気付いた。
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。
【追記:二月二十三日】加筆修正しました。